第2部 晩餐会
12**年5月29日 リトアニア大公国・ヴォルタ
*)両親の命日
両親の命日になった。オレグの心が一番重くなる日。
オレグは、ポーランド人の父と、ベラルーシの王家の娘の母から産まれたので自分はベラルーシ人だと自負している。だが、父と継母の行いは許せない。特にこのベラルーシというお国柄なのか、歴史が悪いのか、過去遠くからこの国を他国から守りきれなかった先代たちの国王が悪いのか、とにかくベラルーシにおいて、王族とはすべてが、ポーランド人であったり、リトアニア人だった。
「自国の国民が王位に就いたためしが無かったのは、どうしてだ!」
と、常々考えていた。俺の半分の血はどうしようもないが、憎いと考えていた。今でこそオレグは王位に就いているが、簒奪で得た位なのだからその点父とは違うが、家族を殺したというのは、父と同じことをした、父と同じだとも考える。唯一、自分を慰めて気持ちを押し留めているとしたら、それは母の敵を討てた、という事だった。自責の念は無いのが救いであり、気持ちのいい仇討とはありえない。
「俺はこの国の産まれのソフィアを娶った。いずれ産まれてくる子供は俺の血を半分受け継ぐが、それでもポーランドの血は残る、残るのだ。」
自室の執務室で飾り気のない書棚の、色んな本の背表紙の色を見つめて思いにふけっていたら、現実に引き戻された。ソワレが報告に来た、いや、指示を請いに来たという事だろう。ソワレにすれば何もかもが初めてなのだから。
「コンコンコン。」
「入れ。」
「陛下。先王の弔いに参られましたご家族の方々がお見えになられました。今、応接室へお通ししておりますが、」
「そうか、いつもの時間ぴったりだな。パンと塩を出して歓迎の意を伝えてくれないか。俺は、そう、俺は今は欠席したい。」(昔の風習です)
「はい、承知いたしました。ご両親の命日で気が滅入っておられますと?」
「あぁ、それがいい。どうしても夜の懇親会は避けられないのだから、出来るだけ会いたくはない。」
「はい、その旨お伝えいたします。どれほどの脚色がよろしいでしょうか。」
「それを俺が言うと思っているのか。ふざけるな!」
「はい、とてもお元気なようで、安心いたしました。いつものように、90%は私とソフィアさまの脚色で、流しておきます。」
「あ、ソフィアにはすまない、と、一言添えておいてくれ。あれも、貴族の一員ではあるが、とても心苦しいであろうから。」
「それは、リリーさまが付きっ切りでソフィアさまと一緒に居られますから、たぶん大丈夫ですよ。」
「あぁ、そうだな。そうであって欲しいものだ。」
先王の家族はこの王宮に来たら、目をぎらつかせて物を目踏みして、あわよくば頂いて帰ろうとする厚かましい家族が多い。父は元ポーランド国王の二男だったのだから、長男が王位を継ぐからどこぞの貴族のような、少し大きい館で一生を過ごすはずだったのが、棚ボタでベラルーシの養子に迎えられた。それから一気に戦争により王は死んでしまった。王家の子供はその先の戦争で初陣に出させたが敗退し戦死した。残った娘に婿入りしたのが父なのだ。そうこう考えると、先王の死すら怪しく感じられる。ポーランドの王家が画策しても、不思議ではない。親子や兄弟で王位を争い、場合によっては暗殺も行われるのだから。
「もう、白いハンカチの花は散ったか!」
「コンコンコン。」
「……? 入れ。」
「はい、失礼いたします。紅茶をお持ちいたしました。」
「あぁ、ありがとう。外のテラスで頂こうか。運んでくれ。」
「はい。」
「今は何人だ。」
「ご家族の方が9人と従者が5人でございます。」
「いや、8人と6人だろう。一人見分けがつかないのが居ただろう。」
「ええ?……、あのお姫さまですか?」
「いや、男の方だ。こう、なんだか身体がごつい、兵隊の隊長らしいのが。」
「はい、いらっしゃいました。あの方は、」
「あれも従者になるだろうか、続柄は、あ、いや、ここで話すような事ではないな。許せ。」
「まぁ、聞きたいのですが、後日に、……。」
