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かくしてゾンビ花嫁は永遠の愛を誓う

作者: 永岡ひとみ

ちょろめな主人公と隠れ激重ヒーローのお話を基本書きたいままに書いた感じです。悪役令嬢要素は少ないです。

 体中にウジ虫が這う感覚と、吐き気をもよおす死臭混じりの土のにおい。冷たく湿ったその土は、私のふやけた肉を覆い、よりにおいを強烈なものへと昇華させる。

 ああ。初夏のはずなのに、寒くて、気持ちが悪くて堪らない。どうして、私はこの暗がりの中でサナギのように固まっているのだろうか。どこかから聞こえてくるやけに固い文言、呪文にも愛の言葉のようにも思えるものが、土の上から降ってくる。

 すると、鼓動が再び時を刻み始めた。何かが背中を押し上げる。

 そして、遂に私は目を覚ました。


「ゲホッ! ゴホッ! うぇっ」


 込み上げるような心地がした私は、口から土を吐き出した。壮絶な死臭から解放された喉に、新鮮な空気が入ってくる。

 目を開けるとそこは深い深い森の奥で、辺りには月明かりが差し込んでいた。


「ここはどこかしら? 私は何をして……あぁ、そうだわ」


 思い出した。

 自身はある夜、何者かによって殺されたのだ。それも、失恋した当日に。相手はこの国の王子兼婚約者のフィリップ。

 太陽の光よりも美しい金髪に、空を映したような青い瞳を持つ彼のことが、私は好きだった。見た目が好みだから、という理由だけではない。王妃教育に心が折れそうになる私を、唯一、勇気付けてくれた人物だったからだ。亭主関白の気があるが、その頼もしさに心酔していた。


――そう、心酔「していた」のだ。


 フィリップはなんと、しがない男爵家の令嬢――ロイン・カーネーションと逢い引きをしていた。面子も、プライドも、恋心も、すべてズタボロに引き裂かれた。

 それでも、私は彼との婚約を破棄しなかった。「愛妾を設けようと、自身をそばに置いてくれるのなら」と割り切ろうとしたからだ。(ただし嫌がらせをしないかは別である)。

 数多くの令嬢が彼に好意を寄せるため、一度は闇魔術で彼に何らかの呪いをかけ、私だけが彼を愛せるように仕向けようかとも思った。ロインを間接的な完全犯罪で葬ろうとも思った。しかし、彼の悲しむ姿が浮かんで断念した。

 だが、フィリップは容赦なく裏切った。

 彼と私が結ばれるはずだった結婚式前夜、彼は私に婚約を破棄しろと告げたのだ。ロインと結婚するからと。ウエディングドレスをこっそり試着して舞い上がっていた私の部屋に、わざわざ訪れて。

 もう一度言おう。結婚式の前夜に、だ。

 理由を問う自身に、彼は数々の罵詈雑言を浴びせた。冷ややかに、淡々と。

 おまけにロインまで登場し、涙ながらに謝られ、惚気を見せつけられた。具体的な内容は思い出さないでおく。自身でさえ婚約指輪を贈られていないのに、彼女の左手薬指には、彼とお揃いの銀の指輪が輝いていた。


「あぁ〜! はらわたが煮え繰り返りそうだわ! いいえ、あの二人のはらわたを掴み出してやりたい!」


 夜空に怒号が響く。

 いけない。大声を出したからか、胃の辺りが空いた感覚がする。

 私は肩で息をして気持ちを落ち着かせた。


(えぇと、婚約破棄の後、何が起こったんだったかしら?)


 確か、今にも二人を物理的に切り裂きたくなる気持ちを抑え、城から逃げ出したはずだ。冷静になるためにも、犯罪者にならないためにも。

 町を抜け、橋を渡り、気づけば見知らぬ森の奥深くに着いていた。だが、その森がここなのかはわからない。

 なにせ、あまりの静けさに恐怖と孤独を感じた私は、森から町へと戻ったのだから。


「うっ」


 頭がズキリと痛んだ。やけに体も重い気がする。

 思い出したのは、馬の蹄が目の前に迫る景色と、一瞬にして暗転した視界だった。


(私は町へ戻る途中、馬車にひかれたのね)


