1.落ち着きたいならモフればいいと思うよ
すぐに終了する予定です。
短めのものをお探しの方はぜひ覗いてやってくださると幸いです。
人類が育て上げた稀代の勇者と呼ばれるクロウ・ライズと、魔族史上最強と恐れられた魔王グラス・レニアが相討ってからおよそ五十年。
ともに切り札を失った人類と魔族の戦争は、泥沼化の様相を呈していた。
けれどそんなもの、僕に言わせれば人類側はまだマシだ。だって人類が失ったのは統一王じゃなくって、ほんの少し他の人より強かっただけの、ただの勇者だったんだから。
統一王である魔王を失った魔族なんてもう、目も当てられないほど悲惨だった。
とある種族の領主が次期魔王、すなわち魔族の統一王に勝手に名乗りを上げたことを発端として、我こそは真の魔王であると名乗り出る種族勢力が山ほどあり、人類そっちのけで魔族同士の内紛を始めてしまったのだから。
これじゃ泥沼化どころか、汚泥の溜まった底なし沼だ。
※
クレムカラメル大陸の北西部に、カラクサという名のコボルト村がある。
魔族領域の最奥地に位置するカラクサ村までは、人類と魔族が生み出す激しい戦火も、魔族同士による内紛も、深い森を隔てて届かない。
また、コボルトが戦闘に関しては戦力外の下位魔族であることが幸いしてか、カラクサ村の彼らは戦時下にあって地域の領主、すなわち獣人王トから徴兵されることもなく、比較的のほほ~んとした暮らしをしていた。
そんな場所で生を受けたコボルトのうちの一匹が、僕だ。
タイプは豆柴。両親は柴だったけれど、僕はあまり大きくなれなかった。チワワタイプよりはマシだけれど、戦力外種族コボルトの中でもさらに戦力外の小型犬だ。
けれど僕には両親にも言っていない秘密がある。
前世の記憶だ。その記憶の中で僕は魔族じゃなかった。それどころか、いつも最前線で魔王グラス・レニアと戦っていた人間だった。
すなわち、勇者クロウ・ライズだ。
そう。勇者だった僕は、よりによってコボルトなんかに転生してしまったんだ。
でも、でもね、キミ。よぉ~く、考えてご覧よ。
僕は前世で人類側の統一王の戌として、自分の命を削って多くの有力な魔族を屠ってきた。そう、戌としてだ。そんなの僕の意志じゃなかった。
僕は戦いたくなかったんだ。
魔族を殺すことも、魔族に殺されるような生き方も、全部全部怖かった。
けれど統一王の命令には、地方の領主だって絶対服従だ。
ましてや勇者とはいえ、爵位すらない個人が逆らうなんてことは許されなかった。剣も魔法も幼少期から国家プロジェクトとして英才教育を施されてきたから、余計にだ。
人類の統一王は事あるごとに言った。
――力尽きるまで戦え。
――おまえにいくらかけてきたと思っている。
――おまえの命は、この国と、そして俺のものだ。
――最速でコーラ買ってこい、おまえの金でな。
――ぶはは、そのラブレター、実は俺が書いたイタズラだ。
――魔導冷蔵庫の中のおまえの限定プリン、俺様が食っといてやったから。
――ニチャア……。
ぶっっっっ殺っっっっっっす……だけの勇気はなかった。
そんなことをしたら、人類すべてを敵に回すことになる。そうなったら僕はどこで生きていけばいいというのか。
で、結局。
戦って、戦って、戦って。身も心もすり減らして、限界を超えて、また戦って。
そんな綱渡りのような生き様の果てが、魔王グラス・レニアとの相討ちだった。魔王を仕留めながらも、僕は深傷を負い、帰国前に息絶えていた。
――限定プリン、返せよ……。
これが、死の間際に思ったことだ。なんだったんだ、この人生。
あの頃に比べればこのカラクサ村でのコボルト生活たるやもう、天国だ!
戦わなくていい、殺さなくていい、殺される心配がない。何より煩わしい王がいない。
ただそれだけのことで、このコボルト族しかいないカラクサ村は僕にとって最高の居場所となった。
木の実を拾って、山菜やキノコ、山芋を採って、畑を耕して、猟師のドーベルおじさんが獲ってきた獲物と作物を交換してもらう。
そしていつものように、夜は家族七匹で温かい夕飯を囲むんだ。
小型犬仲間と毎日野を駆け回って、幼なじみのポメラニアン型コボルト、シュシュとじゃれ合う。
シュシュのお腹の毛は柔らかい白で、顔を埋めるには最適だ。まあそこらへんのことはたぶん僕も同じだから、シュシュもよく僕のお腹に顔を埋めて遊んだ。
イチャイチャだ。イチャイチャパラダイスだ。
モフモフモフモモモモモモモフゥゥゥーーーーーーーーーッ!
もうね、最っ高に幸せだよ! 元々人間だった頃から犬は好きだったしね!
