第九十九話 諸刃の剣
「そんな顔をするな。これ以上悪い方向へ進まないようにするために、訴える決心をしたんだろう」
溜息を吐いた俺を慰めるように、達樹が苦笑交じりに声を掛けた。
「何か考えがあるのか」
「時間を、くれないか」
「どうするつもりなんだ」
俺の問い掛けに『時間が欲しい』と言った達樹に、達雄先生が問い返した。
「監査委員会へ訴えを起こせば、ほぼ間違いなく、樫山専務側はその答弁で樫山専務の娘に対する尚哉の不誠実な態度を事細かく論うだろう。その上で、自分の行き過ぎた言動について反省の弁を述べつつも、止むを得ないものだったと主張するはずだ」
訴えられた樫山専務がどんな対応をするか、予測がついていた俺は頷いて話の先を促した。
「今、それを遣られると、審判の中で樫山専務に対して何らかの処罰は言い渡されるだろうが、それと同時に尚哉が子供の父親と認定される可能性が高い」
「なぜそうなるんだ。俺の方の申し立てで、これまでのことを……」
そこまで言った時、達雄先生の厳しい表情が目に入り、達樹の話は現実味を帯びたものなのだと瞬時に理解した俺は口を噤んだ。
「樫山専務が尚哉の言動を不誠実だと主張する根拠は、娘の子供の父親は尚哉だとしている点にある。だが、まだ母親の腹の中にいる子供の父親を医学的に特定することは難しいため、それは確証のある話ではない。しかし、ここをはっきりさせないと、監査委員会でも樫山専務と尚哉のどちらの主張に分があるのか、判断を下せないだろう」
「そこが一番の問題だな」
達樹の説明に達雄先生が相槌を打ち、頷き返した達樹がさらに話を進めた。
「今の段階では、子供ができた過程で双方の言い分に食い違いがあったとしても、尚哉が子供の父親である可能性があり、子供の母親が父親として尚哉の実名を挙げれば、監査委員会は状況判断で尚哉を子供の父親だと見做す危険性があるんだ」
達樹の話を聞き訴えを起こすことは、同時に、自分で自分の首を絞めかねないことに気が付いた俺は途方に暮れて呟きを零していた。
「それなら、訴えない方が良いということか……」
「それは違うぞ、尚哉君。訴えは、起こすべきだ。特に今は、尚哉君の上司であるハリス部長も佐伯課長も後押ししてくれているんだ。この機会を逃す手はない」
俺の呟きを拾った達雄先生が、即座に俺の考えを否定した。
「お前に不利にならないようにするための策は、ちゃんと考えてある。ただ、それを実行するには時間が必要なんだ」
達雄先生に呼応する達樹の言葉が聞こえ、俺は本当に訴え出ても大丈夫なのかと不安な思いに駆られながら達樹を見た。
達樹は、煮ても焼いても食えそうにない笑みを浮かべていた。
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