第五十三話 責任の重さ
達樹に助言されたとおり、美咲の嘘を利用して美咲との間に起こった忌まわしい出来事の全てをなかったことにし、美咲の子供についても身に覚えのないことだと言った俺を美咲が目を見開いて見ていた。
おそらくは、子供との関係は否定されたとしても、自分のついた真っ赤な嘘を利用されるとは思っていなかったのだろう。
「君は、美咲が嘘をついていると言いたいのかね」
言葉を失った美咲に代わって、樫山専務が声のトーンを落とし威圧するように言葉を発した。
以前の樫山専務の上辺だけを見て敬っていた俺ならば、そんな樫山専務の態度に畏縮して言いたいことも飲み込んでいたかも知れない。だが、今の俺には樫山専務を畏怖する気持ちがまったくなくなっていた。
「私は、事実を申し上げているだけです」
樫山専務はスッと目を細め、腹の中を探るように俺を見ていた。
お互いに瞬きをすることも忘れ、一瞬たりとも視線を逸らさず剣呑な雰囲気が漂い始めると、美咲が焦った様子で俺に話し掛けてきた。
「尚哉さん。あなたは大事なことを見落としているわ。私と結婚することで、あなたはお父様という後ろ盾を得ることができるのよ。そうなれば、将来の重役の椅子だって夢ではなくなるの。それを棒に振るような馬鹿な真似はしないでしょ」
話しているうちに徐々に落ち着いた美咲は、最後には貞淑な仮面を脱ぎ捨ていつもの美咲に戻っていた。
俺は美咲の話を聞いて、美咲の中では出世という餌に食い付いた俺が美咲との結婚を了承し、美咲の子供を父親として受け入れるという筋書きが出来上がっていることを理解した。
しかし、会社を辞めることも視野に入るようになっていた俺にとって、出世の話を持ち出されても心に響くものはなく、逆に押し付けられる子供に対する責任の重さが気になった。
「美咲さん。私には、子供に対する責任の重さと出世を天秤に掛けるようなことはできません」
「それならば、君はあくまでも美咲との結婚を拒み、子供に対する父親としての責任も負うつもりはないと言うのかね」
美咲に応じた俺に、樫山専務が問い詰める口調で言葉を投げ掛けた。その表情は険しく、俺は思わず気圧されそうになり、そこで初めて握り締めていた手の平が緊張で汗ばんでいることに気が付いた。
だが、ここで丸め込まれてしまっては取り返しのつかないことになると自分を戒め、握り締めた両手に力を加えてさらにきつく握り、言葉を違えないように注意しながら口を開いた。
「もう何度も申し上げているように、私には既に心に決めた女性がいます。それに、誰の子なのか、はっきりしない子供の父親になる気は毛頭ありません」
俺は事実だけを言葉にして告げた。
一番ほしいと思っている証拠を手に入れられないのであれば、今回のような場での会話を録音したものを積み上げていく以外に方法がない。
いざとなった時、少しでも証拠品としての質を落とさないようにするためには、嘘を吐いて俺の望む言葉を引き出すような遣り方は避けるべきだと俺は考えていた。




