第08夜:魅惑の昼食会議
ここは、魔法都市国家群・首都パルフェルム中央宮殿。
荘厳にして広大な玉座の間。その更に奥。そこには贅を尽くした装飾を誇る食堂がある。年代物なマホガニーの食卓上には、磨かれた銀の食器や燭台。葡萄酒の注がれたクリスタルグラスの杯。
彩り鮮やかな昼食を前にして、少し退屈そうな表情でレイシャはそこに居た。
「ふむ……孤独の食卓とは、実に味気ないものである」
だだっ広い食堂の中で、話し相手もなく独りぼっちの食事である。
もちろん呼び鈴の音が聞こえる程度の距離には、数人のメイドが立つ姿は見える。きっと食事の邪魔をしないよう、彼女たちなりに気遣っているのだろう。レイシャからは遠く距離を置いていて、豆粒程度の大きさにしか見えない。
「いやしかし……本当に豆粒のようだぞ、メイド」
それにしても広くないかな、ここ。
うん。どうみてもやっぱり、広すぎるんじゃないかな。
そう独り言ちても、誰かの耳に届く訳でもない。
しかし皇帝の食卓とは、誰しもがこういう孤独なものなのだろうか。
以前は必ずといって、ヴァンフリーデやアナスタシアと食卓を囲んでいた。
だがレイシャは今や、西方大陸を治める皇帝の身と相成った。それ以降、主君を輔けるべく重職に就いてしまった彼女らは、多忙により食事を共にすることは少ない。
とはいえ、孤独は決して苦手ではない。魔法の研究に身を投じている間など、独りぼっちでもさして気に病むことはなかった。そのあたりどこぞのハイエルフとよく似ている。
しかし時に、そのハイエルフたち――アーデライードや瑛斗らと、賑やかな食卓を囲んでいた懐かしき日々を、ぼんやりと想い出す――ただそれだけである。
「だが想い出してしまうと、少々寂しくなってしまった」
当時は鬱陶しいと感じていた騒然な食卓も、今となっては懐かしい。
そんなことを片肘を突いてフォークを揺らしつつ、ぼんやりと思い返していると、冷気を帯びたよく知る魔力が、ふんわりと食堂内へと漂い始めた。
遠くの扉からレイシャ付きの執事が、やや急ぎ足で歩み寄る。
「レイシャ様、お食事中失礼し……」
「よい、通せ」
恭しくお辞儀する執事の言葉を遮って、早々に許可を出す。
誰が訪れたのか。レイシャには聞かずともよく分かっていた。
「ご機嫌麗しゅう、我が皇帝」
果たして姿を現したのは、参謀総長・アナスタシア。
古き我が弟子にして、氷魔法を操りし最高峰の魔術師である。
「ほう……随分と可愛らしい客人が御一緒の様だな」
「おや、気付かれましたか」
アナスタシアが外套を翻すと、その影に小さな幼女が寄り添った。
彼女の精霊語魔法により、姿と気配を冷気の中へと溶かし込んでいたのだろう。蒼色の外套の端から、愛らしい顔がそっと顔を出した。
それは蛮族の精霊使いにして、緋熊幼女のソーニャである。
「気付かんでか、アナスタシアよ」
「彼女は恥ずかしがり屋でしてな……人前に姿を見せるを是とせんのです」
ソーニャはおずおずとアナスタシアの隣に引っ付くと、小首をこくんと傾げた。
ふふっ……この稚児め、なかなかやりおる。自らの愛らしい仕草を能く心得ておるようだ。あまりに可愛らしすぎて、思わず笑みが零れちゃった。
「ヒルデガルドから聞き及び、改めて連れて参りました」
どうやら先日の一件がアナスタシアの耳にも届いたようだ。
元はと云えば、この緋熊幼女はアナスタシアの客人である。たまたま中庭に居たところをレイシャが見つけてしまったが、本来は彼女から紹介を受けるが、まず筋であろう。
「丁度良いところへ来た、アナスタシアよ」
「それはそれは、如何致しましたか」
「折角だ。余の昼食に付き合わぬか?」
「それは願ってもないことです、我が陛下」
レイシャは呼び鈴を鳴らすと、メイドに支度をさせる。
ソーニャをテーブルへ招くと、少し恥ずかしそうな表情を見せつつも、アナスタシアとレイシャの真ん中の椅子へと収まった。
「内戦の嵐吹き荒れるタンドーラへ踏み入れて、間もなくの頃でしたか。イスタリアの兵どもに襲撃を受ける寒村を救ったところ、この娘を村の長から預かりましてな」
