デザイナー・ボーイ
小さい頃から服をデザインするのが好きだった。だから今、俺はこの『フェアリー・ラボ』に新入社員としてやってきた。
「あの、俺何でもするんで、どんどん仕事ください!」
上司は俺の言葉に苦笑いしながらある人を指導役としてつけてくれた。それはこの業界で有名な天才デザイナー、東利彦だった。
「俺、松下勝真っていいます、よろしくお願いします!」
東さんは俺の姿をまじまじと見つめ言った。
「髪は茶色、しかも寝癖付き、耳にピアスの穴、曲がったネクタイ、裾が長すぎるスーツ、よくそれで出社できましたね。社会人としてはありえない格好です」
上司もそれを聞いて軽く頷いている。確かに、東さんの姿は黒髪のオールバック、黒縁メガネでそれ以外にアクセサリーはなし、サイズぴったりの紺色のスーツを完璧に着こなしている。
「す、すいません! 明日から気をつけます!」
「元気なのは良い事ですが、少し声が大きすぎます」
なんだか喋るたびに注意されている気がする。まあ、初めてだからしょうがない。
「俺、すごいファンなんですよ、『ヒガシ』さんの」
「それは嬉しいです。しかし、私の名前は『ヒガシ』ではなく『アズマ』です。以後間違いのないようにお願いします」
周りから笑い声が溢れた。俺が赤面している間に東さんは自分の席に戻ってしまった。
「すみません……」
俺は誰にも聞こえないような小さな声で静かに謝った。
ここ『フェアリー・ラボ』は女性ものの服をデザインする会社だ。ブランドとしてももちろん有名だが、オーダーメイドも請け負っている。
「東さん、今日は何をするんですか?」
「今日は私の仕事を実際に見て学んでもらいます。丁度オーダーメイドを希望されているお客様がこれからいらっしゃるので、松下くんにも同席してもらいます」
「了解です!」
東さんの仕事を直接見られるなんて、これほど嬉しいことはない。俺の夢は東さんのようなデザイナーになること、夢に一歩近づいたようでワクワクが止まらない。
「楽しそうですね、顔に出ていますよ。お客様の前でははしゃがないよう、お願いしますね」
また東さんに注意を受け、俺は真面目な顔つきを練習しながら応接室に向かった。
「お待たせいたしました。今回担当する東です、よろしくお願いします」
お客さんは少し濃いめのメイクをした三十代前半くらいの女性で、すらっとした長い脚を綺麗に揃えて優雅に座っていた。
「服をデザインするにあたってお客様の情報が必要になりますので、こちらの用紙の項目に沿ってご記入ください」
このお客さんは、初めてのはずなのに全く緊張していない。他の会社にもオーダーメイドを頼んだことがあるのだろうか。
お客さんが書き終わると東さんは立ち上がった。
「ありがとうございます。本日はこれで終了となります、お気をつけてお帰りください」
「えっ」
俺は思わず声を出してしまった。お客さんが俺のほうを見たが、特に気にも留めず部屋を出ていった。
「松下くん、気をつけてくださいね」
「あ、はい」
やっぱり注意を受けた。だけどたった五分で面談が終わるとは思っていなかった。
「これを見てください」
東さんが見せたのはお客さんが記入した用紙だった。用紙の項目には名前や住所、生年月日はもちろん、趣味や習い事など関係ないことまで三十個ほどあった。
「これだけで何がわかるんですか?」
「服の種類や色はもちろんですが、お客様の日常からどのような服を普段着ているのか、その服を着ている理由などを読み取っていくのです。わかりますか?」
言葉で説明されただけでは難しいけど、なんとなくは理解できた。
「はい、なんとなく」
「まあ、十分でしょう」
東さんは自分の席に戻り、パソコンに情報を読み込んだあとすぐにデザインに取り掛かった。俺の席は東さんの左隣で、思わず見入ってしまう。
「松下くん、手が止まっていますよ、仕事してください」
「す、すみません!」
パソコン画面だけではなく、東さんのかっこいい横顔にも注目してしまう。どうしてだろう。
二日後、デザインが完成しお客さんが再度面談に訪れた。
「ルビーレッドの無地のワンピースで腰回りを少しタイトにしています」
東さんはお客さんにノートパソコンの画面を見せながら丁寧に説明していく。五分ほどの説明が終わり、お客さんが立ち上がった。
「希望通りです、友人に紹介してもらって正解でした。そのデザインでお願いします」
お客さんは深々と頭を下げ、東さんにお礼を言った。
「とんでもないです、お客様のご希望に沿うのは当然のことですので」
東さんは俺には見せない笑顔でお客さんを見送った。
「お客さん、喜んでましたね」
「当然のことです。そういえば、部長が呼んでいましたよ」
俺はすぐに部長のもとに駆けつけた。部長は一枚の書類を渡すと、俺の肩をぽんと叩いて行ってしまった。書類の内容は俺が望んでいたものだった。
「オーダーメイドの担当!」
俺の叫び声を聞いて東さんがやってきた。
