第04夜:創世の悪魔
レイシャは改めて乱れた服装を整えると居住まいを正す。だが瑛斗に出逢えた興奮が冷めやらず、先程からクッションをぎゅーっと抱きかかえたままである。
普段は威儀を正して凛々しい姿を示す癖に、たまに愛らしい姿を晒してしまう迂闊さが、ヴァンフリーデの心をくすぐっていることを、レイシャはまだ知る由もない。
「ところで我が皇帝陛下」
「なんだ、変態ド根性魔女」
「おっとこれは手厳しい」
敬愛する陛下のお言葉を受け、ヴァンフリーデが膝から崩れかけた。
何しろこの帝国元帥とはいえど、言葉責めもあながち嫌いではない。
むしろ私のお姉さまとちょっと特別な関係みたいな? じゃれ合ってるみたいな? 嗚呼、お姉さま。大変美味しゅう御座います、ウフッフ。ありがてぇ、ありがてぇ。おっと、おかげで立ち眩みを起こしたようですわ。
その時のレイシャは、背筋を得も知れぬ悪寒に襲われたが、理由までは知る由はない。
「此度の時空間旅行につきまして、お聞きしたいことが御座います」
「嫌な予感しかしないが、いいだろう。申し開きせよ」
眉根を寄せ、やや警戒感を示しつつもレイシャの御赦しを得た。
帝国元帥ヴァンフリーデが、直言にして皇帝陛下へ問う。
「して、エイト様との逢瀬は、如何なる御感触を得ましたか」
真剣な表情で顔を寄せ、膝を詰めて談判に挑む。
「えっえっ、エートとの、おうっおうっ……」
これはこれは、げに面妖な。冷静にして峻厳たる皇帝陛下がオットセイの如くなりけり。よもや赤面し返答に窮するなど、いやまさか。まさかそんなことがあろうかいやない。
「ええい、妙なナレーションを入れるな!」
「いいえ、お姉さま! ここは大事なところで御座います!」
尚もヴァンフリーデは、一歩も引くことなくレイシャへ詰め寄った。
「此度の時空間転送魔術は魔術師の本懐。私どもは陛下の恩寵に報いんと、如何なる労力を惜しまず全力で御支援いたしました。是非とも此度の戦果を、お聞かせ願いたい!」
そう云われると、レイシャも弱い。
何しろ可愛い弟子たちの頑張りを、この目でしかと焼き付けている。
「む、むむっ……そ、それは……」
「むむむっ、ではありませんぞ、お姉さま!」
ヴァンフリーデは身を乗り出すと、語気を強めて更に詰め寄った。
確かに――ヴァンフリーデは我が忠実なる右腕であり、そして古き友人でもある。ちょっと頭のネジが緩んでいることを除けば、最大の功労者のひとりと呼んでいい。
「それで!」
「あ、はい」
素朴な返事を返すは、エイティシアの炎帝とも称される『爆炎の大魔導皇』である。そのお方が御座す天蓋付きのベッドには、優に十畳以上の広さを持つ。そんな豪華なベッドが端っこに、何故かちょこんと正座してしまう。
「それで、ちゃんと告ったんですか?」
いざ恋の話となった途端、また一段と縮こまってしまうレイシャである。いい大人なのに。皇帝陛下なのに。西方大陸で一番えらい人なのに。
「こ、告ってない……」
「何やってんですか、お姉さまーっ!!」
ヴァンフリーデは叫ぶ。大いに叫ぶ。声を張り裂けんばかりに。
人生最高のビックリどっきりハイライトな状況で、一体何をやっているのやら。中級魔術師が三百名で三ヶ月も掛けて、作り上げて磨かれた魔晶石を使ってこのザマである。
なんてったって、お姉さまは大好きだ。大好き過ぎて他の人には絶対に取られたくない。けれど十歳の頃より三百年間、一途に思い続けているお姉さまの恋心は支援したい。
大好きなお姉さまだからこそ、だからこそ、こんなにも心から応援しているのに!
