天ムスとおにぎり ~天使な幼女が魔族の殺人鬼を護衛として買った結果~
「お兄さんたすけて!!」
ある日突然、翼の生えた幼女が飛び込んできて、そう訴えた。
「は?」
「お金はもうはらったわ!! だからいそいで私をつれてにげて!!」
そう言うと、幼女は俺の手首と足首にかけられた枷を外す。これを外せたということは、この幼女が俺のご主人様ということで間違いないと思う。思うけれど、相手が推定五歳ぐらいの幼女なため、まだご主人様という感じがしない。
「めいれいよ。はやく私をだきかかえてはしりなさい」
何が何だか分からないが、俺の奴隷契約は続いており、頭にはまった金冠が命令を実行しろと狭くなり締め付ける。何が何だか分からなないが仕方がない。俺は幼女を片手で持ちあげた。
「……軽っ」
想像より軽い。
そのことに少し眉をひそめたが、走れと言うのが命令ならば、さっさとこの場から逃げ出さなければ金冠で俺の頭が割れる。だから軽いというのはある意味都合がいい。
物理的な問題で良かったと思った瞬間、背後で破裂音がする。
振り向けば、翼の生えた――おそらく天使と呼ばれる者達が人間を襲っていた。いや。襲っているのではなく、目の前の障害物を取り除いているのか。たまたまこの幼女との直線距離の間にいたが為に、剣で薙ぎ払われ、魔法で吹き飛ばされるのだ。人間を同じ生きものだという認識しない彼らは、言葉でどけと言わず物理的に排除する方法を選んだに過ぎない。
「後で説明して下さいよ、ご主人様」
こうして俺はよく分からないまま天の娘――天ムスを抱えて、追ってくる天使を拳でなぎ倒しながら、後ろ暗い闇市から走り去った。
そしてこれが魔階で沢山の鬼賊を切り殺した罪人の【鬼切り】と天の娘【天ムス】の初めての出会いである。
◇◆◇◆◇◆
この世界は、空にある天階、地上にある地階、地下にある魔階の三層で出来ている。天階は神や仙人やソレに仕える天使が住み、地階は人間と呼ばれる生き物が植物連鎖の頂点に立って繁栄し、魔階は魔族と呼ばれる多くの種族が住む。
天階の者は魔階にはいかないし、魔階のものもまた天階にはいかない。この二つは仲が悪く、遥か昔は絶えず戦争を繰り返していたぐらいだ。だからどちらに住まうものも行くのは地階までだ。そのため地階では基本的に天階と魔階出身のものは争わないよう停戦協定を結んでいる。そうでなければ今頃地階は焦土と化してしただろう。
そんな仲の悪い、天階の者と魔階の者は基本的に自分の階に引きこもる。しかし一部の変わり者やわけありが地階で暮らしていて、俺もまた地階にいた。
「一体、お嬢様は何から逃げてるんです?」
「ぎむかなぁ」
「いや、そういう話じゃなくてですね、もっと物理的な話をしているんです」
「むずかしいことば、わかんにゃい」
「突然子供の真似しないで下さい」
俺は天ムスを抱えて逃げてからずっと、彼女のお金で宿をとり暮らしている。お金などで困ることはないが、自分のご主人となったこの幼女は、必要なことを教えてくれない。
白金の髪に紫の瞳をした彼女は、見た目は五歳だが多分もう少し高い知能を持っていると確信している。繊細で幼げな見た目に騙されてはいけないのは間違ない。
「おにぎりはぜんぜんだまされてくれないねぇ」
ほうと片手を頬につけ、憂いをおびたような表情でため息をつかれるが、普通の五歳児がこんな表情やしぐさをするはずがない。だから近くにいればこの天ムスが普通じゃないのはよく分かる。
「せめてどう守ればいいか分かるように教えて下さい。天使が襲ってきたなら俺は守りますが、まず襲われないように気を付けるべきでしょ」
「おにぎりなのに、へいわしゅぎなのね」
そう。俺は【鬼切り】だ。鬼賊を皆殺しにした時に、俺は親から貰った名を捨て、その通り名で呼ばれるようになった。
