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新しい学校

 「これ、明日の原稿」

 「おう」と言ってアキラは原稿用紙を広げた。生徒会室の窓から差し込む夕日が、ミズホの書いた文字を照らした。「今回も消しゴムの跡がない」とアキラは言った。「練りすぎても耳に残るだけじゃん」と言ってミズホは髪をかき上げた。そのときアキラは彼女の髪の香りを感じた。文字を追う視線がぶれた。

 アキラは原稿(400字詰め7枚)を読み終え、壇上での10分間を演出した。なるほど、ミズホの筋書きには聴衆を一人一人が個をなくした群衆へと変えてしまう力がある。彼女の書き出したフレーズは聞く人たちの皮膚をすり抜け、血流に乗って全身を巡る。しかし、彼女の原稿が作る場は、ライブ会場というよりはワクチン接種会場、演説というよりは講義だった。

 「新しい学校」、とアキラは声にした。

 「あら、気に入ってくれた?」彼女は文庫本のしおり紐をいじりながら言った。

 扉が外されたような音が立った。「もう帰れ」と日直の先生が上半身を隙間に挟み込んで言った。アキラとミズホは、目を合わせて目線で「モグラ」と言い合った。モグラは「試験期間だぞ」と続けた。お前らは成績良かったか? と顔に書かれていた。そして力を緩める素振りもなく閉めて、去っていった。部屋の中では、モグラの声と体臭、壁の振動、せっかちな足音が絡み合っていた。アキラは窓を開けた。

 

 翌日の演説の準備を終え、アキラとミズホは遊園地で落ち合うことにしてそれぞれ帰路についた。


 アキラはミズホに腕を引っ張られながら、ネオンの中を移動した。空はすっかり暗くなっていた。高架上を走り、敷地内をぐるっと巡る乗り物があった。自走できるトロッコで、2人がけの席が2列あった。平日の夕方で空いていて、アキラとミズホで独占した。彼らはスタッフの「いってらっしゃい」に手を振って返した。

 「ねえ、あそこにいるの高梨くんと赤井ちゃんじゃない!?」「気づくかな」と言いながらミズホは二人の方へ手を振った。二人は遊覧船の甲板で、サン=サーンスの『白鳥』の演奏を聴いていた。

 アキラとミズホを運ぶトロッコの前照灯は、一拍先しか照らさなかった。観覧車の横を通り過ぎたとき、彼らは思わず瞼を閉じた。籠のネオンが空に円弧を描いていた。「大きな円」彼女は片目を閉じて指で直径を測った。そして鞄から缶ビール2つを取り出して、乾杯した。彼女は酔ってしばらくして、「あれって楕円でもよくない?」と言った。「うん、そうだね」とアキラは言って、彼女にキスをした。


 「ここってさ『ここに国があった』っていうコンセプトじゃん」ミズホはパスタをフォークに巻きながら言った。「私たちってお客さん? ここの国民になれる? 」

「気持ち次第だ思うよ。まず帰属意識を持たないと」

「帰属意識ね、じゃあスッタフの人たちはどうなんだろう」

「彼らは会社に対して持ってるんじゃない? 」ミズホは笑った。

「アキラは?」

「観光客かな」と言ってアキラは食後のコーヒーをすすった。ミズホは「えーつまんない」と言って、ピアニストの方へ目をやった。アキラはそうしている彼女を見ていた。ラヴェルの『古風のメヌエット』だった。彼は、音楽は彼女から発されているように感じた。置き時計の秒針がゆっくり動いていた。


 アキラとミズホはネオン街を抜けながら、仁王立ちする観覧車の方へ歩いていたところ、高梨と赤井にばったり遭った。そして彼らと一緒に観覧車に乗ることになった。

 「明日は、数学と世界史だっけ」高梨が言った。一方の席にはアキラとミズホが、もう一方には高梨と赤井が座った。

 「お二人さんは勉強してるの? 」赤井が言った。

 「これからやる」と言って、アキラは文化部棟の鍵を見せた。

 「私は付き添ってあげるの」

 「いや一緒にやるんだ」

 赤井がミズホに世界史の一問一答を出したところ、ミズホは一問も正答できなかった。

 

 籠が大きく揺れた。彼らは手すりにつかまった。停電が発生し、『国』が原始的な夜になった。

 どうやらモグラは妻子持ちであるらしい。奥さんは専業主婦、息子は大学生。帰宅して、ただいまは言わないだろうし、靴は揃えないときが多いだろう。ワイシャツを洗濯機へ放り込んで、いただきますすら言わずに一皿ずつ空にしていくだろう。妻との関係、冷え切っている。息子との関係、冷え切っている。では妻と息子は? 新生活の準備をしているだろう。