 だがそれだけではない。朧げながらも、私はなんとか意識を取り戻した。そこに誰かが通りかかり、私を刺したのだ。全身が痛かったため、あまり変化は感じられなかったが。

 では、なぜ私は森の中にいるのだろうか。死なずに済んだとして、完治するはずがないのに体はどこも痛くない。


「あと、さっきから足が地面に埋まっていて、固いし……よいしょっ、んっ?」


 腕に力を込めた途端、ボキリと何か太いものが折れる音が、真下から聞こえてきた。割と近い。


「下って私の体し」


 顔を下へ向けた途端、喉がヒュッと鳴った。

 視線の先では、自身の上半身と下半身が二つに別れ、背骨らしきものや、内臓のようなものが丸見えになっていた。辺りには体液のようなものがぶち撒けられて――


「キャアアアア!?!?」


 後ろへ転ぶと顔に何かの液体がかかった。


「イヤアアアア!?!?」


 横へ動くと腕がポッキリ。


「アアアアアア!?!?」


 床に手をつけば皮膚がズルリ。


「フッ」


 突然、プツリと意識が途切れる音がした。



「うぅん……悪い夢を見ていた気がするわ」


 パチリと目を開け、辺りを見渡す。しかし、景色は何も変わっていない。鬱蒼とした森に、青白い月光、目の前に横たわる人間の腕。


「キャアアアア!」


 咄嗟に自身の左腕を上げた。金の指輪がキラリと光る。よし、感覚がある。

 次に自身の右腕を……ない。

 見てみると、肩から下がっているはずの腕がなかった。


「と、いうことは、横たわっている腕は、私の……!」


 では、先程のグロテスクな光景は、夢ではないのか。

 深呼吸を繰り返し、自身の下半身へと顔を向けた。

 ない。あるはずのものが、ない。下半身が、ない。

 そっと視線を横へずらす。自身の下半身らしきものが、地面の中から顔を出していた。(顔はこちらについているが)。


「と、取り敢えず腕を……つけられるのかしら?」


 なんとか左腕を伸ばし、右腕を掴む。肩へと持っていき、力任せに押すとカポンッといい音が鳴った。


「おぉ〜。すごいわ、ちゃんと動くのね」


 両手で拳を握り、開いてみる。次いで右へ、左へ、上へと動かしてみる。


「あとは下半身ね」


 両手で地面を這い、下半身の元へと戻る。そこには墓跡や花束などはなく、ただ盛り上がった土があるだけだった。お墓に入れられたわけではないようだ。埋葬されたのかはわからない。

 取り敢えず、状況を整理するためにも上半身と下半身をくっつけることにしよう。再度両腕を伸ばし、下半身の上へと体を持ち上げる。


「えいっ!」


 腕の力を緩めると、折れているはずの背骨から小さな音がした。恐る恐る足を動かしてみる。


「すごい! 出られたわ!」


 戻ってきた両足の感覚に、スキップをして喜ぶ。


「あれっ」


 グルンと視界が回った。次の瞬間には目の前に下半身が、腕の先で立っていた。

 どうやら、また別れてしまったらしい。

 いそいそと下半身の元へ戻り、倒す。そしてまたくっつける。

 今まで見てきた通りの目線に戻り、私は自身を観察してみることにした。

 微かな死臭が鼻につくが、今朝使った香油の香りも残っている。自身がうっかり破壊した背骨辺りと、どこかにあるであろう刺し傷以外は、目立った損傷は見られない。ウエディングドレスは土まみれで、ところどころ破けてはいるが、古びた感じはしない。解けた髪からは、石鹸と香油の香りがする。

 いい香りのする死体、というより、腐乱臭がついてしまった女の子に近い。匂いだけで言えば、だが。

 体の動きに支障はない。ちょっと体が上下に別れやすいぐらいだ。


「生き返った……?」


 いや、少し違う。体は死んでいるのだから。

 ということは、つまり。


「ゾンビになっちゃった!?!?」


 その場によろけ、地に手をつく。

 ああ、そんな。なんたる悲劇。

 挙式前の婚約破棄に、馬車との衝突事故、何者かによる刺殺、そしてゾンビ化。

 いくらなんでも悲運が過ぎるだろう。


「いや、ちょっと待って? これは逆にラッキーじゃない?」


 死んでいるはずの脳内に突如浮かんだ、粋なアイデアに、思わず立ち上がった。そのまま森の外へと歩いていく。


「このまま二人の前に現れたら、腰を抜かせることができるかも!」


 二人の恐れ慄く姿を想像し、上下が別れないよう、腰に手を添えながらスキップをしていった。


 森は町からあまり離れていないようで、体感で五分もしないうちに橋が目の前に現れた。水面に映る自身の顔は、白粉を全力で叩いた時よりも白かった。なんなら、ウエディングドレスよりも白いかもしれない。

 どうやって城に入ってやろうかと歩いていると、町の掲示板に見覚えのない張り紙があることに気づいた。

 近づいてみると、そこには、フィリップとロインの結婚式が行われるとの知らせが書かれていた。日付は私と彼の結婚式が行われる日の翌日であった。掲示板に書かれている日付と一致しているため、今日がその日なのだとわかる。

 まだ私はできたてほやほやの新鮮な死体らしい。ああ、いや、新鮮は少しおかしいか。

 それにしても、この短時間でよく国王が認めたものである。


(確か、陛下は大の子煩悩だったわよね)


 なら、おかしくはないか。


(でも……そう。私が目覚めた今日、式を挙げてくれるのね)


 自然と口角が釣り上がっていく。


「押し入って、式を掻き乱してあげるわ」


 辺りはほんの気持ち程度に明るくなっただけである。ひとまず適当な場所へ隠れて、時を過ごすことにしよう。



◆◆◆



 さて。時は満ちた。

 空には今にも腐敗を進めんとする太陽が輝き、これまた湿気を含んだ生ぬるい風が土だらけのベールを撫でていく。


「死体にはちょっとキツいわ。雨が降っているよりはマシだけれど」


 汗なんてかかないはずなのに、ベトベトじめじめとした感覚が思い起こされる。腐敗がこのまま進んで、式場へ着く前に腐り落ちたらどうしてくれるんだと太陽を睨む。


「うっ! 眩しい!」


 咄嗟に目を閉じ、さらに手で蓋をする。痛みは感じないがバチリとした感覚がしたのだ。幻肢痛はあるのかもしれない。

 手を離してパタパタと仰ぎ、一目につかないよう森の隙間を練り歩く。とはいえ、教会に着くまでのラスト数分間は街路路を歩かねばならない。サイプライズで登場したいため、町の人々に騒がれは困る。どうにかしてゾンビだとバレないようにしたい。しかし、保存状態がよくとも、ところどころ体液が飛び散っていたり、ちょっぴり腹部が血に染まっており、土だらけでザ・死人な白い肌をしているため、微妙なところである。貧血気味の殺人花嫁に見間違われそうだ。

 取り敢えずは式場が見える位置まで来たが、入場がピークを迎えているのか、人が予想よりも多かった。慌てて木の影へと隠れる。


(さて、どれくらい減るかしらね……)


「あっ!?」


 視線の先に、嬉しそうに笑顔を浮かべている女性が数人見え、思わず声を上げてしまった。口を覆った手を離し、怒りで頬を膨らませる。

 女性たちは皆、私と生前仲の良かった令嬢たちであった。お家でお茶会をしたり、湖のほとりでお茶会をしたり、ロイン虐めの計画を立てるためにお茶会をしたり……うむ。彼女たちとは、茶を交わすほどの仲であったと言えよう。


(私とフィリップ様の仲を応援すると言っていたじゃないの! そんな笑顔は初めて見たわ! まさか、彼らの忌々しい結婚を祝福する気!?)


