第九十話 祭りのあと
会議室を出た後、俺はまっすぐに自分のデスクへ戻る気になれず、営業部のあるフロアに設けられている休憩室へ向かった。
休憩室は営業という仕事柄、決まった時間に休憩することが難しいことに配慮して設置されている空間で、フロアの奥の一角を利用した小会議室程度の広さのある部屋になっていた。
廊下に面したドアを開けると、正面の壁は前面ガラス張りで外の景色を見渡せた。
左手側の壁には飲み物や軽食の自動販売機が数台置かれ、右手側の壁は掲示板として利用されて、会社からの連絡事項や出入りの業者のチラシなどが貼られ、その下にはソファも置かれていた。
部屋の中央には、背の高い丸テーブルに足が長く背もたれの低い椅子も数脚用意されていた。
休憩室のドアを開けると、誰もいなかった。
誰かと話したい気分ではなかった俺は、右手側に置かれているソファに向かう。
数歩進んだとき、床に何かが落ちているのが見え拾い上げて見ると、巷で人気のご当地キャラのストラップだった。
俺はあまり興味はなかったが、梨奈のお気に入りのキャラクターの一つで俺の夜食に添えられているメモ用紙に時折描かれていることがあり、見覚えのあるものでもあった。
“誰かが、落としたことに気が付かず、取り残されたのか……”
と、思いながら手のひらの上に載せて、そのストラップに付いているご当地キャラを見ていると哀愁が感じられた。
子供から大人まで愛されていながら落ちたことに気付いてもらえず、こんな場所の床の上に放置されていた姿には祭りの後の寂しさがあり、今の自分と重なった。
四葉環境株式会社に入社したばかりの頃の俺は、営業の何たるかなど知る由もなく、新人研修を終えた後からは指導に当たってくれた先輩営業マンから営業のいろはに留まらず、言葉遣いや取引相手に対する姿勢に至るまで徹底的に叩き込まれた。
そして、漸く一人で営業に出掛けられるようになってからは、新人営業マンということで取引相手から一人前として扱ってもらえず、約束の時間が守られることは殆どなく、時には一時間以上待たされた挙句に『今日は都合が悪い』と言われ会ってもらえなかったこともあった。
それでも、なんとか最初の契約が取れた時は嬉しくて、達樹を呼び出して二人で祝杯を挙げた。
だが、それからもなかなか思うように契約が取れず
“営業の仕事など、辞めてしまおうか……”
と、思ったことも数え切れないくらいあった。
そんな俺に営業部の先輩社員たちが、自分たちの経験談を話してくれたり励ましの言葉を掛けてくれたりと何かと気に掛けてくれ、自分なりの創意工夫を試行錯誤しながら今日まで頑張ってきた。
その俺が過ごしてきた時間は何物にも代えがたい貴重なものだったが、樫山専務にとっては俺が積み重ねてきた時間よりも美咲との結婚の方が重要なのだと知り、これまでの日々が一枚の紙の如く薄っぺらな価値しかないのだと言われたような気がした。
何もかもがどうでもいいように思え、俺の視界から少しずつ色が抜け落ちていった。




