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第06夜:殺戮の剣歯虎

 ここは、魔法都市国家群・首都パルフェルム中央宮殿。

 荘厳にして広大な玉座の間。その隣にある第二執務室にレイシャはいた。


 華美な装飾ない重厚な執務机に着いた彼女は、艶やかな口唇から吐息をつくように古代魔法語(ハイエンシェント)を呟くと、書きかけの魔術書に指を滑らせる。するとペンを使わずとも真っ白な紙の上に呪文(スペル)がするすると記載されてゆく。

 これは魔術師が容易に文字を記するための共通語魔法である。新たなる魔法の研究に余念のない彼女は、日々のアイディアを自分の魔法書へこうして残しておくのだ。

 その手をふと休めたレイシャは、メイプルシロップをたっぷりと落としたアイスティーに口をつけ、物憂げな表情を浮かべてぽつりと独り言ちる。


「やはりこちらの方が落ち着くな……」


 レイシャの云う「こちら」とは、第二執務室のことを指す。

 西方大陸随一と称される荘厳な玉座の間でも、数々の秘宝で彩られ贅を尽くした第一執務室でもなく、質素でモノトーンだが実務的なこちらをよく好んで利用する。

 広いトコは、どうにも落ち着かない――それが一番の理由である。


「気づけば遠い所へと来た気分だ」


 皇帝など身分不相応なものだ。それに不自由しか感じない。

 例えばレイシャは、どちらかと云えば今でも狭い部屋を好む。それは瑛斗やアーデライードたちと過ごした日々が、自分の根底にあるからではなかろうか。

 尤も、隣に瑛斗が居ればどこでもよかったのだが――いつだってそう思う。

 皇帝の地位に上り詰めるほど力をつけてしまったのだって、ただ瑛斗に褒めてもらいたい。ただその一心でつい頑張り過ぎてしまっただけなのに。


「それにしても……ふふっ」


 先日の魔力間相転移動的時間魔法(タイム・リープ)の成功の折。数百年ぶりに出会った瑛斗は、とても驚いた表情をしていたっけ。幼い頃の思い出の中に住まう瑛斗は、とても大人びていたのに。あんなに可愛らしい顔だったなんて、思いも寄らなかった。

 いつもは無表情なレイシャだが、ついニヤニヤと頬が緩んで相好を崩してしまう。


 その時だった。執務室はせっかちに扉をノックする音に見舞われた。


「んっ、何者か」

「ハッ、ヒルデガルドに御座います、陛下」

「何用か、入れ……あ、いや、暫し待たれよ」


 いけない、顔がニヤけたままだった。というか声もちょっとふやけてる。

 瑛斗との久しぶりの再会を思い出して、つい妄想に浸り込んでしまった。扉が再び開く前に、緩みきった表情を慌てて修正する。


「よし、いいぞ」

「ハッ!」


 許可を得て入室するは、よく見知った浅黒い肌にやや幼い顔立ち。

 帝国軍の軍服に身を包み、右目に眼帯をした美貌のダークエルフである。


「ヒルダよ、何用か?」

「レイシャ様、何か御用命は御座いませんか」

「ない」

「ハハッ、畏まりました!」


 そう恭しくお辞儀をする彼女の名前は、ヒルデガルドという。階級は帝国軍大佐であり皇帝直属の親衛隊隊長である。

 実直で厳格な性格であり勇猛果敢な魔法(ミスティック)剣士(フェンサー)として武勇を誇る彼女は、巧みなサーベル捌きで『殺戮の剣歯虎(サーベルタイガー)』の二つ名を持つ。

