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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

読切短編 いい時代になった

作者: 黛 文彦
掲載日:2026/08/05

 痛みを消す新薬が普及して、三年になる。


 最初はみんな怖がっていた。指を挟んでも笑っていられるなんて、人間じゃなくなるみたいだ、と。


 けれど今では違う。


「指が取れかかっても、テープで止めればいいんですよ」


 私は新入社員にそう教え、得意げに笑った。


 隣の席の田中さんは、先週から片耳がずれている。頬まで伸ばしたテープで留めたまま、何事もなく電話を取っていた。


 総務の女性は、右手の指を三本、机の隅に並べている。


「あとで付けますから」


 そう言って書類をめくる手は、残った二本だけで十分器用だった。


 駅では腕を脇に抱えた会社員とすれ違い、スーパーでは子どもの足を買い物かごに入れた母親を見かける。


 痛くない。


 だから誰も慌てない。


 私も最近、ネクタイが妙に長く余るようになった。


 締め直しても、また余る。


 首が少し伸びたのだろう、と笑って済ませていた。


 伝票を打っていると、ふっと視界が沈んだ。


 机の上に、私の顔が転がっている。


 なるほど、そういうことか。


 少し傾いた景色の中で、自分の頭を抱え上げる。首の切れ目は驚くほどきれいで、血もほとんど流れていない。


 痛みは、ない。


 だから焦りも、ない。


 引き出しから新しいテープを取り出そうとして、残りが少ないことに気付く。


 ――明日の帰りに買っておこう。


 そんなことを考えながら、私は頭を首に戻した。


 いい時代になったものだ。

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