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蟻の王  作者: 八神あき
3/11

復讐、そして次なる夢

 いつもなら深閑とした夜の森に、ヒュージアントの行軍の音が響く。

 驚いたふくろうが飛び立ち、夜行性の魔物も漆黒の海には近寄ろうとしない。


 ニッツは女王の背に乗って群の最後尾にいた。

 村から少し離れたところで群を止める。

 これから行おうとしている虐殺を思い、心臓が痛いほど強く脈打つ。

 だが——熱くなった頭に、一抹の不安がよぎる。

(よくよく考えたら、殺すのはまずいんじゃないか……。村ひとつ消えたら一大事だ。国の軍隊が来て、僕らを退治しようとするかも……)

 脳裏に家族の顔が思い浮かぶ。今思えば、あんな親でも親は親だ。


 ニッツは女王に命じ、地下に潜った。トンネルを掘って家の近くまで進む。地上に出ると、ちょうど農具のしまってある倉の前だった。

 ニッツは女王から降りると、そっと家の中をうかがう。ぼろぼろの壁の隙間からは居間が見えた。


 夕食どきだった。


 中央に鍋が置かれ、親と兄弟たちが囲んでいる。みんな幸せそうに笑っていた。あの無愛想な父親ですら、口元がゆるんでいる。

(殺す……ほんとうに?)

 迷っていると、話し声が聞こえてきた。

「やっぱり肉が多いといいな」

 長男が口いっぱいに鹿肉を頬張って言う。

「ああ。なんせ食いぶちがひとり減ったからね。これで暮らしに余裕も出る」

 母親が言うと、父親も「うん」とうなずく。


 ニッツはめまいがした。目の奥がぐらぐらと熱い。

(なんで僕、こんなことで傷ついてるんだ……。わかってたことだ。疎まれてるって。……けど、それでも……そうか、僕は、それでもまだ愛されたかったのか。あいつらに……)

 自分がいなくなったことで幸せそうにしている家族。ふつふつと怒りがわいてくる。家族に対してではない。あんなやつらに好かれたいと思っていた情けない自分にだ。

(あいつらにとって僕は必要ない……。なら僕にとっても、あいつらはいらない)

 ようやくニッツは決心がついた。女王の背に乗り、地下トンネルを通ってもとの場所に戻る。


 ニッツはヒュージアントの群に命令を下した。

 あの村を襲え、全員食い殺せ、と。

 阿鼻地獄のはじまりだった。


 命令を受けた五千のヒュージアントは動き出す。村の周囲にまかれた魔物よけに一瞬動きを鈍らせるも、命令は絶対だ。蟻たちは津波となって村を飲み込む。

 見張りが気付き、危険を知らせる鐘を鳴らす。慌てた男たちが武器を持って出てくるも、その数は五百に満たない。あっという間に黒い海に飲み込まれた。


 悲鳴があがる。ヒュージアントは次々と建物の中に入り、中の人間を食い殺していく。

 ものの一時間もすれば、生きている人間はニッツだけになった。仕事を終えたヒュージアントたちはその場で動かなくなる。


 ニッツは女王の背に乗り、ゆっくりと破壊された村を見て回る。

 村の人間はひとり残らず消えている。食べ残しはない。骨も服も鎧も、すべて蟻の巨大な顎に噛み砕かれて消えてしまった。


 建物も多くが崩れている。残っているのはひときわ丈夫な村長の屋敷くらいだ。

 ニッツは屋敷に入った。村長の一家と使用人がいたはずが、もちろん今はだれもいない。

 村はさびれているというのに、屋敷の中は豪華な品物で溢れていた。分厚いカーペットに、高級なオーク材の家具、銀の食器。


(いい暮らしだな。僕はお湯でお腹膨らませてたのに)