けれど、そんな暮らしをしていたある日のこと。
僕がいつものように山でお芋さんを掘っていたら、いい匂いに気がついたんだ。
「ん?」
顔上げて視線を回し、鼻をスピスピ。
女の子が後ろを振り返り振り返りしながら、何かから逃げるように走っていた。
「は……はぁ……はっ、……はぁ、はぁ……! 誰か……!」
犬頭じゃない。猿頭でもない。豚頭でもない。かといって上位魔族に位置する獣人でもない。
彼女はまるで人間のような姿をしていた。
「あっ、きゃあ!」
彼女が躓いて転んだ。
なんて暢気に考えている場合じゃない。たとえあの女の子が敵性種族の人間だったとしても、僕の中にはまだ勇者だった頃の記憶が残っている。
放ってなんておけないよ。どう見ても非戦闘員だもの。
でも、コボルト――中でも最弱の小型犬種になってしまった今の僕には、何ができるわけでもない。
だから僕は走って、彼女の手を取った。
戦えないけど、連れて逃げるくらいのことはできるはずさ。
「こっちだよっ。早く立ってっ」
彼女が僕を見て目を丸くする。
けれどもすぐに立ち上がって――その身長差で僕は彼女につり上げられてしまった。
ぶら~ん。
だってコボルトは二足歩行するだけの犬みたいなものだからね。
彼女は十代中盤か後半くらいの人間っぽい女の子だし、僕の身長は彼女の太もものあたりまでしかない。
「わっ、わっ、下ろして!」
「あら、ごめんなさい、コボルトさん」
彼女が手を放し、僕はポテっと地面に着地する。
僕は仕方なく彼女の白いスカートを、手のように進化した前足でつかんで走り出した。
「こっちっ、隠れられるからっ」
「え、あ、はい。ありがとう」
僕はシュシュとよく遊んでいる小さな洞穴へと彼女を導く。
枯れ草に隠された入り口が狭いからか、彼女は四つん這いになって僕についてきた。いくらも経たないうちに中は開け、彼女が座っても平気なくらいの空間で僕らは息を殺す。
洞穴の外からいくつもの声と足音が響いてきた。
「どこへ行きやがった!?」
「くそ、せっかく追い詰めたってのに!」
「捜せ! 殺してもかまわん! 肉体の一部でも持ち帰れば億万長者だ!」
殺す!? 前世で散々暴れてた僕が言うのもアレだけど、物騒だなぁ。
僕と彼女は洞穴で小さくなって、彼らの足音や鉄さびのような血の匂いが遠ざかるのを待った。
やがてそれらが消えた頃、ゆっくりと周囲を見回しながら洞穴から這い出る。
「行ったみたいね」
「うん。匂いも音も消えたよ。よかったね」
彼女は白い服の胸に両手を置いて、ほうっと息を吐いた。
それはとても可愛らしい仕草だと、僕は思った。
彼女は間違いなく稀代の美少女だ。そして仕草の一つ一つに気品がある。きっと高貴の出なのだろう。
色素の薄いプラチナ色の髪を揺らして、お空のような色の瞳を細め、少し淡い色の唇の端を無邪気に持ち上げながら、僕の視線の高さに合わせるために両膝を折って。
白い手で僕の頭をワシャワシャと撫でるんだ。
「ありがとう、可愛らしいコボルトさん。とっても助かったわ。もうほんとに殺されるかと思ったもの」
「あっ、あっ、気持ちいい……キ、キミは誰なの? 人間?」
「ううん。わたしは人間ではないわ。こう見えて種族でいえばあなたと同じ獣人族よ」
どう見ても人間の女の子だ。
少なくとも僕は、人間そっくりな獣人族なんて知らない。
「?」
僕は首をかしげた。
「わたしは半獣女神なの」
「………………ファウ…………ナァァァーーーーッ!?」
彼女が少し得意げな顔で胸を張って、その膨らみに片手を当てた。
「そ。ファウナ」
ファウナ。
それはすべての獣人族を統べる獣人王ですら崇め奉る、獣の女神だ。それは同時に、獣人族の中では、獣人王と並んで魔王候補の筆頭でもあるということだ。
というか、僕ら獣人族みんなのお姫様だ……。
ほぁ~、綺麗だなぁ~……。犬の視点からも、人間の視点からも、とっても綺麗……。
「ああ、怖かったわ。ほんと助かっちゃった。ところであなた、とっても可愛いわ」
固まってしまった僕の脇に手を入れて、ファウナが僕をヒョイと持ち上げる。そうしてまじまじと僕のお腹を見つめて。
なんか少し頬を赤く染めているような。心なしか、呼吸もハァハァしている。
「……ふう、ちょっと落ち着かせてね。可愛いコボルトさん」
その呼ばれ方は少し照れる。
「あ、ぼ、ぼ、僕の名前はプティ――ほぁ!?」
彼女がいきなりお腹の白い毛に整った顔をボフッと埋めて、ものすごい勢いで顔を左右に動かし始めた。
モフモフモフモフモモモモモモフゥゥゥーーーーーーーーーッ!!
あっ、あっ、ちょっ、気持ちいい……。
コーラあるんだ……。




