4.いきなり任務に従事させられる
特殊部隊草原の狼――。
日頃より激しい鍛錬を積み、厳しい試練に挑み、それらすべてを乗り越えて、且つトップクラスで駆け抜けてきた獣人のみで構成される特殊部隊。
時に戦場にて先陣を駆け抜けて風穴を空け、時に闇に紛れて要人を暗殺し、時に身を挺して王族・神族を守る。
さらに、独立自由部隊であるため、それらの判断はすべて部隊長に一任される。
右上を見上げても左上を見上げても、ほとんどがワーウルフさんだ。
というか、怖くて視線が上げられない。
特殊部隊第一小隊ステッペンウルフの顔合わせは、獣都ビスキュイの最北端に位置するビスケット城の一室で行われていた。
ワーウルフさんは獣人の中でも、力と速度の両方を兼ね備えた上位種なんだ。そりゃあ、力はワーベアさんに劣るし、速さではワーキャットさんほどじゃあない。
けれども、力と速度の両方をバランスよく兼ね備えた獣人といえば、やっぱりワーウルフさんたちの名前が多く挙げられる。だからもちろんステッペンウルフの選抜には、ワーウルフさんたちが自然と多くなるんだ。
他はワータイガーさんやワーキャットさんが一体ずついるくらいのもので、当然のようにコボルトなんて吹けば飛ぶようなチンケな種族、それも小型犬豆柴などという不届き者は僕くらいのものでありまして。
「……」
「……」
てゆーか、なんでみんな僕の周囲に集まって僕を見下ろしてるの!? 僕なんてそこらへんに転がってる石ころみたいなもんですし、睨むだけの価値もありませんのに!!
巻いた尻尾が戻らないこの空気たるや!
た、食べられちゃいそうだ……。クゥ~ン……。
「……クゥ~ンっつったぞ、こいつ」
「……」
「……かわい」
「……んで、何このチビ? ステッペンウルフの顔合わせだぜ? ガキなんざ連れてきたやつぁ誰だよ?」
ワーウルフさんのつぶやきに、ワーキャットのお姉さんが鼻を鳴らした。
「よく見な、犬コロ。この子は子供じゃないよ。歴とした成獣。コボルトさ」
「コボルトォ?」
「おぉん? つかてめえ、メス猫ォ、誰が犬コロだ? おぉん? 無知な阿婆擦れ猫は狼って生物様を知らねえのか? おぉん? 噛っ殺してやってもいいんだぜ、ニャンコちゃんよぉ? おぉん?」
「フゥゥゥーーーーッ! やってみなァ、犬コロッ!!」
ワーキャット姉さんとワーウルフ兄さんが、体毛を逆立てて睨み合う。
僕の頭上で。
そう! その調子で仲間割れでもなんでもして、取るに足らない僕のことなんて放っといてくださいホント!
けれど僕を取り囲んだ他のワーウルフさんたちは二体の喧嘩なんかには興味を示さず、わざわざ屈み込んでスンスンと鼻を動かし、僕の臭いを嗅いできた。
首の辺りに湿った鼻先があたって怖い。
「確かにコボルト臭がしやがるぜ」
「クックック、うまそうだ」
「頭からガブゥゥゥっ!」
ひぇ……っ!?
僕は思わず首をすくめた。けれど牙を剥いたワーウルフさんは、ニヤニヤと僕を見下ろしているだけだ。
「――と、やりたくなっちまうなァ? ひっひっひ!」
「よせよせ。小便をチビられてはかなわん」
はぁぁぁぁ……死、死……?
ワーウルフさんの一体が、至近距離から僕の顔を覗き込んで尋ねてきた。
「よお、コボルトォ。てめ、なんでこんなとこにいやがんだ? おぉん?」
「場違いだろ。――食っちまうぞッ、ガァァ!!」
「はひぇ!? はわわわ……っ」
近くで見ていたごっついワータイガーのおっちゃんが、僕を脅したワーウルフさんの頭を拳骨で殴りつけた。
「ぎゃんっ!?」
「やめんかい。びびっとるやないかい」
ワータイガーさんはワーウルフさんより一回り肉体が大きいからか、殴られたワーウルフさんは地べたに叩きつけられて失神した。
い、一撃……。
「どうせ迷い込んだだけやろ。な、ボウズ? 出口はあっちやで」
「あ、え……う……」
僕の視線を追って、ワータイガーさんが足下に視線を向ける。
失神したワーウルフさんにようやく気づいたらしく、鋭い爪で黄色と黒の頭をぼりぼりと掻いてつぶやいた。
「ガオゥ? すまんすまん。力加減、間違うてしもたわ。せやけど、これではっきりしたのぉ? ワシが一番強い獣人やさかいに、第一小隊ステッペンウルフの小隊長は決まりやのぉ。やっぱワシ、群れんとなんもでけんワンちゃんたちとは格がちゃうなあ」
「おぉんッ!?」
「おうこら虎公、調子乗ってんじゃねえぞ?」
他のワーウルフさんがワータイガーさんの胸ぐらをつかむ。けれどもワータイガーさんはどこ吹く風でニヤつきながら牙を剥いた。
「なんやあ、この手は? 放さんかい、ダボ犬がぁ~」
「てめ――ッ」
僕の頭の上で無数の牙が剥かれた瞬間、けたたましい音がしてステッペンウルフ控え室の扉が室内へとぶっ飛んできた。
……ッ!?