「そうだな、少し気が楽になったよ。ありがとう。」
「それはよろしゅうございました。私のお役目も果たせました。」
オレグは熱くもない紅茶を口に運んだ。メイドのソワレは動こうとはしなかったのが気になる。少しソワレの気配を気にしながら飲む紅茶。
「もう、いいぞ。」
「はい、失礼いたしました。」
と、言って頭を下げて出て行く。
「なんだ、あいつ。紅茶が熱くないのも、意味を持たせているのか?」
それは後で判った。ふと残った紅茶を一気飲みにしたのだった。
「なんだ、俺が一気飲みすると分かっていたのか! すると、二杯目が有るのかが楽しみだ。」
変な期待をソワレに込めてしまった。
「あ~、いかんいかん。妙に気になる女だ。さて、気休めは終わらせて、今日の対策を考えるとするか。」
それは父の側室とその息子の事であって、とてもこの二人は外していい関係ではなかった。両親が死んで弔いも済み親子で国に帰らせたのだが、その親子は夕方には到着する予定なのだ。この昼前に着く父の家族らと、遅れて到着する父の側室の家族には、あまり繋がりは無いように思えるのだが、とても気になってしょうがないのだった。
「同じポーランドの王都から来るのに一緒ではなく、別々に来る。可笑しい。仲の悪い関係ではなかったはずだが。」
オレグには、これから先がどうのこうのとは、少し思い至らないのだった。
「コンコンコン。」
「ソワレか? 入れ。」
「……、失礼いたします。」
ドアをいつも以上に丁寧に静かに閉めて、
「あのう、どうして私だと?」
「俺の優秀なメイドだ。それ位は判る。昼食だろう?」
「はい、ドアの外に待たせておりますが、お運びしてもよろしいでしょうか?」
「熱いのだろう? 早く持ってまいれ。テーブルでいい。」
「はい、承知いたしました。それで、」
「そうだな、テラスで紅茶を飲んで待ってくれないか。お前に頼みたいことが出来たのだ。なに、直ぐ掻き込むさ。」
「いいえ、それはよろしくありません。どうぞ、ごゆっくりと。」
黒パンの耳を取り除いて、肉と野菜を挟んだだけの簡単な料理。それに深皿に注いだ熱いスープ。が、いつもの執務室で食べる昼食なのだが。と、ワクス。
「一品多いが、この皿の小さい肉は、鵞鳥か!」
「はい、宮廷で美味しそうに歩いていましたので、奮闘いたしましたわ。」
「ははは、それは愉快だ。ソワレに捕まる鵞鳥はおるまい。」
「まぁ、失礼です。謝って下さい。」
ソワレこそ失礼な物言いなのだが、その顔の表情といい身振りといい、憎めないのだった。
「そうか、捕まえたのか。それで、どっちが勝ったのか!」
「もちろん、鵞鳥さんですわ。突かれるのが怖くて庭師に叩いて戴きました。」
「そうか、これは美味しいぞ。食べるか!」
「いやですよ、恐れ多くも陛下のお食事ですから。」
「そうか、ならば今日は完食するしかあるまい。」
「そうですよ、いつもいつも、お残しになされますから私の料理が美味しくないのかと、勘ぐってばかりです。今日はお側において頂きありがとうございます。」
この会話の後にオレグは昼食を摂った。
オレグはソワレの感謝の言葉には、無言で答える。少し落ち着くようにして、ワクスを飲んだ。ソワレはテラスのテーブルの横で律儀に立ったままだった。歩けば床の板の音がするから直ぐに分かる。音がしないから動いていないことになる。
オレグからは少し首を捻らないと、テラスのテーブルは見えない。そう、ソワレに返答するためには立ち上がる必要があるのだ。身体を捩じって返事をするのは可笑しく見える。大の男が行う仕草ではない。
オレグはソファに深く座り直して頭を天井に向ける。暫く一点を見つめて意を決した。
「ソワレ。」
「はい。」
オレグはソファから立ち上がり、横のままでソワレの名を呼んだ。
「実は夕方になって、父の側室が俺の弟と共に来るのだが、終日、二人の世話を お願いしていいか。いや、これは命令だな。俺から執事には申し付ける。俺はあの二人が何を考えているのかが理解出来なくて、だからいつもどういう顔をして会っていいのかが判らないのだよ。可笑しいと思うのだろうが、頼む。」
