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1 ポッドの目覚め

意識が浮上する。

それは、深い、深い、粘性の液体の中から、ゆっくりと引き上げられるような感覚だった。全身を包むぬるりとした感触。閉ざされた空間。かすかに聞こえる機械音。そして、何よりも、身体の奥底から湧き上がる、耐え難いほどの倦怠感と、微かな痺れ。まるで、何世紀もの間深い眠りについていたかのような、途方もない時間の流れを感じた。

最後に覚えているのは、戦場の光景だった。

降り注ぐ砲火。耳を劈く爆音。飛び交う銃弾が空気を切り裂き、焦げた硝煙の匂いが鼻腔を焼いた。仲間たちの叫び声が木霊し、血と土の混じった泥濘の中で、身体を貫く激しい痛みに意識は遠のいた。視界が暗転し、そこで、全ては途絶えたはずだった。


レオンは、ゆっくりと目を開けた。

目の前にあるのは、曇った半透明の壁。その向こうには、ぼんやりとした光が揺らめいている。水中にいるかのような、奇妙な浮遊感。呼吸は、まるで鰓呼吸をしているかのように、自然に行われている。

身体を起こそうとしたが、何かに拘束されているような感覚があった。手足を動かそうとすると、ひんやりとした金属の感触が肌に触れる。全身が、まるで硬直したかのように動かない。だが、その硬直の奥には、信じられないほどの力が潜んでいるのが感じられた。

彼は、自分が古びたポッドのようなものの中にいることに気づいた。内部は狭く、身体を自由に動かすことができない。薄い液体が満たされており、それが肌にまとわりつく。微かに漂うのは、消毒液のような、それでいてどこか懐かしいような匂い。それは、彼が最後に意識を失う前に嗅いだ、戦場の埃っぽさとは全く異なるものだった。

(ここは……どこだ? 俺は……一体、どうなった? あの戦場は……?)

記憶を辿ろうとするが、戦場の記憶から先は、まるで白い霧に覆われたかのように、何も見えない。自分が誰なのか、どこにいるのか、なぜこんな場所にいるのか、全くわからなかった。ただ、最後に聞いた爆音と、身体を貫いた痛みの感覚だけが、鮮明に残っている。その痛みは、まるで熱い鉄を押し当てられたかのように、今でも微かに彼の意識の底に残っていた。


ポッドの壁に手を触れると、錆び付いたようなざらつきがあった。指先が、僅かに震えている。まるで、何十年も手入れされていない骨董品のようだ。ポッドの表面には、複雑な配線が剥き出しになり、所々で火花が散っている。内部の液体は、まるで血液のように粘り気があり、不快な温かさを保っていた。その液体は、微かに脈打っているようにも感じられ、まるでポッド自体が生きているかのような錯覚を覚えた。

どうにか身じろぎ、レオンはポッドの蓋らしき部分に手をかけた。固く閉ざされているが、力を込めると、ギギ、という耳障りな音を立てて僅かに動いた。その音は、まるで何かが軋むように、彼の耳の奥に響いた。同時に、ポッドの内部から、腐敗したような、あるいは薬品が変質したような、独特の異臭が漂ってきた。それは、彼の嗅覚を刺激し、吐き気を催すほどだった。最後に吸い込んだ硝煙の匂いとは全く異なる、生命の終わりを告げるような、重く淀んだ匂いだった。

さらに力を込める。全身の筋肉が、まるで意志を持ったかのように収縮し、信じられないほどの力が湧き上がる。彼の身体は、以前よりも遥かに強靭になっていることを、本能的に理解した。まるで、体内に新たなエンジンが搭載されたかのようだ。それは、戦場で幾度となく死線を潜り抜けてきた彼の、研ぎ澄まされた感覚が告げていた。

バキッ!

