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第07夜:魅惑の緋熊幼女

 ここは、魔法都市国家群・首都パルフェルム中央宮殿。

 宮殿の主にして皇帝であるレイシャは、いつものように城砦の最上階は小塔(タレット)の窓辺に佇み、窓下に広がる景色をぼんやりと眺めていた時のことである。


「ん……なんだあれは?」


 そう呟くレイシャの目に留まったのは、宮殿の中庭にて動く茶色い物体。

 見たことのない正体不明の物体が、中庭を歩き回っている。記憶力の良いレイシャでも、宮廷内でそんな容姿に該当する生き物など何ひとつ思い当たらぬ。

 何となしに気になったレイシャが、瞳を凝らしてよくよく見てみれば――


「あ、くまさん……」


 世に炎帝と誉れ高きエイティシア皇帝は、誰に聞かせるでもなくそっと呟く。

 くまさん――それは、エートに初めて貰ったプレゼントのひとつ。そのおかげでくまさんのぬいぐるみが好きだ。大好きだ。いまだに大好きだ。


「くまさんが、歩いている」


 それはまるで、等身大のぬいぐるみくまさんである。

 何故か宮殿内の中庭を、ちょこちょこと歩き回っているのだ。不恰好にぎこちなく動く姿が実に愛らしい。よってその謎の物体は、レイシャの心を大いにくすぐった。


「ヒルデガルド! ヒルデガルドはいるか!」

「ハッ! 此処に御座います!!」


 いつものように素早く小気味よい返事が返ってきた。だがそれは控室のドアの向こう側からではない。レイシャの感覚が確かならば、その声は窓の外から聞こえてきたはずだ。

 そこで小塔(タレット)の窓辺から身を乗り出すと、果たして宮殿は外壁の小窓から、顔を覗かせるヒルデガルドがそこにあった。相変わらず幼いながらも厳格な表情である。


「…………」

「…………」


 さて、どうしたものか――レイシャは彼女の表情を伺うように、じっと目を見つめた。真剣な眼差しで見つめ返すヒルデガルドと、階を跨いだ状態で暫し顔を見合わせる。


「そこは、トイレだな」

「……ハッ!」


 ヒルデガルドが顔を出している小窓は、紛れもなくトイレの小窓である。職務に忠実で実直な少女は、つい条件反射で応えたのだろう。硬直させた表情のまま、頬はみるみるうちに朱に染まる。


「パンツは、ちゃんと穿いたか?」

「ま、まだであります!」


 まだなんだ……というか、素直に答えちゃうんだ。

 そこは言葉を濁してくれちゃってもいいのだぞ。


「まぁ、座れ。ゆっくりするがよい」


 レイシャは思わず、遠方より訪れた客人を持て成すような口調になった。そこトイレなのに。しかし任務に忠実で真面目すぎる親衛隊隊長も、こういう時は困りものである。


 さて――数分後。

 姿を現したヒルデガルドは、顔を下へ向けたまま平伏するように現れた。


「レイシャ様ぁぁっ!! 我が身の無礼をば御赦しを……申し訳御座いません!!」

「構わん、生理現象だ。余に遠慮することはない」


 むしろ他人の都合も考えず、勝手に呼びつけたのは自分の方だ。それでも君主の意に沿おうと応じてくれた行為は、称賛こそすれ批難する謂れなどなかろう。


 それにおしっこは我慢しなくていいって、エートもゆってた。


「それよりも……あれはなんだ?」


 ヒルデガルドを窓辺へと誘うと、細く形の良い指を以てして指し示す。謎の等身大くまさん状生物について、レイシャは改めてヒルデガルドに問う。


「あれは、その……アナスタシア参謀長殿が、対イスタリア王国のタンドーラ戦線に於いて連れ帰った現地案内人でして。蛮族系の精霊使い(シャーマン)であります」


 此度のタンドーラ地方解放戦争に於いては、現住民の協力が必要不可欠であった。

 電撃的な開戦より三か月間という早期終結を計れたのは、地理に明るい現地案内人の協力を得たことが何よりも大きい。地の利を得てこそ、戦局は有利に動く。


「あれがその現地案内人だと申すか」

「はっ。アナスタシア様の肝煎りで連れ帰ったとのことですが、さて……」


 アナスタシアが気に入ったとなれば、一角(ひとかど)の能力を備えているに違いあるまい。しかし――それにも増して引っ掛かるのは、あのモフモフとした外見である。


「ところで、くまさん……いや、あの熊の被り物は、何だ?」

「ええと、あれは現地精霊使い(シャーマン)の装束――そう聞き及んでおります」


 なるほど。呪術的な効力を得るため、その地に住まう神獣とされる獣の力を借りる手法は多いと聞く。例えば、獣の皮を被って獣そのものに成り切ることにより、その神獣の魔力(オド)をより一層強く借り受けることができる、などといった伝承だ。


