読切短編 いい時代になった
痛みを消す新薬が普及して、三年になる。
最初はみんな怖がっていた。指を挟んでも笑っていられるなんて、人間じゃなくなるみたいだ、と。
けれど今では違う。
「指が取れかかっても、テープで止めればいいんですよ」
私は新入社員にそう教え、得意げに笑った。
隣の席の田中さんは、先週から片耳がずれている。頬まで伸ばしたテープで留めたまま、何事もなく電話を取っていた。
総務の女性は、右手の指を三本、机の隅に並べている。
「あとで付けますから」
そう言って書類をめくる手は、残った二本だけで十分器用だった。
駅では腕を脇に抱えた会社員とすれ違い、スーパーでは子どもの足を買い物かごに入れた母親を見かける。
痛くない。
だから誰も慌てない。
私も最近、ネクタイが妙に長く余るようになった。
締め直しても、また余る。
首が少し伸びたのだろう、と笑って済ませていた。
伝票を打っていると、ふっと視界が沈んだ。
机の上に、私の顔が転がっている。
なるほど、そういうことか。
少し傾いた景色の中で、自分の頭を抱え上げる。首の切れ目は驚くほどきれいで、血もほとんど流れていない。
痛みは、ない。
だから焦りも、ない。
引き出しから新しいテープを取り出そうとして、残りが少ないことに気付く。
――明日の帰りに買っておこう。
そんなことを考えながら、私は頭を首に戻した。
いい時代になったものだ。