 そんな彼女は気配を消して戸口へ立つと、直立不動で何故かその場に居続けた。


「…………」


 あ、いや――違うな。

 こちらへじりじりと近づいている。たぶん分速十五センチくらい。

 彼女は前のめりな性格だから、身体がこちらへ傾いているのだろう。


「レイシャ様、何か御用命は御座いませんか」

「ない」


 そう素っ気なく返すと、またも直立不動で前を向く。

 でもやっぱりこちらへ近づいてきている気がする。分速十五センチくらい。


「…………」


 いかん……気になる。すごく気になる。

 こっちを見ぬ振りをしてるけど、ちょっと視線を感じる。

 あ、ホラやっぱり。なんかじっとこっち見てるし。

 何故か分からないけど、今日に限って熱意が違うな。

 だめだ。執務に全然集中できない。


 そうして三十分も経った頃、唐突にヒルデガルドが口を開いた。


「レイシャ様、何か御用命は御座いませんか」

「ない」


 ちなみに放っておけば、三十分置きにこの調子である。たぶん。


「レイシャ様、何か御用命は……」

「ない」


 あ、ホラね。やっぱりね。

 しかしどこか物惜し気な表情でこちらを見ないで欲しい。


「しかし……」

「では、そうだな」

「ハッ!」

「下がれ」

「ハッ、下がります!」


 そう命じられたヒルデガルドは、直ちに退出すべく踵を返した。皇帝であるレイシャの勅命は、彼女にとって絶対である。


「レイシャ様、御用命の際はお呼びつけください!」


 そう云って彼女は、名残惜しげに幾度となく振り返る。

 レイシャが顔を上げるたび、その場に留まっていたヒルデガルドが少しずつ後ろへ下がる。これではまるで「だるまさんがころんだ」の逆バージョンが如し。


「レイシャ様!」

「なんだ」

「このヒルデガルド! 何か御用命があれば真っ先に馳せ参じまする!」


 あ、わかった。そう云えば今日はヒルデガルドの休日だっけ。

 この状況にどうやら彼女の方が耐え切れなくなったようだ。

 そうやって三歩下がっては、何度も何度も振り返り、


「御用命の際には是非、ヒルデガルド、ヒルデガルドをお呼びください!」


 と、自分の名前を幾度となく連呼する。

 遥か昔に瑛斗から聞いた、確かこれは――そうだ、選挙カーの如し。


「あのっ、何か御用命があれば……」

「わかったから、下がれ」

「ハッ!」

「退場は駆け足!」

「ハハッ!」


 レイシャが命じた通りに、執務室から駆け足で退出していった。

 執務室の厚い扉が閉まると同時に、レイシャは深い溜息を突く。


「いったい何なのだ、あれは……」


 当時から妙に人懐こい少女だと思っていたが、今ではまるで忠犬の様である。


 ヒルデガルドと出逢った頃、彼女はまだ小さな少女であったと記憶している。

 今から約六十年ほど前――郊外の村々を襲う野盗討伐に赴いた際のことだ。

 確か退治した盗賊団の村に養われていた娘であったか。水汲みだ荷物運びだと、奴隷の如く扱われていたところを拾ったのだった。


 出会った当初は「働かせてください」と懇願してきたのを覚えている。

 その必要はないと素気無く断ったが、あまりに必死になって食らいついてくるので、暫くは近侍として傍に置いてみることにした。

 それからというもの何処へ行くにも健気に付いてくる。そこでなんとなく剣術を教えてみると、元々は盗賊の村に居ただけあってなかなか筋が良い。それならばとついでに魔法を教え込んでみたら、いつの間にかにメキメキと頭角を現し、あっという間に魔法(ミスティック)剣士(フェンサー)としての才を開花させてしまった。

 そんなふとした切っ掛けを得て、丁度いいからと親衛隊長に任命している。


「生真面目ないい娘なのだが……」


 しかし――なんでヘンテコなダークエルフばかり集まっちゃったんだろう。

 人助けをする度に仲間を増やしてゆく――尊敬するそんな瑛斗の真似っこを予てからしているのは確かだ。瑛斗はエルフコレクターみたいなところがあったけど、それを云うなれば自分は、まるでダークエルフコレクターではないか。