「ふむ……」


 そうレイシャはひとつ唸ると、唐突に窓からその身を躍らせた。あのくまさん……もとい、熊装束の現地案内人とやらを、傍近くで見てみたくなったのだ。


「レイシャ様!?」


 その姿を見たヒルデガルドも、慌ててレイシャの後を追う。当然、二人とも空中を自在に飛翔する古代語魔法(ハイエンシェント)「フライ」を詠唱することができる。

 自由落下に身を任せつつ魔法を完成させると、熊装束の案内人のもとへと舞い降りた。


「んおっ」


 突然現れたレイシャたちの姿に、驚いたくまさんが声を上げて身じろぐ。

 その声は思った以上に幼くて愛らしい声をしていた。身に着けた熊装束も、生皮を剥いだような本物の毛皮かと思っていたが、思いのほかファンシーである。


「ヒルダよ、これが現地の衣装であるか」

「いえ、それは……こっちの方が、ちょっと可愛いかなって」


 ヒルデガルドが言葉を濁す。どうやらわざわざ着替えさせているようだ。


「ふむ……ではヒルダの趣味か?」

「はっ、や、あの……!」


 そう問われたヒルデガルドは、しどろもどろになった。


「自分と参謀総長殿は、可愛いものが好き……で、ありまして……」


 このヒルデガルド。いつもは厳しい表情を崩さず、身に纏う軍服も着崩さぬ、規律正しい軍人である。だがプライベートでは、見掛けに寄らず乙女チックな趣味がある。


「ふむ、そうか」

「も、申し訳御座いま……」


 今日は珍しく犯した重ね重ねの失態に、ちょっと泣きそうな顔になった。


「いいぞ」

「……は?」

「いいぞ、よくやった」


 そんなヒルデガルドに対してレイシャは、極めて冷厳な表情のまま真剣な眼差しで、ぐっと親指を立てた。サムズアップである。


「余はその嗜好と見識、嫌いではない。嫌いではないぞ」

「ハハッ、畏れ入ります!」


 敬愛するレイシャに叱られるのを覚悟して、泣きそうな顔をしていたヒルデガルドの表情が明るく輝く。レイシャより得た称賛は、彼女にとって至上の喜びである。


「あ……」


 そんな二人のやり取りをじっと見守っていた、熊装束の現地人が小さな口を開く。

 少々屈み込んでその表情を覗いてみると、愛らしい幼女の姿がそこにはあった。彼女の種族はダークエルフ。タンドーラ地方に少数存在するという蛮族の出自だろうか。


「あ……あんた、だれ?」

「こらっ、こちらは皇帝陛下にあらせられるぞ!」


 そんな幼女の無礼な台詞に、ヒルデガルドが慌てて諫める。

 皇帝陛下と聞いた幼女は、真ん丸な目を更に大きく見開いた。


「よい。そなたの名は何という」

「ソーニャ……」


 問われた幼女は名を答えると、レイシャの顔をじっと覗き込む。


「どうした。何か余に聞きたいことでもあるか」

「あんた、タンドーラ、えーゆうのむすめ……」


 そう言われたレイシャの表情が、満開に彩られた春の花園が如く華やいだ。

 優しくも美しい微笑みが眩しくなるほど、周りの薔薇までもが輝きだす。

 かつてレイシャが幼かった頃、瑛斗と共にタンドーラ地方へ赴いたことがある。この幼女はその時のことを云っているのだと、思い当たったからだ。


「そう……んふ、英雄の娘、だよ」


 あれから凡そ三百年――エートがタンドーラの英雄で、自分はその娘。

 史実では仮の娘だが、その認識が今もタンドーラの地に残されている。それが溜まらなく嬉しい。皇帝である立場を忘れ、つい素に戻ってしまうほどに。その一言が嬉しくて、気分が昂ぶるくらい嬉しくて溜まらなかった。


「だから力を、かした。こたびも、ありがと」

「うむ、此度の戦果はそなたのお陰だ。こちらこそ礼を云う」


 レイシャがそう告げると、何故かソーニャは頭を差し出した。

 それを見て何となしに頭を撫でると、幼女は気持ち良さげに目を細める。


 な、なんだ、この可愛い生き物は……!

 何故か胸のあたりが、きゅんきゅんするぞ!!


「ヒルデガルドよ」

「はっ!」

「お持ち帰りしたい」

「御意!」


 とはいえソーニャも一個の人間である。如何に皇帝の身分であるとは云え、個の人格を無視して好き勝手に意のままとする気はレイシャにない。

 よってレイシャはソーニャへ向けて柔らかな笑顔を贈ると、素直な気持ちを申し出た。


「タンドーラの申し子よ。余は心より歓待する。暫し逗留して参られよ」

「ん、ソーニャもうれしい」


 幼女は乏しい表情ながら、小さく微笑んでこくんと首を傾げた。

 フカフカのくまさん着ぐるみと相まって、実に愛くるしい仕草である。


「ヒルデガルドよ」

「はっ!」

「よくやった。グッジョブである。今後ともその調子で頼む」

「ああっ、お褒めに預かり光栄であります!」


 レイシャは頬を紅潮させながら傍仕えの従者を褒め称え、傍仕えの従者は敬愛する主人より讃賞を頂いて、胸を熱くするのであった。

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