第六十七話 帰省
電話の向こうから、父と母の会話が聞こえていた。
「クッションとお布団、どちらがいいかしら」
「座席を片付ければ、布団でもいいんじゃないか」
「スポーツドリンクの買い置きは、あったかしらねぇ」
そこでハッと我に返った私は、本当に迎えに来るつもりなのかと焦って『もしもし』と電話に呼び掛けた。
「今から出れば、昼頃までには着けるはずだから安心して待ってろ」
市役所に勤めている父は、毎年、御用納めが済むと年末年始の休暇に入っていた。
今年も既に休暇に入っていたらしい父が、本気で迎えに来るつもりなのだと悟った私は、予想外の展開に『帰らない』と伝えるはずが、口から出た言葉は違うものになっていた。
「新幹線で帰るから。チケットも取ってあるし……」
「今ならまだ、キャンセルできるだろ」
私のささやかな抵抗は、父の一言でいとも簡単に切り捨てられてしまった。
突然、実家に帰ることになってしまった私は、朝起きてからまだ顔も洗っていなかったことを思い出し、父に交渉して迎えに来る時間を遅くしてもらい、駐車場のあるファミリーレストランで待ち合わせをすることにした。
父の所有するワゴンタイプの車で約束通り迎えに来た父が、車のドアを開けると後ろの座席が畳まれ、お布団が敷き詰められていた。
電話越しに聞こえた父と母の会話を思い出し、両親の愛情が感じられて心がじんわりと温かくなった。
お布団の中に私が潜り込んだこと確かめた父が、『具合が悪くなったら、言えよ』と言って車を走らせると、私は父と一緒にいる安心感もあって五分も経たないうちに眠ってしまっていた。
車が走っている振動に聞き音が慣れた音が混じり、一気に意識が浮上する。
目を開けると、車の外はすっかり日が暮れて真っ暗だった。
まだ鳴り続けている音が、自分の携帯電話から聞こえているのだと気が付き慌てて取り出すと、液晶画面に『真衣』の文字が表示されていた。
急いで電話に出ようとして、指が液晶画面に触れる前に止まった。それから、少し遅れて鳴り続けていた音が止んだ。
「間に合わなかったのか」
「……うん……」
車を運転している父に問われた私は、嘘を吐いてしまった。
本当は間に合わなかったわけではなく、真衣からの電話を受けることに躊躇いを感じて迷っているうちに切れたのだった。
達樹さんから尚哉のメールの存在を知らされた時、その場には真衣が一緒にいた。
真衣からの電話は、その後の様子を尋ねるものだということがすぐに分かり、まだ尚哉からのメールに向き合えない私には、何をどう話したらいいのか分からなかった。
身体を起こして走る車の窓から流れていく宵闇の街並みを眺めていると、頭の中でメールの内容がリプレーされた。
尚哉は今、樫山専務のお嬢様の美咲さんと一緒にいる。
私とそうしてきたように、美咲さんに見送られて出勤し、帰りはまた美咲さんに出迎えられて、一緒に食卓を囲み食事をする。
何気ない、尚哉の日常に私は……、いない……
そして、美咲さんのお腹の中には、尚哉の子供かも知れない赤ちゃんがいる……
そこまで考えると胸がむかつき、治まっていたはずの吐き気がぶり返した。
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