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第1話 ミックスジュース

 たとえ瞼を閉じていたとしても感じる温かな光り……日なたがあることに、直生(なお)は初めて気が付いたのだ。格別日当たりの良いこの部屋はカーテンを閉めていてもなお明るい気がした。それはこの家の空気感だとか温度感だとか、そういうことにも関係していそうではあるけれど。

 閉じたカーテンの隙間から溢れた日なたは直生の目元をキラキラと照らす。薄っすらと瞼を上げて、手元にあるスマートフォンで時間を確認した。

 目覚まし音が鳴る10分前だった。なんだか損をしたような気がする。

 こんな日なたがあることは果たして良いことなのだろうか。この家に来て1週間経つが、一向にその疑問は解決しない。まだこの家に体が慣れていないというのもひとつの要因だろうが、この部屋は直生のような人間にはいささか眩しすぎるような気もする。直生は直生自身、日なたに愛されるような人間ではないことを重々承知している。「雪代(ゆきしろ)くんって静かだよね」。良いように言えばそうである。「雪代ってなんかこう覇気がないよな。顔色も暗いし、そのジトリとした目つきと猫背をやめたらいいと思うぞ」。悪いように言えばそうである。いいや、悪いように言わなくてもその通りだと思う。

 直生はのそりと重たい体を起こし、伸びをする。

 視界に入るのは高級感溢れるダークブラウンの壁紙。何も入っていない猫足のチェストに大きな本棚。体がよく沈み込むふかふかのダブルベッド。

 この部屋に置いてある全てのものにまだ違和感がある。

 

「今日から学校……」


 もっと言えば新学期。直生はこの春から中学2年生になる。


「嫌だ……」


 このままシーツの海に再び体を浮かべたら、どれほど気持ちいいだろうか。でもそれをしてしまったら確実に遅刻する。いや、それ以前に同居人が起こしに来るだろう。4人もいる同居人の内の誰かが、優しくこの部屋の扉をノックするに違いない。


「起きよう……」


 のそのそと体をゆっくりと動かし、直生はようやくベッドから降りた。





 

「おはようございます……」


 発した一声は掠れていた。まだ喉が完全に潤っていない。たとえ潤っていたとしても全く通ることのない声なので、その違いなど他人には全く分からないとは思うが。

 同居人たちは既に起きており、全員リビングに集まっていた。


「おはよ」

「おはよう」

「はよ」

「おはよう」


 口々にそう返事が飛び交った後、その内の1人がこう言った。


「今日、晴れて良かったね」


 彼の名前は美澄悠司(みすみゆうじ)。柔く笑った彼に直生はこくりとだけ頷いた。

 晴れでも曇りでも雨でも学校へ行くのは嫌だから、直生にとって天気はあまり関係ない。でも、彼らには重要だろう。


「せっかくの入学式だからな」


 次にそう言った彼は草壁瑛久(くさかべてるひさ)。ハーブティーを飲みながら、新聞を読んでいる。

 そう今日は入学式。直生の学校の、じゃない。彼ら4人が務める午後(ごご)御茶(おちゃ)女子大学の、だ。

 おじさん4人……いや、こう言ったら失礼だから、40歳の男性4人としておこう。そんな彼らと同居すると聞いたとき、まさかその4人全員が大学教授だとは思わなかった。しかも彼らは、全員直生の父の教え子。どんな偶然だよ、と直生は思った。4人も4人でこの偶然を奇縁だと思って、かつ、全員未婚だったからルームシェアを始めたのだという。