 もちろん、集まるダークエルフたちはみんな武術や魔術に於いて優秀で、良い子たちではあるのだけれど。


「あれはあれで、ちと困ったものだな」

「全く困ったものですねぇ、お姉さま」


 レイシャの座する執務机のすぐ後ろから、よく知った声が返ってきた。


「ちょっと待て」

「はい、お姉さまぁん」


 この声は云わずと知れた、ヴァンフリーデ帝国元帥である。


「貴様が、一番、困った、奴、だろうが……ッ!」

「あふんっ、お姉さまのウメボシ攻撃ぃっ!! わぁお、強烈ぅっ!!」


 素早くとっ捕まえると、こめかみにゴリゴリ拳を押し当てる。だがヘンテコの筆頭はそれを受け悦んでいる。また腹立たしい。


「貴様、いつから居て、何処から来た!」

「いつだって愛の国から貴女のお傍にあっあっ、お待ちになってお姉さまっ!」


 レイシャの指先に燈った紅焔の種火を見て、ヴァンフリーデが焦る。


「ほんの二十分前に掘った抜け穴からですわっ!」

「そんなもん掘るな! また忍び込んだのか、貴様!」

「ぬふっふ、しかしこれには深いワケが御座いますの」

「ほーう、一応聞かせて貰おうか」


 すると唐突にスポットライトが灯り、ヴァンフリーデを照らす。

 こやつめ、またくだらない魔法をひとつ編み出したな。


(わたくし)は……今、悩みの暗闇の中!」


 ヴァンフリーデは両手を広げ、大仰な演技を繰り広げる。

 何かが始まった。ポップコーンが欲しくなる何かが。


「例えば、氷雪魔法を得意とするのはアナスタシア」

「うむ」

「爆炎魔法と云えば、お姉さま」

「うむ」

「私はそれを模した、火炎魔法の使い手」

「うむ」

「けれどそのままでは、ずっとお姉さまの足元にも及びません」

「ふむ……」

「云うなれば、私はお姉さまに囚われた恋の奴隷」

「……あ?」

「それとも見知らぬ花園へ導く、性の解放者?」

「ええと、何の話だ」


 ヴァンフリーデの云ってる話が段々ズレてきた。

 何故かそこはかとなく恍惚とした表情を浮かべているのが腹立たしい。


「もしくは薔薇の楔に捕らえられ、檻の……」

「……ィア・ボ……」

「ああああっ、待って待ってぇお姉さまぁん!!!!」


 そこで何も告げずに指先へ、再び紅焔の種火を燈す。


「閑話休題、冗長は中略!!」

「それでよし、手短に頼む」


 慌てたヴァンフリーデに軌道修正を図らせる。


「そこで私は、考えに考え抜き……」

「ほう」

「弛まぬ努力を惜しまず、寝る間も惜しんで、食事も喉を通らぬほど、ひたすら神に祈り、アーメン・ソーメン・ヒヤソーメン・アラブータ・カサブータ……」


 駄目だコイツ。早く何とかしないと。また何処かへズレていきそうだ。

 コイツと話していると、段々気が遠くなる。


「いいから巻け。結果だけを云え」

「ええ、ええ。予てより、とある魔法の研究に勤しんでおりますの」

「ほう」

「それは……」

「それは?」

「土系の魔法!」


 知ってた。なんだかオチが見えてきた。


「土系の魔法……すなわち大地魔法を我が手中に収めれば、如何なる分厚い城壁と云えど、見る見るうちに崩壊させたり、透過したり、すり抜けたりーっ!!」

「ほほぅ……」

「もう結界を解くのに、お外で十八時間待機は嫌ですのーっ!!」

「つまり?」

「お姉さまのお美しい肢体を、二十四時間フルタイム拝み放題ですわぁん!!」

「ほう、貴様の主張はよく分かった」

「あっあっ、待っごめ、ごめんなさ熱ぅッ!! マジ熱ぅううぅッ!?」


 ヴァンフリーデの纏う防護結界を硝子の如く三階層ほどぶち破ると、あっという間に彼女は火だるまになって執務室内を転がりまわる。


「何事ですか、我が陛下ァ!!」

「鎮火」


 サーベルを抜刀して突入してきたヒルデガルドへ、冷淡に命ずる。


「ハッ! 桃源神秘の(ミスティック・)大瀑布(ウォーターフォール)!!」


 これは重爆撃の如き怒涛の滝を出現させる古代語魔法(ハイエンシェント)である。

 古代の歴史書を紐解けば、無敵を誇った三千の鉄騎兵を溺死させた――との記述を今に残す。ヒルデガルドの最も得意とする大魔法である。

 この対象者を中心に超高水圧を与えて渦を巻くも、その四方には空気断層を用いており、執務室の書物や備品には傷をつかない、周囲の配慮に優しい設定であった。


「ほぎゃーッ!! 容赦ないなヒルダ貴様ァ!!」

「ハッ! 陛下より第四階層以上の魔法攻撃をせよとのご命令であります!」

「ええええ、何その命令!? ごばごぼっ!」


 ちなみに「桃源神秘の(ミスティック・)大瀑布(ウォーターフォール)」は、第四階層魔術どころか高位の第八階層魔術である。

 レイシャは高台の執務机に腰掛けて肘を突き、その様をのんびりと眺める。


「命じたのは余だ。文句は余に問え」

「あふん、ステキィ! この刺激は快感ですらありますわ、お姉さまぁん!!」

「よし、もう少しいけそうだぞ……やれ、ヒルデガルド」

「ハハッ、御意!」


 ヒルデガルドの巧みなサーベル捌きは、水竜の如き魔術を意のままに操る。

 激流は強烈な水圧となってヴァンフリーデの身体へ襲い掛かった。


「ちょ、ヒルダ、このやろうっ!!」

「この変態元帥殿を成敗して宜しいか、我が陛下!」

「許可、アンド、速やかに処理」


 そりゃま、是非もないよね。


「ハハッ、御意!!」

「てめぇこの、覚えてろよヒルデガボコポォーッ!!」


 捨て台詞と断末魔を残しつつ、渦に飲まれながら窓の外へと流されていった。


「まるで汚物のようだ」

「御意」


 ここは百メートルは優に超える塔の最上階。

 塔のそこここから水流が溢れ出る。中学理科の水圧実験が如し。


「おおー、本日も元帥殿は派手にやらかしたようですなぁ」


 外からは衛兵が、風物詩を眺める様な感想を漏らす。

 そんなエイティシア宮殿の、平和な日常風景である。




 今日も今日とて、彼女は都市を見下ろす城砦の最上階は小塔(タレット)の窓辺に佇み、奈落の底へ吸い込まれるように流れ落ちていった同胞の末路を眺めるのである。

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