アナスタシアはソーニャの頭を優しく撫でながら、幼女との出会いを語り始めた。撫でられてソーニャは、猫のような表情で気持ちよさげに目を細める。
「村長は、古き伝承による『運命の子』などと呼んでおりましたが……現地案内人としての能力も然る事ながら、私はこの娘の穏やかな性格をとても気に入りまして」
アナスタシアの話中、ソーニャは提供されたパンケーキを夢中で頬張っていた。蛮族の村出身である彼女は、こういった料理を食べたことがないようだ。バターと蜂蜜をたっぷりと落としこんだパンケーキの味を、大変気に入ったようである。
レイシャはそんな様子を微笑ましく眺めつつ、些か腑に落ちぬ点を訊ねた。
「ほう、ソーニャは不可思議な魔力を持っているな」
「やはりレイシャ様もそう見立てますか」
「ふむ……容姿は幼いが、年齢はヒルダと同じくらいであろう」
「……なんと」
ソーニャと比較されたヒルデガルドは、ダークエルフとしてまだまだ若い。
若いとはいえ、あくまでエルフ族での肉体年齢の話だ。ヒルデガルドの実年齢を人間で換算すれば、とうに還暦を過ぎている。
そして標準の人間と比べれば、背は低い方であった。例えるならば、人間の中学生程度の外見であり、背の順で同学年を並ばせれば前の方――といったところか。
「通常ならヒルダと同様に、年齢と肉体は比例するものだが、さて」
「確かに……ご慧眼恐れ入ります、我が陛下」
しかしそんなヒルデガルドにもまして、ソーニャの身体は小さかった。人間で例えれば、十歳に満たぬ幼女くらいのサイズと容姿であろう。
これは精霊の力か、魔力の作用か――当のソーニャと云えば、首を傾げてきょとんとした顔をしている。さては自らの精神と年齢を正確には把握していないようだ。
「恐らく、何らかの封印が施されているのだろうよ……どれ」
レイシャの赤い瞳は煌々と光を帯び、ソーニャの技量能力を読み解く。
魔導師であるレイシャには、精霊語魔法は門外漢である。とはいえ、魔力と精気が相対する魔術回路は手に取るように分かった。彼女の体内で猛り狂うような精気は、その周囲の魔力を使って押し込こませているかのようであった。怒涛の如く逆巻く二極の気流を認めたレイシャは、幼女の身の内に潜んだ尋常ではない精気の貯蔵量に、少々眉をしかめる。
「ふーん、面白いものだな……」
そう簡単に述べるにとどまった。そんなことはレイシャにとって些細な問題だ。
レイシャ自らも生まれながらにして、身の内に膨大な魔力を秘めている。そして世界中の精気を味方に付けたかのような、世界最高峰と称される高位精霊使いとずっと身近に接してきたのだ。
だからどうということはない。レイシャには動じる要素など何一つなかった。
そう云えば、あの人は元気かな――そうぼんやりと思い出していると、
「こーていさま」
先程まで一心不乱に頬張っていたソーニャが、不意に顔を上げた。
「ん、なんだ」
「これうまい」
蜂蜜で口の周りをべとべとにしたソーニャが、真顔で云った。
「もっと食べてもいいのだぞ」
「ふきゅーん!」
そう告げると、ソーニャが満面の笑みで喜びの声を上げた。
なんだこれは。小動物を眺めるが如し愛らしさであるぞ。
「先日も申したが、ソーニャよ」
「ふみゅう?」
「余は心より歓待する。是非、ゆっくりと逗留して参られよ」
「ソーニャ、こーていさま大好き!」
いきなりソーニャから告白された。
「ここ好き! おいしいのも好き! みんなだーい好き!」
「こらこら、ソーニャ……」
「好い、赦す」
即答。是非も無しである。
「もっとパンケーキを食すがよい」
「レイシャ様……」
「ジャンジャン持ってこい」
「レイシャ様?」
「ほっぺをぷにぷにして宜しいか?」
「レイシャ様??」
「ついでにお持ち帰りしたい」
「レイシャ様ッッ?!」
結局、アナスタシアに止められた。
この期に及んでツッコミしか考えられない参謀総長であった。
おかげで――当初感じていた孤独の食卓は、もうそこにない。
今日の彼女は、首に巻き付けた『黒き精霊の腕輪』に触れながら、都市を見下ろす宮殿の開け放った窓から朗らかな笑い声を響かせるのである。