第九十二話 素早い対応
今週もよろしくお願いします。
佐伯課長の後に続いて営業部部長室に入ると、ハリス部長から応接セットの長椅子を勧められ佐伯課長と並んで腰掛けた。
ハリス部長もすぐに、横長のテーブルを挟んで二つ並べて置かれていた一人掛けの椅子の一つに座り、挨拶をしようとした佐伯課長を押し留めて話し始めた。
「先程、渉外部と市場調査部の部長から話があったのだが、樫山専務にも困ったものだ」
「いったい、何があったのでしょうか」
佐伯課長が一瞬、俺に視線を走らせた後ハリス部長に説明を求めたが、ハリス部長の話から俺には樫山専務から下された庶務課への異動命令について話しているのだと察しがついていた。
おそらくは、プロジェクトチームのアドバイザーである浜中さんと木下さんが、それぞれの所属する部署へ戻り上司に話したのだろうと、定例会議が行われた会議室から出て行く間際に掛けられた言葉を思い出し予測もついた。
「樫山専務が私の意向を無視して、新井君に庶務課への異動命令を下したらしい」
「それは……」
ハリス部長の説明に佐伯課長が何か言い掛けたが、樫山専務と俺が揉めていることを知っている佐伯課長は事情が呑み込めたらしく、少しの間、考える素振りを見せて硬い表情で再び口を開いた。
「その命令は、有効なのでしょうか」
「私も、渉外部の部長と市場調査部の部長から立て続けに話を聞かされて初めて知り、驚きを隠せずにいる。ただ、この話がどこまで通っている話なのか知る必要があるだろうと思い、今、人事部の部長に動いてもらっている」
「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
樫山専務が下した命令とはいえ、俺の異動の話で部長職にある者が四人も動いていたことが分かり、俺は申し訳なく思いながらお詫びの言葉と共に頭を下げた。
「ハリス部長は、新井の異動については、どのようにお考えなのでしょう」
佐伯課長がハリス部長の真意を尋ねた時、ドアをノックする音が部屋の中に響いた。
ハリス部長が入室の許可をすると、ハリス部長付きの秘書が人事部の部長を案内して来た。
佐伯課長と俺が立ち上がり頭を下げて迎え入れると、ハリス部長も立ち上がり掛けたが人事部の部長から『そのままで』と声が掛かり、手で座るように促されて座ったまま自分の隣の空いていた椅子を勧めた。
人事部の部長が着座したのを確かめ、佐伯課長と俺が元の位置に腰掛けるとハリス部長付きの秘書が退室し、ドアが閉まった後ハリス部長が人事部の部長に問い掛けた。
「早速ですが、どうでしたか」
「総務部の部長に話を聞こうとしたら、寝耳に水の話だったらしく、すぐに庶務課の課長を呼んで話を聞いていた。だが、庶務課の課長の方も何も知らされていなかったらしくて、おろおろしていた。どうやら、今回の異動の話は樫山専務の独断だったらしい」
「それでは、今回の異動の話は撤回していただけるのですね」
「元々、樫山専務は人事権を有していない。それでも人事に関わるというのであれば、そこに合理的な理由を必要とする。だが、今回の件は新井君が所属する営業部でも移動先として指定された庶務課を統括する総務部でも知らなかったようだし、白紙ということでいいだろう」
二人の部長の会話から、一時間ほど前に出されたばかりの異動命令が、俺の目の前で白紙撤回されたことに気付き、俺は
“こんなことが、あるのか……”
と呆然としていた。




