旅立ちの空
時は江戸。徳川幕府が天下を治める時代。忍者と呼ばれる集団がいた。彼らは様々な依頼をこなすプロの暗殺者集団。そのためにはどんな手段でも使う。これは彼らの忍法合戦である。
江戸の町は華やかな桜に彩られていた。季節は春。花芽吹くこの時期江戸城に一人の姫が到達した。美夜姫である。江戸家老の屋敷から江戸城に登城した姫は二人の女性と共に上様に平伏した後、息も途絶え途絶えに絞り出すような声をあげた。
「上様、恐れながら申し上げます。五島藩藩主直影の娘、美夜にございます。私は父の汚名を返上するため鹿児島から江戸までこの命を賭けて辿り着きました。ついに、ついに上様に直訴出来る機会を得ました。上様、どうか私の願いをお聞きくださいませ。」
「よかろう。美夜、もうしてみよ。」
「はっ。私の父は御老中神崎忠国様及び五島藩国家老水野直政の計略に掛かり、謀反の嫌疑を掛けられ投獄されました。父は謀反など図っておりません。私は国元を抜け出し江戸の上様に父の無実を証明して頂きたかったのです。そのために私は神崎様の放った刺客達を退けこうして命ある内にお目通りいたすことができました。上様、神崎様は危険な男にございます。」
「むぅ…神崎とな」
「上様…父は無罪にございます。神崎様は国家老水野と結託し自らの野望である我が藩の取り潰しを狙って謀反を仕立て上げたのです。改易に成功すれば我が藩家老水野が天領代官になる手筈なのです。そうすれば幕府天領の交易で莫大な利益が上がります。あの二人はその独占を狙っているのです。我が父のみならず、罪無き領民達まで路頭に迷っています。これは壮大な陰謀なのでございます。上様、どうか我らにお助けを。」
「うむ…美夜、よく申した。そしてよく無事だったのう。その方の勇気に免じて話そう。神崎を呼べ。」
江戸に春の訪れが迫っていた。それは暗雲を払う桜吹雪と共に。
旅の始まりは鹿児島から。
藩主直影の娘美夜は領民思いの姫でまた剣の腕前、その美貌も藩一と謳われていた。乗馬の才もある。美夜の姉真夜は妹に匹敵する剣と美貌の持ち主。美夜の幼馴染みで城代家老の娘である沙希もかなりの腕前と美貌だ。三人は幼い頃からとても仲が良く領地を飛び回っていた。剣の稽古は三人とも互角だった。だが、三人には過酷な運命が待っていたのだ。
一方城では国家老水野が幕府老中神崎からの文書を満足げに読んでいた。文書は改易後についての内容だ。神崎の印が押してある。
「神崎様もワシの腕を見込んで天領代官の地位をくださったのじゃ。あと一歩。殿に謀反の動きありとの疑惑をかけさせねば。既に手は打ってある!さすればワシは藩取り潰し後の天領代官!めでたいものよ。」
「あまり浮かれすぎは感心しませんぞ水野殿。それにまだ代官になったわけではあるまい。しっかりと最後待て仕事をこなしてもらわなくてはならん。手抜かりがあっては元も子もないからな。」
「わ、わかっておる天住殿。ワシの腕にかかればあと一息よ。藩主直影を謀反者に仕立ててやるわ。見ていてくだされ。どうか神崎様によい報告をな。」
「それはそちら次第だ。まあ、せいぜいよくやってくれ。」
黒い装束を着た女が不気味な声で言った。黒いマントを羽織っている。刀を仕込んでいるようだ。音も立てずに体を動かす。女は甲賀流忍者の頭領である天住千景だ。鋭い眼光は身体中を刺されるような恐ろしさだ。獲物を仕留めるような口調が特徴の不気味な女だ。殺気を放っている。威圧感だけで側にいられないほどだ。
「神崎様はそれほど甘いお方ではありませぬぞ。心得なされ。それでは。」
天住はそれだけ言うと天井に飛び乗るや否や一瞬で闇に消えていった。一人の越された家老が呟く。
「もちろんだ天住殿。抜かりはない。」
水野は不気味な笑みを浮かべた。
数日前、江戸幕府老中神崎忠国の屋敷
神崎は水野から届いた書状を読み不満げに唸った。
「水野め、抜かりおったな。」
神崎の側にいた五島藩藩士館脇祐太郎が恐れる。
「神崎様、水野様は…」
「わかっておる。貴様、ワシが信用ならぬか。」
