表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

なぜ歴史学を学ぶのか

作者: 菜畑三太郎


はじめに

 なぜ歴史学を学ぶのか―――漠然とした、かつ壮大なこの問いに頭を悩まされた一年間だった。この問いに対して私が自身を整理する際に、必ず思い浮かぶある「体験」が存在する。半年前にも同じ題材でレポートを提出したと思うのだが、その「体験」はその際にも私の中で蘇り、決して消えることはなかった。それほど衝撃的な「体験」であった。一年間の節目であるので、まずはその「体験」について述べさせていただき、それを踏まえて私の考えを述べたいと思う。


1.文理間における歴史学への位置付けの乖離

 私の母校は福岡県北九州市の○○高校である。古くは数々の著名人を輩出した福岡県では名のある高校で、現在は東京大学や京都大学を始めとした全国の有名大学に卒業生を輩出している進学校である。私が卒業した際にも多くの同級生が全国の国公立大学に進学していったが、その中に私が在学中懇意にしていたAがいた。Aは私とは違い理系に進学し、現在は東北大学の工学部で学んでいる。そんな彼が一度広島を訪れ、私の家に宿泊する機会があった。お互いに大学で学んでいることや考えたことを肴にしつつ、久しぶりの再会を楽しんでいた。

 ふいに、酒に酔ったAがこんなことを言い始めた。「正直に言って、文系を中心に学んでいる奴がいることが理解できない。世の中を造っているのは理系なんだから、文系科目はもう学ばなくていいよ。」

 この発言にはさすがにムッと来たので、こう反論した。「科学技術を専門に学んでいるのは確かに理系の強みだと思うが、開発された科学技術をどう扱うのかを考えるのが文系の仕事。そして、人間の根本にあるのは『コミュニケーション』であり、人と人が繋がっていない社会は存続し得ない。人の思考や感情を学び、理系の人間を繋ぎ合わせるのが文系の仕事とも言えるんだよ。」

 するとAはこのように述べた。この発言が私の耳から離れない。

 「科学技術がここまで進んだ時代で、人の感情とか思考とかを重視する意味が分からない。それらは作業工程とか技術発展とかを阻害する『非効率的なもの』だし、可能であれば排除したいね。いっそのこと、人間もロボットみたいに感情を失って指示されたことをただ唯々諾々とこなすような存在になればいいのに。」


2.「人と人の営み」を大切にする社会へ

 科学技術が発達していなかった時代において、人間が知識を得るためには「コミュニケーション」が不可欠であった。旧石器時代に始まり、人間はいつの時代においても他の人間と関わり、時に協力したり対立したりして進化を続けてきたのだと思う。港湾一つを整備するか否かで行政側と住民側が対立し、妥協して宇品港が造成されるなど、歴史は「人と人の営み」を考慮に入れなければ語ることはできないであろう。それはインターネットの浸透などにより希薄になりつつあるが、現代においても形を変え続いている。直接面と向かって会話をしなくとも、TwitterなどのSNSで会話をすることも「営み」に含まれるものであると思う。

 なぜ人は他人と「コミュニケーション」を取り続けてきたのか。それは、人が一人では生きていけないことを示している明確な証拠であると思う。そのことは歴史が証明している。「コミュニケーション」が大切にされていない現代においてこそ、歴史を振り返って人間にとって「コミュニケーション」がいかに大切であったかを学ぶ必要があると思う。そのことこそ、「歴史学を学ぶ意味」につながるのではないか。


結びに代えて

 前回同じテーマでレポートを作成した際は、「国家的反省」としての歴史学について述べたと思うが、理由付けとしては極めて後ろ向きであり、自分の中で納得のいかない部分がかなりあった。今回は歴史学を学ぶ意味に対して積極的な理由付けをしたいと思い、前回とは視点を変えて意見を述べさせていただいた。

 思えば、歴史学を学ぶ意味、と一言で言っても果たして明確な答えがあるのだろうか。おそらく個々人単位では明確な答えがあるのだろうが、全員が「確かにそのとおりである」と思えるような万人共通の回答は存在し得ないのではないか。世界の構成要素を観測し、そうして得た構成要素にどのような位置付けや理由付けを与えるのかはその個人次第なのではないかと考える。豚骨の臭さが残る博多ラーメンがなければ生きていけない、と思えるほど私はとんこつラーメンを愛しているのだが、とんこつラーメンの臭さが苦手な人もいる。さらに、とんこつラーメンが好きな点では同じだが、細くて堅い麺が好きなのか、濃厚なスープが好きなのか、細かい点では差異が生じる。それと同じく、歴史が好きで日本史を学ぶ人はたくさんいるかもしれないが、「なぜ」という部分にこだわると必ず差異が生じると思う。その人しか体験していない出来事や、生まれ育った環境が影響するからだ。

 私の中で、今回記したことがこの問いに対する最適解である。しかしそれは万人にとっての最適解ではない。同じくレポートを作成してくる同級生の考えていることを取り入れたりして、歴史学を学ぶ意味に対する多様な視点を得てみたいと思ったところで筆を置きたいと思う。


ぜひあなたなりの「なぜ○○を学ぶのか」を考えてみてください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 私は歴史を学ぶ意味は、過去を知ることで失敗を回避すること。同じ過ちを繰り返さないことだと思います。 人間は歴史を繰り返すものです。 今の状況に似たことが過去にあり、その経過と結果を学ぶこと…
[良い点] 己の体験に由来する問題意識を提示しているので、読者としては考えやすい。 [気になる点] 先づ、この文章がどのような意味合いで書かれ、ここに提示されたのか、それが良く分らない。なろうのエッセ…
2019/02/24 05:24 退会済み
管理
[一言]  17世紀後半からはじまる『啓蒙主義』の時代において、科学主義と合理主義は蔓延した。  フランス革命の思想的起点は社会契約説だが、それを民衆の団結としたのは、リベラリズム(啓蒙主義)である…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