 男子バスケ部の主将と美術の先生が禁断の恋をしているらしい。級友が、彼が先生のアパートの部屋(303号室)へ入っていくのを目撃したそうだ。先生は彼の何に惹かれたのか。アキラは彼とキャンプで同班だった。彼は容姿は良いが、年上の女性を口説き落とせるような舌は持っていないだろう。先生の元カレに似ていたとか? いや、そもそも恋愛なんかじゃなくて、特別の課外授業だったのではないか。それは無理がある。いったい何をするんだよ! 彼らは笑った。先生は愛想を振り撒くような人ではない。ところで、先生の容姿にはルネサンス的な美しさがある。高梨は、彼女の魔力を指摘した。授業の口調、美術準備室、香水……

 話題が途切れると、アキラが翌日の演説の予行をした。終わると三人は拍手した。「生徒が学校を建設するんだ」

「「「「いいね」」」」

「先生にはその維持をお願いするよ」

「「「「いいね」」」」

「給食、みんなで作ろう」

「「「「いいね」」」


 アキラとミズホは裏口から文化部棟へ入った。4階建てで、吹き抜けを囲うように通路と各部屋の扉があった。2階の『文化部棟自治会室』とある部屋に入った。二人は、遮光カーテンを閉めてガムテープで隙間を塞いだ。ランタンをパイプ机に置いて、その明かりを挟んで日付が変わる頃まで勉強した。ミズホは数学が得意だった。彼女はアキラに、解法をつぶやくように説明した。彼は一人でやるよりかは効率よく解ける問題を増やしていった。一方で世界史は、アキラがミズホに付きっきりで教えた。

 二人は疲れを感じ始めて、自治会室のソファに寝転がった。アキラがミズホを抱き寄せる形だった。机の上にはビールの空き缶も同じ様だった。

 「新しい学校を本格的に建設する前にさ、この文化部棟で完全な自治を勝ち取って、やってみたいんだ」アキラが切り出した。「いいと思うわ。顔があたたかいわ、酔いが回ってるね」ミズホが言った。

 「教頭に言ってみる。彼は生徒の自治に対していちばん理解があると思うんだ。この前、寿司をご馳走してくれたんだ」

 「私も行きたかったそれ。モグラも見習ってほしいわ。自治を取ったら、まず何がしたいの? 」

 「24時間出入りできるようにして、浴室を作ろうと思う」

 「今すぐ賛成、ちょっと臭ってるし」

 「あとプロパガンダ担当の君に、特別な部屋も用意する」

 「え、どんな部屋? 」

 「ミズホは時計が好きでしょ? 世界各国の標準時に合わせた時計を置こう。あと、俺が過ごすスペース」

 「机と椅子があれば十分だよ。なんか皇妃になった気分」

 「時には独裁も必要なんだよ。新しい学校ができるまでは」

 「ちょっと歩かない? 」


 吹き抜けの天井はドーム状でガラス張りになっていて、月明かりが差し込んでいた。吊り金具が垂れていた。二人は歩を進めていったが、足を止めても鳴りやまない足音のあることに気がついた。階段の方からその音は近づいて来ていた。しばらくして、月明かりでない白色光が彼らを直に照らし、思わず瞼を閉じた。

 懐中電灯を持った警備員の後ろに、教頭が、彼の斜め後ろにはモグラがいた。その順に暗くなっていた。

 「君たち……余計なことはしないでおくれよ」教頭は言った。

 「すみません、しかし生徒の完全な自治が認められる空間が学校の中にはあるべきです」

 「誰が責任取るの? 万が一のことがあったら」と言う教頭の後ろでモグラは、アキラとミズホを黙ってじっと見つめていた。「あと君、お酒飲んだ? だめでしょう、法律は守ろうよ」ミズホはアキラの腕を掴んで震えていた。

 「おいモグラ! 後ろのお前だ! あそこに吊るしてやるからな! 」と言ってアキラは釣り金具を指した。そうしてミズホを引っ張って、文化部棟を駆け出した。植え込みを突っ切り、池を泳いで、石塀によじ登った。ミズホはアキラの手を振り払って、「逃げて! 私のことはもう構わないで」と言った。「また会おう、政治犯になって! 」とアキラは塀の向こうへ飛んだ。

 アキラはあの303号室を目指した。彼女は俺を分かってくれるはずだ!

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