第五十六話 信頼
今週もよろしくお願いします。
樫山専務に対しどれ程の怒りを感じたとしても、目の前の佐伯課長にその怒りをぶつけるわけにはいかず、俺は気持ちを鎮めるために自分のジョッキに手を伸ばして焼酎を口に含んだ。
その時、新たな疑問が沸いた。
俺の常識では、結婚についての相談は当事者の親同士が話し合うものと思っていた。だが、佐伯課長は俺の直属の上司ではあっても、血のつながりは一切なかった。
「樫山専務は、なぜ佐伯課長に話を持っていったのでしょうか。こう言っては何ですが、課長は私の肉親というわけではありませんし……」
「それは、俺も最初は不思議に思った。新井の言うとおり、俺は親でも兄弟でもないからな。でも、樫山専務と話しているうちに気が付いた。あれは、体裁を重んじているんだろう」
「体裁、ですか」
思いがけない言葉を聞き、俺は思わず聞き返していた。
「樫山専務は、元々プライドの高い人でもあるからな。娘の結婚にしても、自分から頭を下げて貰ってほしいとは言いたくないんだろう。だから、新井の方から頭を下げに来るように説得しろということだったんだ」
「そうなんですか……」
俺は、佐伯課長の話に頷きながら料亭『水鏡』での話し合いの場で、樫山専務が発した第一声が『詫びを入れろ』だったなと思い出していた。
「それで、何があったんだ」
佐伯課長に問い掛けられた俺は、他のことに気を取られていたため思考が追いつかず、すぐには反応できなかった。
そんな俺に、佐伯課長が言葉を重ねた。
「話しづらいこともあるだろうが、何があったのか正直に話してくれないか」
佐伯課長の問い掛けに、美咲の真っ赤な嘘を利用して話をしようとした俺の頭の中に、達雄先生が言った『大切な人には、本当のことを話して協力してくれるように頼んだ方がいい』という言葉が浮かんだ。
佐伯課長は情に厚く、懐の深い人物で、取引先の担当者からの信頼もあり、社内では人望を集めている人でもあった。
『大切な人』とはニュアンスは異なるが、佐伯課長の俺に対する評価は下げたくないという思いと、期待には応えたいという思いは確かに俺の中にあった。
「説得しろと、樫山専務から言われたのではないのですか」
「言われたな。だけどな、俺は新井から何も聞いていないんだ。何一つ聞かないままで、説得なんてできやしないだろう」
本当のことを話した上で、佐伯課長には俺のことを信じてもらいたいと思いながら、なかなか話す決心がつかず、頭ごなしに説得はしないのかと尋ねた俺に、佐伯課長は真摯な態度で応じた。
俺の話に耳を傾けようとしてくれている佐伯課長の姿を目の当たりにして、俺は意を決して話し始めた。
「これから私が話すことは、信じられないかもしれませんが、嘘は一つもなくすべて実際にあったことです。最後まで、聞いてもらえますか」
「分かった」
佐伯課長が頷いたのを確かめ、俺は深く息を吐いて心を落ち着け、樫山専務からゴルフに誘われたことを初めとして、順々に言葉を紡ぎ出していった。




