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水星人  作者: 宗谷薄暮
プロローグ
1/3

プロローグ

 自我における離散的選択の発生。

 乾びた眠気、

 喧しいネオンサインらの書架、

 ドミノ倒しと錆びた埃。

 排他的論理和。

 空転する車輪の垂直成分、

 道端の石が疼き、

 未定義のクラスを指定。



 ——水星人














 ゴウーンゴゴゴゴ……ゴウウー……




 町工場の大きな電動機が発するような重低音とは、現実に鳴っているのか、それとも耳鳴りだろうか、幻聴だろうか。深く意識を傾け、鈍い響きの中に身を委ねるも、その正体は推定できない。どうも定期が失効しているようだから、その音の海に溺れるのが限界のようだ。ミキサーによってある秩序を失えば、如何なる抵抗も虚しく、私は沈むしかないのだ。


「どうか、かえしてください、かえしてください。どうか、かえしてください……」


 その問いに答えはないが、問いは無い。彼は答えない。私に与えられる予定のそれは、彼が破棄した選択だ。不服を訴えることは空の瓶であるのと同様で、私は道端の石である。ここでは私と道端の石に、概念的な差異はない。

 道端の石は、アーシーかつ優雅な時間を持つ。肉体と何ら変わらない感覚がある。石になった私は、かつて爪切りで分断された彼らも、それぞれの感覚を有していたことを知った。感覚から感情は生まれずとも、常に体験を内包していた。固有領域と言えど、蒸留水に広がる緋色のように、有限な境界を持たず、有機生命の集合とは明確に異なる領域。何故それらを優位な我々が獲得し得なかったのか、それ自体は難しい問題ではない。素粒子たちの観念は、彼らのみが特権的にアクセス可能な体験であって、管理者も無制限に参照できないのだ。我々はブラックボックス化された彼らの信号を伝達して、脳という体系化されたシステムによって初めて感情と記憶へと昇華しているに過ぎない。




 ゴゴゴゴ……ゴウーー……




 あの重低音は未だ、不規則な変化の中を揺らいでいる。恒久の乱数的試行の末、感情と記憶が導出される。次第に、珪素的な振動は鼓膜の弛緩に、無数の光子の衝突は水晶体を通過する電磁波に、自由電子の拡散は神経系ネットワークに転じる。

 意識が生じる。反作用的に意図しない音節が口から漏れる。


「水星人」


 ……それは何だ? 私ではない。




 ガガガ……ゴゴーウー……ツーッ……




 一つの信号が、全神経を刺激する。そうか、彼がこの選択を破棄したのだ。彼の残滓から私は彼を取り戻さなければ。ああ、私は夢遊病者だ。彼自身によって取り戻されなければならない。そして、私は彼によって再び奪われなければならない。



 ピピピピピピピピピ……



 電子音が反響する。覚醒によって一つの世界が霧散し始める。ああ、この消えゆく世界のどこかに彼が居るのだろうか。

 そんな不安をよそに、最寄駅の改札が眼前に現れる。彼が通る改札だ。しかし私が通らなければならない。早く通らなければ。そうしなければ、いつか彼が通る機会さえ失われる。

 そんな悠長に悩んでいる暇はない。会社員が、主婦が、老人が、学生が、人が、私が、押し寄せる。早く。早く、早く通らなければ。



 ピッ



 ICリーダに手をかざすことで、彼との契約で移譲された権利が与えられる。改札を抜ける。世界が消失する。選択する。


「必ず、貴方を」


 曖昧と明確の境界を通過する。乱雑な情報を含んだ記憶は正規化され、道端の石は道端の石となり、私は私となった。



 新しい定期券が発行されました。新しい定期券が発行されました。新しい定期券が発行されました。新しい定期券が発行されました。

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