「はい、ご用件、しかとお受けいたしました。それで、」
「あぁ、33歳と15歳だ。」
「そうですか、もう15歳になられますか~。」
「?……。」
「お子様はお一人なのですか?」
「それが思い出せないのだが、俺が小さい時に幼児だった弟にな、お湯をかけてさ。それからは『もう子供は産みません、』と、言わせたらしいのだ。」
「それで思い出せないとは、なんでございましょう。」
「もう一人、子供が居たような気がするんだよ。どうしてか思い出せなくて。」
「そうですか。もしかしましたらそこ子にも、お湯を掛けたとか!」
「バカ言え!」
「まぁ、陛下らしいですわ。とても安心いたしました。」
「そんな俺の、幼児虐待事件を聞いてか?」
「はい、ご家族思いなのだと。……私はうれしいです。」
「よせ、その言い方は嫌いだ。……では頼んだぞ。」
「も、も申し訳ございません。出過ぎた事を申しました。お許し下さい。」
「そういう事だ、理解が出来ただろう。」
「はい、もう……十分に、……でございます。」
「そっか。」
最後は涙目になっていたようなソワレ。声も何処かしら弱々しく聞こえた。ソワレの次の一言が出るのに時間がかかった。
「失礼いたします。また明日のお昼に参ります……」
オレグは軽く右手を振って応えた。ソワレが言っている時は既に後ろを向いて執務の机に向かっていたのだから。泣いて出て行くソワレをドアを閉める音で感じとっていた。だからソワレが泣いていたとは気づいていない。逆にソワレからしてみれば、泣き顔を見られなくて良かったと、いうべきだろうか。
とにかく、ソワレは泣いて執務室から出て行った。
その後オレグは大きく伸びをした。
「く~、今日は特別、憂鬱だな~。」
と、にこやかな顔をして言うのが、滑稽であった。
「俺の性格が変わったのか?」
*)ミサ
いつものように司教を呼んで開祭の儀が行われる。このミサに出席はしたくないから欠席したのだが。昨年は毎回毎回、20分おきに誰かが呼びに来たのだ。
昼過ぎの宮廷の教会で司教の言葉が流れている時間になった。例年通りにオレグは欠席している。だが、変わった点があった。オレグを呼びに来たのは大臣だけで他は誰も来なかった。ソフィアやリリーはオレグの事を知っているから、ピラッとも姿を見せない。というか、ただ単に不機嫌な夫や義兄に近づきたくないのが本音なのかもしれない。そんな事はどうでもいい、結果がすべてのオレグにとっては。
「今日は大臣だけだったな。静かでいいや。」
ミサとは、死んだ者を生贄とする意味があるのだが、キリストに生贄を与えるとでもいうのだろうか。供物は生贄の代用品であろうか。(きっと?不明)
「俺が殺したんだから、ミサには行けない。大臣が喪主だ!」
と、思っている国王なのだから。
「俺の行いに、どこも不思議なことはない。」
「執務室の前が騒がしいのか?」
オレグは手を休めて聞き耳を立てたが、人の声は聞こえなかった。にこやかな顔をして言うのが、同じく滑稽である。
*)晩餐会
こればかりはいくら国王の権力でも、欠席は許されないだろう。
「あ~、いやだいやだ。とうとう時間になってしまった。そろそろソフィアが角を出して来るころだ!」
案の定のお迎えが来た、ソフィアだった。
「オレグ、まだ着替えてはいないのでしょう?」
ソフィアのドアのノックの代わりの言葉が聞こえた。
「あぁ、まだだが。……もう時間か。」
「そうですよ~、嫌でも行きますわよ。メイドを50人用意いたしました。」
「王宮に50人ものメイドは居ないだろう。どこに居るのだ?」
「はい、10人力のメイドが5人ですもの。50人ですわよ。それくらいに今日の敵は強いのですもの。」
「この俺が?……。」
「さ、みんな、襲いかかってちょうだい。多少の礼儀違反は私が許しますから。」
「おいおい、それはないだろうーが~! 国王には労わってくれ~!」
「はいはい、リリー、強制の呪文をお願いね。それも一番強い呪文ね。」