――それに、自分が死んでいることに、誰一人気づいてくれないなんて。


 そのことを思うと、ギュッと胸が締め付けられた。


「……こんなの、おかしいわ」


 死んでいるはずなのに、上下が別れても痛くなかったはずなのに。

 とっくに枯れたはずの目が、微かに潤みだす。

 段々と落ち着いてきた人々の声を聞きながら顔を下に向けていると、突然、私の影が大きくなった。心なしか涼しくなった気がする。


「あの、大丈夫ですか?」

「えっ?」


 顔を上げると、そこには黒いタキシードに身を包んだ美青年が、同じく真っ黒な日傘をこちらに傾けて立っていた。いや、ややあどけなさが残っているように見えるため、美少年と言えばいいだろうか。

 手触りの良さそうな黒髪に、深く澄んだ翡翠のような瞳。黄金比の取れた目鼻口は絵画のようで。

 フィリップも学院で一番だと言われるほどの美形だったが、彼も決して劣っていなかった。むしろ、見る人によってはより美しいと答えるかもしれない。

 あまりの美しさに衝撃を受けていると、少年の目がふわりと細められた。その耽美な微笑みは白百合のようだった。


「顔色が悪いように見えたので声をかけたのですが……迷惑でしたか?」

「え、あ、大丈夫、ですわ。暑さにやられてしまって」

「この時期は暑さと湿度が増しますから。その、よければ、この日傘をお使い下さい」

「えっ? でも」

「俺はすぐそこの教会に用があるので」

「全身黒ずくめですけれど……」


 私の言葉を受けて、少年は小さく「あ」と呟いた。気恥ずかしげに耳を染めて頬を掻く姿が、母性本能をくすぐる。


「実は、先日汚してしまって。他国から来たので、替えのタキシードがこれしかなかったんです」

「そうでしたのね」


 彼は表現した通り、全身真っ黒だった。タキシード、シャツ、ネクタイ、ネクタイピン、紐靴、全てが黒かった。マナー違反である。シャツとネクタイは白にした方がいいだろう。事情があったとはいえ、どうにか変えたいものだが……。


「もしかして、アナスタシア嬢も結婚式へ参加されるのですか?」

「えっ? あぁ、そうですわ」

「なら、お揃いですね」

「どういうことですの?」


 彼の言葉に首を傾げた。彼がクスリと笑みをこぼす。


「白いドレスではありませんか」

「私の場合はこれでいいのです」


 今度は彼が首を傾げた。しかし、すぐに何かを思いついたような表情をして、どこかへ歩いて行ってしまった。日傘を私に手渡したまま。

 何をしに行ったのだろうかと、森から一歩外に出てみると、ちょうど彼が戻ってきた。


「どうしたんですの?」

「近くのブティックで白いネクタイを買ってきました。これならすぐに変えることができますから。あと、余計なお節介かもしれませんが……」


 白い花が一本、目の前に差し出された。中心に集まった薄緑色の球体が艶めく。


「これはなんですの?」

「失礼します」


 少年の手が伸ばされ、私の頭の後ろへと回った。


「頭の花飾りが土で汚れてダメになっているので、代わりになればと思って持ってきました。す、すみません。急に馴れ馴れしかったですね」

「え、あ、いえ! ありがとうございますわ?」


 しょんぼりと顔を下げだした少年を止め、不思議な気持ちで礼を告げてみる。すると、彼は嬉しそうにニコリと微笑んだ。心なしか頬が薄桃色に染まっている気がする。


「では、俺は教会へ向かいますが、いかがされますか?」

「私はちょっと用事があるので、また後で向かいますわ。お構いなく」

「そうですか。では、お先に失礼します」

「わっ」


 少年が手を取り、そっと手の甲へとキスを落として行った。土だらけのレース手袋が飾る自身の手を見つめ、次いで、少年が入って行った教会へと視線を移す。


「変わった人ね」


 だが、あのように人懐こそうな表情を向けられたのは初めてで、気分は悪くなかった。



◆◆◆



 神父のありがたいお言葉と、新郎新婦の掛け合いが厳かな教会内部の空気を揺らす。

 二人の仲睦まじい、愛に満ちした表情に

私の心は浄化される――はずがない。

 憎さ増し増しである。


「人が死んでいるのに何も気にせず式を挙げるなんて。もう!」


 私は一時間ほど前からずっと、教会周囲をうろちょろと歩き回っていた。すべては、最高で最悪な登場をするために。それこそ、驚きすぎて腰を抜かして二人、いや、来客全員、あ、いや、あの優しくしてくれた少年以外が、一生立てなくなるくらいに、だ。


「うふふふふ。どうやって入ってやろうかしら?」


 てこの原理を利用して窓を割って飛び降りてくるか、大胆に正面の扉を開けて太陽を背に仁王立ちをするか、白い布を全身に被り、オバケと見せかけてゾンビでしたと驚かせるか。悩みどころである。


「そういえば、私は今ウェディングドレスを着ているのよね」


 どうせならこの状態を活かしたい。バージンロードを歩くことは幼い頃の夢であり、形だけでも死後に再現してもバチは当たらないだろう。娘の横につきたいと思うような父親も、自身を待ってくれる相手も、祝ってくれる人もいないが、それでもいい。むしろ、二人を脅かす存在にはぴったりだ。

 だとすれば、どのタイミングで扉を開けるのがいいだろうか。

 確か、結婚に異議がある者を聞くセリフがあった気がする。その時にしよう。

 扉に耳を当て、日傘を使って日差しと暑さに身を守りながら、ジッと時を待つ。


「この結婚に異議がある者は――」


(きたわ!)