もっとも、この天ムスがその名を呼ぶと、どうしても地階の料理である【おにぎり】のような発音になる。怖いではなく、おいしいものみたいな呼ばれ方にがっくりとくるが、それしか発音できないというのだから仕方だない。
「まあ、おにぎりはおいしいから、へいわしゅぎばんざいです」
「お嬢様、意味が分かりません」
俺を買うにあたり、俺の過去を知っているはずなのに、どうしてこうも警戒心がないのか。確かに俺の行動を縛る金冠はあるけれど、死に至る痛みすら振り切って最後の力で殺す事だってできるのだ。それなのに、この天ムスはまったく気にもせず、よじよじと俺の膝やら肩やらによじ登る。
「とにかく、私たちはせいてんをとどければいいの。そうしたらおにぎりの、わっかもとってあげるから」
どうやらこの天ムスは聖典を届けるのを目的とし、その所為なのか何者かに追われているようだ。ただし、相手が誰で、何処にいるかは天ムスしかしらない。
「あー! あそこ!!」
「何かありましたか?」
俺はさっと周りに警戒をする。天使は空を飛べるから、突然現れるのだ。
「おにぎりににあいそう! ほら、あのコートよくない?」
……衣服店に飾られた服を指さす暢気すぎる生き物に、頭痛がする。もう、頭痛が痛いレベルの頭痛だ。
追われているはずなのに、これでは観光旅行だ。
「俺の服装は気になされないで下さい」
「いやよ。おにぎりは私のなんだから、おにぎりをかざるのは私のしごとなの」
魔階で大罪を犯した俺は、地階で奴隷となる罰を受けている。その為俺自身の所有物というものは何もない。だから奴隷の俺を買った天ムスが俺に対して衣食住を用意するのは当然ではあるのだけれど、俺の私物をどんどん増やそうとする行為は謎だ。
俺が何も言わなくてもあれが似合うと言って服を買い、これが似合うと装飾を買い、これもいいねと装飾や魔法がごちゃごちゃとついた武器を選びだす。本来俺は強請る立場だと言うのに、必死に無駄遣いを止める羽目になっていた。
「無駄使いしないで下さい。届け物が完了するまでに、路銀が尽きたらどうするんですか?」
「むぅぅぅ。むだづかいじゃないもん。おにぎりはもっとかっこいいってみせびらかすんだもん」
「必要ありません」
誰だ。こんな子供に莫大な金を渡したのは。
まあ、大方聖典を届けろと命令した神か仙人なのだろうけれど、そもそも何故こんな子供に御遣いをさせる事にしたのか。
「いいですか? 沢山のお金を持つという事は悪い者を引き寄せやすいんです。沢山のお金を使えばそれを知られる事になり危険が高くなります。そもそも、奴隷の服はこんなに上等なものでなくてもいいんです。立ち入りたい場所によっては最低限の一張羅が必要になることもあるでしょう。ですが、それならば一着あれば十分です。普段着は、中古のボロでいいんです」
「そんなのいやだわ。おにぎりは私の大事なたびなかまよ」
奴隷を仲間扱いするのも本来ならば普通ではない。
子供だからなのか、それとも天階の者は考え方が違うのか――いや。そんな事ないな。俺が知っている天階の者は気位が高い。魔階に住まうもので、更に奴隷を仲間だと嘘でも口にしないだろう。よくて番犬程度の扱いになるはずだ。
「というわけで、私にたくさんみつがせなさい」
「却下です」
ぷくぅと頬を膨らませる天ムスの頬をつけばぷすーと気の抜けた音がする。
仕方がない。彼女がそういったことに疎いのならば、俺が気を回すしかない。そもそもこんな呑気な生きものが周りを疑うとか無理なのだ。だったら俺が守るしかあるまい。
そもそも彼女は俺の主で、守るべきものなのだ。物理的だけではなく、さまざまな悪意からと加えたって変わりはしない。
とにかく早くその聖典とやらを届けて彼女を親元に返そう。俺はそう心に決めた。
