第五十一話 ICレコーダー
話しているうちにだんだんと感情が昂ぶり、あからさまに俺を非難し始めた樫山専務に対し、『俺は、美咲の子供とは無関係だ』と主張しようとした時、樫山専務のデスクの上に置かれていた内線電話が鳴った。
樫山専務は、鳴り続ける内線電話に忌々しげに一度視線だけを向け、俺を睨み付けたまま受話器を取り上げた。
そのまま俺から目を逸らさず、無言で受話器から流れてくる話を聞き終えると『分かった』と一言だけ応えて電話を切り、短く息を吐き出した。
「急ぎの案件が入った。話の続きは、また後でだ」
この場での話は終わりだと告げられた俺は、即座に『失礼します』と頭を下げて専務室を後にした。
しかし、俺の頭の中では樫山専務が言った『父親の責任』という言葉が引っ掛かっていた。
美咲から妊娠の事実を明かされ、達雄先生と達樹に相談をした三日後、俺は樫山専務から料亭『水鏡』に呼び出された。
そこは樫山専務の妻の友人夫婦が経営している料亭で、樫山専務は『水鏡』を公私にわたってよく利用していた。
格式のある店構えは、普段の俺であれば店の前に立っただけで緊張を覚えるものだったが、この日は違っていた。
呼び出された理由が娘の美咲の妊娠と無関係だとは思えず、料亭『水鏡』の前に立った俺は、頭の中で達雄先生と達樹から助言されたことを繰り返して確認した。
それから、スーツの上着のポケットに入れてあったICレコーダーを取り出し録音状態にして、もう一度スーツの上着のポケットに忍ばせた。
美咲に薬を盛られたことにしても、俺の意思を無視して忌まわしい行為を強行されたことにしても、俺は紛れもなく被害を受けた側の立場であったにも拘わらず、それを証明できる証拠を一つも手に入れられないことに、俺は苛立ちを募らせていた。
それでも、樫山専務が美咲と俺との結婚を諦め、美咲が子供の父親として俺を名指しすることを止めてくれるのであれば、これ以上問題をこじらせないために、納得はできなくてもこれまでのことに対して口を噤むことも考えていた。
しかし、反対に子供のことを持ち出して今まで以上に樫山専務が美咲との結婚を強要し、美咲が子供を俺に押し付けようとするのであれば、黙っているわけにはいかなかった。
ただ、その場合でも単なる水掛け論としないためには、俺の主張を有利なものとする必要があった。
そこで、どうしたらいいかと思案した結果、樫山専務がこれまでにも自分の立場を利用して俺に無茶な命令をしていたことを思い出し、また、達樹が言った真っ赤な嘘には綻びが出るという言葉に掛けてみようと思い立ち、行き着いた先がICレコーダーだった。
ICレコーダーは、俺がプロジェクトチームの一員として選ばれた時、アドバイザーとして俺についてくれた人から、自分とは関わりが薄い内容のものがプロジェクトチームの会議の題材として取り上げられると、記憶から抜け落ちてしまうことがあるため、その穴を開けないために会議の内容を録音しておくことを勧められて手に入れたものだった。
それ以来、俺はプロジェクトチームの会議だけに限らず、重要な会議や研修に参加した時にはICレコーダーを使い、その有用性を実感していた馴染みのあるものだった。
俺はそれを使い、これから先に交わされる樫山専務や美咲との会話を全て録音し、自分に有利となりそうな証拠を一つでも二つでも手に入れなければと思っていた。
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