テレビ塔そばの地下街直結 居酒屋
この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・店・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
え?似たメニューを知ってる?それは偶然です。偶然ですってば。
今日は何を飲もうかな。
うん。今日はテレビ塔そばの居酒屋にしよう。
札幌市営地下鉄東豊線大通駅から東に向かって徒歩1分。
旬采ダイニングぜ○屋だ。
こちらは大通公園のシンボルであるテレビ塔すぐそばにある地下街直結の店舗で、悪天候でも気にせず来店できる好立地なお店だ。
しかしながら人通りが少なめな東側に位置する上、少し引っ込んだ位置に店舗が構えられているため目立たないのが難点なのだろう。店の入口にはデカデカと「厚岸 堀水産直送 殻付き生カキ 税込300円」の文言と共に旨そうな殻付き生牡蠣の写真が掲示されている。私もこの写真に惹かれて訪問した次第だ。
もちろん飲み放題一択。乾杯!(終わりの始まり)
何回か訪問してるのだが本日は隣の席のお客さんから話しかけられた。
初対面の人と居酒屋で意気投合することは珍しくないが、私自身が酔っ払う前に話すことは珍しいのだ。大体は私が酔っ払ってテンションがぶち上がり、隣の席のお客さんに「これマジで美味いので食べてみてくださいよ」等のように馴れ馴れしく話しかけることがほぼ99%と言って良いレベルだからだ。一応ノリ良く反応してくれそうな人を選んでるしセクハラとならないよう女性には声掛けしないよう気を付けてるので許して欲しい。
セクハラ、パワハラに対する世間の風当たりが強くなって久しいので今ではだいぶ改善されてるところが多いと思うが、一部ではハラスメントに対して過剰に反応しすぎて「過剰防衛すぎてむしろ貴方達の方が加害者のように見える」ケースも残念ながらあるらしい。何事も突き詰めすぎると過激派となり兼ねないので中庸と和を以て貴しとなすの精神で過ごして頂きたいものである。(自戒含む)
そのようなワケで声掛けしてきた人と喋り始めたのだが、途中でその人が車椅子であることに気が付いた。詳しくは忘れたが事故か何かで車椅子生活となったとのこと。かくいう私も車椅子生活となって不思議ではない事態に陥ったことがあるので他人事ではないと思った。
立体駐車場のメンテナンスを行う会社に在籍していたことがあるのだが、その時に入院したことがあるのだ。
普段は契約してる立体駐車場の可動部分に注油したりグリスを注入したり塗布することが日常業務なのだが、たまに立体駐車場を新規設置する作業を手伝ったり故障した場合に駆け付けて対応する復旧作業にも従事していた。
そんななか動かなくなったとある立体駐車場の原因調査および対応に向かったのだが、しょせん我々はメーカーの人間ではない素人と言っても過言ではない人員なので、出来ることからひとつずつ試していく。設置作業を手伝った経験も積んでるので油断もあったのだろう。チェーンが外れても鉄板が落ちないようにする安全装置を外したりしても動かないので、思い切ってチェーンを外してみようということになった。
聡明なる読者の皆さまであれば容易に想像できるだろう。そう。支えを失った鉄板が重力に従い落下したのだ。
※注意※
これから更に具体的な内容が出てくるので、そのような話が苦手な人はここで引き返すことをオススメする。
(つづきはスクロール・スワイプした先)
その時アホな私は天気が良く眩しい日差しを避けるため鉄板の真下にいた。いま考えてもアホ以外の何者でもない。自業自得極まりないが勢い良く外れるチェーンの騒音と共に頭上から鉄板が降って来たのだ。
「あ、死んだ」と瞬間的に思ったのも束の間。頭上で鉄板を受け止めた時に思ったより軽くて「あれ?助かるかも?」と思いながらお辞儀をするように背中で鉄板を支えながらも崩れ落ちる私。「死なない」と「苦しくない」は両立しないことを実感。どのように表現すれば良いか分からない鈍痛と息が止まるかのような圧迫感で鉄板の下敷きとなった。