「でもね、でもね、えっと……ね?」
「何ですか? 今更言い訳は無用ですよ」
ぶーたれた表情のヴァンフリーデと、恥じらいがちのレイシャ。先程までの立場がすっかり一転してしまった。
そんな上目使いで躊躇いがちに、ちらりとヴァンフリーデを見返すと――
「えっとね、キス……しちゃったの」
もじもじと真っ赤な顔で、我が皇帝はそう宣われた。
「パッファーッ!!」
「!?」
刹那にしてヴァンフリーデは、黄昏の宮殿を垣間見た。
"目から口からなんか出た。ついでに毛穴からもなんか出た気がする。
これぞまさしく神々の黄昏。はたまた福音の黙示録か。
敬愛する我が皇帝陛下が!!
真っ赤な顔で!!
もじもじしながら!!
『えっとね、キス……しちゃったの』
それは何というご褒美ですか、陛下!
尊すぎて、拝んでいいですか、陛下!
愛らしすぎです、皇帝陛下!!
自らの鼻血の海で潜水できるほどの轟沈でございましてよ、陛下。
「ふ、ふおぉーっ、ふおぉーっ!! ほ、他には!?」
「え、ええっ……」
「他にはもっとなさらなかったのですか、陛下!」
「ええっと、他には……ほか?」
レイシャはヴァンフリーデを見返すと、ぽやんとした表情で首を傾げた。
「ほかなんて、そんなの……レイシャ知らないし」
「おっほぅ、ご自分のことを『レイシャ』ですとな?」
しまった。つい一人称を「レイシャ」と云ってしまった。
さっきまで瑛斗と話していたせいである。レイシャうっかりである。
お蔭でレイシャは頬が熱を帯び、ますます赤く染まるのを感じていた。
「あふんっ、何と健気で愛らしい……あとでもう一回聞こうっと」
「あっ、何をしている! 宝玉に激写するな!! 録音するな!!」
全身から火が噴き出そうになるほど、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
てゆーか、レイシャの全身からリアルで地獄の業火が噴き出していた。
「ふぐぐ、ヴァンフリーデの、バカバカっ!!」
「あっあっ、ちょ、お姉さま!? 灼熱の火焔が漏れてます、あーっ!!」
「それを寄越せヴァンフリーデ! その宝玉を寄越せ!!」
「燃える燃える燃える、熱い熱い熱ッぅうぅぅッ!!」
灼熱の火焔が飛び火したヴァンフリーデは、その身を延焼させながら、ごろんごろんと床をのた打ちまわった。うっかり取り落した宝玉を、レイシャは容赦なく踵で踏み壊す。
「はぁっ……お願いだから、こういうことは止めて欲しい……」
「ほあーっ! その火焔を引っ込めて! お願いですぅ、燃える燃えほぎゃーっ!!」
「こちらこそお願いだから、止めて欲しい」
「あーっ、あーっ!! 分かりましたから止め止めお姉さま大好きぃ!!」
「どさくさに紛れて告白するのも、止めて欲しい」
「ぎょ、御意ぃひぃぃっ! ほ、ほー! ほああっ、ほあーっ!!」
こうやって床を転がって火を消す芸当も、すっかり見慣れてしまった。
「芸当じゃありませんわ、お姉さま! あ、あーっ!!」
「今日はよく燃える」
「どうしてですの、お姉さまっ!?」
「ええと、燃えるゴミの日だから?」
「そういう問題じゃありませんわ、アーッ、アーッ!!」
然しものヴァンフリーデは、レイシャの私室へ忍び込むため、相当な魔力を消費していた。しかも半日以上もの間も城塞の外に張り付いて、ベッドの下に隠れていたのだ。よって自らが防護結界も弱まるというもの、推して知るべしであった。
それに気付いたレイシャが慌てて鎮火に当たるまで、ヴァンフリーデは地獄の業火に炙られ続けたという。げに因果応報である。
◆
こうして――『タイム・リープ』が再び叶うその日まで、平穏な日常が訪れた。
次に『タイム・リープ』が可能なまで、魔晶石が蓄積されるのはいつの日か。
必要な時に必要な分だけ、時空間旅行ができる程に蓄えなければならない。
今日も今日とて、彼女は都市を見下ろす城砦の最上階は小塔の窓辺に佇み、首に巻き付けた『黒き精霊の腕輪』に触れながら、人知れず深い溜息を吐くのである。