 腹いせに衣装ダンスを蹴りつけると、中から小さな悲鳴が聞こえた。

 開けると、中に人がいた。ニッツより少し年上、赤毛で、碧い瞳の少女。村長の娘、レナだ。

「やめて! 殺さないで! 助けて!」

 泣き喚きながら腕で顔を覆う。近くにいたヒュージアントたちが寄ってきていた。だがニッツは止まるよう命じる。


 魔物が襲ってこないことに気づくと、レナは顔をあげる。ニッツと目があった。

「ニッツ……あんたがやったの?」

 ニッツは答えない。何も言わないし、うなずきもしない。

「ごめんなさい。謝るわ、いじめたりして……。だから許して、助けて、死にたくない」

 涙で顔をぼろぼろにしながら嘆願する。

 ニッツがぼんやりと相手を見ていると、レナはニッツの手をとり、自身の健康的にふくらんだ胸に押し当てた。

「好きにしていいわ。だから助けて」

 ニッツは唾を飲み込んだ。体が熱い。


 この女もまた、他の村人と同じようにニッツを蔑んでいた。小さい頃は年の近い子供たちと一緒になってニッツを袋叩きにした。憎い相手のはずだが、今はやけに魅力的に見えてしまう。

 ニッツは沸き起こる欲望のままレナに覆いかぶさった。


 × × ×


 レナとニッツは一糸纏わぬ姿で床に転がっていた。

 ニッツはぐったりとしてレナの胸に顔を埋めている。

 ニッツの瞼が重そうに閉じかけているのを見て、レナは咄嗟に飛び上がり、テーブルにあった銀のナイフを掴むと、ニッツの首に押し当てた。

「動くな! 化物ども!」

 ヒュージアントに向かって叫ぶ。


 もちろん、蟻に人間の言葉は通じない。動きを止めたのはニッツが心の中で命じたからだ。

 レナは片手でニッツを抑えると、さっと布を体にまとう。ヒュージアントから目を離さないよう、壁を背にしてドアに向かう。

 室内のヒュージアントたちはニッツの命令通り、じっとしている。だが——


 バンっ、と壁から黒い顎が飛び出した。レナの首に噛み付く。


 ニッツの命令はこうだ。室内の蟻は動くな、外の蟻は合図したらレナに襲い掛かれ、と。

 ヒュージアントは匂いや空気の振動で獲物の動きを察知する。壁越しでもレナとニッツの場所はわかるのだ。

 ヒュージアントがわずかに力を込めると、レナの首から「ぴしり」と音がし、目を見開いて動かなくなった。

 レナの死体がどさりと地面に落ちる。


 ニッツもまた、床に座り込んだ。首に触れると、ぬるりと血が指にまとわりつく。

 呼吸が荒くなる。危うく死ぬところだった。けど、助かった。

 ヒュージアントを見上げる。自分はもう虐げられることはない。この蟻たちが、自分の力だ。

(……もっと欲しいな)

 ふと、そう思った。


(もっと、もっともっと力が欲しい。二度と虐げられないように。それに、力さえあればなんだって手に入る)

 村長の屋敷を見渡す。

 快適な室内、豪華な家具、食べきれないほどの食事。

 死してなお魅惑的な、少女の体。


 ニッツの胸に、強欲の火が灯る。

(力さえあれば……。家も、お金も、女も……なんだって手に入る。もっと征服して、欲しいものを手に入れて……。もし軍隊が来たら……? 倒せばいいんだ。いや——)

 ニッツは声なく笑う。

(いっそ国ごと征服すればいい。そうすれば、僕に逆らうやつなんていなくなる)


 それは希望だ。

 今までなんの力もなく、すべてを諦めていたニッツの中に芽生えた希望。叶えたい夢といってもいいかもしれない。


 はじめて抱いた夢を叶えるための算段を整える——が、その前に。

 まずはここの調度品だけでもいただこう。

 ニッツはヒュージアントの背に家具を乗せる。自身は女王の背に乗り、巣へと戻る。


 復讐は果たした。新しい目標も見つけた。

 こんなに晴れ晴れとした気分は生まれて初めてだった。

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