 私は扉を開け放ち、堂々と胸を張って指を差した。


「異議ありですわ!」


 指の先に見えるロインとフィリップは目を飛び出そうなほど見開き、口を力なく開けていた。

 しかし、ロインはすぐさま悲壮感漂う表情に変え、口元を手で覆った。フィリップも庇うように彼女の前へ腕を出す。

 彼から見て取れる感情は、元婚約者に向けるものではない。完全な嫌悪と卑下と敵意だ。


「姿が見えないと思ったら。子供じみたイタズラをするなんて、貴族としての自覚が足りないんじゃないのか?」

「あら。婚約者を持つ身で他所の女性を誑かしていた殿下に言われたくありませんわ」

「なんだと?」

「本当のことを言ったまでですわ」


 フィリップの眉間に皺が寄せられる。

 彼が驚くのも無理はない。今まで、彼の前では従順でいたのだから。遠回しに拒否されようと、めげずに追いかけるほどに。

 だが、あのような屈辱的な仕打ちを受けた今、彼に対する未練など……ほとんどない。憎しみは地獄の業火並みに燃え盛っている。


「招待されてもいないのに無断で式場へ入り、僕を侮辱したとなると、それ相応の罰を受けることになるぞ」

「あら、私を脅すおつもりなのですね」


 クスリと微笑んだ。

 私の様相がおかしいことは一目瞭然。周囲の人々は恐れの視線をこの身一身に注いでいた。

 それなのに、恐れ知らずな態度を取るなんて。


「でも、残念でしたわね。この国の法律では、死人を裁くことはできないでしょう?」

「死人? ハッ。婚約破棄のショックで気が触れたか?」


 フィリップは嘲るように鼻を鳴らした。

 その時、一人の淑女が悲鳴を上げた。

 あぁ、最初にロインとフィリップを怖がらせたかったのに。


「ヒィッ!」


 わざと視線をゆっくり向けると、かわいそうに、顔を真っ白にさせてガタガタと震え出した。


「どうしましたか、婦人」

「な、な……」

「な?」


 婦人と呼ばれた淑女はバージンロードへと震える指を向けた。


「内臓と……血が……!」

「なに!?」

「うわっ、本当だ!!」

「キャーー!?」


 椅子に腰掛けていた客人たちは立ち上がり、壁際へ寄った。中には式場から逃げ出す者も。

 込み上げる笑いを堪えながら、私はあくまで優美にバージンロードを歩いていった。ようやく顔色を曇らせたフィリップの元へ向かうために。


「来るな! 近づけば刺すぞ!」

「刺す?」


 足を止め、心底不思議そうな声で首を傾げた。

 次いで、愉快さに吊り上がる唇にそっと手をやり、再び歩き出した。


「来るなと言っている! くる――ツッ」


 ズプリ。生々しい音とともに、腹部へ異物が差し込まれる感触がした。

 彼が私のことを刺したのではない。私が彼に刺されにいったのだ。逃げられないよう肩に手を回し、深くまで刺し込む。


「死人を殺すことはできませんわ。だから、安心してくださいな。殿下は死体を刺しただけ。誰のことも殺していませんわ。あぁ、でも、そうでしたわね」


 私は知っている。


「何かを刺したことも、死体を間近で見たことも、ありませんでしたわね」

「!」


 戦いのないこの国で、ただ鍛錬に時間を費やしてきただけのだから。

 私は赤子を抱きしめるような優しい手つきで、蛇が獲物を絞めるような粘着質な動きで、ブルブルと震え出した彼へ抱きついた。

 服に染みた赤黒い血液が、彼の真っ白なタキシードを染めていく。


「嘘だ……君は、本当は、生きているんだろう?」

「死んでいますわ。お城から逃げたあと馬車に轢かれましたもの。(死因は刺殺でしょうけど)」

「なら、なぜ死んでいない」

「きっと、貴方のことが憎くて、想い残りで、地獄の底から這い戻ってきたのですわ」


 フィリップが肩を揺らした。

 突然無言になった彼に違和感を感じ、体を離す。

 彼は下を向き、ゆっくりと私の体から剣を引き抜いた。


「君の気持ちは理解した。だが、怒りを鎮めてくれないだろうか?」

「突然なにを」

「どうか、彼女には手を出さないでくれ」


 フィリップはロインの前へと出て、真剣な瞳で私を見つめた。

 死んだはずの心臓が、かつてないほど痛く締め付けられる。

 どうして、突然そんなことを言い出したのか理解できなかった。ただ動けるだけの死体である私が、そんなにも恐ろしく見えたのだろうか。

 私に命を差し出そうとするほど、彼は、ロインのことが――


「アナスタシア?」


 気付けば、薄い膜が視界を覆っていた。

 何がなんだかわからぬまま、顔を塞いで後退する。

 愉悦を感じさせていた人々のざわめきが、今度は私を惨めな気持ちへさせた。


「幸せを……お祈りしていますわ」


 苦笑と共に捻り出した呪言を残し、私は日傘だけを土産に、教会から出た。



◆◆◆



 町を離れて体感で約四分。私はズカズカと森を突き進み、自身が埋められていた場所へと向かっていた。


(二人を怖がらせられたのに、会場を混乱の渦に巻き込めたはずなのに、苦しくてたまらない! 悔しくて、悲しくて、寂しくて、辛くてたまらないわ!)


