6.今夜は枕を濡らすぜ
山賊頭オロと僕が同時に硬直した。
どうやらステッペンウルフのアジト急襲作戦は、本当に空回りだったらしい。だってバニラを誘拐した首謀者、山賊頭オロは、なぜかアジトの洞窟からそこそこ離れた位置である、僕の目の前にいるのだから。
やっべ……。アキレス腱切っちゃったこと、怒ってるかなぁ……。
「……」
「……」
ひげ面で体は大きく、魔獣の革で作られた頑丈な服を着ている。両腕の筋肉はビキビキで、右手には戦斧を握りしめていた。
あらためて見ると、すんごい強そうだ。
ちなみに小型犬豆柴種タイプのコボルトである僕は、彼の膝までの背丈したかない。
僕は媚び媚びの表情で可愛らしく鼻を鳴らし、首を傾げながらつぶやいてみた。
「クゥ~ン……ゆるちて?」
「てめえ、コボルトォォォォォ!」
あばばばばば、声が怖い。やっぱめっちゃ怒ってる。
僕は一か八か、精一杯の笑顔を彼に向けて挨拶をする。笑顔は世界を平和にするって、シュシュも言ってたもの。
「コ、ココ、コンチワワ。イイ天気デスネ」
「てめ、この俺様を虚仮にして笑ってやがんのかァァ! このまま逃げちまうつもりだったが、てめえだけは殺すッ!!」
「ですよねぇぇぇぇッ!?」
風を切って振り下ろされた戦斧を、僕は出土されたばかりの長芋のようなポーズでかろうじて躱した。
「ぴゃぁ!?」
ろくに手入れもされていない欠けた刃が地面に突き刺さる。
あまりの恐ろしさに膝を震わせながら転んでしまった僕を見下ろして、山賊頭オロが再び戦斧を振り上げながら走り出――そうとして、前のめりに顔面から転がった。
「うがっ! 痛……く、くそがァァァ!」
そっか。アキレス腱が片方切れちゃってるから、うまく走れないんだ。
今なら逃げ切れる――!
僕はミラクルダッシュでオロに背中を向けて走り出した。その僕の背後から、オロが鬼の形相で斧を振り回しながら追ってくる。
「てめえのせいで何もかも終わりだッ、クソ犬がぁぁッ!」
「ひぇ! 自業自得でしょうにー!」
怒りが痛みを上回っているのか、あるいは痛み止めの魔法でもかけたのか、右足を引きずりながらも、オロは徐々に僕へと迫ってくる。
僕は逃げた。全力疾走で逃げた。なのに、振り切れない。あの凶暴なオッサンを振り切れない。
「絶対にッ、ゼハァ、うぐぅっ! て、めえだけはぁぁッ、ブハァ、オエッ! ぶっっごろずぅぅ!」
顔怖っ!?
「ゼエ、ごぶっ、ま、待ぢやがれぇぇぇ~~~~~っ!! えぐっ! ゲハッ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃ!」
ええい、前足も使って四足歩行にした方が速い! 逃げるぞ! 僕は逃げる! 逃げて逃げて逃げて、絶対にカラクサ村に帰るんだい!
もう森のどこをどう走ったか、僕自身もわかんない。必死過ぎて方角もさっぱりで。
けれども気づけば僕は、オロに追われながらも開けた場所に転がり出ていた。背後からは顔中からあらゆる汁という汁を噴出させながら、戦斧を振り回すオッサンが迫る。
「わぁっ!? あ、痛っ!」
躓き、頭から転がってしまった僕へと迫って。
けれど勢い止まらず、オロもまた倒れた僕に蹴躓き、顔面から地面に豪快に転がった。
「ブハー、オェ、ゲボ、ハァ、ハァ、ハァ! ぐ、ぢぐじょぉ!」
僕は大慌てで立ち上がる。
よ、よかった! シュシュと野山を走り回って遊んでいたから、体力だけは僕の方があるぞ! 片足を潰しておいたのも、結果的に功を奏した!
逃げるなら今しかない――っ!