「はい、お姉さま。……では、行きます。」
「オレグお兄さま~!」
リリーは思いっきりオレグに抱き着いた。
「わ、わ、わ、わ~ぁ!!!!」
「はい、すっぽんぽんになりました。この服を全部着るのですよ。いいですか?」
「はい、ちゃんと着ます。」
晩餐会の会場になる大広間の入り口で待つのはギュンター。
「陛下、遅いではありませんか。ご来賓の方々はシビレをきらしてお待ちになられてあります。お詫びの言葉と共にお入り下さい。……、その顔ではダメです。こうやって、きりっとした表情で臨まれて下さい。」
「こ、こうか、では、大きい声で入ろう。」
「皆の者、待たせたな。」
国王のドスの効いた低い声で、会場のざわめきが一瞬で収まった。
「国王さま、あまりにも遅いのでお呼びにまいろうかと、みなで相談していましたのよ。」
(うるさい、妖怪ババァ!)オレグの心の呟き。
「伯母上、申し訳ございません。服を思いっきり汚してしまいまして、さらに着替えるのに時間を取られました。」
「まぁ、そうでしたか、でも、私が持参していた服が無事で良かったですわ!」
「はい、ありがとうございます。サイズはぴったりでございます。」
(え、うそ。俺のウソがばれたのか!)とは、オレグの心の呟き。
「ソフィア、この服は?」
「はい、申し上げた通り、伯母上さまからの献上品ですわ。聞いていませんでしたか?」
「あぁ、聞いていない。絶対に聞いてはいない。お蔭でウソがばれたではないか。どうしてくれる。」
「それは私の所為ではございません。国王さまが地雷を撒いてご自分で踏まれただけでございます。」
若い国王は、老齢の来賓や家臣たちに、王たる威厳を示さなければならい。こんな苦痛な事が他にあるのだろうか。宴会にいたっては倹約家の国王からしてみれば、豪華な食事を用意する。これまた国王には苦痛で顔が歪んでしまう。
「おお、国王さまが凛々しくなられましたぞ!」
そんなのは関係ない、とばかりの一通りの挨拶を述べた。苦痛で顔が歪んでいるかのような錯覚にも陥る。ようやく苦難を乗り越えて来賓への接待が始まる。
オレグは大きいナイフとフォークを持って、大きい豚の丸焼きや牛の大きな部位を切り分けていく。もちろん、いつものように骨にはたくさんの肉を残しながら。
「ほら、次持ってまいれ。まだまだ足りない。お客人がお待ちだぞ。」
綺麗な服のメイドたちが料理を運ぶ。料理人は部屋の入り口で采配をしているだけである。料理を出す順番はメイドたちには理解が及ばない。大盤振る舞いによる国王の威厳。
「クソ食らえ!」、である。
肉の切り分けが終われば、ようやく落ち着くのだが、国王とかはまだまだ忙しいのだ。肉の次は酒を振る舞わなければならない。
オレグは来賓の顔を見る事はできるが、ゆっくりと眺めて顔色を伺うことは出来ない。まぁ、その所為で晩餐会中は憂鬱にはなれない。顔色よりもテーブルに料理が在るのか、お酒が在るのか、を見て判断しなくてはならない。
「クソ食らえ!」、である。
おべんちゃらを言いに来る者があれば、にっこりとほほ笑まずに追い返す。
「クソ食らえ!」、である。
「あ~ぁ、煩わしい、……。」、である。
例え、この食事の時に国王暗殺の計画が語られても、聞き分ける事は出来ない全くの無防備になる一瞬ででもある。毒を盛られるのは堪らないから、料理人が出す物以外は口に出来ない。隣のテーブルにたくさん残っているからと、持ってくる貴族が居て受け取っても、決して口には出来ない。
こんな他人が来るような宴会では、銀食器で対応する。だが、銀食器の意味を理解する者は、気にもかけてはいないのが実情だろうか。この場の皆は同じ立場なのだから。
「陛下、陛下。少し不審な動きが感じられます。ここは、少し席を立たれたらいかがでしょうか。私が思いっきりワクスを零しまして、テーブルの料理を全部入れ替えさせます。」
ソワレというメイドは良く人を観察できるようだった。この一言は予想外にオレグの心に響いた。
「いや、俺がふざけた振りをして周りに掛けていく。お前は俺を制止させるようにして料理を床に落とせ。」
