第05夜:絶対零度の幻影魔女
ここは、魔法都市国家群・首都パルフェルム中央宮殿。
炎帝と呼ばれしレイシャの座する、エイティシア宮殿・玉座の間。
その荘厳にして広大な広間に、ヒルデガルド親衛隊長の声が響いた。
「アナスタシア参謀総長がお戻りになられました!」
「ヒルデよ。そう声を立てずとも感知している……通せ」
「ハハッ、御意!」
皇帝の命に応じて装飾厳かな大扉が開き姿を現すは、白藍に輝く髪の美女。冷厳に薄く開かれし双眸は髪の色同様に蒼く、長い睫の奥に隠れて怪しく輝く。
ダークエルフにしては白色な頬に、研ぎ澄まされた日本刀のような輪郭は、ともすれば見る者に厳格で冷ややかな印象を与えるであろう。
玉座へ向けて恭しく膝を突いた彼女は、水晶の如く澄み渡る声で申し上げた。
「ご機嫌麗しゅう、我が皇帝陛下」
彼女の名は、アナスタシア。帝国の作戦統合本部参謀総長である。
冷静沈着にして豪胆な性格の彼女は、主に氷魔法を得意とする魔術師にして、数々の戦略と戦術に長けた策士――何よりその用兵術は芸術品とまで称される。よってその通り名は『絶対零度の幻影魔女』と呼ばれるほどであった。
「我が皇帝陛下の勅命を果たし、只今帝都へ帰還致しました」
「うむ……此度はよくぞ、イスタリアの暴挙を平らげた」
南方大陸の北西に位置するイスタリア王国は、古くより北方大陸のエディンダム王国と共に魔法都市国家群・エイティシアと国境を接している古王国である。
その三つの国を隔てるように、水源豊かにして緑深き樹林と広大な湿地帯が広がっている地があった。その名をタンドーラ地方という。古くは瑛斗の時代より、ノーブルリザードマンを始めとした知的怪物たちが、ここを依り代として居を構えている。
統治していたエディンダム王国の影響力が弱まった昨今は、この地をイスタリア王国軍が我が物顔で荒し回り、平穏に暮らす種ですら迫害されているという。
「あの湿地帯に於ける森林群は、帝国南方国境に於ける水源の要である」
此処を国境の要衝と見たレイシャは、戦略の第一線を担うアナスタシアを差し向けた。
先行視察の折、荒廃寸前の彼の地と虐げられる民を目すると、即座に分析を開始。イスタリア遠征軍の陣容を瞬く間に看破した彼女は、即時交戦を主張した。
レイシャはその直言を受け入れると、アナスタシアを臨時元帥とした魔法攻撃師団を形成。タンドーラ地方の解放と間接統治の二重作戦をすぐさま展開する。
臨時元帥府と主要な権限を得たアナスタシアは、原住民のノーブルリザードマンを説得し友好関係を築くと同時に、エディンダム王国へ勅使を送って協力を要請。この電撃的な作戦は功を奏し、僅か三か月という短期間でこの紛争を見事に治めて見せたのだった。
「余もエルフ族の端くれとして、母なる森を穢される行為は不愉快極まりない」
「御意……我が智謀は、皇帝陛下の御心の儘に」
「うむ。よくやってくれた、アナスタシアよ」
「この浅学菲才な身に、在り余る光栄で御座います、陛下」
敬愛するレイシャよりお褒めに預かり、冷静なアナスタシアが珍しく破顔する。
「このアナスタシア、陛下のご命令とあらば、イスタリア王国の熱帯平原すらも、永久凍土に凍てつく氷原へと変えて御覧じましょう」
調子に乗って豪語するアナスタシアだが、これは誇大表現ではない。彼女ほどの魔力を有する術者であれば、条件さえ整えば事実可能な仕業である。
けれどレイシャは「そこまでしてくれなくても」と正直思う。命じればやってしまいそうなところもちょっと怖い。できればそれは社交辞令として受け流してしまいたい。
「そうか、ご苦労だったな……うん」
気持ち引き気味になっちゃったレイシャが曖昧な返事を返した、その時である。
「おーっほほほ! そうですわアナスタシア!」
玉座の間にこだまするほど居丈高な声が、唐突にインしてきた。
何故かレイシャの座する真下から聞こえてくるが、気のせいだと思いたい。
「私のお姉さまの労いに感謝しなさいませ!」