 死人のくせに痛む胸も、忌々しかった。


「私だって、私が愛し、私を愛してくれる人と、結婚したかったわ」


 それこそ、死が間近に迫っても身を呈して助けようとしてくれるくらいの。

 だが、「死が二人を分つまで」という決まり文句を言うことはもう、叶わない。


「……そういえば、子どもがいたわね」


 数人、教会から出る際に見えた彼らは、私を見てひどく怯えていた。親の後ろに隠れ、震えていた。

 あの二人と客人たちを怖がらせたかったのは本当だ。恨めしい気持ちを抱いているから。だが、子どもたちは私たちの間に何があったのかは知らない。ひどいことをしてしまったと、このことに関しては後悔してしまう。

 子どもたちの存在だけではなく、逆に惨めな気持ちにさせられることも、予想していなかった。


「考えが甘かったわ」


 だが、起こってしまったことは仕方がない。気持ちを切り替えた方がいいだろう。戻って子どもたちに謝ったとして、より負の記憶を強化させるだけだ。


「はぁ。これからどうしましょう」


 木の幹に腰を下ろし、膝を抱える。


「そうだわ! 肉体が腐りきって骨になるまで、この森でのんびり過ごそうかしら?」


 思えば、生まれてから一度も気が休まる時などなかった気がする。フィリップとの婚約は生まれる前から決められていたことで、物心がついた頃には王妃教育が始まっていたから。

 中途半端なものになったとはいえ、復讐は終わったのだ。あとは誰とも関わることなく、自分の第二の死(訪れるかは微妙)を待つのがいいかもしれない。


「自然を愛でる余裕もなかったもの」


 森の中は静かで、穏やかな木漏れ日が差し込んでいた。他の人間からしたら、死体が遺棄されていたとは思えないだろう。

 小鳥のざわめき、木々が風にそよぐ音、遠くから届く川のせせらぎ。

 何をするでもなく耳を澄ませていると、次第にまぶたが落ちてきた。


「死体でも眠くなるのね」


 誰にも起こされない朝というものは、どんな感じなのだろうか。

 私は静かに目を閉じた。



◆◆◆



「うぅん……ん?」


 バキバキと木々が破壊される音、動物たちが駆け去る音、人々があげる怒号のような声。騒々しい気配に目を覚ます。

 顔を上げると陽はすっかり落ちてしまっていた。再び月明かりに照らされた全身は、やはり青白い。ほんの少し落胆した意識を振り解き、辺りを見渡す。


「きゃっ!」


 突然、何かが木陰から飛び出してきた。咄嗟に頭を庇うも衝撃はない。


「鹿?」


 恐る恐る目を開けると、鹿が足を引きずるように歩いていた。よくよく見てみると、足に枝が刺さっている。深くはなさそうだ。


「今抜くから、じってしていてちょうだいね」


 声をかけて鹿に近付く。すると、当たり前と言うべきか、鹿は私の手を蹴り上げた。遠くてボトリと腕が落ちる音が聞こえてきた。


「痛いだろうけど、頑張って」


 そう言って、鹿から枝を抜いた。本当に細い上に、一センチ程度しか刺さっていなかったためか、出血はほとんどなかった。

 鹿は私をほんの少し見つめたあと、再び森の奥へ歩いていった。


(よかったわ。さっきより早く歩けている気がする)


 ほっと胸を撫で下ろし、踵を返す。視線の先にはやはり、腕がポツンと落ちていた。かなり奥まで飛んだらしく、あと数センチ遠くに飛ばされていれば、茂みの中に隠れてしまっていたかもしれない。


「二度も落ちるなんて、この体ってやっぱりもろ」


 腕を拾い上げたその時、オレンジ色の光が揺らめいたような気がした。はっと顔を上げるも、森の奥には闇が広がっているだけ。


(気のせいかしら? 揺れ方が松明に似て――)


 刹那、ロープが首を締め上げた。


「ぐっ!?」

「捕まえたぞ!」

「殿下! こちらへ!」


 背後から聞こえる声は、フィリップの近衛騎士になることを期待された、騎士団長の息子だった。私ともロインとも面識があるはずだ。


「なに、を」

「喋る死体め。殿下を襲ったそうではないか」

「うあっ」


 ギチリ、とより一層強く締め付けられた。体が後ろへ仰け反り、体勢を崩して倒れてしまう。それでもなお、力は緩まない。


「やめて、もう、うっ、危害は加えないわ」

「嘘をつけ。今までだって、何度も彼女に手を上げてきただろう」

「どうしても、……私を葬る気、なのね」


 ギチギチと首が閉まる音がする。ロープを掴む指を滲み出した液体が濡らしていく。

 視界が揺らいだその時、遠くから見慣れた男が歩いてきていることに気がついた。

 月明かりに照らされて輝く金の髪に、氷のように冷たい青い瞳。その隣に立つのは、彼が唯一愛した少女。


「フィ、リップ様……なぜ、ここに」

「民間人に話を聞いてまわった。こんなところに隠れていたとはな」


 フィリップは侮蔑の意を含んだ瞳で私を見下ろしている。ふと、彼の腕を掴んでいたロインが、顔を上げた。


「殿下、やはりかわいそうですわ。今までひどいことをなさっていましたが、最後はわたしたちのことを祝福してくださったではありませんか」


 フィリップは懇願する彼女の肩を抱き、諭すような表情を浮かべた。


「だとしても、彼女の気が変わらないうちに殺すべきだ」

「殿下……」


 ロインは目に涙を浮かべ、顔を両手で隠した。小さく嗚咽する声が聞こえてくる。

 さんざん嫌がらせをしてしたのに、私が死ぬとわかって泣くなんて。


(ああ、彼女をいじめず、歩み寄っていれば――)