◇◆◇◆◇◆
天ムスは幼いなりをしているが、やはりただ幼いだけではないというのは、共に行動しているとよく分かる。
追いかけられる生活なので、自由が利かない生活だ。それでも我儘一つ言わない彼女は同世代ぐらいの子供に比べてはるかに我慢強い。自由奔放に俺を着飾ろうという謎行動はあるけれど、野宿が続き食料がろくなものがなくなった時も、とくにおいしくものない保存食を文句ひとつ言わず食べる。
「明日は何かもうすこしましなものを調達しますね」
「やったぁ!」
彼女は味が分からないというわけではないのだ。ちゃんと美味しいものを美味しいと感じる味覚がある。でも状況により食べられない事を説明すれば納得し、騒いだり我儘を言ったりはしない。
「お嬢様は我慢強くて偉いですね」
「えらい? 私、えらい?」
「はい。天階の子供は皆そうなんですかね。魔階はお嬢様ぐらいの子供は我慢ができません」
元々魔階の住民は、欲望に忠実なところがある。天階の規律に忠実なのとは真逆の性質だ。特に子供の頃は感情のコントロールが中々に難しかったりする。
「えへへ。ほめられちゃった」
「天階では褒められないのですか?」
子供を地階に送り出し、つけ狙われるような大層な聖典を届ける大役を任せているのだ。この天ムスはかなり有能だと天階で考えられているのだと思っていた。
「ほめられたことはないよ。あたりまえのことだもの」
「当たり前ですか?」
「うん。言われたことをちゅうじつにおこなうのはあたりまえなの」
流石は天階。子供に対しても規律を重んじて、個性を認めないらしい。こういうところが魔階の者とは合わない部分だが、生憎と俺は魔階の生き物だ。
「なら俺には関係ないですね。魔階では当たり前ではないからこれからも褒めましょう」
「まかいのものは、だらくさせるとみながいうのが分かったかも」
「褒めない方がいいですか?」
「ほめて! たくさんほめて!!」
難しい顔をして言うので、褒めない方がいいかと聞けば、褒めて欲しいらしい。ここは地階で天階ではないのだから、そう難しく考える必要もないだろう。
そして俺は子供は自由に生きるべきだと考えている魔階出身者だ。主人である彼女が止めないのならば、やりたいようにやらせてもらう。
「偉いですよ。大変な旅なのに、大変頑張っていると思います」
そう伝えれば、いつもと少し違うはにかんだような顔をした。
その表情を見ると天階のものも褒めればいいのにと思う。それでもそれぐらい厳しく規律を叩きこむからこそ、彼女のような幼い者が一人で地階を旅できるようになるのかもしれない。
だとしても俺は天階の教育者ではないのだから、他の天階の子供のことなど考えず、この目の前の天ムスの事だけを考えればいい。
「お、おにぎりも、いつもありがとう」
「俺は奴隷ですから気にしなくていいです」
「どれいじゃなくて、なかまだっていったでしょ? わたし、おにぎりのことすきよ?」
「勿体ないお言葉です。ですが――」
俺は罪人だと伝えようとすると、天ムスは俺の胸に飛び込んできた。
「すきだもん」
「……そうですか」
「そうだもん。だから、おにぎりもじぶんをだいじにしなきゃだめだもん」
「俺は、鬼賊を殺し回った穢れた生き物ですよ?」
多分規律を重んじる天階の者は眉をしかめるような存在だ。
法で裁くべきだったものを、俺は殺し回った。それは俺を買った天ムスも分かっているはずだ。
「りゆうがあるんでしょ?」
「まあ、理由がなければそんな面倒な事はしないですね。俺は快楽殺人者ではないので」
俺は殺人に快楽性を感じはしない。
「だったらいいの」
理由も聞かずにだったらいいで済ませるとは、この天ムスは迂闊だ。迂闊だが、迂闊だからこそ、悪い大人にだまされないようにしてやらなければいけないと思う。