「あ、扉閉めて。早く閉めて固く閉めて、ヒルデガルド」
レイシャが速やかに命じると、玉座の間の大扉が次々と閉まる。
その間にアナスタシアは、見えざる声の主に向けて儼たる態度で応ずる。
「ほう……我が陛下が、いつから貴様のお姉さまになっただと?」
「なったも何も、出逢ってからずーっと私のお姉さまですわ!」
その声の主は思わぬ場所から首をにょっきりと出した。それは玉座に腰掛けるレイシャの足の間から。ああもうホント、気のせいだと思いたかったのに。
「ホホホッ、用が済んだならお下がりなさいな、アナスタシア!」
「黙れ、変態元帥! 貴様には我が皇帝も辟易しておられるぞ!」
「はん、私のお姉さまに色目を使おうなど、文字通り百年早ぅいぐぇっ!?」
レイシャは足を閉じて頸を絞めた。締め上げた。容赦なく締め上げた。
「貴様は、どこから、顔を出して、いるつもりだ……ッ!」
「ギ、ギブですわ、お姉さま……タップ! タップですわ!!」
必死になって床をタップするその者の正体は、言わずもがな。
帝国に於いて叡智の美女と称される帝国元帥・ヴァンフリーデである。
「やはりッ、貴様はッ、虫か何かかッ!」
「ウッぷぁッ、酸素、酸素……ッ!!」
ヴァンフリーデの顔色が赤から青へ、青から紫へと変わった頃合いを見て、ヘッドシザーズから解放してやる。すると玉座の下に潜んでいた害虫は、必死にもがいて這い出した。
「害虫退治ならば吝かでないぞ、ヴァンフリーデ」
「ああん、そんなお姉さまに逆らえない私は、恋の弱虫」
「改めて貴様にそう言われると、虫唾が走るな」
「あら、お上手ですわ! 流石は私のお姉さま!!」
害虫に虫の慣用句を掛けたつもりなど毛頭なかったが、喜び勇んだヴァンフリーデを見るに己の不明を深く恥じるしかない。ちょっと悔しい。レイシャ反省。
「何故貴様は、玉座の下に潜んでいた」
「お姉さまのおしりの下は、しあわせ空間。これは世界の摂理」
そんな摂理に組した覚えなどレイシャにはない。甚だ迷惑である。
皇帝陛下のうっへりした表情に気付いたアナスタシアが、帝国元帥に物申す。
「幾らなんでも悪戯が過ぎますぞ、ヴァンフリーデ殿!」
「ははん、そもそも崇高なる爆炎魔法を極めしお姉さまと、ちんけな雪遊び魔法を極めたアナスタシアとでは、まさに水火、水と油! 反りが合いませんことよ!」
「フン、何を抜かすかと思えば笑止千万、片腹痛い。我が皇帝と相反する才とは即ち、必要な能を補うがためだ。それを見出されて二百有余年、我を傍近くに置いたのだぞ!」
そう云うアナスタシアとは、ヴァンフリーデに次ぐほど長い付き合いとなった。
出逢いと云えば二百年前は旅先の、ダークエルフの集落であったか。まだ幼い少女であったアナスタシアは、冷たい雨の降る中に薄汚れた格好で、仲間外れにされて独りぼっちで膝を抱えていた。
そこへ通りがかったレイシャが、何の気なしに声を掛けたのがきっかけである。
『そんなところで、何をしている』
『……べつに』
この頃のアナスタシアは、無表情で無愛想。何よりも不格好で不器用だったため、ダークエルフの種族が命題とする黒魔術については、何をやらせても失敗ばかり。集落では誰の相手にもされぬような、落ちこぼれの落第生であった。
だがレイシャは、だからこそ放っておけなくなった。あまりの無表情っぷりが幼い頃の自分と重なって、何とはなしに親近感が沸いてしまったためだ。
『魔法程度なら私が教えてやる――我が許へ来るがいい』
そこでレイシャは暫し集落に留まって、自ら魔法を教えることにした。
そんな日々の中、ふとした切っ掛けでアナスタシアに氷魔術を唱えさせてみると、あれよあれよと乾いた砂が水を吸うように氷魔術を覚えた。それが面白かったので、ついつい極めさせてみたら、いつの間にかこうなった。ただそれだけである。
ぼんやりとレイシャが思い出に耽る中、帝国きっての智謀の将校らは舌戦を休めない。
