159 管理者
カインに勝つための、唯一の希望であるクレアは消えた。
残された氷葬剣は地面に突き刺さり、氷の結界が俺とカインを除く全員を守る。
これがクレアの残していった最後の置き土産。
他人を守ることには意識を割くことなく、敵を倒すことだけに集中できる環境を整えてくれた。
クレアは言った。後を託すと。
彼女がいなくなった今、カインを倒せる可能性があるのは俺だけだと。
だが、どうやって勝つ?
カインの実力はイフリート以上。
勝てる見込みなど見つからない。
いや、違う。考えるんだ。
俺がこの強敵に打ち勝つための術を探し続けろ。
俺は策を考える時間を稼ぐためにも、カインに問いかける。
「……どうして、俺たちには転移魔法が発動されない?」
「先ほども言ったであろう。管理者たる我が、このダンジョンの仕組みを一部変えたのだ」
「お前はダンジョンを神が生み出したものだと言った。そんなものを、管理権とやらで好き勝手操れるものなのか?」
「無論、全てを掌握できるわけではない。今の転移魔法に限ったとしても、ダンジョンボスが討伐された後、部屋にいる全員を排除し、本来の形に復元されるという元々のシステムを一部上書きしたに過ぎん」
「…………」
「そしてその結果、先ほどの現象が発生したのだ。ひとたび確定されたシステムは、もう二度と変更できん。ゆえに貴様たちが地上に戻りたければ、管理者たる我を殺し、ダンジョンそのものを消滅させるほかないということだ」
カインが死ねば、ダンジョンが消滅する。
つまり管理者とは、迷宮崩壊時におけるラストボスに近い存在なのだろう。
全員で地上に戻れる方法があることに一縷の希望を抱くが……問題は、それを成し遂げるのが不可能に近いということ。
会話をしながらも思考を働かせていたが、カインを倒すための策はとうとう思いつかなかった。
絶望は、それだけではなかった。
「……ッ、これは!」
地面の凹みが。燃え尽きた草花が。蒸発した池が。砕け散った天井が。次々と修復されていく。
ボス部屋が元の形に戻る光景を、俺は初めて目にした。
ものの数秒後、俺たちがここに足を踏み入れた時と全く同じ光景がそこには広がっていた。
それはすなわち、宮殿を照らす数十の炎も復活したという意味であり。
それらは一か所に集まると、炎の怪物――イフリートへと変貌する。
「……冗談、だよな?」
絶望の上に絶望を重ねるような状況。
思わず言葉を失う俺を見て、カインはあざけるように笑った。
「残念だったな、弱者よ。貴様は時間稼ぎを狙っていたようだが、我はそれを理解したうえで乗ってやっていたのだ」
「なぜ、イフリートが復活するんだ!」
「これは呆れた。この場にはまだ攻略者たる貴様らが存在しているではないか。それを排除すべく、ボスが再出現するのは道理であろう」
「ッ」
否定したい気持ちが湧き上がる。
が、今となってはもう、そんな理屈はどうでもいい。
問題はカインとイフリートが束になってかかってきたら、今度こそ本当に勝ち目が0になるということ。
ギリッと歯ぎしりをする。
そんな俺の前でイフリートがとった行動は、予想外のものだった。
『グォォォォォ!』
「なっ!」
炎の剛腕を振り下ろすイフリート。
驚愕したのはここから。
イフリートが狙ったのは俺ではなく、カインだった。
「血壁」
カインの前に現れる、分厚い一枚の壁がその一撃を受け止める。
爆発音が鳴り響き、辺り一帯に凄絶な熱波が拡散した。
イフリートの一撃をやすやすと防いでみせたカインは告げる。
「驚いたか? 面倒なことに、ボスはひとたび出現してしまえば、管理者たる我をも見境なく攻撃してくる。宮殿の中にいれば話は別なのだが……何はともあれ戦いの邪魔をされては面倒だ。ひれ伏せ」
『グルォォォォォ!?』
カインの手から、数百本の細い糸がイフリート目掛けて伸びていく。
鮮血の糸はイフリートの体に絡みつき、その巨体を地面に押さえつけた。
身動きの取れなくなったイフリートは、苦悶の悲鳴を上げる。
「さて。これでもう、戦いの途中に邪魔者が乱入するという、つまらぬ事態にはならんだろう。イフリートに貴様たちを殺させてもよかったのだが……せっかくの機会だ。異世界人の貴重な経験値は我自らが獲得することにしよう」
「……チッ!」
どうやら、余興はここまでのようだ。
深紅の魔力を体に纏ったカインは、じっとこちらを見つめる。
そして、
「さあ、蹂躙の時間だ」
絶望の戦いが、今、幕を開けた。
次回は明日の12時予定です。