「滅相もございません。ははっ」
平伏する藩士の横で平伏していた男がゆっくりと頭をあげる。五島藩剣術指南役藤巻真之助が口を開く。
「御老中様、水野様は藩主直影公を謀反人に仕立てる計画を進めておりますが、その二人の娘は凄まじい剣の使い手。更に城代家老相馬隼人は藩史上類を見ぬほどの切れ者。その娘もかなりの剣の腕前なのです。この者がいては迂闊に手を出せぬのも致し方ないかと存じ上げます。
「その娘達はそれほど腕が立つのか」
「はい、この私とて油断できません。」
「剣の名手と謳われるお主がが…それに城代家老…これは下手に事を起こすと厄介なことになる。」
「神崎様、我々は計画発動のために血の滲む準備を進めて参りました。何卒救いのお手をお掲げ下さいませ。そのためにはどのような事でも致します。」
二人が平伏した。
神崎は黙り込んだ後一息着き、書状をしたためた。
「水野にこれを渡せ、今後の動きについて重要な事柄を書いた。この通りにすれば必ずや計画は成功する。その方らにワシの知恵を貸そう。」
「ははあっ」
「その書状を国元に届けよ。それとワシの腹心を向かわせよう。以後そやつがワシの分身じゃ。」
神崎がそういうと天井から黒い塊が落ちてきた。いや、黒い人影が降りてきたのだ。
「お呼びでしょうか、神崎様。」
「天住、こやつらと共に五島に向かえ。そちの力でこの計画を助けるのじゃ。」
「はっ」
「神崎様、こちらの御方は…」
「こやつは天住千景。甲賀流忍者甲賀蛇蜻蛉衆の頭領よ。今はワシの腹心の手先でな。気に入っておる。三人でその書状必ずや水野に見せよ。良いな。」
「ははあっ」
鹿児島五島藩五島城にて
国家老水野直政は焦りを浮かべていた。何を隠そう切れ者の城代家老相馬隼人に計画を知られてしまったかもしれないのだ。台無しになってしまう前に恐れながら御老中神崎忠国に助けを求め使いを出した。藩主直影の娘達にも知れ渡ればあの恐るべき剣術で手の者は一掃されるだろう。そうなれば最悪だ。自分は打ち首ではすまない。すがるような気持ちで待ち続けていた。
「御家老、江戸よりの使者がお帰りなさいました。」
「おお!待っておったぞ!」
水野は流行る気持ちを抑えられなかった。足早に部屋に向かう。
「その方達、待ちわびたぞ。して、結果は?」
「はっ御老中様よりの書状にございます。」
剣術指南役の藤巻が手渡す。
水野はありがたそうに書状を読み始めた。
「これは…神崎様、恐れながらありがとうございます。これでワシの計画は実行に移せる。その方達も準備に取り掛かれ!」
「はっ」
「ところでその女人は何者じゃ?」
「こちらは神崎様腹心の忍、天住殿でございます。」
「な、なんと!神崎様の…」
「御老中神崎様に仕える忍天住千景にございます。以後お見知りおきを。私が御老中の分身となりこの計画を見届けるよう命を受けてきております。私がお主らの軍師になりましょう。」
「それはありがたい。どうかよろしくお願い致しますぞ。天住殿。」
神崎の瞳に炎が広がっていく。
城に帰還した三人の娘は城の中が騒がしいことに気がついた。
「何事です。」
美夜が駆けつけるとそこには信じられない光景が広がっていた。城の藩士達が斬り合いをしている。一体どういうわけか。
「皆一体どうしたのです。」
真夜が叫ぶと藩士達の奥から一人の男が出てきた。五島藩剣術指南役藤巻真之助だ。
「藤巻様、これは一体…」
沙希が聞く。
「お三方申し訳ありませんな。只今この城は謀反を起こした殿直影様と共謀者相馬様を捕らえる最中でございます。国家老水野様の命により首謀者に付く藩士を殺しているのですよ。我らが不正を暴かねばなりません。」
「そんな父が謀反など!あり得ません。」
「問答無用。この三人を始末しろ!」
藤巻が叫ぶと屈強な侍が三人出てきた。今にも殺す気満々だ。
「くっ仕方ない」
「やるしかない」
「御二人ともお気を付けて」
三人がそれぞれ刀を抜く。
「やれ」
