158 別の世界
「「「――――――ッ」」」
カインと名乗る男から発せられた言葉を聞き、全員が驚愕に目を見開く。
それはクレアであっても同様だった。
「異世界の存在? 本気で言っているのですか?」
「当然であろう。いや、貴様も本当は気付いているのではないか? 自分と我が纏う魔力が大きく異なることに」
「……仮にそれを信じるとして、なぜあなたはこのような所にいるのですか? この異質な空間を含め、不可解な点が多すぎます」
「決まっている。このダンジョンの発生時に管理権の一部を上書きし、管理者として君臨しているだけのこと」
カインの発言に、俺は違和感を覚えた。
今の言い方だとむしろ――。
同じことをクレアも疑問に思ったのだろう。
眉をひそめて尋ねる。
「あなたが、このダンジョンを生み出したわけではないのですか?」
「当然であろう。それは神の領域だ。我々に再現できるものではない」
管理権、管理者、神。聞き捨てならないワードが次々と出てくる。
カインが言う神というのは、システム音のことだろうか?
ダンジョンのシステムを支配する存在には意思があると、そうカインは考えているのか?
そもそも異世界とはなんだ?
その世界におけるダンジョンの立ち位置とは?
今ある情報だけではまだ何もわからない。
それでも俺たちは今、間違いなくダンジョンの真理に少しずつ近付いている。
だけど、その知識欲を満たすよりも先にするべきことがあった。
カインは言った。このダンジョンの管理権の一部を上書きしたと。
管理権が具体的にどのようなものかは分からない。
けれど、分かっていることが一つだけある。
少なくとも俺以上の実力を誇るであろうカインが、イフリートによって殺されかけていた俺たちを、何もしないまま見届けていたのは確かな事実で。
「そうですか。他にも色々と訊きたいことはありますが、これだけは教えてください」
そんな前置きの後。
クレアは言った。
「おまえはなぜ、この世界にやってきた?」
それは本当にこの少女から出たのか。
そう疑いたくなるような声だった。
イフリートに向けた、鋭くも凍えるようなそれとはまた違う。
怒りと憎しみに満ちた響きをしていた。
しかし、その迫力ある問いかけに対してカインは動じない。
それどころか、大きく口角を上げた。
ここまで抑え込んでいた感情を解放するかのように。
「クハッ、クハハハハ! よくぞ聞いてくれた! 我らが目的はただ一つ! ダンジョンを媒介としてこの世界に精鋭を送り込み――」
そして、告げた。
「――世界中の人間を殺し、この世界を支配することだ」
ドンッと。
カインの魔力が膨れ上がる。
威圧感が、イフリートと同等の水準まで上昇した。
それはすなわち、カインが臨戦態勢に入った証拠であり――
「くそっ!」
俺は反射的に無名剣を構えた。
しかし敵の動きは速く、カインの周囲には瞬く間のうちに、十を超える鮮血の魔法陣が展開される。
だが、それさえも上回る存在がいた――クレアだ。
「させません」
「ッ!?」
冷徹に、冷酷に。
薙ぐようにして振るわれた氷の刃から幾重もの斬撃が放たれる。
全ての魔法陣が一瞬で両断され、発動を防がれる。
それを確認したクレアは、直接カインの首を狙った。
「はあぁッ!」
「チィッ! 血壁!」
カインがそう唱えると同時に、両者の間に血の壁が10枚以上出現する。
一枚斬っていくごとに勢いは衰え、最後の一枚となったタイミングで剣の動きは完全に止まった。
クレアは不満げに目を細めた後、反撃を嫌ってか後方に飛びのく。
「……今のを防ぎますか」
「我が自慢の血壁をやすやす切り裂いておきながら、その物言いか」
「ほかにもまだ手はあるのでしょう?」
「さて、どうか」
睨み合う両者。
その傍らで俺が抱いた感情は――安堵、だった。
だってそうだ。
カインは強い。少なくともイフリートと同等以上だと考えたほうがいい。
それでも、今の攻防を見ただけで分かった。
カインよりもクレアの方が圧倒的に強い。
俺一人ではとても敵わない相手だったとしても、クレアならきっと打ち勝ってくれるはずだ。