扉はワータイガーさんのお髭を掠めて反対側の壁までノーバウンドで飛び、窓ガラスを窓枠ごと破壊して城外へと転がる。
「な――っ!?」
「何? 何!? 敵ッ!?」
ワータイガーのおっちゃんも、ワーキャットの姉さんも、ワーウルフの兄さん方も、飛び上がって驚いていた。ちなみに僕は腰を抜かした。
なくなった扉からのっしのっしと入ってきたのは、ワータイガーのおっちゃんよりも、さらに一回りほど体の大きなワーベア、ボンボンさんだ。
ボ、ボンボンさんったら、ノックが豪快過ぎやしませんかぁぁぁ……?
「やれやれ、誰ですかな? 扉に鍵などかけた面倒なお方は」
直後、大暴れしていた僕以外のすべての獣人さんたちが、直立不動の体勢で横並びになった。
なんだか急激に空気が引き締まった気がする。
「まったく、私の行く道を閉ざそうなどと。ホッホッホ」
でも、僕はようやく息を吸えた気分だ。そんなに深くもない知り合いの存在がこれほどまでに心の救いになるだなんて。
ありがとう、ボンボンさん!
しんと静まりかえった室内でボンボンさんは、横並びとなって口を閉ざした獣人たちを一瞥して瞳を細め、温厚に、且つ穏やかにつぶやいた。
「……ぶっっっっっ殺してさしあげましょうか……? ……ゴフー、ゴフー……!」
「!?」
ボ、ボボボ、ボンボンさぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~んっ!?
リラーックス、リラ~~~ックマ!
ワータイガーのおっちゃんが、ビシっと敬礼しながら大慌てで口を開く。
「ボ、ボンボン閣下! お、恐れながら――」
「なんですかな、モウコさん? あなたが鍵をかけられたので? ゴフー……!」
息づかいが怖いよ、ボンボンさん!
「い、いえ、誰も鍵なんてかけとりません! ステッペンウルフに志願するような荒くれ者にとっては、鍵なんてもんは有って無いようなもんですんで!」
「ふむふむ、ごもっとも。ではなぜ扉が開かれなかったのですかな。ゴフー……!」
「この部屋は先の天災で立て付けが歪んだものかと、ゴブリン族の職人がそう言うとりました! 近々補修に入るらしいです!」
しばらく。
沈黙が訪れた。
やがてボンボンさんは可愛らしく首をかしげて、テヘッと笑いながらペロッと舌を出す。
「では扉と窓もついでに直すよう、モウコさんの方から職人ギルドにお伝えください」
「え、え? ワ、ワシがでっか? そんな使いっ走りみたいな……大体、扉を壊したんは閣下やないです……か……」
ゆっくりとボンボンさんの瞳が開かれる。真っ赤に血走った瞳が。
僕以外の獣人さんたち全員の体毛が一斉に逆立つ。
「……ゴフー……! 私ですが、何か? ゴフー……! ゴフー……!」
また怖い呼吸になった。
「そ――」
「問題でも? ゴフー……?」
「は、いえ! 着工を急がせますよって! ハイ、サーセンした!」
「よろしくお願いいたしますよ」
ボンボンさんって執政官じゃないの? あんなに温厚そうなのにヤバいヒトなの?
僕はこっそりと横列最後尾まで動いて並んだ。
なんだか規律を乱すとぶっ飛ばされそうな気がしたから。
ボンボンさんは横列の前に立ち、後ろ手を組む。
「選抜十体、全員がそろっていますね」
ボンボンさんのつぶやきに、どよめきが起こった。
だってここにいる獣人は、ボンボンさんを抜けば九体しかいないのだから。いや、わかってるよ、わかってる。
僕だろ? でも、でもね?
