5.今夜も帰してもらえそうにないぜ……
かくして、特殊部隊ステッペンウルフの初任務は顔合わせの流れのままに遂行されることになった。
王都ビスキュイの執政官、ワーベアのボンボンさんからの情報では、山賊団のアジトは、ビスキュイから若干西に出たところにある森の大きな洞窟らしい。
僕らステッペンウルフは足音もなく迫り、すでにその入り口に立つ斧や剣を持った人間の見張り三名を、森の茂みから眺めていた。
や、ここに来るまでに、逃げようとはしたんだよ……。
速さを競うように走るステッペンウルフのみんなからわざと遅れて、ついて行けなくなったという体で、そのまま行方不明になるつもりだったんだ。
なのに、ワーキャットのショコラさんが、なぜか僕の後ろにぴったり張り付いて、離れてくれなかったんだ。
獲物を見るような猫の瞳が、常に僕の背後にあったんだ。
僕はまるで、猫に追われるネズミのような気分だった。心なしか、ハァハァって息づかいが聞こえてるし。
「……あ、あの……ぼ、僕に何か……?」
「んにゃ? にひひ、あたしのことは気にしなぁ~いで?」
もしや、敵前逃亡しようとしていたのがバレてる!? だとしたら軍法会議ものだ!
そんなわけで僕とショコラさんは、モウコのおっちゃんやワーウルフ兄さんたちに遅れることしばらく、山賊さんたちの根城に到着してしまったというわけさ。
つかショコラ姉さん、僕の後ろでずっとニヤニヤしてて怖いんだけど。
身を低く潜めたまま、モウコのおっちゃんが全員を振り返ってつぶやく。
黄色と黒の縞々顔を、あくどい感じに歪めて。
「さぁて、ええか、ワンちゃんたち。こっから先は恨みっこなしの早いもん勝ちや。山賊頭の首級を挙げたもんが、ワシらのリーダーっちゅうわけや」
その宣戦布告とも取れる発言に、ワーウルフ兄さんたちがすごむ。
「ウオゥ!」
「気合いを入れろ、狼の同胞よ!」
「グルルルル……ッ」
「クック、あんたこそ恨むんじゃあねえぜ、虎公」
「こっから先は無礼講。年長者も元階級も関係なしだぜ」
「クゥ~ン……」
もちろん最後の声は僕だ。
嫌だよ。僕は絶対に突入なんてしないぞ。怖いヒトたちがいっぱいじゃないか。
なのにショコラさんは、やっぱり僕をじっと見ていて。
こ、このままじゃ逃げられない。と、突撃が始まっちゃう。
「よっしゃ。ほな、今回の号令だけ年長者のワシがやらせてもらうで」
「チッ、しゃあねえな。最初で最後の号令だ。好きにしな、虎公」
あわ、あわわわわわ! ぜ、絶対に行かないからな!
ワーウルフ兄さんたちとモウコ中尉が、同時に膝を曲げて前のめりの体勢を取った。
「ならず者どもの喉笛を噛みちぎれや! ――ステッペンウルフ、突撃じゃボケカスコラァ!!」
突撃の号令、ガラ悪ぅッ!?
僕の周囲の獣人さんたちが、咆哮すると同時に一斉に地を蹴った。
それは黄色と黒の人虎を先頭にして、暴風のような速さで洞窟入り口を守る見張りの人間三名に迫り、彼らが視線を向けた瞬間にはもう通り過ぎていた。
最後の一体が洞窟内へと消えた後になって、見張りの人は膝を折ってその場に倒れる。
「わあ、みんなすごいや」
で、僕は一人取り残された。
「……」
だから帰ろう~っと、後ろを向いたら。
猫耳の猫尻尾の女性が、猫科独特の瞳で僕のことをまだ眺めていた。
にっこにこしながら。
「ひ……ッ!? ショ、ショコラさん!?」
「ん~っふふ。あたしのことはショコラって呼び捨ててくれていいのよん?」
ヤバい、ほんとに何なの、このヒト……。なんで突撃しなかったの……? これはやっぱり……完全に僕のこと疑ってる……?