鈍い音と共に、蓋の一部が砕け散った。錆びた金属片が飛び散り、そこから、濁った液体が勢いよく流れ出す。ポッドの内部に溜まっていた液体が、ごぼごぼと音を立てて排水されていく。その音は、まるで巨大な生物が呼吸しているかのようだった。それは、静寂に包まれた空間の中で、異様なほど大きく響き渡った。

レオンは、割れた隙間を広げ、ポッドから這い出た。

全身にまとわりつく液体が、冷たく肌を滑り落ちる。その液体は、彼が知る水とは違う、独特の粘り気と、薬品のような匂いを帯びていた。肌に触れる空気が、ひどく冷たく感じられた。それは、地下深く特有の、じめじめとした冷たさだった。

そして、彼は自分の姿を見て、言葉を失った。

周囲に鏡などないが、自分の腕や脚を見るだけで理解できた。

肌の色は、以前よりも白く、まるで陶器のように滑らかだ。血管が青く浮き出て見え、その下には、しなやかな曲線を描く筋肉が隆起しているのがわかる。指先を動かすと、爪は小さく、丸みを帯びている。そして何よりも、頭部に流れ落ちる髪の色が変わっている。見慣れない、明るい金色。陽光を浴びた麦穂のような、鮮やかな色合い。顔を上げると、視界に入ったのは、深い青色の瞳だった。大きく、吸い込まれそうなほど美しい、その瞳は、見慣れた自分のものとは全く違っていた。以前は、もっと精悍な、射るような黒い瞳をしていたはずだ。

(なんだ、これ……? 俺の身体……じゃねえ……?)

信じられない思いで、自分の腕に触れる。滑らかな肌。丸みを帯びた肩。明らかに、これは男の身体ではない。鏡を見なくてもわかる。目の前に広がるのは、紛れもない女性の肉体だった。金色の髪が肩にかかり、胸元には膨らみがある。その感触は、彼がこれまで知っていた自分の身体とは全く異なる、柔らかなものだった。

「……嘘だろ……?」

掠れた声が、彼の喉から漏れた。それは、聞き慣れない、高い声だった。まるで、別の人間が発したかのような、異質な響き。

そして、彼は自分が全裸であることに気づき、さらに狼狽した。

最後に記憶にある自分の服装は、泥と血にまみれた戦闘用の強化スーツだったはずだ。それは、彼の第二の皮膚とも言えるほど、身体に馴染んだものだった。

なぜ、裸で、こんな見慣れない姿で、古びたポッドの中にいるのか?

全く理解できなかった。頭の中は、混乱と疑問符で埋め尽くされていた。彼の知る常識が、音を立てて崩れていく。まるで、足元の大地が突然崩落したかのように、彼の世界は根底から揺らいでいた。


周囲を見回すと、そこは崩落した遺跡の一角だった。錆びた鉄骨が複雑に絡み合い、コンクリートの破片が散乱している。だが、そのひび割れたコンクリートの表面には、見慣れた文字が刻まれている。それは、かつて自分が属していた組織、政府の紋章と、研究施設でよく見かけた注意書きの類だった。「警告:高圧電流」「立入禁止区域」「実験体保管庫」。懐かしいような、そして同時に不気味な言葉が、彼の目に飛び込んでくる。それは、遠い過去の記憶を呼び覚ますと同時に、現在の異様な状況とのギャップを際立たせていた。

(ここは……政府の施設……なのか?)

かすかな記憶の糸が、途切れ途切れに繋がっていく。この独特の無機質な建築様式、そして壁に残されたフォント。間違いなく、それは彼がかつて知っていた世界の遺物だった。だが、なぜこんなにも荒廃しているのか。まるで、長い年月が過ぎ去ったかのようだ。壁に描かれた政府の紋章は、所々剥がれ落ち、その下から、さらに古い、見慣れない紋様が覗いている。

天井の一部は完全に崩れ落ち、そこからわずかな光が差し込んでいるが、ほとんどの場所は薄暗く、湿気を帯びた空気が漂っていた。土埃とカビの匂いが混じった空気が、肺の奥まで染み渡る。それは、長い間放置された地下施設の、独特の匂いだった。

自分がいたポッドは、無数に転がる瓦礫の中に、ひっそりと佇んでいた。他のポッドも、埃を被り、破損しているものも多い。中には、液体が干からびて、黒ずんだ染みだけが残っているものもあった。まるで、墓標のように並ぶポッドの群れ。その光景は、彼が知る施設の光景と重なり、同時に異質な雰囲気を醸し出していた。それは、まるで時間が止まってしまったかのような、不気味な静けさだった。

レオンは、肌に鳥肌が立つ寒さを感じながら、身を縮こまらせた。

ここは、政府の研究施設……だったのか。なぜ、こんな場所に自分が? そして、なぜこんな姿に? 戦場で倒れたはずの自分が、なぜこんなにも長い時を超えたかのように、ここにいるのか?