「ほう……ならば永久凍土の底へ沈むか、この『破壊の悪魔』め」
「あら、私の通り名は『創世の天使』ですわよ、この冷血女」
ちなみにそのどちらでもなく『破壊の天使・創世の悪魔』である。
「なるほど、喧嘩するほど仲が良い――か」
「違いましてよ、お姉さまっ!」
「ええ、一緒にされては困ります我が皇帝!」
どうでもよくなってきたレイシャが見たまんま適当に口にすると、ヴァンフリーデとアナスタシアが真っ赤になって抗議する。どうにも諺のまんまなんだがなぁ。
このようにヴァンフリーデとアナスタシアは、顔を合わせれば額を擦り合わせていがみ合う。しかしじゃれ合う猫みたいでちょっと可愛いかな、と思うレイシャである。
ふたりをこのまま放置していれば、その結果は国家間戦争よりも面倒なことになりかねない。だがレイシャにはその程度、猫同士のじゃれ合いでしかないというだけだ。
「そろそろいい加減にせんか、ふたりとも」
段々飽きて眠くなってきたレイシャが、玉座に肘を掛けて顎を置いたままぞんざいに取り成せど、言い争いが収まる気配がない。しかし――自らの欲望に素直過ぎるヴァンフリーデと、頑なに儀礼を重んじるアナスタシア。どちらも面倒なものだと溜息を突く。
「おい、アナスタシア――いや、ターシャよ」
「……ッ?!」
レイシャは唐突にアナスタシアを、幼い頃から親しんだ愛称で呼んだ。
舌鋒鋭く獰猛に突っ掛っていた帝国軍の参謀総長殿は何処へやら。不意を突かれたアナスタシアは、口喧嘩がピタリと止まって真っ赤になって口籠る。
「えっ……あ、あの、わ、我は……」
「そうだな。私は人払いをした。今は此処に誰も居らんぞ」
「は、はい……」
今回に限っては、余ではなく私だ――そうやってレイシャは優しげな瞳を向けると、しおらしくなったアナスタシアに対し、鷹揚に構えて正直に話すよう促した。
「安心して本音を言うがいい、ターシャ」
「あの、ヴィヴィばっかり、ずるい……です」
彼女の云う『ヴィヴィ』とは、幼い頃のアナスタシアが、舌っ足らずだったせいでヴァンフリーデを呼ぶ時のあだ名である。
「三か月も離れてて、あの、頑張ったけど、寂しかった……です」
「そうか。では私の部屋でお前の活躍をゆっくりと聞かせておくれ」
「あ、あ、あの……いいの、ですか?」
「ああ、久しぶりに膝の上に抱っこしてやるぞ、ターシャ」
「はいっ、レイシャお姉ちゃんっ!」
レイシャが玉座より徐に立ち上がると、アナスタシアが純真無垢な乙女の微笑みを湛えてその後へと続く。嬉しそうなその背中は、今にもスキップを踏みそうな勢いである。
氷のような冷厳な鉄仮面を誇るアナスタシアは、見目麗しい美少女へと成長したが、性根は何よりも不格好で不器用な頃のまま――だから彼女はレイシャにとって、まだまだ子供のようなものでしかない。
「えっ……あれ? あのっ、これはどういうことですの?」
置いてきぼりを食らったヴァンフリーデが、ポカンとした表情で首を傾げる。だが「あ、そうか」とポンと手を叩くと、すぐさまふたりの後を追いかけた。
「あ、私も参りましてよ、お姉さまぁん!」
「ファイアボール・エクストラ」
レイシャが呪文を唱えると、極大の焔玉が玉座の間を舞い狂う。それはヴァンフリーデの防護魔法を容易くぶち破り、あっという間に紅蓮の炎へと包み込む。
「ほっぎゃあぁあぁーッ!? おおお、お姉さま、燃える燃えるぅ!!」
「貴様は暫し、そこで焔玉を抱えて反省しているがいい」
「あふぅ、熱いっ、熱ぅい!! お姉さまの愛が熱いですぅぅうぅーッ!?」
「まだ余裕あるな」
「嘘ウソホント、ウソホント、やめ、赦してお姉さまぁぁーぁっ!!」
生真面目すぎる妹分を揶揄った姉への処罰は、厳罰が鉄則である。
私室への扉は、ヴァンフリーデの目の前で無情にも音を立てて閉じた。
◆
今日のレイシャは小塔の窓辺に佇むことなく、私室のベッドで可愛い妹分を膝に乗せながら、華々しい手柄話に会話を弾ませるのであった。