彼女が綺麗なままなら、俺が汚れた部分を見てやればいい。永遠にはできなくても、彼女がお役目を終えて天階に戻るまでぐらいは守ってやれるだろう。
◇◆◇◆◇◆
天ムスを守りながら、彼女が言うままに西をめざして進んでいたが、ある日とうとう彼女を追いかける天階の者と対峙する事になった。
初めて天ムスを抱えて走った時に追っていた、翼の生えた彼らは、天使と呼ばれる生き物だ。
天使は俺ら魔階の者からすると、神や仙人よりもさらに認識が違う生き物で、正直気味が悪い。彼らには個があるように感じないのだ。
天ムスも同じく翼が生えているが、幼いからか感情が豊かで彼らと同じ生きもののようには感じない。
「「「ソレを渡しなさい。そうすれば攻撃しません」」」
天使たちは特に打ち合わせをしたわけでもないのに、まったく同じ言葉を同じタイミングで話す。それはあまりに無機質な光景に見え、ぞわりと肌が粟立つ
「断る。俺の仕事は彼女を護衛する事です。命令に忠実な貴方達なら分かるでしょう?」
引く気はないと俺は天ムスに買い与えられた剣を構える。
魔力のこもったかなり上等な剣の為、無駄遣いだと思ったが、一度に何体もの天使と戦わなければならないと考えると、正しい初期投資のようだ。特に今回出て来た天使のうち、一人は羽が六枚生えている。確か六枚羽は二枚羽よりも高位の存在で、神力が強いと聞いた覚えがある。
正直、何故こんな大物が出てくるのかと思うが、俺の役目は変わらない。
天使たちは一斉に剣を構えこちらを攻撃してきた。俺の背後に天ムスがいると言うのに、その攻撃にはためらいがない。巻き込まれて怪我を負っても構わないという態度に、俺は絶対渡してはいけないと認識する。
「どけっ!!」
俺は魔力を威圧に変え、剣に纏わせると大きく振った。その瞬間、天使たちが吹き飛ばされる。
「逃げるぞ」
「うん」
俺は天ムスを抱きかかえ、走った。
彼女も怖いのだろう。俺の衣服を握る手がいつもより強い。だがしっかり握ってもらえていれば、振り落としてしまう心配が減る。
俺には翼はない。しかし脚力であの天使どもに簡単に負ける気はない。
「待ちなさい。ソレを渡しなさい」
「ちっ。流石に六枚羽は足止めできないか」
威圧を使うと、俺より力量が低い相手はしばらく恐慌状態となり体が自由に動かなくなる。特に肉体に怪我があるわけではないが、精神的な恐怖が肉体の動きを制限させるのだ。
だが肉体的にはたいして損傷を負わせていないので、精神の恐怖が薄まれば問題なく動くだろう。
「六枚羽まで出てくるとか、天階は一体どうなっているんですか?」
六枚羽が天階から降りてくる事はほぼないと言われる。何故ならば彼らは、神に直接仕える身分だからだ。天階以外を穢れていると思う彼らは、地階にも降りてこず、二枚羽に対処させる。高くても四枚羽までぐらいだろう。
「お嬢様が属している派閥とは違うという事ですか?」
魔階は天階や地階よりも住む種族が多い。だから当然仲が悪い種族というものは存在し、欲望に忠実だからこそ争う。
それに対し天階は規律が厳しいので、争いは少ないそうだ。それなのにあの天使たちは上位の者まで出して争いに来ている。
だとすると、この天ムスが持つ聖典というものは、それだけ持ち出されると困るものなのだろう。
「……つかえるかみさまは同じよ」
「つまりお嬢様が天階から地階に来た事がお嬢様の主の意向に反する事というわけですか?」
規律を重んじ基本は争わない者が天階から降りて来たという事は、よっぽどその聖典が持ち出されたら困るものなのだろう。
再び天使からの攻撃があり、近くの木が発火する。
あれが当たったら俺と天ムスは火だるまだ。同じものに仕える、年下の相手にするような行為には思えないが、天階ではこれが普通なのだろうか?