彼の心は、疑問と混乱で押しつぶされそうだった。まるで、深海の底に沈んでいくような、重苦しい感覚が彼を包み込んでいた。


その時、彼の耳に、微かな金属音と、掠れた声が聞こえた。

「おい、そこの嬢ちゃん。ちょっと手伝ってくれねえか?」

声のする方を警戒しながら見ると、少し離れた瓦礫の陰に、何かが転がっていた。それは、暗闇の中で鈍く光を反射していた。

近づいてみると、それは人間の頭部だった。

ただし、生身の人間ではない。滑らかな銀色の金属でできた、精巧な頭部。目にあたる部分には、青く光るレンズが埋め込まれている。まるで、精巧な彫刻のようにも見えるが、明らかに機械だった。頭部の側面には、見慣れない、だがどこか既視感を覚えるような紋章が刻まれていた。それは、彼が知る政府の紋章とは明らかに異なる、複雑な幾何学模様だった。

「……お前が、喋っているのか?」

レオンは、信じられない思いで問いかけた。こんな技術は、彼の知る政府には存在しなかったはずだ。政府のAI技術は、もっと初期段階のものだった記憶がある。

「当たり前だろ! 俺以外に誰がいるってんだ! ったく、一人でこんなとこ来るんじゃなかったぜ……」

金属の頭部は、恨めしそうに周囲を見回した。その青いレンズが、レオンの顔をじっと見つめる。まるで、人間の視線のように、感情が宿っているように感じられた。

「お前は……何だ?」

レオンは、警戒を解かずに尋ねた。この異様な状況の中で、軽率な行動は命取りになるかもしれない。

「俺はゼファー。まあ、ドジ踏んで頭だけになっちまった遺跡ハンターだ」

ゼファーと名乗る金属の頭部は、ぶっきらぼうに答えた。その声は、金属的な響きの中に、わずかな人間らしさを残していた。

「遺跡ハンター……? それは、一体何だ?」

レオンは、聞いたことのない言葉に、素直に疑問を口にした。彼の知る政府には、そんな役割の人間はいなかった。政府の人間は、もっと組織的に、命令に従って行動していたはずだ。

「ああ、一人でこの遺跡に潜り込んだら、うっかりトラップに引っかかっちまってな。ボディは吹っ飛んだ。今は、こうして頭だけが残ってる始末よ」

ゼファーは、自嘲気味に言った。その声には、深い後悔の色が滲んでいた。まるで、自分の愚かさを嘆いているようだった。

レオンは、ゼファーの言葉に、ますます混乱した。「トラップ」とは何なのか。「遺跡ハンター」とは、一体何をする人間なのか。そして、なぜその頭が金属でできているのか。彼の知る政府の技術では、考えられないことだった。彼の記憶にある技術は、もっと粗雑で、実用性に欠けるものだったはずだ。

「トラップ……? 遺跡ハンター……? お前は……一体……」

レオンが言葉を探していると、ゼファーは苛立ったように青いレンズを光らせた。その光は、まるで感情が高ぶっているかのように、明滅した。

「なんだ? まさか、そんな言葉も知らねえのか? お前、一体どこから来たんだ? って、おいおい! あんた、なんで丸裸なんだよ!?」

ゼファーは、ようやくレオンの姿に気づき、驚きの声を上げた。その青いレンズが、レオンの全身を隈なく見つめる。まるで、珍しい生き物を見るかのような、好奇の色を帯びていた。

レオンは、その言葉にハッとした。そうだ、自分は全裸だ。この見慣れない女の身体で、一体どうすればいいのか。羞恥心が、じわじわと彼の心を蝕んでいく。

「……覚えてないんだ。気が付いたら、このポッドの中にいて……それで、この姿で」

レオンは、困惑しながら自分の身体を見た。それは、まるで自分の身体ではないかのように、見慣れないものだった。

「マジかよ……あんた、一体何なんだ? つーか、寒くねえのか? ま、いっか。そこの瓦礫の下とか探せば、ボロい布くらい落ちてるだろ。とりあえず、何か巻いてろよ。目のやり場に困るんだよ!」