「はい、承知いたしました。」
オレグは来賓の者から笑われるのだが、気にせずにワクスをぶちまける。
「陛下、陛下。もうお止め下さい。陛下、・・・うわ~、すみません。私が料理を零してしまいました。直ぐに代わりをご用意させて頂きます。」
「おうおう、構わん、構わん。だが、俺は中座するからその間に頼むぞ。」
「はい、陛下。申し訳ございません。」
ソワレはこの料理を片付けて配膳する間に来賓らの顔色を伺った。笑わなくて、しかも口を歪めるであろう人物を探した。
「居た! ポーランドの国王の息子と、国王の側室だけが笑っていない。」
ソワレはすかさずメイドたちに命じた。
「この料理だけは別で保管なさい。決して払い下げてはなりません。全部私の部屋に運んで頂戴。」
「はい、メイド長。ご指示のようにいたします。」
ソワレは口だけでなく、メイドの行動にも目配せて、料理の行方を目で追っていたのだ。
「うん、大丈夫だ!」
「メイド長。」
「あ、これは私が食べるのではありません。可愛い子ブタに食べさせるのです。」
この意味はメイドたちも理解している。だが、今まで子ブタが死んだとも聞いた事は無かった。だからソワレは心配したのだった。もし、誰か少しでも隠し持ったのならば恐ろしい結果もあり得るのだから。
「はい、承知いたしました。」
「新しい料理は交代の者に運ばせますので、あなたたちは全員交代なさい。」
「はい、承知いたしました。」
料理が随時運ばれたので、ソワレは休憩中の国王を迎えに行く。
「陛下、ご用意が整いました。」
「ありがとう。少し遅れて行こうか。」
「はい、それがよろしいでしょう。」
「犯人は見つかったのか!」
「はい、ポーランドの国王の息子とお付の国王の側室でございます。」
「そうか、見送る時にきつく睨んでおくよ。」
「この二人には夜食として、引いた料理を飾りたてて運んでおきます。」
「死んだら困るだろうが。俺が返り討ちの毒殺にしてどうする。」
「はい、すみません。国王さまが毒殺を命じた事になりますね。」
「だから、持って行ってはっきり言えばいいのさ。」
「まぁ、なんと申しておきましょう。」
「そうだな、『お二人のお忘れ物です、』とででも言えば意味が通じるだろう。」
「はい、承知いたしました。『これは陛下からの差し戻しです。』と、追加で申しておきます。」
「ハハハ……。愉快じゃ。」
「うふふふ・・・。」
ソワレが少し含み笑いの声を漏らしてしまった。これを聞いたオレグは、(またしてもソワレの誘導に引っかかったのか!) と悔やむ。
「陛下、飲み過ぎでございますか。」
国王毒殺は、闇に流れた。そう、子ブタが死んだ……、悲壮な叫び声と共に。
*)犯人捜し
ひと波乱を起こしても良かったのだが、ここは『大人の対応で!』と、ソワレから言われた。国王毒殺は一人の家臣にのみ報告される。宮中に要らぬ憶測を侍らせて回る必要はない。この処置は当然王妃やその妹にも伏せられた。
テーブルを乱したことについて、『オレグは大声で申し訳ない、』と謝った。来賓の者たちは笑って、皆は口々に何かを言っているが、オレグは聞こうとはしなかった。
「クソ食らえ!」、である。
宴も後半になると、貴婦人は席を立つ。食べすぎた腹のベルトを緩めるためにである。だからこれらの事は着替え”によりカモフラージュするのが常である。この場の女性が皆々、同じようなゆったりとしたドレスに変わるのは普通なのか。
「おやおや、また一段とお美しくなられましたな。」
「まぁ、嬉しいわ。さぁ、飲みましょう。」
と、言ってコップを差し出す貴婦人。差し出されたコップを満たすべく、貴族はワインを注ぐ。
「それで、この春のライ麦の収穫はどうでしたか、・・・・・。」
「はい、この春が過ぎると息子も17歳に・・・・・・。」
縁談の打診が始まることもある。
「クソ食らえ!」、である。
開宴から二時間が過ぎたであろうか。大臣が国王の元に来て耳打ちをする。
「陛下、そろそろお時間でございます。」