 イケオジ教授のルームシェア。ドラマでもそうそうない。

 直生がそんなことを思いながら食卓につくと、目玉焼きとトーストが運ばれてきた。


「ほい」

「……ありがとうございます」


 運んできてくれた――そして、これを作ってくれたであろう――夏吉慎(なつよしまこと)に直生は小さく会釈する。


「美澄も草壁も桜城も、ちゃっちゃと食え」


 夏吉の言葉に「はーい」と返事をしたのは美澄。「はいはい」と返事をしたのは草壁。彼らはソファから食卓へと移動し、いつもの座席にそれぞれついた。


「桜城、まだかよ」

「すまない、夏吉」


 淡々とした謝罪の後、ぶぉん、という耳の奥がくすぐられるような低音が鳴った。

 ジューサーの音だ。直生はキッチンを見る。そこにいる彼――桜城恭也(さくらぎきょうや)がミックスジュースを作っている。これはいつものことだった。直生がこの家に来て7回目の朝だが、彼はどんな朝もかかさず、あのジューサーを鳴らしていた。


「待たせたな。……はい、直生くん」

「……ありがとうございます」


 そして、彼は作ったミックスジュースを直生にも振る舞う。これも7回目のことだった。

 頼んでないのにな。

 毎日、微妙に違うそのジュースの味に戸惑いながら、直生は4人と一緒に「いただきます」をした。

 直生はこの人たちのことをまだよく知らない。でも……この場所を逃したら、次は無いだろうなということはちゃんと分かっている。

 分かっているのだ。そんなことぐらい。






 両親が交通事故で亡くなったのは、つい先月のことだ。喪失感とか絶望感だとか、そんなものが直生の体にやっと伸し掛かってきたのは葬儀を終えた後のことだったと思う。遅れてやってきたその感情を整理する間も無く、直生は親戚中をたらい回しにされた。結局、誰も彼も直生を本気で預かろうとは思っていなかったし、直生も心の何処かで自分の居場所はもうないのだろうなと半ば諦めていた。

 そんなある日、叔母が言った。「直生のことを預かりたいと言っている人がいる」。「親戚中で話し合ったけどその人に預かってもらうことに決まった」。

 呆れた。そんな大切なことを本人のいない場所で決めるんだと不信感を抱いたのは言うまでもない。でも仕方のないことだった。直生に拒否権はない。反抗したところで生きていくことは難しい。なら身を任せるしかなかった。

 叔母の家にその人が訪れたのは次の日の夕方だった。

 

「桜城恭也です」


 名前を言ったその声は聞き取りやすい声だった。銀フレームの知的なメガネとオールバック、そして体の線に合ったぴったりとしたスーツは事前情報の通り、いかにも「教授」らしく、それでいて全身から清潔感がよく伝わってきた。

 叔母に急かされるまま、直生は家を出た。制服とジャージと数日分の着替えしか入っていないスーツケースをゴロゴロと引いて、その人について行く。


「直生くん」

「……ぇ、あ、はい」


 突然名前を呼ばれてドキリとした。何か粗相をしただろうか。視線を上げると、桜城は直生の顔を真っ直ぐに見据えていた。こんな風に真正面から顔を見られることなんて、しばらく無かった。いや、以前のことなんてよく思い出せない。

 桜城は淡々と言った。


「顔色が悪いな」

「え、そ、そうですかね……?」

「少し休憩しよう」


 そう言って、桜城はスタスタと歩いて行く。それに直生は黙ってついて行った。喫茶店に辿り着いたのはそれから数分後のことで、桜城がミルクティーを頼んだのと同時に直生は慌ててホットココアを頼んだ。

 店内の温かさにホッと一息つく。強張った体が少し緩んだ気がした。この人に言われるまで自分がこんなにも緊張していたことに気付かなかったなんてバカみたいだ。自分のことなのに自分がよく分からなくなっていた。この人の横を歩くのに精一杯になっていた。