藤巻の声で斬りかかってきた侍を横に避ける。素早い動きだ。相手も相当の手練れだ。油断ならない。美夜は三人の真ん中にいる侍に向かって踏み込む。剣先が美夜の顔に迫る。ギリギリで避けて、間髪いれず鋭く打ち込む。相手の懐に入れれば…美夜は素早く後ろに仰け反ると刀を降ってきた侍をそのまま斜めに斬りつけた。呻き声と共に前のめりに倒れる。
真夜は身長の高い侍に斬りかかり、ジグザグに移動しながら注意を逸らす。一歩間違えれば終わりだ。タイミング良く踏み込み相手の手を甲を打つ。刀を落とす瞬間に脇腹を斬った。声にならない声を上げて男が倒れる。
沙希は異様なほど血気盛んな侍に向き直り、相手の動きに合わせて刀を振るう。相手は頭に血が上りやすいようだ。これをうまく利用すれば…沙希は刀の切っ先を相手に向けては弾くを繰り返し男を挑発する。真っ赤になった男が突っ込んできた。これで…沙希は勢い良く喉を掻ききった。声も出せないまま男が倒れる。
三人は血溜まりになった男を見て言った。
「藤巻様、これでもまだ私を捕らえると?」
「さすがは美夜殿達だ!感心しましたぞ。だが私には勝てませんぞ。」
藤巻はそう言って斬りかかってきた。
「早い。剣が見えない。」
「いきますぞ美夜殿」
「くっ」
「美夜!」
真夜が斬りかかる。それでも藤巻は余裕だ。
「はあ!」
「三人ががりでそれですか。」
藤巻は素早い太刀筋で三人を絡めとり押し倒した。一瞬の隙をついて刀を弾く。
「勝負ありですな。」
「なんということだ…」
美夜達は唸った。その時
「待て藤巻。そやつらは殺すな。」
「水野様」
国家老水野が現れた。気がつくと藩士達は見な水野派の武士達に殺されるか捕まったようだ。
「水野様、これは一体どういうことなのですか!」
「はっはっは、美夜姫様、そのような口を利いている身分ですかな。私は江戸幕府老中神崎忠国様の命を受け藩取り潰しをするのですよ。私が天領代官になり公益で利益を生むためにね。そのためには殿と城代には謀反の首謀者になって頂かなくては。」
「なんと卑劣な」
「水野!恥を知れ!」
「父上達は?」
「安心なされい。殿達は牢に繋いである。立派な首謀者だ。後に裁いてもらわなくてわな。はっはっはっはっはっ!」
「くっ!」
「こやつらは牢に閉じ込めよ。この美貌殺すには惜しい。」
「はっ」
藤巻は三人を縛り上げ、牢に入れた。暗雲が城を覆っていた。
その日の夜
牢では見るも無惨な姿になった藩主直影と城代家老相馬隼人、反水野派の藩士達が捕らわれていた。
「父上!」
「美夜、真夜!無事だったか!」
「美夜は無事にございます」
「お前達、すまぬ。余の不甲斐なさのせいで…」
「父上は何も悪くありません。常に領民達の事を第一に考え、善政を成されてきた父上は十分ご立派です!」
「そうですぞ殿。我々は名君と呼ばれた殿の元精一杯精進してきました。どうかお気を確かに」
「お前達…すまぬ…」
「しかし父上。一体なぜ水野が」
「水野は元々余に何かと突っ掛かってくる方でのう。幕府老中神崎殿と手を組み天領代官就任を目論んでおったようなのだ。」
「そんな…」
「美夜、真夜、沙希。お前達三人で江戸に行き上様にこの事をお伝えするのだ。真相を究明し、神崎殿と水野に裁きを与えなければならん。」
「江戸城…」
「私たちが上様に…」
「しかしどうやって?」
「実はこの牢には隠し武器があってな、この牢を良く見ろ。歴代藩主しか知らない秘密だ。いつ押し込められても抜け出せるよう床板に小刀を仕込んである。これを使って脱出しろ」
「父上…」
足を使って器用に床板を調べると微かに凹みがあった。持ち上げると小刀が一本入っていた。それを足を使って取り縄を切っていく。三人が縄を斬り終わると直影が言った。
「窓から外に逃げろ。夜の内に藩を抜け江戸に向かうのだ。」
「父上、どうかご無事で!」
小刀を懐にしまうと三人は窓を開けて夜の闇に飛び出した。
「頼んだぞ、お前達…」
夜空に浮かぶ星空に静かに祈りを捧げた。
老中神崎忠国邸
神崎が池の鯉に餌やりをしていると慌ただしく、使者が入ってきた。
「なにようじゃ」