 指の力を抜こうとしたほんの一瞬、彼女の指が動いた。

 隙間から覗いた彼女の口は、空に浮かぶ三日月のようだった。


「お前のせいで、僕たちがお前を殺したんじゃないかという噂が立ち始めた。確かに、お前を轢いた馬車は、たまたま通りかかったロインの家のものだったが、言いがかりもいいところだ」

「いっ!?」


 彼の発言に動揺したのも束の間、フィリップが自身の髪を掴み上げた。


「お前が死んだから、ロインと容易く離婚することができた。だから、死んだままでいてくれよ」


 もう、私が愛した美しい彼などいなかった。目の前にいるのは、冷酷非道なただの人間。

 誰も人の愛し方など教えてくれなかった。失恋を乗り越える方法など教えてくれなかった。もっと、もっと、早いうちに自分の愚かさに気づいて、自分を変える努力をしていたら。彼を諦めていたら。

 そうしたら、変わったのだろうか。

 ウエディングドレスが血と土に汚れることなど、なかったのだろうか。


「僕のために死ねるのなら、本望だろう?」


 フィリップが側に控えていた騎士から斧を受け取った。

 ふと、彼の笑みが深まる。


「ああ、もう死んでいたか」


 嘲るような表情に背筋がゾワリと震えた。悔しさと悲しさが混ざった涙が、床へと落ちる。

 その時、夜の香りを纏った風が、辺りを駆け抜けた。


「きゃっ!」

「なにっ!?」


 千切れたロープの先が、フィリップとロイン目掛けて飛んだ最中、誰かが私を引き寄せた。


「大丈夫ですか」

「ど、どうして」


 昼間に会った、少年がいるのか。

 ふと、彼は安堵させるように目を細め、私から腕を離した。次いで、首へと腕を回してロープを解く。

 森のように済んでいて、重厚な甘さを含んだ白檀の香りは、私の心を不思議と落ち着かせた。


「ああ、貴女の細い首に締め跡をつけるなんて」


 彼の手がそっと首を撫でた。悲しみ、憐れむような表情に、絆されてしまいそうだ。


「そいつを渡せ」


 低く唸るような声に、私は弾かれたように顔を逸らした。フィリップが斧を片手にこちらを睨んでいる。

 その時、彼の隣で立っていたロインが倒れた。目を見開く彼女の顔は真っ白で、震えている。


「ロイン! どうした!」

「ど、どうして続編の敵キャラが……! まさか、私が展開を早めたから?」

「続編? 何を言っているんだロイン」

「だって、彼が出てくるのは死の知らせを耳にした後で、結婚式になんて……」


(な、何が起こっているの?)


 ロインは頭を抱えてブツブツと訳のわからないことを呟き出した。その異様さにフィリップを含む誰もが戸惑いの色を浮かべている。

 その時、少年の影がフッと小さくなった。


「アナスタシア嬢」


 愛おしむような声で、彼は私の手を取った。


「俺と、結婚していただけませんか」

「へっ?」


 恭しく跪いた彼が、私を見つめている。


「俺なら、貴女を愛すことができます」


 会ったばかりなのに、どうして、そうハッキリと言い切ることができるのだ。そして、どうして、彼の言っていることが本気のように感じてならないのだろう。


「だめだ! こっちへ来い!」

「フィリップ様……」


 振り向くと、彼はロインを抱き支えたまま鬼のような形相でこちらを見ていた。恐怖で体が固まってしまう。そのうちにも騎士たちは私を捕まえるべく、再び武器を取って歩み寄り始めた。


「大丈夫です」


 そっと、少年が自身の手の甲へと口付けた。


「俺なら、自分が死んでもずっと、貴女を守ることができます。どうか、俺に貴女を愛して、守らせてくれませんか?」

「アナスタシア!」


 これほどの殺気と愛情を向けられたのは、どちらも初めてだった。

 逃げるのは許さない。そう主張しているフィリップの顔をチラと見て、私はぐっと唇を噛んだ。次いで、少年を見下ろす。


「本当に、貴方は私を、愛してくださるの?」

「貴女が許可してくださるのなら、永遠に」


 背後から、バキバキと枝を踏み潰す音がする。私は目を瞑って息を吸い、吐いて、再び目を開いた。


「プロポーズを、お受けいたしまします」


 怒鳴り声が木々を揺らす中で、少年は花のような微笑みを浮かべた。

 そして、立ち上がったかと思うと、しなやかな彼の指が音を鳴らした。彼の後ろに黒塗りの馬車が、黒い光と共に現れる。


「えっ!?」

「行きましょう」


 少年の手が私を引き上げた。ふわりと体が抱き上げられる。


「させるか!」


(いけない!)


 フィリップが斧を振り投げた。斧は風を切りながら近づき、そして、爆ぜた。パラパラと黒い光の粒と共に散っていく。


「彼女をまた、傷つけようとしましたね?」


 馬車の中へ私を乗せた少年が、ゆらりとフィリップたちの方を向く。殿下や騎士たちは皆、一様に震え出した。かくいう私も、表情は見えないのに、得体の知れない恐怖を感じていた。


「その首、今すぐ跳ね飛ばしてしまいましょうか」


(はっ、跳ね飛ばす!?)