「直生くん」

「……はい」

「僕は何も面白半分で君を預かろうとしているわけじゃない」

「……」

「君のお父さんには本当に世話になった」


 この人にとって父は中学3年生のときの担任らしい。


「父ってそんなに良い先生だったんですか」

「あぁ。僕にこの道へ進むきっかけを与えてくれた人だ」

「……そうなんですね」


 そのとき、伏し目がちだった彼の瞳が自分の瞳と重なった。――射抜かれた。そう言っても差し支えないほどの真摯な眼差しだった。


「君は僕の尊敬する恩師の大切な人だ。それは僕にとっても大切な人になると信じている」

「大切……な、人」

「その人を守る権利はきっと僕にだってあるだろう。だから君を引き取りたい。僕はそう思って君の親戚にかけ合ったんだ」

「あ、はは……」


 思わず笑ってしまった。何を言い出すかと思えばこんな……


「……意外と恥ずかしいこと言う人なんですね」

「恥ずかしい……だろうか?」

「大切とか守るとか……ハッキリとそう言われたのは初めてです」


 心臓がどこか痛くなった。その痛みが切なくて、甘くて、嬉しかった。


「……信じて、いいんですか?あなたのこと……」


 そう聞いた声は少し震えていた。自分で自分のことを情けなく思ったけれど、桜城は大きく頷いてくれた。


「君が信じられるような人間でいることを誓う」

「大袈裟ですね」

「なりふりはあまり構っていられない」


 大真面目な顔と声でそう言うものだから、この人にとってこれは冗談や軽口では無いのだろう。


「家に着いたら少し驚くかもしれない」

「どういうことですか?」

「同僚とルームシェアをしているんだ。全員君の父の教え子だから、君の事情はちゃんと分かっている。安心していい」

「そうなんですね……」

「今日の夕食は鶏肉の醤油煮らしい」


 え?突然何?

 

「本当は君に合わせて唐揚げにした方がいいのでは?と思ったのだが、我々が食べ切れなかったときのことを考えて醤油煮になったんだ」

「へぇ……」

「美味しいから、安心してほしい」

「別に……唐揚げじゃなくたって全然良いですよ」

「そうか」


 あからさまにホッとした様子の桜城がちょっと面白かった。

 変なこと気にする人だな。

 直生にとっては唐揚げでも醤油煮でもどっちだって良かった。美味しくご飯が食べられるのであれば……どっちだって良かった。


「それじゃあ行こうか」


 ミルクティーとココアを飲み終えて、2人でボックスシートから立つ。

 これは余談だが、あの日彼らが住んでいる豪邸を見て心底驚いたのは事実であるし、その夜に食べた醤油煮が美味しかったのもまた事実である。

 これが1週間前の出来事だ。






「ただいまです……」


 新学期初日を終え、直生は家――そう表現するのはまだくすぐったいが――に帰ってきた。

 靴を脱いだとき、少しよろめいてしまった。疲れがだいぶ溜まっているみたいだ。何となくだがリュックも重たい気がする。


「直生くん、おかえり〜」


 出迎えてくれたのは美澄だった。彼の優しげなタレ目と柔らかな口調は、こちらに緊張感を与えない。

 俺はこういう人にはなれないな。

 ただ柔らかいだけじゃなく、どこか色気もある。なんというか、洒脱。色男ってこういう人のことを言うのだろう。生徒にはもちろん人気だと思う。


「どうだった新学期?」

「……普通でした」


 美澄の言葉にポツリと返す。

 こういうとき、もうちょっと気の利くことが言えたなら、もっと可愛げがある子供に見えるのに。言えない。


「そっか。まだあの先生いるの?川口先生」


 話が広がった。川口先生とは美術教師だ。

 

「はい」

「そうなんだ。嬉しいなぁ。俺、その人のおかげで美術好きになったんだよ」


 美澄は日本美術史の教授だ。けれど、直生には日本美術のことは何も分からない。名前として聞いたことがあるのは葛飾北斎ぐらい。絵も下手だし、美術の良さなどまだ到底理解できていない。

 でも、美澄の話には興味があった。


「……何があったんですか?」 

「あのね、粘土でウサギを作らなきゃいけない授業だったんだけど、俺だけ平面だったんだ。どうしても立体的に作れなくてさ」

「……な、なんで?」

「なんでだろうね。でもね、怒られなかったんだ。『そういうウサギがいてもいいよ』って言われて。そのときに、『あ、美術って自由でいいんだな』って思えたんだよなぁ。で、気付いたらこの職に就いてた」

