夏の香は誘惑の眺め
眠そうに眼をこすり船長がコックピットに入ってきた。操縦席では、やはり寝起き顔をした船員ふたりが生あくびを噛み殺しながら計器パネルを睨んでいる。
「おう、お前たち起きてたのか」
「あ、おはようございます五十嵐さん」
「オハヨー、せんちょさん」
「おはようさん。そんじゃいつもの手順で着陸の準備に入ってくれ」
「それがモンダイなのよ」艶やかな褐色の肌をした女性が椅子を回転させ船長の方を向いた。
「なんだ問題って。トラブルか? モニカ」
「まだ到着してないらしいんですよ」とひょろっとした若い男。
「到着してないだと!? それなのにコールドスリープから起こされたというのか?」船長は天井に向かって訊いた。「アレクサ、いまどこ?」
「予定航路上、土星軌道を5万キロ過ぎた地点です」
「なんだと!? まだ半分の地点じゃないか!」
こんどはモニカが訊いた「アレクサ、なにがあった?」
「信号を発信する漂流物を発見しました。信号の様式及び内容は不明です」
「救難信号っすかね」
「むう、見なかったことには……出来んかな」
「えー、スルーっすか。面白そうなのに」
「われらデリバリークルーにはお客様の元へ一刻でも早く品物を届けるという崇高なる使命があるのを忘れたか、バイトくん。太陽系外縁ニュータウンでは我々の到着を皆が首を長くして待っているのだ。それに、プライム会員の特典である5年でお届けの期日を過ぎてしまったらクレームが来るんだぞ。配置換えで倉庫勤務になってもいいのか」
「オレはバイトだから、そうなったら辞めるまでだけど……」
「でも、せんちょ。救助の義務を怠ったら航宙法違反でいっぱつ免許取り消しよ」
「うぐ……やむを得ん。アレクサ、信号の発信源に向かって」
貨物室に船長とバイトくんの姿があった。対峙するのは、化石燃料が使われていた時代にバスと呼ばれていた乗り物とほぼ同じ大きさや形をした白色の物体。窓や扉らしきものはどこにも見当たらない。
配達船が信号を辿っていくと、この物体が浮かんでいた。いくつかの信号を発信してみたが何の反応もなく、おなじ信号を繰り返すのみ。やけになったモニカが、ふたりが止めるのも聞かずに貨物室の搬入口を開けると、この物体は誘導されたかのように滑らかに入ってきて室内に収まったのだ。
「やっぱり宇宙服を着てきたほうがよかったんじゃないすかね」とバイトくん。
「アレクサも危険性は見当たらないと言ってるし、もしこの中の連中が敵意を持っていたとしたら武装を持たない我々にはどうしようもない。ならば身軽な姿で迎えた方がコミュニケーションが捗るというものだよ。おい、モニカ、操縦室の具合はどうだ?」
「オールオッケー! 計器類に異常なしよ、せんちょさん」
「よし、そこからよく見ていてくれよ。記録も忘れずにな」
そのとき物体の横っ腹に長方形の枠が浮かんだ。次の瞬間、枠は音もなくせり出し扉となり、そのままゆっくりと倒れ先端が地面に付きスロープとなった。息を呑み見つめるふたりが次に目にしたのは、スロープを下りてくる大きなブロッコリーだった。ブロッコリーは1メートルくらいの高さで、無数のちいさな足を細かく動かし移動した。中ほどより少し低い位置からにょろっとした太い髭のようなものが前後と左右に4本出ていて、たぶん触手であろう。全身ブロッコリーとしかいいようのない色をしていて、目や口といった器官は見当たらない。続いてもう一体ブロッコリーが現れ、二体のブロッコリーは船長たちから3メートルほどの正面に並び、そこで歩みを止めた。
「え、えっと。はじめまして、コンニチワ。ようこそわが船へ。私が船長の五十嵐です」
だがブロッコリーたちは反応を返さなかった。ゆらゆらと触手を揺らすばかりである。
「はろー。にーはお。ぐーてんたーく。おばんでやす。……ちくしょう、全然反応がないぞ」
「こいつら知的生命体なんですかね? あれは原生生物の輸送コンテナだったりして」
「まいったなあ。アレクサ、彼らと意思疎通して」
「そのご要望にはお応えしかねます」
「くそ、役立たずのAIめ」
そのときブロッコリーの一体がわずかに身を震わせた。バイトくんがくんくんと鼻を鳴らす。
「五十嵐さん、なにかいい匂いがしません?」
「いわれてみればそうだな。この匂いは……」
「あ、海の匂い。日焼け止めの……ココナッツの匂いだ」
「おう、それだ。この甘い匂い。日焼け止めの匂いだ。って、あれ? なんだここは? 私はいつの間に海に来たんだ?」
「わあ、海だ。といってもオレはVRスタジオでしか経験ないけど。本物の海はすごいなあ」
「私だって本物の海は初めてだよ、バイトくん。おや、向こうから誰か来るぞ」
「ほんとうだ。誰でしょうね。どうやら女性のようですけど……水着姿……ですね」
「おう、すごい美人だぞ。それに、ずいぶんとエグイ水着を着ているな」