ワーキャット姉さんが手を挙げた。ボンボンさんがめざとく彼女を指さす。
「どうぞ、ショコラさん」
「恐れながら。十体と申しますのは、閣下を含めてのことでありましょうか?」
「いいえ。私はすでに軍より退役した身。十体目のステッペンウルフでしたら、貴女のすぐ隣におられますでしょうに。ホッホッホ」
ワーキャット姉さん、つまりショコラさんと僕の視線が絡まった。
ショコラさんは激しく僕を見下ろして、僕は泣きそうな目で彼女を見上げて。
ショコラさんが唇に人差し指をあてて、クイっと首をかしげた。
「えっと……? この子……?」
「そうです。そのコボルトが、ステッペンウルフの十体目です」
「え、嘘? 冗談ですよね?」
「いいえ。バニラ様を優れた隠形の術にて悪漢より二度もお救いし、先日の家出から彼女をこの城まで無事送り届けてくださったのは、そちらのコボルト、プティ氏ですからな」
全員の視線が小さな僕に突き刺さった。
僕は思わず後ずさる。
「あ、あうあう……」
ワーウルフさんたちが、口々につぶやいた。
「こいつが、おてんば姫の命を二度も救ったやつだって?」
「小さいとは聞いていたが、まさかコボルトだったとはな」
「神族推薦っていうから、どんな厳ついのが来るかと思ったらよォ」
あ~、やな雰囲気だ。みんな疑惑の瞳で僕を見ている。
どんな手を使いやがった、と言わんばかりに。
ボンボンさんが両手の肉球をパンと合わせて、雑談を黙らせる。
「はいはい、みなさん、静粛に。ステッペンウルフの編成は最上級秘匿情報ですので、選抜の決定は貴様たちが死ぬまで覆りません」
ひぇ!? 死人に口なしって言ってる! え? てか今、“貴様たち”って言った? ボンボンさ~ん!?
「ご不満はこれからの彼の働きを見てからにしていただきたい。コボルトでありながらもすさまじき勇気と知恵と力をお持ちのようですからね」
ハ、ハ、ハードル上げないでぇぇぇぇ!
ボンボンさんが僕に向けてウィンクをした。
大丈夫だ、安心しろってことだろうけれど、むしろ僕は、僕を見ないでいただきたいのですが。というか、逃げたい。今すぐカラクサ村に帰りたい。シュシュのお腹に顔を埋めて安心したい。
「……」
よし、逃げよう。
今夜速攻で夜逃げして、ほとぼり冷めるまでシュシュに匿ってもらうんだ。このままだと初陣で死んじゃうから、その前に逃げることが肝心だ。
そうと決めれば少し気が楽になったぞ。
「そこでステッペンウルフの皆さんに早速なのですが、先日バニラ様を襲った人間種の悪漢らの根城が発見されました。皆さんには彼らを今から極秘裏に殲滅、もしくは捕縛していただきたい」
……今から……? 今からもう戦えというのっ!?
僕は初陣が開始される前……に……今夜……逃げ…………。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~、オワタ!
ワータイガーのおっちゃん――モウコさんが尋ねる。
「その前にボンボン閣下。ワシらは誰の指揮で動けばええんでっか? バラバラに動いとったら各個撃破されてまう恐れがありますよ。ここは年長者のワシが――」
「バラバラでは人間ごときに負けてしまうのですかな? 希少種のワータイガーともあろうものがそのように弱気な発言をするとは、感心しませんね。……またイチから私が鍛え直して差し上げましょうか。……ゴフー……ゴフー……!」
「う……そ、そんなことは、ありませんけどもやな……」
モウコのおっちゃんが恥じ入るように言葉を呑んだ。
ワーウルフさんたちがクスクスと意地悪く笑っている。ショコラさんだけは、猫らしくどこ吹く風だけれど。
「まあ、モウコさんの再教育はさておき、ステッペンウルフの小隊長選任に関してですが――」
ボンボンさんは、にっこり微笑んで続けた。
「――今回の一件で敵首魁、山賊オロの首を挙げた者を、ステッペンウルフの小隊長に任命する予定です」
横並びの獣人たちから、一斉に熱気が放たれた気がした。
全員の瞳がギラギラと剣呑に輝いている。
僕は思った。
そうだ、今夜と言わず、任務の途中で行方不明になろう、と。
リラックマとか猛虎軍らしきヒトもいるんだ……。