「……すごいですね」


 きっかけは些細なことだと思える。でも、そこから興味を持って、たくさん勉強をして、今や多くの人の前で教鞭をとっているだなんて、本当にすごいことだと思う。元々探究心の強い人なのだろう。

 それにしても美澄さんって話しやすい人だよな。無理なく相手に話題振って、それを広げて、自分の話をして。うーん。この人やっぱりモテるんだろうな。

 直生が心の中で唸ったそのとき、リビングに入ってきたのは草壁だった。


「おかえり、直生くん」


 オーバル型の眼鏡がよく似合う紳士。そんな印象を直生は彼に抱いている。品が良くて、佇まいに余裕があって。

 そんな彼は彼らしく悠然と笑って、直生に文庫本を差し出してきた。


「はい、これ」

「……え?」

「朝読書の時間に読むと良い」


 『内田百閒アンソロジー』。くすんだ色の表紙には古めかしい字体でそう書かれていた。

 さすが日本文学史教授。……確かに朝読書の時間に読む本を何も用意していなかった。


「どうして内田百……」


 読めない。というかこれ誰?聞いたことがない。

 そこで言葉を切った直生を、草壁は馬鹿にするでもなく、教えるようでもなく、さらりと流した。


百閒(ひゃっけん)の文章は世界観が独特で面白いと思うよ。文章は平易だけど、意味を急がなくていいってところが良い。読んだら感想教えて」

「えっ……」


 それは面倒くさい。

 そんな直生の反応を面白がって草壁は笑った。


「はは。ウソウソ。気軽に読んでくれ」

「ありがとうございます……」


 本を読めと口酸っぱく母から言われていたことを直生は思い出した。適当に自分で選ぶよりも、日本文学史教授というプロからおすすめされた本を読むことは自分のためになるかもしれない。

 からかわれたことはこの際、無視だ。

 直生は文庫本を受け取って、リュックの中に仕舞った。

 そのときだった。


「風呂沸いたぞ」


 リビングに気怠げな低い声が聞こえてきた。――夏吉だ。彼はそのキリリとしたツリ目で直生を見下ろした。鋭い顔つきはしているが、そこまでの剣呑さを感じないのは、料理上手でしっかり者な一面をこの1週間でまざまざと見せつけられているからだろう。そのアンニュイな雰囲気も親近感が湧く。


「一番風呂どーぞ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「お前じゃねぇよ、草壁。直生に言ってんだ」


 夏吉はそう言って顔を顰める。それから、再び直生を見下ろして草壁にかけた声よりも甘めの声で直生に問うたのだ。


「新学期どうだった?当たりクラスだったか?」

「それ、さっき俺が聞いた」

「俺は聞いてねぇし」


 直生は考える。

 当たりクラス……当たりクラスかぁ……


「あんまり当たりクラスでは無かったかも……」


 脳裏に浮かぶのは閉塞感のある教室。騒がしいクラスメイト。そして……黒いジャージを着た担任。

 

「担任の先生がちょっと苦手です……」

「どうして?」

「なんか……元気だから。まだ若くて……ハキハキしてて……」

「あー……」


 夏吉は斜め上を見ながら、その短髪をガシガシと掻いた。


「俺もそういうヤツ苦手。なんか元気を押し付けてくるようなヤツだよな」

「はい……」


 ああいう人って、学校という場所に良い思い出しかないんだろうな。偏見でしかないけど。学校が窮屈に感じる自分みたいな生徒のこと、どう見えてるんだろ。

 卑屈になる直生に対し、夏吉は気怠げな表情のまま何てことのないように言った。


「そういうヤツの言うことは聞きてぇことだけ聞いとけ。自分には必要ねぇなってことは聞き流していい」

「え……」


 仮にもこの人、教師だよな。そんなこと言っちゃっていいのかな。

  