「こっちに来るみたいですね」
「こ、こんにちは。うわっ、いきなりハグしてきたぞ」
「うひゃあ、オレもハグされちゃいましたよ。いい匂いですねえ」
そのとき貨物室にモニカの音声が響いた。
「オイ! せんちょ、バイト、どうした。なにわけの分からないことぶつぶつ言ってる。大丈夫か?」
その声にふと我に返るふたり。
「うっ、なんだ今のは。幻覚だったのか」
「リアルでしたね」
「匂いがして、幻覚を見せられて……」
「もしかしたらそのまま捕食するつもりだったとか」
「いや、それにしては動きがない。もしかすると……」船長は腕組みをして考えをまとめた。「こいつらの意思疎通は匂いによって行われているのかもしれんぞ」
「まさか、そんなばかな」
「いやいや、あながち突拍子もない発想とはいえんぞ。以前どこかで読んだが、植物の中には化学物質を発して互いにコミュニケーションをとるのがいるらしいんだ。匂いというものも化学物質の一種だからな」
「それにしても、こいつらが水着の美女のイメージを共有しているとは思えんですが」
「いや、水着の美女は『好意』が我々の頭のなかで具体的に変換されただけかもしれんぞ。君と同じイメージを共有していたのは遺憾だがな、バイトくん」
「ふたりともドスケベね。帰ったらカイシャに報告するからね」とモニカの声。
「あ、いや」あたふたとするふたり。
そのとき、ぷうっという大音響。
「なんだねバイトくん。お客様に失礼じゃないか。我々は地球人の代表としていまここに立っているのだよ。それに社の品格も……うっ、くさっ。コールドスリープで腹の中は空っぽのはずなのに、すさまじいな君の体は」
「すみません、難しい話を聞くと出ちゃう体質なんです。それでバイトを転々と。あと、さっき起きた直後にモニカさんと非常用の食料を食べちゃったんで」
「あっ。バイト。それ言っちゃだめだって言ったろ。バカ」
「なにい!? ……まあそれはいい。よくはないが、今はその話は置いておこう。それよりも彼らの反応は……大丈夫だろうか?」
ふたりはじっとブロッコリーたちを見つめた。いつでも貨物室から逃げ出せるように身構えた体勢で。するとブロッコリーはそれぞれ4本の触手をぴんと上に向け、その体をぶるぶると震わせはじめた。
「うわあ」駆け出そうとするバイトくん。だが、その襟元を船長の手がむんずとつかんだ。
「待て! いや、そう暴れるなって。いたい、いたいから。ほれ、見てみろ」
「あれ? 言われてみればなんだか喜んでるみたいですね。それにこの匂い……」
「くんくん、なんだろうな……そうだ、これは!」
「ムスクだ! ムスクですよ五十嵐さん」
「そうだねえ。なんだかホンワカしてきたぞ。……いかん、このままではまた幻覚が……ほええ、ここはナイトプールか……きれいなお姉さんがいっぱい……行ったことないのに、なんでこんなにリアルなんだろう」
「これはたまりませんねえ、五十嵐さん。ほわほわほわ」
「ふたりとも寝ぼけてないで、しっかりしろ! ほら、あいつら動き出したよ。せんちょ、バイト。もう。オーイ」
夢見心地のふたりを尻目に、ブロッコリーたちは自分たちの船に向かった。そしてスロープを上り船内に姿を消してしまった。扉が閉じられると白い物体はまたつるんとした表面だけとなり、音もなく床から浮かび上がった。船長への呼びかけを諦めたモニカが貨物室の搬入口を開けると、物体はゆっくりとエアロックへと進んでいき、そのまま宇宙の彼方へと飛び去ってしまった。
「それにしても不思議な連中でしたね、五十嵐さん」
「ああ、いったい何者でどこから来たんだろうな」
「アイツラ仲間を大勢引き連れて戦いをしかけてきたりしないかナ」
「あの様子ならたぶん大丈夫だろう。気分を害したり敵対的と受け止めたなら、あんな素晴らしいイメージを喚起させる匂いは出さないだろうからな」
「素敵でしたよねえ。夢に出てきそう。ほわほわ」
「もう! ぜったいカイシャに報告するからね」
「そうカリカリするなって、モニカくん。それにしてもバイトくんのプーがお好みだとは、とことん変な連中だったな」
「趣味が悪すぎ。ワタシとは絶対好みが合わないネ」
「ちぇ、ひどいなあ」
「わっはっは。さて、思わぬコンタクトがあったがあくまでも我々の職務はデリバリーだ。商品の到達をお客様が待ってるぞ。遅れた分を気合を入れて取り戻さなければな。というわけで、寝直すとするか」
「はーい」
「オヤスミー」
ふたたびコールドスリープに入った三人を乗せて船は進む。
次に三人が目覚めたちょうどそのころ、地球では何処かから大量のレアメタルが届けられ大騒ぎとなっていた。その量たるや、人類が使い果たすには数十世紀はかかるという途方もないもので、地球人たちは誰が何の目的でといろいろ想像を巡らせては論戦を繰り広げていた。だがそれをデリバリークルーの三人が知るのはもう少し先の話。