「ソレを渡しなさい」
「ちなみに聖典を渡したらどうなるんです?」
天ムスは俺の腕の中で震えた。
聞くべきことではなかったかもしれない。俺に与えられた命令は、とにかく守って彼女が行きたいところへ連れて行くというものだ。
「ソレを渡しなさい」
「あーもう。渡しなさいと言われて、主の物を渡す馬鹿、いるわけないだろ」
壊れた人形のように渡せ渡せと言う天使に俺は吼える。
「……ぜったい私をはなさないで」
「あんな気持ち悪い者に、子供を渡すほど落ちぶれてはいません」
子供を気づかわず、ひたすら任務を遂行しようとするようなイカレタた奴に渡すほど腐ってはいない。それがたとえ命令ではなかったとしても。
「少なくとも、お嬢様だけは守ります」
聖典を奪われたとしても。俺は彼女を守ると決めたのだから必ず守る。
「いいですか。俺の合図で息を止めて目を閉じて下さい」
俺は走りながら天ムスに伝える。
上手くいくかは分からないが、彼らは空を飛ぶ生き物だ。だから――。
「息を止めて!」
俺はそう叫びながら崖を蹴った。その下に広がっているのは、海だ。近くに落ちれば岩礁にぶつかり命を落とす可能性がある。
「ソレ――【ラグナログ】を渡せ」
ドボンと水の音が届く前に聞こえた言葉は、世界の終焉を表すとても不吉なものだった。
◇◆◇◆◇◆
「はあ、はあ、はあ」
天ムスを抱えながら素潜りし、できるだけ遠くまで逃げた俺は、水の中から顔を出し、できる限り天ムスが水を飲まないようにしながら海岸を目指して泳いだ。
「死ぬなよ」
博打に近かったが、それでも天使が泳げないのは本当だったようだ。六枚羽は海の中まで追いかけてこなかった。まあ天使が泳げないという事は、天ムスも泳げないという事だ。突如海に飛び込んだので驚いたに違いない。
俺は陸に上がると、岩陰に移動してから天ムスを地面に置いた。
胸に耳を当てればちゃんと鼓動を打っているので、無事死んではいないようだ。これが人間なら怪しかっただろうが、天階の生き物の体は総じて丈夫だ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ゆすってみるが、目を開けない。口元に手をやると、息が止まっていた。
その事実に俺はひゅっと息を呑む。いくら丈夫と言えど、いつまでも息をしなければ流石の天使も死ぬはずだ。
「……失礼します」
俺は自分の口で彼女の小さな口を塞ぐと、肺を破壊してしまわないように十分気をつけながら息を吹き込む。数秒それをした時だった、ピクリと天ムスが動いた。俺が頭を放せば、げほげほと咽て海水を吐き出す。
そしてしばらく咽た後、ゆっくりと目が開いた。
「大丈夫ですか? お嬢様」
ぼんやりと昇天の合わない目をしている天ムスに声をかけると、数度彼女は紫の目を瞬かせた。こうやって見ると、本当に彼女は幼い。
それなのに同族に攻撃をされるなんて……。もしかしたら天ムスの方が悪いのかもしれないけれど、それでも幼い子を躊躇いなく攻撃するのは気持ちのいいものではない。
「ふぇ……ううう。おにぎりぃ」
状況が呑み込めたのだろう。
震えながら俺の袖を掴んだ彼女はポロポロと泣いた。俺は怖かったのだろうとその背を撫でる。
「ごめん……ごめんなさい。……まきこんで、ごめんなさい」
しかし泣いているのは怖かったからではなかった。そのことに衝撃を受けるが、俺の為だと思うと、胸が温かくなる。俺はそっと彼女の頭を撫でた。
「俺は巻き込まれてよかったですよ」
「なっ……しぬかもしれないのに」
「鬼切りはそう簡単にはくたばらないですよ。安心して下さい。それより、お嬢様が知らない所で死んでいた方が俺は嫌ですね」
「なんで?!」
「だって、俺とお嬢様は仲間なんですよね?」
貴方が言ったんですよと言えば、天ムスは大きく目を見開いた。
「それは、おにぎりがじぶんはどれいだっていうから……」
「ええ。そうかもしれませんが、それでも俺はそれが嬉しかったんです」
誰かに手を差し伸べてもらいたいとは思っていなかった。自分が罪人だという事は分かっていたから。それでも、差し伸べてくれた手は俺が守りたいと思うほどに温かったのだ。
「そろそろ教えてくれませんか? 一体、何から逃げ、何処に行こうとしてるのか。先ほどの天使が言っていました。【ラグナログ】を渡せと」
俺の言葉に、天ムスはビクリと震えた。
しかし、意を決したように強い瞳で俺を見上げた。
「おにぎりは【ラグナログ】をしってる?」
「世界の終焉を指す天階の言葉だと聞いた事はあります」
魔階にはない言葉だ。だから本当にそれで合っているのかも分からない。
「あってるわ。【ラグナログ】はせかいのしゅうえんをあらわすことばであり……」
天ムスは一度目を伏せた。
そして苦しそうに深呼吸をする。
「……私をあらわすことばなの」
「は?」
ラグナログが天ムスを表す言葉?