「言われたことを全部大真面目に受け止めてたらしんどくなる。そんな学校クソくらえだろ」

「口わる〜」


 軽くツッコんで笑う美澄を余所に、夏吉はそれがどうしたとでも言うように片眉を上げた。


「直生」


 口調は乱暴だけど、そうやって自分を呼ぶ声は優しかった。


「学校なんてこっちが選んで行く場所なんだ。教師なんて立派じゃないことがほとんどなんだから、あんま気にすんな」

「……それ、本当にあなたが言っちゃっていいんですか?」

「あぁ」


 夏吉はへらりと笑う。


「俺は何かを知りたいと思うヤツの手伝いをするだけだから」

「まぁ、教授業なんてだいたいそうだな」


 夏吉の言葉に草壁は頷いた。そして、美澄も言う。


「だね。自分の好きなことやってるだけ」


 三者三様、笑っていた。

 直生はそれを見て少し驚いたが、どこか納得もした。

 教授って聞いたときはみんな真面目な人かと思ったけど、実はそうでもないんだな……

 俺と同じ……なのかな。

 「雪代くんってほんと真面目だよね」とか、「雪代先生の息子だろ。そりゃ当たり前だよな」とか、「雪代、お前には期待してるぞ」とか。

 クラスメイトや教師の言葉が頭にリフレインする。

 俺はそんなに真面目じゃない。教師の息子だからってちゃんと生きられているわけじゃない。

 直生の目線が自然と下がったそのときだった。


「みんな、桜だ」


 ただいまも言わずリビングに入ってきた桜城の声に、直生は驚いて顔を上げた。

 夏吉が訝しげな顔をして桜城に言う。


「桜がどうしたんだよ」 

「駅前の公園の桜が満開だったんだ。桜を見に行こう。夜の桜。きっとみんな好きだと思う」

 

 有無を言わせない雰囲気の桜城に各々は呆れながらも、「桜、確かに咲いてたかも」、「気付かなかったな」、「見に行くか」と口々に言った。

 

「どうだろう、直生くん」


 桜城は直生の顔を覗き込んだ。

 一応、俺には選ばせてくれるんだなこの人……

 

「あー、花見……」


 花見なんて……そんなの。

 

「したことないです。……行ってみたい、かも」

「それじゃあ決まりだ」


 桜城は大きく頷いて、直生に手を差し出した。


「行こう、直生くん」


 直生はその手を見て、途端に恥ずかしくなり、眉根を寄せた。

 

「差し出されなくても、逃げませんよ……」

「む。すまない」


 あぁ、もう。こんなことを言いたいわけじゃないのだ。

 可愛げのない自分が嫌になって、チラリと桜城の顔を盗み見る。然程ショックを受けている様子はない。そのことに少しだけホッとした。





 

 ――こんな簡素な花見があるんだな。

 花見という行為は直生が思うに、ただ騒ぎたい人たちが一堂に会して、桜そっちのけで酒や料理を楽しむものだと思っていた。

 でも……


「うわぁ、綺麗」


 暗闇の中、街灯というスポットライトに照らされて輝く夜桜。それをスマートフォン越しに見て、感嘆しているのは美澄だ。そして、パシャリ、パシャリと写真を撮っている。


「今度ゼミのみんなに自慢しよ」


 この人、普段からそんなことしてるんだ。それを見せられたとき、生徒はどんな反応をするべきなんだろうな。

 美澄のゼミ生に思いを馳せたそのとき。


「直生くん、団子食べる?」


 そう突然声をかけられてびくりとした。草壁だ。彼はわざわざコンビニに寄って団子を購入していたのだ。花より団子というのはまさにこういう人のことを言うのだろう。


「今、花より団子だと思っただろう」

「えっ」


 ぎ、ぎくり。顔に出てた?それとも声が漏れてた?