「神崎様、五島藩からです。計画は成功したものの藩主、城代家老の娘三人が逃げ出したとのことです。」
「何!?水野め、抜かりおったな。」
「如何なさいましょう?」
「あの娘達は相当の剣の使い手だと聞く。このまま生かしておけば江戸に向かう可能性が…計画を究明でもされれば今までの苦労が…上様にお会いになられると厄介だ…!」
神崎は決意を固めると叫んだ。
「天住!」
音もなく黒い影が現れる。
「はっ!」
「千景、急いで五島に向かえ。娘三人が江戸に来る前に始末しろ。どんな手を使っても構わん。旅娘として処理しろ。」
「畏まりました。」
一礼すると天住は風のように消え去った。
「おのれ小娘共め!」
神崎は身震いした。
数日後、五島城
水野は青くなっていた。娘達が逃げ出したのだ。まさか牢にあのような仕掛けがあったとは!迂闊だった。使者を大慌てで江戸に送らせた。みっともないが仕方ない。今あの娘達に江戸に向かわれたら全て台無しだ。なんとしても江戸に入る前に始末しなければ。水野は藤巻を呼んだ。
「藤巻!あの娘共を殺せ!必ず息の根を止めるのだ!」
「はっ!」
その時、黒い影が現れた。
「おお!そなたは天住殿!」
「水野殿。あれほど警告したはずだ。抜かるなとな。あの娘達は油断ならざる相手だ。機転も利く。慢心なさらぬよう。あの小娘共は甘く見ない方がいい。神崎様からは三人を始末するよう命じられている。私がやつらを殺す。江戸に入る前にな。」
「天住殿!自分の不始末は自分でつけまする。今手の者を向かわせようとしたところでした。この藤巻、館脇もご一緒されては。」
「ならば藤巻殿、館脇殿、手を貸せ!」
「天住殿、あの娘は三人まとまられると少々厄介。一人づつならば楽かと。」
「藩随一の剣の名手ですので。」
「ならば幾らでも戦略は立てられる。奴等を追うぞ。」
水野は水野派の武士達を集め武装させた。
「お前達、必ずやあの娘を殺せ。」
「はっ」
「来い、お前達!」
天住は叫ぶとマントを翻した。すると黒いマントを羽織った不気味な怪忍者軍団が現れた。全員が蛇蜻蛉の仮面を被っている。天住千景の率いる甲賀蛇蜻蛉衆だ。皆並外れた殺気を放っている。
「頭領!我ら全員終結しましたぞ!」
「うむ、今回は腕の立つ小娘を始末する。御老中直々のご命令だ。天下の命運を賭けた仕事だ。抜かるなよ。」
全員が集まった。
「出発だ!」
天住の声と共に異様な軍団と甲冑武者達は城を飛び出した。だがすぐに黒い影の軍団は蜻蛉のように素早く姿を消した。天住達は別行動を取る。基本的に忍者は単独だ。
「では、先に行っているぞ。」
天住は影のように姿を消した。その様はまるで行き先を影が塗り替えるようだ。影が道をなぞっているような気さえする。三人娘を覆う黒い影のように…
五島藩領内某所
「私たちが逃げたことに気がつけば必ずや追っ手を放つはずです。」
「見つかる前に江戸に行かなくては」
「まずは様子見を」
「沙希、私は今まで良くしてくれた皆を救いたいの。それは貴女も同じでしょう?」
「それは、その通りです。姫様。」
「なら、決まりだな。」
真夜が力強く言う。
「今すぐ江戸に出発!」
「二人とも…私に力を貸して」
「ああ、勿論だ」
「姫様は私がお守りします。」
三人は誓いの握手を交わす。三人娘はそれぞれ胸に抱く気持ちを抑え、これからどうすべきか話し合った。追っては間違いなく来ている。もしこの計画が江戸に知られれば天下の一大事だ。水野派は只ではすまない。我々を何としてでも殺すだろう。そのまえに江戸に行くのだ。三人は決意を固めた。想像も出来ないほどの恐ろしさに身が震える。自分達が幾ら剣の腕が立つからといっても藤巻のあの太刀筋は読めなかった。もしまたあの男と対峙したら…いや、考えるのは止した。もう進むしかないのだ。かつてない苦難の道も三人ならきっと乗り越えられる。そう信じて。江戸に向かう道をしっかりと踏みしめる。父上達を救うために。これから待ち受けるのは雨か風か影か…それぞれの思惑が交差する中、娘達の旅は幕を開けた。空は気持ちいいほどの晴れ空だった。影を照らす光のように…