「あ、あの、あわ、あわわわ、や、あの~ですね!」
「どうしてキミは突撃しなかったのかにゃ~? にっひっひ!」
だめだ。僕ももう行くしかない。涙が止まらない。
仕方なく踵を返そうとしたとたんに、ショコラさんが両膝を折って僕の視線の高さまで屈み込んだ。
悪戯猫の瞳で。
「知ってるよ~? 隠形のコボルトくん。キミは一度敵の首魁、山賊頭オロと接触してるんだよねえ?」
ねっとりとした口調に、僕は気圧される。
山賊頭オロ。バニラを狙って馬車に踏み込んできたあの男がそうだ。
「闇雲に突撃なんて無駄なこと、バカのやることだよねえ。顔も知らない敵の首級をどうやって挙げりゃいいのって話でさ? 皆殺しなんて疲れるだけだしィ?」
「そ、それでずっと僕についてきていたの?」
ショコラさんが口の前で拳を合わせて、にっこり微笑む。
「うんにゃ? それはキミの後ろ姿がとってもプリチーだったからネ! 尻尾なんて上げちゃってもー! きゃわいい!」
ファ~ック! 豆柴のお尻が可愛らしいばっかりに、逃げ時を失ってしまった! 僕は僕のプリチーさが憎い! 魅惑の豆柴ボディめー!
「虎のおっちゃんも狼くんたちも、確かに獣人の中じゃ強い方だよ。でも洞窟の山賊を全滅させたって、どれが頭かわかんない。全員、城まで運ぶつもりなの? ほ~んと、犬ってのはバカ。……あ、キミのことじゃあにゃいよ? ス~リスリ!」
虎は猫科じゃないかな~と思ったけど口には出さなかった。
ショコラさんが僕のプリチーボディに頬をすり寄せながら、魅惑の上目遣いで囁く。
「で、山賊の頭ってのはどこにいるんだい?」
「へ? え?」
「とぼけたってダメよん? だって、バカどもと一緒に行動しなかったってことは、そういうことだよねえ? ニ・オ・イ、覚えてるっしょ?」
な、何か勘違いをしていらっしゃる。
スリスリ、スリスリ、頬を僕の頬やお腹にこすりつけながら、ショコラさんが甘えるような声で囁いた。
「にゃあにゃあ、手柄は二人で分けようよ、にゃ♥」
僕はショコラさんに好き放題モフられながら考える。
待てよ?
これは……考えようによっては、ステッペンウルフから逃げることのできる最後のチャンスかもしれない。
ショコラさんはとっても素早いワーキャットだけど、今の雰囲気でなら僕が何を言ったとしても信じてくれそうな気がする。
そう、例えば。
森のどこかで山賊オロのニオイが途切れたと言って、ここらへんで二手に分かれて一帯を捜索しよう、とか。
森で手分けに成功したなら、もうカラクサ村まで一目散に逃げ切る自信がある。
「モモモモフフ、モモフフ、んん~、むっはー! プティちゃんったら思った以上に気持ちーね!」
「ショコラさん!」
「ショコラでいいってばぁ。言いにくかったら、ショコラちゃんでもいいわよん」
僕はグビっと喉を鳴らして唾液を飲み下し、真剣なまなざしで嘘をつく。
「フ、その通りさ……。さすが猫科だね、それを見破るだなんて」
「やっぱり~!」
ぴょん、とその場で跳ねて両手を合わせて喜ぶ姿が可愛らしい。
「うん。山賊頭の名はオロ。そして僕はオロの臭いを覚えているんだ」
「で、その臭いはあの洞窟からはしていない、と?」
「うん! 絶対にそうさ! 嘘じゃないさ! 完璧にそうさ! あそこからは、まったく臭ってないさ! 本当さ!」
ショコラさんと僕が見つめ合う。
「……」
「……」
沈黙怖っ!!