ゼファーは、露骨に嫌そうな顔をした。金属製の顔に表情があるように見えたのは、気のせいだろうか。だが、その声には、確かに不快感が込められていた。

レオンは、言われた通り、周囲の瓦礫を見回した。確かに、破れた布切れや、何かのシートのようなものが落ちている。羞恥心はあったが、この状況で裸のままいるわけにもいかない。生き延びるためには、なりふり構っていられない。

「まあいい。それより、俺をここから出してくれよ。頭だけじゃ、どうにもならねえんだ」

ゼファーは、話を元に戻そうとした。彼の声には、切実な願いが込められていた。

レオンは、近くに落ちていた、埃まみれの大きな布切れを拾い上げ、それを体に巻き付けた。薄汚れてはいるが、ないよりはマシだ。いくらか、安心感が得られた。

「お前……機械なのか?」

レオンは、改めてゼファーの金属の頭部を指さして尋ねた。こんな精巧な機械は、彼の知る政府には存在しなかった。それは、まるで生きた人間の頭部を模倣したかのような、精巧な作りだった。

その瞬間、ゼファーの青いレンズが、鋭く光った。まるで、怒りで赤く染まるかのように、その光量が強くなった。周囲の薄暗い空間の中で、その光は異様なほど強く感じられた。

「おい、待てよ! 『機械』だと? そんな言い方、マジでやめろ! 旧政府が滅んでから、もうずいぶんな時間が経ってるんだよ! AIにも市民権が与えられてるんだ! 感情も自我も、お前ら人間と何ら変わりねえ! 俺をただの道具扱いすんな! 俺は、お前ら人間と同じ、この世界の住人なんだ!」

ゼファーは、激昂して叫んだ。その声は、金属質な響きを帯びていたが、確かに怒りの感情が伝わってきた。まるで、本当に人間が怒鳴っているかのような、生々しい響き。彼の言葉の端々から、AIが人間と対等な存在であるという強い主張が感じられた。それは、レオンが知っていた世界とは、全く異なる価値観だった。

レオンは、ゼファーの剣幕に、完全に言葉を失った。

市民権? AIに? 旧政府が滅んだ?

彼の知る政府は、AIを道具として利用していた。市民権など、考えられないことだった。そして、政府が滅んだなどという話も、聞いたことがない。それは、彼の世界の根幹を揺るがすような、信じられない言葉だった。

(旧政府が……滅んだ? そんな馬鹿な……一体、どれだけの時間が経ったんだ? 俺は、本当に長い間眠っていたのか? そして、この身体は……)

この遺跡が、かつての自分の知る場所だとしても、そこに流れた時間があまりにも長すぎる。全てが変わってしまったのだ。彼の知る世界は、もう存在しないのかもしれない。

「……すまない。俺は、最後に戦場で倒れたことしか覚えていない。この世界のことは、何も知らないんだ」

レオンは、正直に答えるしかなかった。その声は、彼自身の耳にも、ひどく掠れて聞こえた。そして、それが、女の声であるという事実に、改めて衝撃を受けた。


ゼファーは、レオンの言葉に、少しだけ冷静さを取り戻したようだった。青いレンズの光が、元の輝きに戻る。だが、その奥には、まだわずかな怒りの残滓が見えた。

「……戦場で倒れた、か。そりゃまた、ずいぶんと昔の話だな。まあいい。とにかく、俺をここから運んでくれ。頭だけじゃ、どうにもならねえんだ」

ゼファーは、ぶっきらぼうに言った。その口調には、まだ不満が残っているようだったが、切羽詰まった状況の方が優先だと判断したのだろう。


レオンは、まだ状況を完全に理解できていなかったが、この奇妙な金属の頭部が、この世界のことを知る手がかりになるかもしれないと感じた。そして、この見慣れない女の身体で、一人で行動することへの不安も大きかった。何よりも、この遺跡がかつての自分の知る場所であるならば、ゼファーの持つ情報が、失われた記憶を取り戻す鍵になるかもしれない。

「わかった」

レオンは、そう答えると、ゼファーの頭部を拾い上げた。

見た目よりも軽く感じたが、確かに金属の感触があった。ずっしりとした重みは、まるで精巧な金属製の彫刻のようだ。その冷たい感触が、今の彼の置かれた状況を、より一層現実味のあるものにしていた。

