頭痛
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朝起きると、頭の芯に痛みを感じた。頭痛である。おそらく夏から秋に移り変わる季節なので季節病だろう。放っておいても治ると思うけど、やはり絶えがたい痛みの場合は頭痛薬を飲むことにしている。まあ、普段から何かと頭痛持ちで、慣れてはいたのだが、これほど頭の中が痛むのは今年に入って初めてである。あたしはベッドから起き上がると、キッチンに入り、冷蔵庫から一リットル入りのパックの牛乳を取り出してグラスに注ぎ、飲んだ。胃に膜を作っておいてから、近くのドラッグストアで買っていた鎮痛剤を飲む。朝一のホットコーヒーを淹れるために、薬缶にぬるま湯を入れて沸かしながら待ち続けた。鎮痛剤は案外早く効くので、コーヒーを飲む頃にはすでに頭痛も治まっているだろう。コーヒーは年中ホットで飲んでいて、普段から冷たいものはあまり取らない。まあ、今年の夏は気候が異常だったし、七月中旬に自宅近くのカフェでアイスティーを飲んだこともあったのだが、それ以来、冷たいコーヒーやアイスの紅茶は一切飲んでいなかった。それでいいのである。冷たいものを飲みすぎると、体を刺激し、体調に変化を来たしやすいのだし……。
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いつも朝食を済ませてメイクをし、髪の毛を綺麗に整えたら、財布や携帯電話などに加え、仕事に必要なものをバッグに詰め込んで部屋を出る。一応頭痛薬も持ち歩いていた。五百ミリリットル入りのペットボトルに水を入れて持っていっていたから、頭が痛いときはどこででも鎮痛剤を服用できるようにしている。この季節は体調が変化しやすい。オフィスまで通勤し、仕事が始まればフル稼働する。あたし自身、電車に乗って都心まで行っていた。電車の乗り継ぎはない。単に最寄の駅から一本で街の中心地まで行ける。心身ともに疲れきってはいたのだが、これが新宿で働くOLの実情だ。頭は確かに痛む。頭痛が持病としてこれほど辛いと思えることは滅多にない。いくら頭痛持ちで、でもある。秋が深まれば、もっと頭の中が痛み出すと思う。普段はオフィス内でデータの入力作業やコピー取りなどをしていた。お昼は会社のすぐ近くにある定食屋で値段がお手頃な定食などを食べていたし、午後三時になると休憩時間がある。お茶とスイーツが出て、ほんの十五分間ほど休めるのだ。もちろん残業もあったのだが、大抵午後六時過ぎには会社を出ることが出来た。大抵自宅で飲む。自宅マンションの最寄の駅の近くに酒類のディスカウントストアがあって、そこでビールをダースで買い込み、抱えて持ってかえる。ホントなら居酒屋や飲み屋などで仲間たちと飲む方がいいかもしれないのだが、そういったことは絶対にしない。同僚たちは実に酒癖が悪いからである。あたしもそういったことは意識していた。普通にティータイムの席では一緒にいても、その後の業務が終わればすぐに帰る。その繰り返しなのだった。仲間たちと飲みに行くことはまずない。
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彼氏の卓雄はウイークデーはあたしの部屋に来ることがない。同じ新宿で働いていても、仕事が忙しいからである。彼の会社は上場企業で、社員は皆、朝早くから夜遅くまでずっとデスクに詰めていた。完全にデスクワークで、ハードな仕事をこなしている。もちろん業務が終われば携帯電話のアドレスにメールを打つのだが、返信は大体、夜遅くか翌日だった。確かに卓雄からメールがないと寂しいし、電話もないときは言いようのない孤独感に陥る。だけどこれは仕方ない。彼の仕事の忙しさを知っているので、誘うのは休みの日ぐらいだ。土日など会社が休みの日は大概あたしのマンションに来てくれた。休日は掃除や洗濯などを済ませて、卓雄からの連絡を待つ。携帯にメールが入ってくるか、電話かのどちらか、だった。そして約束の時間が来れば、玄関先で物音がして彼が来てくれたのが分かる。