「んにっひっひ。…………んじゃ、あたし、キミのおこぼれに預かってい? お手伝いしたってことで、副隊長でいいしー!」
通ったぁぁぁぁぁ! よし! 帰れる! カラクサ村に帰れる! 愚かな猫科めー!
「いーともさ! 僕は男の子だ! 女の子を無意味に危険になんてさらせないもの! もーね、あんな洞窟になんて突撃しちゃだめだよ! 危ないよ!」
「にゃ~ん、ステキ。猫科でも、キミのこと好きになってい?」
ショコラさんが冗談っぽく体をくねらせて、猫をかぶる。
僕は何も深く考えずに、自分のモフモフの胸を前足でポスっと叩いた。
「いーともさー! どんとこいさー!」
……後にこの発言が、バニラを巻き込んで物議を醸し出すことになるとは、このときの僕には知る由もなかった……。
だってそうだろ。僕、コボルトだよ。魔族で言えば、最低位だ。で、彼女はワーキャットで、上位魔族だもの。誰だってただのお友達だと思うさ。
まあ、それはいいや。
そんなわけで、僕とショコラさんだけが洞窟から離れて森を南へと下って行った。なんで南かというと、カラクサ村があるのは北西だからだ。回り道だけれど、反対方向に来た方がステッペンウルフの捜索網から逃れられやすいはずだ。
しばらく歩いて、十分に洞窟から距離を取った僕は、あえて臭いが消えた演技をする。ちょうどいい具合にせせらぎなんかが流れていて、臭いでの追跡を消すには絶好の場所だったこともあり。
「む! むむ! あるぇー? オロの臭いが消えちゃったぞぅ?」
「んにゃ? 臭いが消えたってことは、たぶんこの小川を歩いてったんだね」
僕は短い前足をモフモフの胸で組んで立ち止まる。
「やー。これは困ったぞー。川上に向かったのか、それとも川下に向かったのか、僕にもわっかんないやー。あー、困った、困ったなー」
くっく。完璧だ。僕の計画に、演技に、なんら抜かりはない。
「しゃあないねえ。手分けするしかないか。川上か川下かは、キミが決めていいよ」
くっくっく。信じてる信じてる。僕のことを完全に信じてる目だ、これは。
だけど、行方を眩ますならやっぱりまだ僕は南方に消えたと思わせた方がいい。川上に向かうと思わせといて、すぐに小川から上がって北西に向かうんだい。
「じゃあ、僕は川上に向かうね」
「おっけー。んじゃ、あたしは川下。あん、何かあったら大声で呼んでね~ん?」
「うん! もちろんさー! 僕は小さくて戦うのがとっても苦手だから、ショコラちゃんを呼んで呼んで呼びまくるからねっ!!」
尻尾が左右に揺れてしまう。
それを見て、ショコラさんは満足げにうなずく。
「じゃ、また後でね~。危ないことしちゃだめよん?」
「うん! 危ないことなんて絶対にしないさー!」
なんたって僕は、キミの姿が見えなくなった瞬間に一目散に逃げるつもりなんだからね。
ごめんね、ショコラちゃん。僕を信じてくれたのに。
でも、僕の心はまるで痛まないのさ! なぜならあの平和で楽しいカラクサ村に帰れる喜びが、軍規を犯す罪悪感より遙かに勝ってしまっているからね!
ショコラさんの後ろ姿が、北方、川下へと消えていく。猫だからか水に入らないよう、ぴょんぴょんと飛び石を器用に跳ねているのがすごい。
そして両手を振りながら彼女を見送った後、僕は北西に視線を向けた。
「さて、カラクサ村に帰るかぁ~!」
「さぁて、人間領域に帰るかぁ~!」
声が重なる。
野太い声と、僕の声が。
ギョッとして声が聞こえてきた方の茂みに視線を向けた僕の視界には、なぜか斧を持った山賊頭オロの姿がたった一人であったのだった。
「……」
「……」
で、目が合った。
僕は思った。
死んだわ、これ。
何でおんねんボケカスコラァ~ン……。