第10夜:殺戮の無骨少女と魅惑の午餐会(後篇)
さて、昼食を食べ終えて珈琲を一杯、全員が一息吐いた頃合いだ。
「おや?」
魔力の気配を感じ取ったレイシャの長い耳がピクリと動く。
そのレイシャに察したか、ヒルデガルドがすぐさま反応する。
「姉貴さま、どうかなされましたか?」
「うむ、どうやら我が妹が此方へ来るようだ」
誰も聞かずともよく分かる――馴染む軍靴の足音、冷気を帯びた魔力。
レイシャは云わずもがな、当然の如く片手を挙げて合図を送ると、執事らによって玉座の奥にある食堂の大扉が開かれた。
「よくぞ参られたな、アナスタシアよ」
「ご機嫌麗しゅう、我が皇帝」
颯爽と姿を現すは、参謀総長・アナスタシア。
時間厳守な我が弟子であり妹にして、前もって定刻通りに姿を現すとは。
機械仕掛けのような精密さ、見事な正確無比と云われるだけはある。
「英邁なる陛下に置かれましては、恙なく――」
「挨拶はいい。まずは折り入って聞きたいことがあるが、よいか」
「はい、何なりと」
「そもそも何ゆえに余を我が皇帝と呼ぶようになった?」
「えっ?」
「んっ?」
目と目が合った。そして心と心で分かり合った。
「…………」
だがアナスタシアは何も言わずに、何もない方向へゆっくりと目を逸らす。
ほぅ、目を逸らすどころか、首ごと斜め上へとムチャ振りするとは、げに面妖な。
「相変わらずだな、ターシャよ」
「はうっ、ターシャと呼ばれると……嬉しい、です」
ほほう、憂い奴じゃ。わざと愛称で呼ぶとこちらへ振り向いて頬を赤らめいた。
知らぬ存ぜぬの振りをしていても、嘘がバレにバレておるぞ。つまり表向きでは『冷厳の氷像』と目されるが、身内では嘘が吐けない性格の持ち主である。
ともあれ、本日は密室であり魅惑の昼食会である。無礼講で善しとしようか。
「さてエートの世界で云う、独逸語化する理由はあるのか?」
エイティシアの建国当初の歴史書を紐解いても、権威付けの一環として皇帝の座を冠した際には、我が皇帝と呼ばれていることはなかった筈である。
「いえ、初代皇帝の即位式の際にヴァンフリーデが命名したと、てっきり」
「ふむ……そのような記憶など、余にはないのだが」
知識と経験豊富なアナスタシアであれど、まるで心当たりがないようだ。
どこかの誰かが、タイミングでそう云い出したに相違ないのだが。
「今まで通りに、余の名を普通に呼べばよいだろうに」
「そう申されましても、私ともども参謀本部内の麾下までも根強く」
「なんだ、ターシャすら知らぬのか」
「建国以来百年近いゆえ、民衆までもが定着しておるのです」
「どうやらヴァンフリーデが諸悪の根源やも知れんのか?」
「ならば近い内に、難敵を懲らしめてやりましょうぞ」
聡明なアナスタシアは、かの難敵を訝がりつつ思案中の様である。
ちなみに今のヴァンフリーデは、蛮族討伐につき遠征中とのこと。
まさに宮殿内の留守は鬼の居ぬ間であり、身内だけの絶好の機会であった。
「では誰も知らぬのなら、暇がてらに話を変えるが」
「はい、何なりと」
ならば余が一役買って、困惑させてやろうではないか。
「ついでだ、ヒルダに教えてやろう」
「はい」
「幼い頃のターシャだが、余のことを『お姉ちゃん』と呼んで――」
「ぴゃあーっ!?」
おお、おお、昼食のヒルデガルドと同じ反応を示したようだぞ。
いつもは冷厳な鉄仮面を誇るアナスタシアから、珍しい声が聞けた。
「ヒルダは知っていたか?」
「いえ、私は初耳でございます」
「レ、レイシャ様! ヒルダも!」
氷のように厳然だったアナスタシアも、紅葉のように頬が真っ赤に色付いた。
同様にヒルデガルドの目が点となるも、いつもは武骨から柔和な表情に変わる。
懐古的な家族団欒を想起すれば、これは気分が実に清々しいものである。
「そうか、ハハハ。ターシャとて恥ずかしいか、ハハハ」
「それは、私だって時にはありますから! プンプンですっ!!」
アナスタシアから聞いたことのない擬音語が出た。
ふくれっ面も相まって、照れ過ぎもいいところだ。
「プンプンならば、あとでナデナデして進ぜようぞ」
「ああーっ、穴があったら入りたい気分です!」
「いや、それでいい。今日のターシャは実に見応えがある」
「私としては、慰み者の連続で御座います……」
「では、こうしてみてはどうだ?」
レイシャの悪戯心が湧いてきて、再び提案することにした。
「と、申されますと?」
「この昼食会の間だけ、余を昔の呼び方で呼ぶがよい」
「ふはっ?! は、はうぅ……」
「たまには童心に戻ってもよかろう」
アナスタシアは、聞い及ぶ程がないまでに俯いて顔を隠してしまった。
ヒルデガルドとソーニャの目前となると、恥ずかしがっているようだ。
「さぁて、どうした?」
「う……お、お姉ちゃん……」
意を決したように顔を上げると、絞り出すかのようにして口にした。
すると、アナスタシアに寄ってきていたソーニャが、じーっと見つめて、
「ターシャ、かぁーわいぃーっ」
と、黄色い声援が飛んだ。
うん、可愛い。とても可愛らしい。レイシャも同感。
「こ、こら、ソーニャ……」
「ターシャ、かぁーわいぃーっ」
「レ、レイシャ様も真似しないでくださいっ!!」
つい、真似しちゃった。
すでに嬉しさ半面、顔を戻すとピヨピヨと目が泳いでいる子猫ちゃんが如し。レイシャの前になると、思考回路がショート寸前で身体と頭が固まっちゃうということだ。
「ともあれ、余を今まで通りに呼べばよいぞ」
「そ、それは、あの……私の大好きなお姉ちゃん……」
「おっと、余はあざと可愛さに喪神しかけたぞ」
「ぎょ、御意」
やはり今日の昼食会は、一粒より二度美味しい。それからの午後のひと時で珈琲を嗜みながら、より一層会話が弾んだことは、恩恵を享受する秘め事と相なった。
「さて、すっかり話は逸れたが、今回の用件はあるか」
「ハッ……実は、お耳に入れたい案件が御座いますれば」
おっと、そうだった。それこそ昼食の閑話で忘れかけた。
それは前もっての密約であった。密約であれば仕方がない。
取り急ぎ、我が皇帝とは何か。心に留め置くことにしよう。
「お手間は取られません。少し宜しいでしょうか」
「ふむ、よかろう。何なりと申してみよ」
「では、別室の方へ……」
「うむ。では、そこな客人たちよ。暫し待たれよ」
レイシャは、アナスタシアと別の方向へ足早に向かう。
後に残ったヒルデガルドとソーニャは、さて何のことやらとんと分からぬようだ。よって如何にせんと、ふたりの背中を尻目にただただ首を傾げるしかなかった。
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