再び逃走しようとした僕の目の前に、今度は猫耳の美少女が、茂みからひょっこりと顔を出した。
視線が合う。合ってしまう。
心臓がヤバい感じにドキュ~~~ンと跳ね上がった。
「ニャン?」
「ぴぇぇぇぇ!? ショ、ショコラちゃ――」
しまったぁぁぁ!
でたらめに逃げ回ってるうちに、川下の方角に走ってきちゃってたみたいだ! ショコラさんに見つかってしまったんじゃ、カラクサ村まで逃げる計画はパァじゃないか!
「ありゃりゃ~ん? プティちゃんじゃん。あんた、川上の方を捜索してたんじゃ――って、そいつが山賊頭のオロ?」
「う、うん」
「プティちゃんったら、コボルトなのにたった一体でもうオロを倒しちゃったの!? えっ? えっ? ……どうやって? すごすぎない?」
や、これは走り回ってたから疲れて動けなくなってるだけで……。
「そ、それはね――」
「あ、ちょい待ち。とりあえず先にオロを縛っとくわ。暴れられたら面倒だし、ヘバってるうちにね」
「う、うん」
地面で両手両足を伸ばし、仰向けで荒い息をしながらぐったり倒れているオロへと飛びかかり、ショコラ少尉が手早く戦斧を蹴ってから、肉体を縄で縛る。
「ほ~りほり、おとなしくしな~!」
「ぐ、ぐぅ、ちきしょう! ちきしょう! コボルトに切られたこの足じゃもう戦えねえから、俺はただ仲間に内緒で故郷に逃げ戻ろうとしただけだったのにッ!!」
へっ!? ありゃりゃ? だからオロは、あんなとこにいたの!?
なんか親近感湧くなあ~。
けれどショコラさんは容赦しない。
「はいは~い。猿ぐつわ噛ませますよ~。そんなどうでもいい言い訳はぁ、獣人裁判まで取っといた方がいいわよん? うまくすれば、人間国との人質交換で帰れるかもだし?」
ちょっと縛り方がHな感じだけれど、これでオロは身動きが取れないだろう。オロったら頬を赤らめてるし。
僕はようやく安堵の息をついた。
けれども、任務中に逃走する計画は破綻してしまった。カラクサ村には帰れない。これからのことを考えると、ちょっぴり気が重いや。
そんな僕の思惑なんて知りもせず、ワーキャットのショコラさんは苦笑いで勝手なことをつぶやくんだ。
「しっかし、首級までプティちゃんに取られちゃったかい~。あ、報告書には、洞窟にバカ正直に突撃したやつらとは違って、ワーキャットのショコラもちゃ~んと手伝ったんだよーって書いといて、ね? 川上と、川下の二択だったんだよーって、ね♥」
パチン、と可愛らしくウィンクをしながら。
「や、そんな、僕はほんとに何も。ショコラさんが捕まえたことにして――」
「謙遜はなしなし。けどあんた、さすがだねえ。半獣女神様の推薦で特殊部隊ステッペンウルフに無理矢理ねじ込まれただけのことはあるよ。コボルトだってーから、正直最初は実力を疑ってたけど。――こりゃあ、小隊長は決まりかね」
あはは、ご冗談を。
さすがにボンボンさんは正しい決断を下してくれるだろう。なんたって、獣人国の執政官を長年勤めてきたやり手だしね。
常識的に考えて、ワーウルフさんやワータイガーさん、ワーキャットさんたちの上に、僕のような下位魔族の中でもさらに小型犬タイプのヘッチョイだめだめコボルトが立つだなんて烏滸がましいこと、あり得ないもの。あり得ないもの。
そう、思っていました……。祈るような気持ちで……。
※
僕はこの日、半獣女神バニラを誘拐しようと画策していた人間国のスパイを逮捕した英雄として、獣都ビスキュイに凱旋帰国させられることとなってしまった。
そしてボンボンさんから正式にこう言い渡されたんだ。
――プティ殿、貴公を特殊部隊第一小隊ステッペンウルフの小隊長に任命します。
獣人軍に入隊して、初日。
僕はその日のうちに正騎士となり、異例の早さで小隊長にまで昇格してしまった。
僕はビスキュイ城の与えられた一室でひっそり枕を濡らした。
とってもホームシックな気分だった。
しょせんは畜生脳。