 

「直生くん、僕は花より団子じゃあない。花も団子も欲しいタイプだ」

「は、はぁ……欲張りですね」

「それにしては団子しか見てねぇけどな」


 夏吉がため息混じりに会話に入ってきた。


「直生、団子食うなら転ばねぇように気をつけろよ」

「僕への心配は?」

「正直お前のことは眼中にもない」

「直生くん……こいつはひどいヤツだ。情というものがない」

「直生、こんなテキトーなヤツに構わなくていいぞ」


 この2人……いつもこんな感じでやり取りしているのだろうか。

 そのことに関しては別にいいのだけれど、俺を挟んでやいやい言い合うのはやめてほしい。俺が喧嘩の中心になっているみたいじゃないか。「俺のために争わないで」みたいな馬鹿げた台詞でも言った方がいい?

 ……それにしても、おじさん4人と花見か。初めての花見が家族でもなく友達でもなく、何と呼んでいいかよく分からない人たちとなんだ、俺。

 直生は桜を眺める。そして、写真を撮っている美澄でもなく、団子を食べている草壁でもなく、夜風に顔を顰めている夏吉でもなく、ただボーッとしている桜城を視界に入れた。

 桜城は桜を見上げ、控えめな手つきで小さな花びらに触れていた。

 その姿が妙に様になっていて、綺麗だなと思った。

 そのままジッと桜城を見ていたら、彼と目が合ってしまった。直生の視線に気が付いたのだろう。直生は慌てて視線を逸らそうとしたが、桜城が微笑んだのを見て体が固まった。

 そんな顔、できるんだ……


「直生くん」

「……ぁ、はい」

「綺麗だな」

「そうですね……」

「来て良かった」

「はい……」


 桜城がこちらに近付いてきた。直生は棒立ちのまま、その様を眺めることしかできなかったが、気付けば彼に手を握られていて驚いた。


「……っ」

「記念写真を撮ろう」

「……ぇ、あ、はい」


 彼に引っ張られるまま、桜の下でやいのやいの話している3人のもとへ行く。

 触れているその手は温かくて、直生はなんだかクラクラした。またひとつ、知らなかった温度を知った。






 翌日、直生は少しだけはやく起きた。体をゆっくりと起こした途端、くぅ、とお腹が鳴る。どんなに朝が憂鬱でも腹は減るみたいだ。

 リビングへ入るとキッチンに桜城がいた。他の3人の姿はまだ見えない。

 桜城はいつものごとく、真面目な顔をしてジューサーのカップに果物を入れていた。それにフタをしたところで、直生は桜城に声をかけていた。無意識だった。


「あの……」

「直生くん、おはよう」

「おはようございます……」


 直生はジッとジューサーを見つめる。その視線に桜城は小首を傾げた。


「どうかしたか、直生くん」

「あ……えっと……」

「あぁ」


 直生は思い切って言ってみることにした。


「……ジューサーのスイッチ、押してみていいですか?」


 どうしてだろう。彼の姿を見ていたら、押してみたいと思ったんだ。

 でもこんな申し出、やっぱり変だ。


「ごめんなさい。やっぱり良いで――」

「好きなだけ押すといい」


 桜城は大きく頷いて、直生にこちらに来るように手で促した。今更引き下がれなくなって、直生はジューサーの前に立ち、フタを押さえながらスイッチを押した。

 手のひらにビリビリと振動が伝わり、果物が混ざる。


「混ざっているな」

「混ざってますね……」


 変な会話。でもその“変”が心地良かった。


「おはよ」

「おはよう」

「はよ」


 そのとき、リビングに美澄、草壁、夏吉の3人が入ってきた。

 彼らの挨拶に桜城は「おはよう」と、直生は「おはようございます」と返し、再びジューサーを見つめた。

 美澄がテレビをつけ、草壁が新聞を広げ、夏吉が冷蔵庫を開ける。

 今日が、始まる。果物は混ざる。だから……俺も。

 何となく、彼らに混ざることにする。


「直生くん、そろそろ良いだろう」

「はい」


 俺はここで、生活をする。

 その日飲んだミックスジュースの味は、依然としてよく分からないものだったけれど、不味くはなかった。

 むしろ……美味しかったのは秘密だ。

 


 第1話 おわり

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