「疲れてない?」
その日、会ったとき一番にそう訊かれた。隠しようがないので、
「ええ」
と返す。卓雄は日中ずっと社のフロア内でパソコンを使って作業しているので、日焼けしてない。それに最近、結構肉が付いていた。太っているわけじゃなかったのだが、ちょっと贅肉が付いたなと思える。仕事に余裕はないようだし、やはりずっと社内に詰めていると、ストレスが溜まって疲れるのだろう。あたし以上に心身ともに疲労しているようだった。彼が、
「最近頭痛がひどくてね」
と言ったので、
「あたしも」
と返すと、卓雄が、
「君も頭痛むの?」
と訊いてきた。普通のアラサーのOLで、仕事が忙しいのならともかく、何かと暇を持て余しがちなことは見抜かれている。頭痛薬を携帯していることを言うと、彼が、
「知らなかった。志穂も頭痛持ちだったんだね?」
と返事が返ってくる。頷くと、卓雄が、
「君も体調気を付けろよ。頭が痛むと何も出来ないからね」
と言い、あたしが缶ビールをダースで買い込んでいることを知ったので冷蔵庫へと向かう。冷やしてあると思ってだろう。秋口に入ったとはいえ、やはり冷たいビールは喉越しがよくて美味しい。いつも彼はアルコールでストレスを紛らわす。悪い癖があるのだった。まあ、別に気に掛けてはいなかったのだが……。
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卓雄とベッドインすると抱き合う。一際密だった。彼の腕に抱かれながら、夜の時間を送る。いくらか風が冷たかった。一緒のベッドの中でゴロゴロしながら、感じる部分を愛撫し合い、やがて繋がる。ゆっくりと絡み合い、半裸で明け方まで寝物語をした。幸い休みの日だったので、何も気にする必要はない。ふっと朝方になると、頭痛が襲ってきた。すぐに例の鎮痛剤をグラスに注いだ水道水で服用する。水はカルキ臭がしていたのだが、構わない。グラスの水を飲み干してしまい、スポンジにキッチン洗剤を塗って洗ってしまう。そしてベッドに戻ると、
「今日は日曜だから、また二人きりで一日ゆっくり出来るわね」
と言った。頭痛は吹き飛んでしまっている。薬が効いたのだろう。ベッドに潜り込むと、卓雄が優しく抱いてくれた。しばらく無言のまま抱き合いながら、二人で今日一日どうしようか考える。さすがに互いに一緒にいられれば精神的な疲労は取れた。意思が通じ合っているからである。何の気なしに朝を迎えた。
「コーヒー淹れるよ。エスプレッソでいいだろ?」
彼がそう訊いてきたので、
「ええ。ブラックでお願い」
と返す。あたしは会社のティータイムでも、出されたコーヒーに砂糖やミルクは入れない。甘いものを食べるとき以外でもコーヒーはブラックだ。そう決めていた。追って起き出すと、卓雄がコーヒーを淹れて、蓋をしてくれていた。冷めないように、だ。ゆっくりと大きく伸びを一つし、キッチンへと向かう。モーニングコーヒーを飲む時間が始まった。秋の朝は一際冷え込む。あたしは注いであったコーヒーを飲みながら、カフェインを補給する。眠気が一気に吹き飛んでしまうぐらい、彼の淹れたコーヒーは濃かった。食事にトースターで焼いたトーストを食べているときから、また頭が痛み出す。食後、すぐに頭痛薬を服用する。やはりこれは一種の持病らしい。あたし自身、加齢するごとにこの病気はひどくなっていくかもしれないと思っていた。だけど考え方一つで変わるのである。現時点で飲んでいる鎮痛剤は薬局で買っているから、いずれ専門の病院に行って診てもらおうとも思っていて。多分片頭痛だと診断されるだろう。まあ、人間にとって抱えてる病気の一つや二つあって当然なのだが……。それにそう思わないと、この手の病気とは付き合っていけないのだし……。
(了)