この迂闊でやさしい生き物を?
瞬時には繋がらない。もしかしたら語源は関係なく、そういう名だと言いたいのだろうか? でもだったら、ここまで緊張するはずもない。
「てんしはね、かみさまに作られた生き物なの。そして私は、ちかいのしゅうえんをもたらすためにつくられたの」
「何故そんなものを?!」
「かみさまはじぶんが一番ただしいと思っているから。だからちかいをさらちにして、かみさまがのぞむせかいにしようとかんがえているの」
正しくないものを正そうとしているだけなのだと言われても、こっちとしてはふざけるなだ。違う生き物なのだから考え方も違って当たり前なのに、一方的に正しくないから排除すると言っているのだ。
「だからね……私を正しくこわせる【ちせん】にあいに行って、こわしてもらうの」
「えっ。壊れたら、お嬢様はどうなるんですか?」
地仙は、天階ではなく地階で生きる仙人だ。だから地仙は仙人と同じだけの能力を持つが、彼らとは考え方が違う。
そしてラグナログが天ムスで、それを壊すという事はつまり――。
「たましいのないつくられたいきものは、死んだらどこにいくんだろうね」
「死んだ後なんて知りませんよ」
なんだそれは。
つまり、この旅は天ムスが死ぬための旅だと言うのか。俺は彼女を安全に死なせるための旅仲間だというのか。
「あんしんして。私が死んだら、おにぎりをちゃんとどれいからかいほうしてあげるから」
「……何も安心できません」
「えっと。おかねものこしてあげるね」
「無理ですね。そんなもので、安心なんてできるはずがない」
困ったように首を傾げる天ムスに俺は首を振った。
この娘が死んでめでたしめでたしの世界で俺が安心して生きられるはずがない。何もかもなくした罪人の俺が再び手にした唯一の旅仲間なのだ。
「だから天階の何もかもから逃げ続ける旅をしましょう」
「えっ?」
「生き物はいつかは死ぬんです。だから死ぬまで、俺と旅しましょう。そのうち、天階の方が諦めるかもしれませんし、ラグナログの力を消す方法が見つかるかもしれません」
どちらにしても、こんな幼い子供が死んでいいはずがない。
「だけど……」
「ただの旅仲間だと遠慮してしまうのでしたら、俺と家族になりましょう。俺は貴方の父であり、兄です。俺、やる事ないんです。だからお嬢様が俺の生きる意味になって下さい」
鬼賊を殺しまわって罪人となった俺は、本当の事を言えば、もうやりたい事もなにもなかった。だから奴隷とされる刑に粛々と従っていた。
でも今は彼女を助けたいと思う。
「かぞく……。かぞくなら、おじょうさまよびはいや」
「でしたら、ラナと呼びましょうか」
俺はこうして、天ムスと永遠の旅をする新たな契約をした。
この契約を俺は生涯後悔した事はない。
ただまさか父であり、兄であったつもりが、天ムスに口説き落とされ、将来伴侶と呼ばれる関係になるとは思ってもいなかった。
鬼賊を殺した鬼切りという罪は背負ったが、幼児性愛者という罪を背負いたくない俺は、伴侶と呼ばれる関係になるまで天ムスと攻防を繰り返すのだった。