「ちょっ、ちょっと待ってちょうだい!」

「どうしましたか?」


 少年はサッとこちらへ振り向いた。その微笑みは恐ろしいほど爽やかで。


「そ、そこまでは望んでいませんわ」

「ですが、貴女を傷つけようとしました」

「でも、殺人はいけませんわ」


 なぜか彼は不満げに眉間に皺を寄せた。なんといえばやめてもらえるだろうか。


「えぇと……あ、そう! 私、夫が殺人鬼になるなんて嫌ですわ!」

「夫……!」


 何故か急に顔を輝かせる少年。今の発言のどこに感動したのか理解できないが、その目には喜びの涙が浮かんでいた。


「貴女が俺の心配をしてくださるなんて……!」

「え、ええ、まぁ? そうですわね」

「わかりました。やめます」

「そ、そう。ありがとう」


 太陽のような笑顔のまま、彼は馬車の中に入ってきた。が、すぐさま外へと顔を向ける。


「許すのは今回だけなので、次に俺たちの邪魔をしたら確実に消します。それでも彼女を殺そうというのなら、地獄の業火で焼き尽くされる覚悟を決めてからどうぞ」

「ヒィッ!?」


 安堵していたのも束の間、一瞬にして殿下たちは顔を真っ青にさせた。


「行きましょうか」


 嬉しげで、無邪気な笑顔を向ける少年。私は何が何だかわからなくて、ただ微笑み返すことしかできなかった。

 果たして、この名前も知らない少年のプロポーズを受けても、本当によかったのだろうか。



◆◆◆



「あ、あの。質問をしてもよろしくて?」

「はい、もちろんどうぞ」


 馬車を発進してすぐのこと、私は彼に跪かれた瞬間から感じていた疑問を口にすることにした。


「私、貴方とは今日初めて会ったはずなのですけれど、どうして、その、私を……」


 恥ずかしくなり、言葉に詰まってしまう。すると、顔を逸らしていた私の手を、彼はそっと握った。


「初めてなんかじゃありませんよ」

「えっ?」

「貴女は、忌々しいと、危険だと避けられていた俺に手を差し伸べて下さったことがあるんです。必要とされたのは、あれが初めてでした。だから、あの日のようにもっと砕けた口調で話してくださいませんか?」


 申し訳ないが、今ちょうど危険な人疑惑が浮上しているところである。そして、あの日のようにと言われても、やはり、彼に覚えはなかった。


「思い出せませんか」


 切なげな彼の瞳に、心がズキリと傷んだ。何か声をかけようにも、いい言葉が浮かばない。誰かを励ましたことも、まともに励まされたこともなかったから。

 ふと、自身の手を取る彼の力が強張った。


「なら、これから一緒に過ごす上で、俺を知ってください。それで、俺のことを好きになってくださったら……す、すみません。自分の気持ちを伝えることには慣れていなくて」


 少年は顔を逸らし、口元を腕で隠してしまった。彼の耳はじんわりと赤くなっている。


(か、かわいいわ!)


 人間の照れ顔など初めて見た。ふと、彼は腕を下ろし、はにかむように唇の先をきゅっと締めた。


「貴女に選んでもらえたことも、嬉しすぎて、まだ……夢を見ているみたいです」


 こんなことを言ってくれるなんて、過去の私は彼にいったい何をしたのだ。どのような形で手を差し伸べたのだ。気になって仕方がない。


「あの、」

「なんでしょ、なにかしら?」


 首を傾げて先の言葉を待つと、彼の瞳がこちらに向けられた。どこか熱を感じさせる瞳に気圧される。


「名前を……呼んでいただけませんか?」

「もちろん!!(照れてる! かわいい!)」

「ほ、本当ですか」


 まだ名前を呼ばれていないのに、彼は心底嬉しそうに瞳を輝かせた。


「あっ、覚えていらっしゃらないんですよね。俺のことはゲオルグとお呼びください」

「わかったわ。ゲオ――」

「様なんて余計なものはつけないでくださいね」

「わ、わかったわ。じゃあ……ゲオルグ」

「はい。アナスタシア様」


 ゲオルグは目を細め、首をコテンと傾けた。その満足げな表情といったら。


(何故かしら!? 頭を撫でたくてたまらないわ!!)


 そして、自分の胸をガシリと抑えたい。苦しくて痛すぎる。

 これが好きという感情なのだろうか。トキメク、という感覚なのだろうか。今までの胸の痛みは嫉妬と悲しみが九割を占めていたため、わからない。


(あ)


 その時、あることに気づいた。

 私はまだ、彼に自分が死体であることを話していない。教会にいたのなら知っている可能性が高いのだが、気づいていない可能性はゼロではない。


「ゲオルグ様」

「ゲオルグです」

「は、はい」


 すかさず訂正され、思わず頷く。


「どうしましたか?」

「その、私は……死体なのです、あ、なのよ。それでも、いいのかしら?」


 次第に顔が下がっていく。

 しかし、二人の間に流れる沈黙に耐えきれず、顔を上げた。すると、彼は首を傾げたままポカンとした表情を浮かべていた。次いで、愛おしそうに目元が細められる。


「そんなこと、最初からわかっていましたし、気にしていませんよ」

「なら、いいのだけれ、きゃっ!」


 石をかんだのか、突然馬車が大きく跳ねた。壁へ頭を打ちつけそうになるところを、彼に引き寄せられ、助けられる。

 私を抱きしめた彼の心音は、確かに生きている人間のそれで。何故だか私は彼を引き離したい衝動に駆られた。

 しかし、腕を突いて離すよりずっと早く、彼の見た目の割にがっしりとした腕が、より強い力で抱き締めた。


「『死が二人を分つまで』なんて言葉がありますが、そんなあまいことは言わないので、安心してください」

「ど、どういうこと? 私が死んでいるから、誓えないということなの?」

「言ったではありませんか。自分が死のうと、貴女を守ることができると」


 首元を柔らかい髪がくすぐる。身をよじろうとして動かした腰を、彼の腕がガシリと掴んだ。


「貴女のことを、永遠に愛します。だから、安心して、俺だけを見ていて、俺だけを愛して、俺だけに愛されてくださいね」


 何故だろう。まったく安心できる気がしない。むしろ、なんだかこわ――


「やっぱり、イヤですか?」

「イヤじゃないわ!(しょんぼりしてる!)」


 私から手を離し、眉を下げてしまった彼の肩を掴み、首を横に振る。


「じゃあ、俺のこと好きですか?」

「えっ、それはまだ――」

「好きになってくれないんですね……」

「なるなる! なるわ! なんかもう好きになりかけてる気もするわ!」

「本当ですか? 嘘はついていませんね?」

「え、えぇ! ほんとうよ!」


 そう大袈裟に頷きながら伝えると、彼はまた嬉しそうに目に涙をためて微笑んだ。安堵したような表情に、こちらもほっと胸を撫で下ろす。


「よかった。なら、これから愛してもらえるように頑張りますね」

「き、期待しているわ?」


 いや、期待しているとはなんだ。上から目線すぎないか。相手がフィリップだったなら、確実に怒られて、下手すれば馬車から投げ捨てられたことだろう。(そしてロインが代わりに乗せられて舞踏会に行くまでが、一連の流れである)。

