第十話 巡り合い
美咲が触れている部分から自分が薄汚れていく錯覚にとらわれながら、俺は樫山専務に挨拶をして専務室から出ようと背を向けた。
「近いうちに結婚式の日取りを決めて、二人の結婚を周知しよう」
樫山専務の言葉を背中で受け止めた俺は、即座に美咲の手を振り払い樫山専務と向き合った。
「それは、ルール違反です。何度も申し上げている通り、私には美咲さんと結婚する意思はありません。今回のことは、契約に基づくものだということを、お忘れにならないで下さい」
「この期に及んで、まだ君は……」
予想できたこととはいえ、平気で約束などなかったような態度を取る樫山専務に対し、俺は腹立たしさから嫌悪感を滲ませて反論した。
樫山専務は、あからさまに怒気を孕んだ様子で俺に詰め寄ろうとしたが、それを美咲が止めた。
対峙する樫山専務と俺の間に割り込み、俺と向かい合うと片手を伸ばして俺の顔に触れ、父である樫山専務に背を見せたまま話し掛けた。
「一緒に過ごし始めればすぐに、何の価値もないあんな女より私の方が何倍も魅力的で、尚哉さんの役に立つことが、いやでも良く分かるでしょ」
人を見下すような笑みを浮かべ、俺の頬を撫でながら美咲が『何の価値もないあんな女』と言い放った相手は梨奈だった。
俺にとって梨奈との出会いは衝撃的だった。
高校の同級生の中沢が主催するクリスマスパーティへ、達樹に誘われて出掛けた会場で梨奈を見た瞬間、俺は懐かしさを覚えた。
それは、物心ついた頃から意識的にではなく体感としておぼろげに感じ取っていた自分の中の欠けていた部分を見つけたとでもいうような、自分が満たされていく感覚だった。
その時の感情を言葉で説明することは難しく、強いて言葉で言い表すとしたら『魂の片割れに巡り合えた』ということになるのだろうと後になって気が付いた。