「よし! 助かるぜ! まずは、この崩れた通路を抜けるんだ。俺のセンサーで、この辺りの構造を解析する。お前は、特に何もしなくていい。ただ、俺を運んでくれればいいんだ」

ゼファーは、早速指示を始めた。彼の青いレンズが、周囲をスキャンするように素早く動く。その動きは、まるで生き物の瞳のように滑らかで、精密だった。

レオンは、拾い上げた布を体に巻き付け、最低限の羞恥心を隠すと、ゼファーの言葉に従い、瓦礫の道を歩き出した。足元は不安定で、崩れかけたコンクリートや、錆び付いた金属片が散乱しており、一歩踏み出すごとに注意が必要だった。

この見慣れない世界と、失われた自分の記憶、そしてこの信じられない身体の変化への不安は消えないが、今は、この奇妙な金属の頭部と共に、この遺跡から脱出することだけを考えようとした。それが、今の彼にできる唯一のことだった。

腕の中に抱えた金属の頭部が、時折、小さく振動する。ゼファーが、周囲の状況をスキャンしているのだろう。その微かな振動は、まるで小さな生き物がそこにいるかのようで、奇妙な安心感をもたらした。


遺跡の内部は、想像以上に広大だった。崩れた天井から差し込む光は少なく、ほとんどの場所が薄暗い。足元には、錆び付いた金属片や、ひび割れたコンクリートの塊が散乱しており、歩くたびにガリガリと音を立てる。空気は重く、湿気を帯びていた。壁には、政府の技術を示すかのような、複雑な回路図や、意味不明な数式が、彼が見慣れたフォントでそのまま残されていた。だが、それらは古びて色褪せ、まるで忘れ去られた過去の遺物のようだった。所々に、かつては機能していたであろう大型機械の残骸が、黒い影となって横たわっている。それらは、まるで巨大な獣の骨格のようにも見えた。静寂の中に、時折、どこからか水の滴る音や、金属が軋む音が聞こえてくるだけだった。

「この遺跡は、旧政府の実験施設だったらしいぜ。数百年前の技術の粋を集めた場所だ。だから、色々と危険なトラップが残ってる可能性もある。俺みたいなドジなハンターが引っかかるくらいだからな」

ゼファーが、レオンの腕の中でぶつぶつと呟いた。彼の声は、周囲の静けさの中で、やけに大きく響いた。

「実験施設……」

レオンは、その言葉に引っかかりを覚えた。自分が眠っていたポッドも、実験に使われていたものなのだろうか? そして、この身体の変化も……?嫌な予感が、彼の胸の中に広がっていく。

「ああ。何の研究をしてたかは、詳しいデータが残ってねえんだが、噂じゃあ、人体の改造とか、兵器開発とか、倫理的にヤバい研究を色々やってたらしいぜ。お前が眠ってたポッドも、もしかしたらそういう研究に使われてたもんかもしれねえな」

ゼファーの言葉に、レオンは背筋が凍るような感覚を覚えた。人体の改造。兵器開発。倫理的に問題のある研究。それは、彼がかつて属していた政府の中枢でも、極秘裏に進められていたと噂されていた研究内容と酷似していた。まさか、自分がその被験体だったというのか?


通路は複雑に入り組み、何度も曲がり角を曲がった。ゼファーの指示がなければ、完全に迷っていただろう。時折、足元に不安定な場所があり、レオンは何度も体勢を崩しかけたが、驚くべき身体能力でそれを乗り切った。この見慣れない身体には、以前の自分にはなかった、しなやかさと強靭さが備わっているようだった。

「この先に、エレベーターシャフトの跡があるはずだ。そこからなら、上層階に出られる可能性がある」

ゼファーが、そう言った。

やがて、二人は巨大な垂直な空間に辿り着いた。壁には、かつてエレベーターが昇降していたであろうレールが残っているが、肝心のエレベーターの姿はない。下は暗く深く、底が見えない。

