2.もうすでに帰りたい
僕が道すがら助けた獣人女神様の名前は、バニラというらしい。
バニラは僕がイメージしていたお姫様のようにお淑やかではなくって、まるでお日様のように朗らかで暖かく、煌めく海面のように綺麗に輝いていて、野山を駆ける獣のようにとっても自由なヒトだった。
そう、自由すぎた。
僕のプリチー豆柴ボディをいたく気に入ったバニラは、僕を胸に抱きしめたまま、獣人族の首都である獣都ビスキュイまで連れ帰ろうとしたんだ。
「そうだわ! ねえ、プティ! あなた、わたしの側近になって? そしたらいつも一緒にいられるんだから!」
その目にハートを浮かべて、むちゃくちゃ言うし。
そういうのはぬいぐるみでやってくださいよ、ほんと。という本音は隠しつつ、さすがにカラクサ村の両親弟妹たちのこともありますしー、と断った。
けれどもバニラはにっこにこの顔で僕を胸に抱えたまま、その足でカラクサ村に向かい、その日のうちに柴犬型の両親から承諾を取ってしまった。
取ったというか、両親的には「どーぞどーぞ、こんな愚息でよければ是非ともお持ち帰りくださいお姫様」状態だった。
尻尾を風車のようにぶんぶん振り回しながら。父ちゃんなんてもうバニラにデレデレで、お腹まで見せようとして、母ちゃんに耳を噛まれてたし。柴犬の雌は気が強いからね。
いくらバニラが王族様より偉い神族様だからって、家庭内での僕の立場たるや。まあ、獣人の中でも犬はとくに序列に従順だし、権力に弱いのは宿命か。
といった感じで今、僕は不本意ながらバニラのお屋敷に向かう馬車の中で揺られている。パカパカパカパカ、お馬さんの蹄の音を聞きながら。
「ねえ、バニラ」
「なぁに?」
「側近って、僕は何をすればいいの?」
バニラが微笑みながら顔を傾けた。
「近衛騎士に決まっているじゃない」
あ、死んだ。死刑宣告だわ。これ一年もたずに死ぬやつだ。
僕はクソザコボルトだぞ。
「……帰る。じゃ、また」
「待って待って、もう!」
馬車の扉に手をかけた僕に両腕を回して、バニラが無理矢理自分の膝の上に座らせる。
「よいっしょっと。ウフフ」
そのまま頬ずりをして。
「ああぁぁぁぁ、放してぇぇぇぇぇ……! 騎士は嫌だぁぁぁ……! まだ死にたくないぃぃぃ……!」
僕は短い手足をジタバタと動かしたけれど、コボルトの力、それも小型犬豆柴種じゃあ、とてもじゃないけれど女の子からだって逃れられない。
そんなやつが騎士? すぐ死ぬでしょ!?
前世勇者ったってコボルトじゃ力はヘナチョコだし、魔法だって基礎基礎基礎の基礎すら使えなくなっちゃったんだよ!?
「プティったら、何が不満なの? ご家族のことだったら心配いらないわ。近衛騎士だったら大出世だから、仕送りだけで十分に暮らせるわよ?」
「騎士とか無理だよ! 僕コボルトだからねっ!? 弱いの! クソザコなの! クソザコボルトなの! 正々堂々してたら死んじゃうの!」
必死の説得も、可愛らしい笑顔でさらっと流されて。
「あら? でもわたしを助けてくれたときは、とっても勇敢だったわ? まるで歴戦の騎士様のようだったもの」
「目ぇ大丈夫ッ!? 目か頭のお医者さん行った方がいいんじゃない!?」
「まあ、ウフフ。エスプリの効いたジョークね」
なんてこったぃ……。
僕は頭を抱え込んだ。
権力者に関わるといつもこうだ。僕の都合なんて関係なく、否応なしに戦いに巻き込まれる。そして自分をすり減らして死んでいく。
これじゃ前世と変わらないじゃないか。
帰ろう。人魔戦争や魔族の内紛に投げ込まれる前に。
大丈夫。騎士の入団試験だって、コボルトごときが通過できるわけがないもの。
試験にわざと落ちて戻って、カラクサ村のみんなには「豆柴だから戦力外通告でクビになっちゃったテヘ!」って言うんだ。
そうと決まれば、念のために試験は手を抜かないとだね!
