ドッペルゲンガー
ねえ、ドッペルゲンガーを知っているかい?
ドッペルゲンガーは……そうだね、自分とそっくりの存在――分身とでも言うべきものかな。それが何なのか定義するのは難しいね。自らの魂が分離して形を持ったものだとか。幽霊とは似ているようでまったく異なるんじゃないかな。ドッペルゲンガーに会うと死んでしまうとか、ドッペルゲンガーは死を予期する前兆なんじゃないか、とか言われているね。
まあ、ドッペルゲンガーが何かはともかくとして……どうして、僕がドッペルゲンガーの話をしているかわかるかい? そう、その通り。ドッペルゲンガーに遭遇したんだよ。
え? それはドッペルゲンガーじゃなくて、僕そっくりの他人か、生き別れの双子じゃないか? まあ、もちろん、その可能性だってある。むしろ、その可能性のほうが高い。でもね、それがドッペルゲンガーなんだと思ったほうが、なんだかワクワクしてこない?
それにさ、僕に生き別れの双子の兄弟とかいないし、日本に一億以上の人がいるとしても、僕みたいなとてもユニークな顔にそっくり瓜二つの人間がいると思うかい? それは――まあ、絶対にいないとは言い切れないけど……いないんじゃないかなあ。
だから、僕はそれをドッペルゲンガーだと信じる。うん、信じ込もうとしている。信じる者は救われる、だよ。あー、いや、もしそれがドッペルゲンガーだとしたら、僕は救われずにむしろ滅びるかもね。
え? ドッペルゲンガーをどこで見たかって? そこの繁華街だよ。あの人通りの多い繁華街の歩道に、奴は佇んでいたんだ。ひっそりと。存在感を殺して。電信柱みたいに突っ立っていたんだよ。無表情で突っ立って、僕のことをじいっと見つめていたんだ。
正直、びびったね。だって、僕とまったく同じ顔の人が人形みたいに立っているんだよ。ホラーだよ、ホラー。しかも、周りの人は誰も彼に気づかないんだ。いや、気づかないとも少し違うかな……? 認識しているんだけど、意識していないっていうか……。うーん、なんて表現したらいいかよくわかんないよ。繁華街はいつものように混雑していたんだけど、人々は彼を――もう一人の僕を避けて歩くんだ。当たらないように。触れないように。でも、それは意識的な行為じゃなくて、おそらく無意識的に避けてしまってるんだと思う。
で、僕は一メートルほどの距離まで近づいて、話しかけてみたんだ。小さな勇気の断片をかき集めてね。
「君は誰だ?」って僕は尋ねた。だけど、返事はなかった。何も喋らなかったよ。一瞬、僕は鏡にうつった自分に話しかけてるんじゃないかと思ったんだ。でも、相手の口は閉ざされたままなんだ。大体ね、歩道の真ん中に全身鏡なんて置いてあるはずがないんだ。常識的に考えればすぐにわかることなんだけど、目の前に常識的じゃない存在がいるからね。常識は時に全く役に立たないんだ。そう実感したよ。
ドッペルゲンガーは喋らない。喋れない。どちらなのかはわからないけど、触れることは可能なんじゃないかって僕は思った。だから触れてみた。どうだったか? うん、結論を言うと、触れることができなかったんだよね。触れる前に、すっと消えてしまったんだ。霞んで、次の瞬間には何もなくなっていた。無があったね。人がいない、ぽっかりと開いた空間。
その後は……ない。この不思議な話を君に話そうと思って、今、君と会ってこうして歩きながらお喋りをしているというわけだ。
もうわかるでしょ? 僕たちがどこに向かっているか。うん、そうそう、ドッペルゲンガーを見つけた歩道に向かっているんだ。
えっとね、あそこだよ。スクランブル交差点を渡ったところにある道をずっと進むと目的地だ。あと二、三分もあれば到着すると思うよ。
よし、信号が青になった。渡ろうじゃないか。……君、何突っ立っているんだい? まるでドッペルゲンガーみたいじゃないか、ははっ。
え? 嫌な予感がする? 胸騒ぎってやつかい? ふうん。きっとそれは心臓発作の類だよ。病院で診てもらったほうがいいんじゃないか? 行こう行こう。
え、どうしたんだい? いきなり叫び声出して。右って…………右に何が……あ、トラック――――