第09夜:殺戮の無骨少女と魅惑の午餐会(前篇)
ここは、魔法都市国家群・首都パルフェルム中央宮殿。
その玉座の奥には、贅を尽くした食堂がある。マホガニーで作られた年代物の食卓。磨かれた銀の食器や燭台。ずらりと並ぶクリスタルグラスの杯。
百人乗っても大丈夫そうなこの食卓には、彩り鮮やかな昼食がずらりと並ぶ――
そんな正午のひと時、近頃のレイシャは誰か手の空いている者を招いて、共に食事を摂るようになった。それは先日、期せずして行われたソーニャたちとの食事会を久しく楽しいと思ったからだ。
本日も一家団欒――もとい、歓談楽しい昼食会と相成ったわけである。
「どうだ、美味いか?」
「こーていさま、美味しぃーですーっ」
いつも暇を持て余しているソーニャは、今日も今日とて当然のようにお呼ばれして、蜂蜜とマーマレードをたっぷりと乗せたパンケーキを頬張る。
ソーニャはこくんと小首を傾げ、フォークに刺さった齧りかけのパンケーキを掲げた。
「こーていさまも、たべる?」
「こ、こら、ソーニャ」
ソーニャの粗相に恐縮しつつ口を挟むは、親衛隊長・ヒルデガルド。本日は休暇にもかかわらず宮殿へ出仕していたので、ついでだからと食堂へ招かれていた。
「マ、我が皇帝にそのような……」
「よい、赦す」
あ、つい即答しちゃった。
「あ、わわぁあぁ……よ、よい、よよよい」
そのおかげで慌てたヒルデガルドが、ちょっとオカしなことを口走った。なんだ、よよよいって。どこぞの時代劇のようだぞ、ヒルデガルド。
先刻から彼女が緊張気味となったのは、どうやら自らのテーブルマナーの無作法を気に掛けているからであろう。そんなもの、気にしなくてもよいのに。
「あ、あの、レイシャ様……」
「なんだ?」
「客人であるソーニャはまだしも、私めがご一緒するなど……」
「いいから、貴様もとくと味わうがよい」
おっと、何だか魔王みたいな言い草になってしまった。ヒルデガルドが時代劇みたいなことを云い出したせいである。きっと。
「はぁ……有難き幸せで御座います、我が皇帝」
戸惑いつつも恭しくそう告げると、ようやくナイフとフォークを握りしめた。早々にそうしていればよいものを。ただし先程からレイシャには、ちょっとした違和感がある。
「ヒルダよ、構わぬ。構わぬが、ひとつ物申すぞ」
「ハッ、何なりとお申し付けくださいませ」
「そもそもいつから余を我が皇帝と呼ぶようになった?」
「えっ?」
「んっ?」
それはエートの世界でいう独逸語であるはずだ。なんでわざわざ独逸語なのだ。語感か。語感が目的なのか。それとも何か、他に理由があるのか。
「今までは余をその様に呼んでいなかっただろう?」
「はっ? ええと、そう申されましても、はて……?」
心当たりがないような顔をして、どうやら思い出せぬようだ。
レイシャが故あってエイティシアの建国当初、権威付けの一環として皇帝の座を冠した際には、独逸語などで呼ばれていることはなかった。
だから誰かが、どこかのタイミングでそう云い出したに相違ないのだが。
「今まで通りに余を呼べばよいだろうに」
「そう申されましても、ずっと我が皇帝とお呼びして長いもので」
「なんだ、忘れてしまったとでも云うのか」
「はぁ……まぁ……」
ヒルデガルドは戸惑いながらも恐縮している様子だ。
ならば余が一役買って、思い出させてやろうではないか。
「では、ついでに教えてやるが」
「はい」
「ちょっと前までお前は、余のことを『姉貴さま』と呼んで――」
「ぴゃあーっ!?」
おおお、いつも厳しい表情のヒルデガルドから、珍しい声が聞けた。
「思い出したか」
「お、思い出すも何も、びっくりで御座います!!」
「そうか、ハハハ。びっくりか、ハハハ」
「それは、私も幼い頃がありますから! 仕方なかとです!!」
ヒルデガルドから聞いたことのない方言が出た。慌て過ぎもいいところだ。
「ああっ、失言です……はぁ、もぅ!」
「いや、それでいい。今日のヒルダは実に愉快だ」
「私としては、冷や汗ものの連続で御座います」
「では、こうしてみてはどうだ?」
そこでレイシャは悪戯心が重なって、ひとつ提案をしてみることにした。
「と、申されますと?」
「この午餐会の間だけ、余を昔の呼び方で呼ぶがよい」
「ハッ!? ひっ、ふ、ふえぇ……!」
「たまには童心に戻ってもよかろう」
ヒルデガルドは真っ赤になって俯いてしまった。
たらたらと大粒の汗を膝へ落として、恥ずかしがっているようだ。
「さぁて、どうした」
「う、ううっ……う、あ、姉貴さまぁ……」
意を決したように顔を上げると、絞り出すかのようにして口にした。
すると、ヒルデガルドの横顔をじーっと見ていたソーニャから、
「ヒルダ、かぁーわいぃーっ」
と、黄色い声援が飛んだ。
うん、可愛い。とても可愛らしい。レイシャも同感。
「んなっ、なんと!」
「ヒルダ、かぁーわいぃーっ」
「レイシャ様も真似しないでくださいっ!!」
つい、真似しちゃった。
「うーん、だが今の呼び方は駄目だぞ、ぶっぶーだ」
「ううっ、レイ……ああ、姉貴さま……もうっ!」
頬を上気させるヒルデガルドは、恥ずかしげにも嬉しそうである。
実はレイシャは知っていた。ヒルデガルドがレイシャのことを、昔のように呼んでみたいと、ずっと心の中で願っていたことを。
「ふふっ、よいぞ……それでよいのだ」
ヒルデガルドの年齢は、長命なダークエルフにとってちょうどお年頃でもある。
人間でいえば還暦を過ぎている年齢とはいえ、エルフ族にとっては今まさに成長期真っ盛り。それは甘えたい盛りでもあり、背伸びをしたい年頃でもあるからだ。
レイシャが皇帝である以上、その臣下たる自分は甘えてはならぬ――そんな枷を自らに課してしまいがちなところがあるヒルデガルドのことだ。自分から口にすることは、決してないだろう。
体面構わず明け透けに『お姉さま』呼ばわりする、ヴァンフリーデ。
普段は厳格だが、たまに『お姉ちゃん』と甘える、アナスタシア。
そんな中、ひとり妹が増えたところで、どうということはない。レイシャにとって今更なことであり、臣民の全てがレイシャにとって妹のようなものだのだから。
「ほら、もう一度。余をそう呼んでごらん」
「はい、あの……姉貴さま」
そう云ってヒルデガルドは、わだかまりを捨てたように小さく微笑んだ。
やはり今日の昼食は、いつもより美味しい。それからのんびりと昼食を摂りながら、より一層会話が弾んだことは、もう云うまでもないだろう。