第二百十八話 病室の夜
この回からは、尚哉の視点になります。
消灯時間だと告げられて、マンション『ベルフラワー』の俺たちの部屋へ帰って行く梨奈の両親を見送った後、俺は折り畳み式の椅子をベッドの脇に運びそれに腰掛けた。
井川医師から今夜の付き添いを特別に一人だけ認めてもらった梨奈の両親と俺は、話し合いをして俺が付き添うこととした。
初めは、当然のように梨奈の母親が付き添うと主張したのだが、梨奈の父親がそれを認めなかった。
梨奈の母親の手を必要とするのは薬で眠っている今ではなく、梨奈が目覚めてからになるだろうというのが反対の理由だった。
「尚哉君。梨奈を頼む」
母親が無理なら父親が付き添うと言い出すのではないかと考えていた俺に、梨奈の父親が付き添いを頼んだ。
今夜の付き添いの話を口にした時には、自分が梨奈に付いているつもりだった俺に『断る』という選択肢はなく、すぐに『分かりました』と了承の返事を返した。
だが、疑問が残っていた俺は表情にそれを出してしまっていたらしく、俺が問う前に梨奈の父親が事情を説明してくれた。
「こんな時に、と思うかも知れないが、仕事があってね……」
市役所の税務課に籍を置き、責任のある立場を担っている梨奈の父親は、全国で一斉に行われる納税の時期を目前に控えて本来ならば休んでいられないところを、娘の一大事ということで無理をして休んでいるため、あとを託して残してきた部下と電話を通じて連絡を取り合い、指示を出しているのだということだった。
「帰ったら、今日の報告を受けなくてはいけなくてね……」
ベッドの上で眠る梨奈から目を離さず話す梨奈の父親の心境は、言葉にしなくても十分に伝わって来た。
「何かあったら、すぐに連絡をします」
心を残しながらも引き揚げて行く梨奈の両親に、俺はそう言いながら見送った。
消灯時間が過ぎて病室の明かりが落とされ、薄暗い中で見る梨奈の顔色は白さが際立って見えた。
俺は布団の上に置かれた梨奈の右手を、器械に影響を与えないように気を付けながら持ち上げ、自分の左手の上に載せた。
手の平が合わさるように置いた梨奈の手からは、確かな温もりが感じられた。
それは、梨奈と離れていた約二ヶ月の間、焦がれ続けた温もりでもあった。
美咲と一緒に過ごし荒んでしまっていた俺の心が、重ねた梨奈の手から伝わる温もりにゆっくりと温められていく。
『尚哉は、凄いね』、『尚哉がいてくれて、良かった』、『尚哉なら、大丈夫』、『尚哉。ありがとう』
どんな些細なことでも厭うことなく、言葉にして俺に伝えてくれていた梨奈の声が記憶の中から溢れ出す。
今更ながらに、自分がどれ程に梨奈を頼り、支えられていたのか思い知らされる。
「梨奈。待っているからな。必ず戻って来るんだぞ」
梨奈の右手を挟むように、左手の上に載せた梨奈の右手の甲を俺の右手で優しく撫でながら、俺は眠る梨奈に語り掛けた。




