観光
昼下がり、ユイとニッツは日陰で休んでいた。
ニッツは腹を押さえて苦しそうにしている。食べ過ぎだった。
「ごめんごめん、調子乗っちゃった」
ニッツを連れ回したユイは手を合わせて謝る。
「ちょっとこっち来て」
(言ったそばからまた別の店……)
ニッツは辟易としながら着いていく。
「はい、水」
だが到着した場所で見た光景で、それまでの退屈さはすっ飛んだ。
水が出ていた。
街のど真ん中、銅の管から水が流れ出ている。井戸があるわけでもないのに。
『なに、これ』
「なにって、水道だけど。見たことない?」
こくこくうなずく。
「ある程度の大きさの街じゃないとないもんね。ここから少し離れたところに湖があってね、そこから水を引いてるの。この国、インフラ整備が盛んだからさ」
説明を聞きながら、ニッツは水道をいろんな角度から観察する。
「水道とか兵隊のことばかり気にして、ニッツくんってもしかして……」
ニッツはびくりと肩をふるわせる。
まさかここへきた目的がばれたか。
額に脂汗が流れ落ちる。ニッツ自身に戦闘力はない。たとえ女相手でも簡単に組み伏せられる。
すぐにでも逃げられるように足に力をこめていると、言葉が続けられる。
「変わり者でしょ?」
ずっこけた。
「ニッツくん!?」
ユイに助けられながら立ち上がる。
(馬鹿でよかった)
安心するとともに冷静になる。今はこんなことをしている場合ではない。
『地図』
「ああ! そうだったね。ごめんごめん、忘れてた。ニッツくんと一緒だと楽しくて、つい」
ニッツが不機嫌にしているのを見ると、ユイは慌てて案内する。
「こっちこっち」
しばし歩くと、大理石づくりの立派な建物が見えてきた。
「図書館だよ。地図もあったはず」
中には棚がずらりと並び、大量の本が並べてある。
正面の壁にはモザイク画でこの国の地図が描かれていた。
ニッツが育った村で、本など滅多にお目にかかれるものではない。字を読める人間すら限られていた。ニッツは言葉が話せないから必死になって覚えたのだ。
ふと、文字を勉強していたときのことを思い出す。周りの人間は家業で忙しく、教えてくれる人なんていなかった。ほとんどひとりで覚えたのだ。
何年も何年もかけて、だれかと話したい一心で。
言葉が話せなくても、文字さえ書ければ人と話せると思った。親や兄弟とも仲良くできると思った。
がんばって勉強すれば、親にほめてもらえると思っていた。
あの頃はまだ、親に好かれたいと思っていた。
結果、ニッツが読み書きを覚えたところで親兄弟は字を読めなかったので会話はできなかった。
それどころか畑仕事を手伝わず無駄なことばかりするなとこっぴどく殴られた。
昔のことを思い出し、ニッツは胸を強く抑える。
(なんでいまさらあいつらのことなんて思い出すんだ。もう見限った、あんな奴らいらない。消えろ、消えろ、消えろ)
頭の中から親の顔をかき消す。
ニッツは沸き起こってくる思い出を振り払い、本棚へ向かった。
必要なことを調べ終え、外に出ると、もう夕暮れ時だった。
「欲しい本あった?」
ニッツがうなずく。ユイは満足そうに笑い、ニッツの手をとった。
「どこに泊まってるの? 送ってってあげる」
だが、ニッツは首を横にふる。泊まる場所なんてない。必要な情報は集まった。早く巣穴に戻って戦の準備をしないと。
ユイは少しさびしそうな顔をする。
「そっか。私、そこの行政府で働いてるから。どこか案内して欲しいとこあったらまた来てよ」
じゃあね、とユイは手を振って別れを告げる。
その背を見送っていると、お礼を言っていなかったことに気づく。蝋板にペンを走らせるも、次に顔をあげたときにはユイの姿は雑踏の中に消えていた。