「私も同席しての担当です。気を引き締めて頑張ってください」
俺は嬉しくてたまらなかった。東さんみたいにかっこよくこなしてみせる、俺は心の中でガッツポーズをして気合を入れた。
まずはお客さんとの面談だ。緊張して汗が止まらない。
「ネクタイ曲がってますよ」
東さんは俺のネクタイに手を伸ばし、細かく整えてくれた。顔が近い、すごくいい香りがする、これは香水だろうか。
「行きましょうか」
「はい!」
応接室に入るとお客さんが急に立ち上がりお辞儀をした。こういうところは初めてらしい。
「気にせずお座りください。今回の担当はこの松下です、よろしくお願いします」
俺は東さんの紹介に合わせて頭を下げる。お客さんもおどおどと頭を下げた。
お客さんは二十代前半の髪の長い女性で、メイクや服装は少し地味な印象を受けた。薄い上着を羽織っていて、日焼け対策なのか長袖を着ていた。
「で、では、こちらにお客さんの情報をご記入してください」
お客さんが記入し始めてすぐ、東さんが俺に耳打ちしてきた。
「お客さん、ではなくお客様、ご記入してください、ではなくご記入ください、です」
こんな時でも注意を受けるなんて、本当に恥ずかしい。だけど気を取り直してお客さんが書き終わるのを待った。
「ありがとうございます。本日はこれで終わりなので、気をつけて帰ってください」
お客さんはとぼとぼと部屋を出て行った。すかさず東さんが俺に声をかけてきた。
「敬語、ちゃんと使えるようにしてください。あれではこちらが恥ずかしいです」
初めてのことばかりで敬語もまともに使えてないけど、俺は東さんの言葉を真摯に受け止め、デザインに取り掛かった。
二日後、二回目の面談の日がやってきた。
「キャンパスブルーのワンピースで、少し肩が見えるような感じになってます」
俺はこだわったところなどを必死に説明した。五分ほどしてお客さんが急に立ち上がった。
「もう大丈夫です。オーダーメイドはキャンセルさせてください」
「え、どうして」
お客さんは何も答えずそのまま部屋を出て行った。何がダメだったのか全然わからない。
「松下くん、お客様の情報をちゃんと見ましたか? 確かにあのお客様は青色がお好きでワンピースもよく着ていると記載がありましたが、肌を露出するのは極端に避けていました」
そうだ、どうして気づかなかったのだろう。一回目の面談の時も肌の露出は見られなかった。
「お、俺どうしたら……」
「私がお客様に再度来ていただくように連絡しておきます。これが最後のチャンスですよ」
最後のチャンス、東さんの言葉が重くのしかかった。夢のためにも、ここで諦めるわけにはいかない。
「ありがとうございます」
俺は東さんに今までで一番深く頭を下げた。
二日後、お客さんが再度来ることになった。これも東さんのおかげだ。俺は改めてデザインしたデータを持って応接室に向かった。
「先日は失礼いたしました。改めてデザインしましたので見ていただけませんか」
俺は不満そうなお客さんに丁寧にお辞儀をした。お客さんはため息まじりに承諾してくれた。今回は肌の露出を抑えた代わりに色を少し明るめに、無地ではなく胸元に少し装飾を付け足した。肌を見せなくとも大人の雰囲気を出したいというお客さんの意図を読み取った結果だった。
「これでお願いします。すごくおしゃれで素敵なデザインですね」
お客さんは笑顔で俺のデザインを褒めてくれた。そして満足した様子で帰っていった。
「よかったですね、一時はどうなるかと思いましたが、あのデザインなら大丈夫でしょう」
「結構自信あったんですよ」
「調子に乗るのはまだ早すぎます。私にはまだまだ及びませんね」
東さんは相変わらずだ。俺の望んだようには褒めてくれない。少しだけ、わがままを言ってもいいだろうか。
「東さん」
「なんですか、デザインの許可が降りたんですから、早く製作に取り掛かりますよ」
「初仕事だったんで、褒めてくれませんか」
俺は何を言っているのだろう、親にもこんな恥ずかしいことは言ったことがない。
「急にどうしたんですか、何か変なものでも食べましたか」
「変なのはわかってます、でも、俺、もっと東さんに認めてもらいたいんです!」
なぜかドキドキが止まらない。なんだろう、告白している気分だ。
「はあ、しょうがないですね」
東さんはため息をつきながら俺に近づいてきた。またあの香水の匂いが俺の頭の中を幸せにする。東さんは俺の頭にそっと手を乗せて言った。
「今回は特別です。私に認められたいならもっと努力してください」
俺は恥ずかしさと嬉しさで体が熱くなった。何も答えられないし顔すら上げられない。東さんはまだ俺の頭を撫でている。
「ちょ、長いです……」
「ふふっ、松下くんはいじりがいがありますね」
東さんが俺に笑いかけてくれたのは初めてだった。それに東さんの違う一面が見れた気がした。
「さあ、おふざけはこれくらいにして、行きましょうか」
「はい!」
プロのデザイナーへの道のりはまだまだ続く。