だから安堵したんだ。
思ってしまったんだ。
俺がこの強敵を倒す必要はない。
クレアをサポートし、後ろにいる華たちを守るよう立ち回るだけで、全員が救われるはずだって。
だけど。
本当の問題はここからだった。
クレアとカインはただ向かい合っているようにも見えるが、その間にもお互いに次の攻撃の手を探りつつ、魔力を高めていた。
纏うオーラはクレアのほうが圧倒的に上。
それを見たカインは小さく笑う。
「なるほど、恐ろしい力だ。イフリートに向けていたものですら、その一端に過ぎなかったか。このまま戦ったところで今の我に勝ち目はないだろう――だが残念だったな、時間切れだ」
「時間切れ? いったい何を言っ――ッ!?」
「なっ!」
直後に起きたその現象を前にして、クレアと俺は驚愕に目を見開いた。
それほどまでに信じられない――否、信じたくない光景だった。
クレアの体を包み込む淡い光。
それはダンジョンから地上に帰還するための転移魔法が発動される合図。
ダンジョンボスであるイフリートを討伐したのだ。それ自体は不思議なことではない。
信じられないのはそこからだった
俺は冷静さを失ったまま叫ぶ。
「どうして、クレアだけに転移魔法が!?」
そう。今、淡い光に包まれているのはクレアだけ。
俺や他の者たちに、その現象は起きていないのだ。
このままだとクレアだけが地上に帰還することになる!
ありえない。ありえない。ありえない。
理解できない光景に頭がパンクしそうになる中、カインは告げる。
「事前に保険を用意しておいたのが得策だったな。管理権を用いて仕組みを書き換えておいた。帰還するのは、ダンジョンボスを倒した者ただ一人――つまり貴様だけということだ」
「ッ!」
そんなことが可能なのか?
いや、思い出せ。
確かにイフリート討伐時、俺の頭の中には経験値獲得を示すシステム音しか流れなかった。
ダンジョンを攻略したという音声は流れていない!
カインの持つ管理者としての力に驚愕する。
が、その驚きは一瞬で消え失せた。
そんなことよりも今、大切なことがあったから。
カインは強い。イフリートよりも。
そして奴には俺たちを殺す意思がある。
そんな状況で、クレアがいなくなってしまったら――!
「クレア!」
だから俺は手を伸ばした。
消えないでくれと、そう縋るように。
「――――ッ」
クレアは氷葬剣を強く握りしめたまま、戸惑いの表情を浮かべていた。
しかし次の瞬間、なぜかその蒼色の双眸を大きく見開く。
「……え?」
そして、彼女は俺を見た。
今この場において、あまりにもちっぽけな存在である俺を。
そんな俺を見て、何を思ったのか。
クレアは氷葬剣を地面に深く突き刺した。
そして唱える。
「氷葬領域」
展開される魔法陣。
氷の結界が、俺、クレア、カインを除く全員を守るようにして展開された。
そして彼女は最後に、俺を見て小さく呟いた。
「――託します」
そう告げた後、光の輝きが急激に増す。
そして光が収まった時、そこには誰もいなかった。
カインに勝つための、最後の希望が消えたのだ。
行き場を失った手が、ただ宙に留まる。
呆然と立ち尽くす俺を見て、カインは同情するような声で言った。
「力の劣る者たちを守る氷の結界か。それから排除されたのは我と貴様のみ。愚かなものだ、このような弱者に後を託すなど。言っておくが、助けを求めようとはしない方がいい。これ以上救援が来られては厄介だ。あの女が来た時点でゲートは閉じさせてもらった。貴様たちは抗うこともできないまま、我に命を奪われるのだ」
「…………っ」
赤色の眼光で俺を睨むカイン。
たったそれだけで、心臓が止まってしまうような衝撃を覚えた。
後ろからは、氷の結界に阻まれているせいか、くぐもった声が幾つも聞こえてくる。
氷を隔てたその場所に、華たちがいる。
大切な人たちがいる。
「……俺しか、いない」
かくして、この場にいる全員の命は、再び俺に委ねられた。
相対するは、先ほど敗北を喫したイフリートをも上回る存在。
そして、俺は挑むことになる。
勝てる可能性なんて一切ない、絶望との戦いに。
本番開始。