ほくそ笑んだ瞬間だった。
パカパカパカパカ一定のリズムで鳴っていた蹄鉄の音が、突如乱れたのは。
その直後、お馬さんのいななきとともに、馬車は急停車する。
「きゃっ」
「キャイン!」
お気に入りのお人形よろしく、バニラに抱えられたままだった僕は、彼女と一緒に黄色い悲鳴を上げながら座席から転がり落ちていた。
「んもう、なんなの?」
何事かと思って、僕は馬車の窓枠に手をかけて外を覗く。その後ろからバニラも。
僕らの視界の中を、手綱を握っていた御者のコボルトが走り去っていった。
「ちょ、ちょっと、どこへ行くのよ」
「待って、バニラ。なんか様子が変だ」
いくらもしないうちに魔獣の毛皮でできた服を着た人間の野党団らしき人たちが現れて、あっという間に馬車を取り囲んでしまった。
その数、三名。
だけどたった一名だったとしたって、今の僕じゃ何もできやしない。
「……」
「……」
「……あ、あの、バニラ? もしかして、獣都ビスキュイからキミのためのお迎えが来る予定ってあったりする? 野党みたいな野蛮な髭面でワイルド過ぎる格好をした感じの執事さんとか?」
願いを込めて尋ねる。
バニラが微笑みを消して表情を曇らせ、泣きそうな視線を僕へと向けた。
「(ついて)ないわ……。だってわたし、家出してたんだもの」
まぁ僕はもうすでに泣いてたんですけどね。
「あの、ファウナって、半獣女神っていうくらいだし、ほんとはすっごく強いんだよね……?」
「成獣はね。詳しく説明してる暇はないけど、ファウナの成長はとっても特殊なの。で、わたしは見ての通りまだ幼体だから~……」
「またまた、そんなご冗談を。僕の四倍近くも身長があるじゃあないですか」
「さっきもわたし、山の中で逃げてたでしょう? プティに助けられるまで」
「……」
あまりの絶望感に、お互い変な笑いが漏れた。
「……ふふ」
「……ウフフ」
僕らは同時に頭を抱え込んだ。
終わった。
戦いに身を投じる前に逃げると決めたのに、それすらままならなかった。なんて運の悪さだ。
そのときだ。
すさまじい勢いで馬車の鍵付き扉が無理矢理引き剥がされたのは。
「ひぅ!?」
「はわぁ!?」
そこから厳ついひげ面を覗かせて、男は馬車内を見回してからバニラで視線を止めた。
ひげ面にニヤァっと不気味な笑みが浮かぶ。
「よぉ~、嬢ちゃんが半獣女神のバニラかい?」
「そ、そうよ!」
「そいつぁ初めまして。俺はしがねえ山賊団の頭をやっているオロってもんだ。あんたを攫いに来た王子ってところさ」
バニラは毅然として立ち、両手を腰に当てて睨み返す。
素晴らしいハッタリだ。足とかプルプルしてるけど。
「しっかし、迂闊だったなあ? 獣人国家の姫さんが、お供もつけずにたった一匹で出歩くたぁよ」
あら? 僕がいますよ~! お気づきでない?
「そのようなことより、人間風情が獣人国で何をしているの? 即刻この国から立ち去りなさい!」
「へっへ、気の強えこった。言えた立場かよ。ま、いいぜ。出て行ってやるよ。ただし、嬢ちゃんも連れてだ」
「な――っ!?」
だろうね。
魔王候補の一角であるファウナを人間の国まで連れ帰れたら、人類のあの意地悪統一王から莫大な報奨金が支払われるだろう。生涯遊んで暮らせるくらいの。
だから一攫千金を目指す山賊や冒険者は、よく魔族領域を侵すんだ。
てか、この山賊、ほんとに僕の存在に気づいてないみたいだ。
ラッキーだ。ああ、ラッキーだよ。豆柴の小さな肉体に感謝だね。
「ぐっはっはぁ! こりゃあ、危険を冒して魔族領域にまで踏み込んできた甲斐があったってもんだぜ! ま、あんたは人王に処刑されるだろうけど、恨んでくれるなよ? 運がよけりゃペットとして飼ってもらえるかもしんねえからよ!」
「く……、さっき山の中でわたしを追ってきたのも、あなたたちだったのね! ――きゃあっ!」
山賊オロが丸太のような手を伸ばして、バニラのプラチナ色の髪をつかんだ。
「ほれ、捕まえた。チョロいもんだぜ」
「痛い! は、放しなさい!」
バニラが馬車の外へと引きずり出され――かけた瞬間、僕はズボンのポッケにいつも入れている山菜採取用のナイフを取り出して、山賊のふくらはぎのやや下あたりを、ブーツの上から真横に裂いた。
バチン! と何かが断裂する音が響く。
「あ?」
オロが目を丸くした。
下を見て、初めて僕の存在に気がついたようで。
「コボ……ルト……? いつの間に……?」
「最初からだっ」
自分の足から血がドクドク流れ出ているのを確認し、次に――。
「ギイィヤアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」
すさまじい悲鳴を上げてバニラの髪を手放し、馬車の外に背中から転がり落ちた。
豆柴コボルトの力じゃ骨までは断ち斬れない。デタラメにナイフを振っても、脚部の変なところに刃が入れば、最悪引き抜けなくなる恐れがある。
だから僕は、比較的柔らかくって、僕の身長でも届くくらい低い位置にある、歩くに必須な筋――アキレス腱を切ったんだ。
「ぐぎゃああぁぁっ!? 痛え、痛え、痛えよぉぉぉぉぉッ!!」
オロは両手で足の傷口を押さえて七転八倒。やがて血の止まらなくなったひげ面を抱えて、残る二人の山賊も逃げていった。
「フ」
僕はまるで勇者だった頃のように山菜採取用のナイフを振って血を飛ばし、華麗にショートオールのポッケへと戻す。鞘がないから絵的に締まらないのは仕方がない。
それ以前に豆柴だから、とってもアレなんだけど。
そうしてバニラを振り返ったら、彼女はまたしても瞳にハートを浮かべて頬を上気させ、熱い視線を僕へと向けていた。
「プティったら……かわいいのにステキ……♥」
ぴょこん、と。
バニラの頭部に、まるで柴犬のように尖った耳が飛び出した。