「そうか、ソワレをあれの後ろに待機させておけ。会話を聞き逃すなと伝言を。」
「あれ? でございますか。」
「そうだ、あれと会話と言えば分るから早く行け。」
「はい、承知いたしました。
大臣はソワレに伝言を伝えるために、一度中座した。ソワレは国王の傍に居ればいいのだが身分も違うし、家臣が居ても場違いででもある。大臣がソワレに耳打ちをしてそれに頷いているのが横目で確認できた。ソワレはしっかりと国王の方を向いて見ている。意味が伝わったことを確認したオレグ。すぐに家臣が戻る。オレグと家臣の会話が改めて行われた。
「陛下。伝えてまいりました。」
「ああそうだな、……俺のせいで肉が無くなったのだな。」
「まぁ、喜んで居る者も多数ですが、今日は来賓の方々にはお詫びの言葉で締めて戴きましょうか。」
「それもテーブルの食材を早く払い下げないと、皆も腹を空かしているだろうし、これ以上来賓どもに食わせるのは忍びない。」
「陛下、お言葉が悪~ございます。もし態度にでも出ればなんといたしますか。」
「なに、いつもの事だろう。気にする輩は最初からここには居ないよ。」
「まぁ、それもそうでしょうが、出口に土産の品々をご用意しておりますれば、
私の指示にてお配りをお願いいたします。」
「恒例とはいえ、嫌じゃのう。」
「陛下!」
「……。」
オレグを叱責するように強い口調で言うのだった。
「ご来賓の方々様、申し訳ございません。私が料理をぶちまけたせいで厨房の料理までもが無くなってしまいました。つきましては長旅でお疲れでございましょうから、お部屋をご用意させております。ここはお休みして戴ければ、そのありがたいのですが。」
「お部屋にはワインと少しばかりのお夜食をご用意しております。」
と、大臣がオレグの後に続いて大きい声で述べている。
「はい陛下。今宵はご馳走をありがとうございました。」
皆々は億劫な感じで席を立つ。
ソワレはポーランドの国王の息子と国王の側室の女の後方に、白いテーブルクロスを折り畳んだ状態で持ち屹立している。連れが居る者は連れと話しながら席をたつ。相手が婦人ならば男が先に立って婦人の椅子を軽く引いている。オレグが観察できるのはここまで。
「さ、陛下。出口でお見送りを!」
「そうだな、しっかりと握手をして見送ろう。」
「はい、しばしの我慢を。」
「……うむ。」
オレグは来賓と握手をしながら、大臣から言われるままに来賓の代表に土産を手渡していく。引きつる顔が笑顔に見えるという芸当が身についた。
「クソ食らえ!」、であった。
最後の客を見送ってオレグは急いで元のテーブル席の椅子に座った。すぐさまソワレが傍に着く。遅れてソフィアがオレグに労わりの言葉を掛けに来た。
「陛下!」
「あぁ、ソフィア。今日はご苦労だった。二人して休んでくれ。なぁに、俺はこれから食い残した料理を頂くのだから。」
「まぁ、それ、本気で言っているのですか? でしたらお部屋に運びましょう。それとも、……。」
「いいや、今晩は疲れたから寝るよ。床掃除は勘弁してくれないか。」
「まぁ、ほんとに酔ってはおられないのですね。ご一緒いたします。」
「いや、ここは大臣と相談したい案件があるから、二人は休んでくれ。これは命令だ!」
「あ、はい。申し訳ございません。」
ソフィアはいつになく険しい表情の夫の顔を見たのだった。いつもは自分に対して優しい笑顔で居てくれるのだから。この表情の差は大きい。執務室では難しい顔をする時もあるのだが、ソフィアはいつもいつも執務室に行く事はない。部屋から出てくるオレグを自室で待つのが常だから。それでも難しい顔が今回はとても険しくなっていたのだろう。ソフィアに続いてリリーも退室する。
「ソフィアさま、リリーさま、申し訳ございません。お休みなさい。」
と言って、ソワレが頭を下げている。
「はい、ソワレ。オレグをお願いしましたよ。」
「ありがたいお言葉、痛み入ります。」
と、ソワレは頭を上げる事無く、さらに深々と頭を下げるのだった。ソワレはソフィア姉妹を見送ると急ぎメイドたちに命じた。