「ここを、どうやって……?」

レオンが不安げに尋ねると、ゼファーは青いレンズを光らせ、壁面を仔細に調べ始めた。

「少し待て……センサーで、何か手がかりを探す……」

しばらくの沈黙の後、ゼファーは声を上げた。

「あった! 壁面に、非常用の昇降機がある! ロープが残っているはずだ」

レオンは、ゼファーが示す方向を見た。確かに、壁面に小さな扉があり、そこから古びたロープが垂れ下がっていた。

「あれを……登るのか?」

「他に道はない。お前の身体能力なら、大丈夫だろう」

ゼファーは、レオンを励ますように言った。

レオンは、不安を押し殺し、ロープを掴んだ。ロープは古く、いつ切れてもおかしくないように見えたが、他に選択肢はなかった。彼は、かつての訓練で培った身体能力を信じ、ゆっくりとロープを登り始めた。女の身体は、見た目よりもずっと力強く、彼の体重をしっかりと支えた。


長い時間をかけて、レオンはエレベーターシャフトを登りきった。辿り着いた先は、先ほどよりも広い空間だったが、やはり荒廃が進んでいた。崩れた壁の隙間からは、外の光が差し込み、微かに風の音が聞こえる。

「ここから、外に出られるはずだ」

ゼファーが、安堵したように言った。

二人は、光が差し込む方向へと歩き出した。瓦礫を掻き分け、崩れた通路を進むと、やがて、大きな開口部が見えてきた。それは、かつてこの施設の出入り口だったのだろう。


外に出ると、眩しい光が目に飛び込んできた。レオンは、思わず手を翳した。ゆっくりと目を慣らすと、そこに広がっていたのは、信じられない光景だった。

かつての政府の巨大な研究施設は、完全に廃墟と化し、その周りには、見渡す限りの緑が生い茂っていた。崩れたコンクリートの隙間から、力強く草木が伸び、蔦が建物を覆い尽くしている。空は青く澄み渡り、鳥のさえずりが聞こえる。自分が知っていた、殺伐とした戦場の風景とは、全く異なる、穏やかな光景だった。遠くには、見たことのない奇妙な形の建造物が、緑の中に点在しているのが見えた。

「……ここが……外……?」

レオンは、信じられない思いで呟いた。彼の知る世界は、常に灰色の空と、戦火の匂いに満ちていた。こんなにも穏やかな光景は、彼の記憶にはなかった。

「ああ、そうだ。よくやったな、嬢ちゃん」

ゼファーの声が、レオンの腕の中で聞こえた。

レオンは、自分がまだゼファーの頭部を抱えていることに気づき、そっと地面に置いた。

金属の頭部は、周囲の景色を青いレンズで見つめている。そのレンズの奥には、何かしら感慨深い感情が宿っているように見えた。

「信じられない……本当に、全てが変わってしまったんだ……」

レオンは、改めて、自分が長い眠りについていたことを実感した。そして、この見慣れない世界で、これからどう生きていけばいいのか、全く見当がつかなかった。頼れるのは、この奇妙な金属の頭部だけなのかもしれない。

「なあ、嬢ちゃん。お前、記憶がないんだろ? もしよかったら、しばらく俺と行動を共にしないか? 俺も、まだやりたいことがあるんだ」

ゼファーが、突然そう提案してきた。彼の声には、どこか切実な響きがあった。

レオンは、驚いて金属の頭部を見つめた。

「お前と……一緒に?」

「ああ。お前は、この世界のことを何も知らない。俺は、頭だけじゃ何もできない。お互い、利用し合えるんじゃないかと思ってな」

ゼファーの言葉は、合理的だった。見知らぬ世界で一人で生きていくよりも、この奇妙な金属の頭部と一緒に行動する方が、まだ希望があるかもしれない。何よりも、ゼファーは、この世界のことを知っている。彼から、失われた自分の記憶や、この世界の現状について、何か手がかりを得られるかもしれない。そして、自分がなぜこんな姿になってしまったのか、その真相に近づけるかもしれない。

しばらく考えた後、レオンはゆっくりと頷いた。

「……わかった。しばらく、お前と一緒に行動する」

それは、見知らぬ世界で生き残るための、最初の決断だった。そして、この奇妙な出会いが、これからどんな運命を二人にもたらすのか、まだ知る由もなかった。青い空の下、廃墟となった研究施設を背に、レオンとゼファーの、新たな旅が始まった。それは、失われた過去を探し、見知らぬ未来を切り開くための、長く険しい道のりの始まりだった。

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