 しかし、ゲオルグは違ったようで。不機嫌の真逆に行くような笑顔のまま、思い出したようにポケットに手を入れている。出されたのはソーイングセットだった。


「さぁ、まずは背中の刺し傷から縫合していきましょうか。家に帰ったらきちんと処置し直しますが、これからも揺れる可能性があるので、念のため」

「でも、なかなかグロテスクよ?」

「慣れているので大丈夫です。それに、貴女のものならなんでも愛しいので」

「な、なんでも」

「はい」


 一点の曇りもない目で頷かれ、私はただ納得することしかできなかった。彼に指示され、背中を向ける。


「失礼しますね」

「きゃっ!」


 丁寧な手つきではあるが、服を捲られるなどメイド以来なので、驚いてしまう。相手が男性なら尚更だ。


「あれ。傷が開いて……というより、完全に上下が別れてしまっていますね」


 彼の言葉にうっと詰まる。まだ自分が死体だと気づいていなかった時の失態が原因だ。


「実は、乱暴に埋められた状態から抜け出そうとして、ボキリと」

「なるほどそれで……わかりました。帰ったら内臓も入れ替えましょうか。食べることは好きですか?」

「うーん。生前は太らないように、必要最低限のものを機械的に食べていたから、なんとも言えないわ」


 まぁ、どれだけ体を絞ろうと、フィリップが自分のことを目に留めることなど、一度たりともなかったが。


「なら、これから美味しいものを食べていきましょう」

「私は死体よ?」

「俺ならどうにかできますよ。腐った内臓は取り替え可能の鉄の容器を、朽ちた肌には動物の皮膚や絹を、術を使えばこれ以上腐敗しないはずですが、目が腐り落ちたらサファイアの義眼を入れましょう。貴女の瞳以上に美しいものはないかもしれませんが……ああ、ドレスも用意しなければなりませんね。あっ、まず何が欲しいか――」

「ふふっ」

「ど、どうしましたか?」


 彼があまりにも熱心に話すため、思わず笑みが溢れてしまった。こんなにも、自分のことを気にかけてもらえたことがあっただろうか。

 不安げな瞳を向ける彼の手を取り、微笑んだ。


「貴女となら、やっていける気がするわ」


 ゲオルグはほんの一瞬目を見開き、次いで、握られた手に力を込めた。その手は温かくて、まるで、私も人間に戻ったような錯覚に陥ってしまう。


「いつ朽ちるかわからない身だけれど、これからよろしくね」

「朽ちさせませんよ、絶対に。でも、朽ちたとしても、動かなくなったとしても、棺に入れて永遠に愛し尽くすと誓います」

「重いプロポーズね」

「えっ」

「冗談よ」


 悲壮感を漂わせながら驚愕する彼の表情が、安堵で緩む。彼の百面相が面白くて、私はまたクスリと笑みをこぼした。


(私が生き返った理由も、方法も、彼との記憶もわからない。でも、あのまま一人、土の中でみんなに忘れられるよりも、今、こうして彼と手を握りあっている方が、ずっといいわ)


「あぁ、そうだ。アナスタシア様は好きな宝石はありますか?」

「特にはないけれど、どうし――」


 ふと、彼が私の左手を掬い上げた。薬指にはめられた指輪へと口づけが落とされる。


「エンゲージリングは、貴女と共に選びたいと思って」

「本当だわ! 結婚するなら、必要よね。忘れていたわ」

「ふふ。おっちょこちょいで忘れっぽいなんて、かわいいですね。また貴女のことが好きになりました」

「なっ!?」


 顔に熱が集まる心地がする。きっと、私が今も血の通う人間だったなら、本当に顔が赤かったのだろう。

 恥ずかしさを誤魔化すように、彼をひと睨みする。


「貴方って、思ったことが口に出るタイプなのね。羞恥心はないの?」

「それ以上に、貴女に夢中なんですよ」

「どうしてそんなに私のことを……これから話すんだったわね」

「はい。手始めに、貴女の処置が終わったら、いまいまし……汚れたドレスを、レースたっぷりのドレスに変えて、貴女好みの教会で式を挙げましょう」

「貴方の好みもあるでしょう?」

「俺が好きなのは、人物関係なく、貴女だけなので」

「そ、そう」


 割れ物を扱うかのように、金色の光が漏れ出る指先で、彼が私の指を絡め取る。そして、私の照れた姿が嬉しかったのか、もう一度、薬指に口付けた。


「貴女と再会できてよかったです。もう二度と、貴女を苦しめさせませんよ。何ものにも」


 縫合された腰を抱き、そして、締め跡を消すようにそっと、ゲオルグは私の首元へ唇を寄せた。

お読みくださり、ありがとうございました!

イベリスの花言葉は「初恋の思い出」などです。

アナスタシアは、目覚めた時から指輪がはまっていたことに気付いていません。存在自体は認識しています。

ちなみに、ロインの名前はreincarnationとheroinをもじっています。

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