「あなたたち、ここは陛下や私たちの三人にして下さい。後で私が厨房へ参りまして指示を出すまで、入室してはなりません。」
「はい、メイド長。承知いたしました。後はお願いします。」
「あ、ごめんなさい。……他の者にも伝えて頂戴。」
「はい、失礼いたします。」
メイドたちが出て行く。ソワレは念のために会場入り口に、入室禁止の札を掛けるという徹底ぶりだ。そうして屋内の扉の前にも椅子を置いてしまった。
「これでよろいいでしょう。陛下、」
「大臣、どうだった、あの二人の素行は。」
「はい、私にはこれという仕草は見せませんでしたが。」
「だろうな。それで、ソワレは何か二人の会話が拾えたか。」
「はい、一言で申せば、『残念だった!』でしょうか。毒を仕込んだ方法の手口が判りませんが、どうしてばれたのか、怪訝そうに話していたようにも思えます。ですが、故意に主語を省略しておりまして、私からはそれ以上の判断が出来ません。」
「そうだろうな、ばれるような方法ではなかったのだろうが、ソワレが良く気づいてくれたから俺が生きているのだろう。だから嬉しいぞ。」
「はい、お役に立てて光栄でございます。」
「陛下、ではあの二人はいかがいたしますか。帰りの道中で野盗を差し向けるのも、一考かと。」
「そんなことはよしてくれないか。国としての対応が疑われる。やるなら他国でやってくれ。他に何か手はないのか!」
「はい、あの二人の部屋には、あの部屋”を宛がいました。聞き耳が出来ます。」
「ならば早く行け、聞き漏らすなよ。……大臣。」
「はい。直ぐに。」
「ソワレ。このような宮廷の裏側で、さぞかしがっかりしただろうな。」
「いいえ、いたって普通かと思いますが。」
「ワハハハ……。これが普通だと言うのか、ソワレこそ異常だとも、そうさ。ワハ、アハハ~!」
「そう、何度も笑わないで下さいまし。本当にバカにされたようで、気分がよろしくはありませんわ。」
「すまん、すまん。だが、ソワレ。ここに来るまでどこに居たのだ。」
「内緒でございます。お話は出来ません。」
「私、お腹が空きました 、これ、頂きますので怒らないで下さい。」
「おうおう、食え。そうして、なにかヒントを考えてくれないか。銀の器には異常が見られなかったから、肉の内部に仕込んだのか。」
「はい、先ほど下げさせました料理を再現させております。なにぶん、ブタさんが即効で死んでくれたのならば判断が出来ますが、こればかりはどうしようも。」
「ないわな。当然だろうさ。肉は一口で食べるものではないから、一口で口にするものはこの中では何になる。」
「鵞鳥のゆで卵でしょうか。柔らかいので中に入れるのもたやすいでしょうし、手で隠せる大きさででもあります。」
「そうか、まだ卵が残っているのであれば、また子豚に食べさせてやれ。」
「はい、しかと。」
「気になっているのだが、その下げた料理はメイドはくすねてはいないだろうか。自分では食べなくても、家族に持って帰るとかしてはいないか。」
「はい、その点はしっかりと見極めておりますゆえ、ご安心ください、」
「では、ソワレ。探りに何かを持って行ってやれ。反応を見たい。」
「そうですね、国王さまからのルームサービスとか、普通ではありませんもの。」
「普通でない者が言うのだ、いたって普通に聞こえるから、やはり普通か。」
「はい、ご来賓の皆さまには明日の朝食をお部屋に運ぶように手配いたします。」
「あぁ、よろしく頼んだよ。」
「はい、暗殺を阻止できたと安心した時こそ、一番気を引き締めるべきですから。ここは来賓の方とは接触されない方が,……一番でございます。」
ひと呼吸おいて話すソワレに畏怖すらを感じる。
「おい、ソワレ。あまり得意になって慢心するなよ。」
「あ! すみません。以後、気を付けます。」
「……あぁ、そうしてくれ。お前の事も心配だからな。」
「……はい、ありがとう存じます。」
ソワレは自分の事まで心配させたという思いで、至らない己を恥じてしまった。やはり陛下に仕える事が出来て良かったと思う瞬間になった。