焦った声ですぐさま助けに来る同僚。鉄板を持ち上げてくれたが「長くは支えられないから早く出ろ!」との声に力を振り絞り這いずり出たが、鉄板の重さから解放されても鈍痛は変わらずうめき声しか出ない。何がどうなったか不明だが何らかの重症を負ったことは間違いない。立ち上がることも出来ず地面で唸っていたところ数分ほどで救急車が到着し即入院となった。
病院に到着しても特に麻酔などを掛けるワケでもなくレントゲン撮影が実施される。正直身体の向きを変えるだけで物凄く痛いがコレを乗り越えればきっと麻酔や手術などを行うことで痛みから解放されるハズ。希望を胸に指示に従う。
各種検査が終わり医師から説明されたのは第一~第三腰椎の圧迫骨折とのこと。レントゲンの写真を見せて貰ったところ、通常の背骨と異なり身体の前面に向かって潰されており三角形というか台形に近い形に変形していた。
一通りの説明を聞いてから手術はどのくらいで終わるのか質問したところ手術はしないとのこと。え?嘘でしょ?マジで言ってる?と戸惑いを隠せなかったが、脊椎には重要な神経類が集中しすぎており手術することで余計に悪化させる危険性があるので痛み止めだけで様子見するとのこと。あまり納得は出来なかったがこれ以上悪化するのは望むところではない。仕方ないので痛み止めだけで様子見する方針に同意し入院生活が始まった。
二~三名が入れる個室だったが幸いにも私ひとりのみ。広々と使えると言いたいところだが腰骨を圧迫骨折しており腰を固定するコルセットでガチガチに固められてる上、歩くのは厳禁。起き上がるとしても電動ベッドが可動するわずか15度くらいしか許容して貰えない。その上テレビも置いてない部屋だったので時間潰しは有線と雑誌類のみ。暇な入院生活の始まりとなった。
痛み止めは座薬だったのだが、病院でしか使えない強力な痛み止めのため許容されるのは一日に二度のみ。出来るだけ我慢して、どうしても我慢出来なくなったらナースコールして座薬を挿入して頂く方式だ。随分と原始的な痛み止めの方式だが薬効の強さに比例して制限も強いのであれば仕方ない。大人しく指示に従うことにした。
結論から言うと最初の三日ほどはベッド脇のパイプを握りしめて痛みを我慢し、脂汗が出るレベルの鈍痛に耐えられない状況になってからナースコール→痛み止めを挿入して頂く日が続いたが、四日目くらいからそこまで痛みは出なくなり一安心した。しかしながら入院から三日目まではずっと正座してるかのように下半身が痺れたような感覚となり、ポコ○○を触っても痺れたような感覚しか得られず少なくない絶望感を覚えた。今では普通に歩けるし問題なく日常生活を送れてることに感謝する次第だ。
最初は座薬を挿入されることに忌避感を覚えたが痛みが強くなるとそんなことを言っていられない。挿入されることにもすぐ慣れたが、上手い人と下手な人がいることに気が付いた。
器用・不器用があるのは仕方ないが医療関係に従事する人は可能な限り器用な人だけがついて欲しいと切に願う次第だ。なお物凄く上手い看護師さんがいて、その人に座薬を挿入された時には「あふぅん・・・(もっと頂戴)」となったのは秘密だ(笑)危うく禁断の扉が開くところだったが幸いにもノーマルを貫くことが出来ていることに感謝しよう。(お尻を突き出しながら)
ちなみにベッドを傾けるだけで痛みは強くなるし寝ながら雑誌を読むのは結構苦痛だったので一日中有線放送を聴取する日々が続いた。あまりにも暇すぎるので全チャンネル聞いてみたのだが、さすがに羊が何匹と延々に数えるチャンネルには笑った。何匹まで数えるのかチェックしようと思ったがさすがに苦行すぎるのでそのチャレンジは止めておいた。気が付いた時に再生すると一~二桁台に戻っており悔しい思いをしたのは懐かしい思い出だ。
そんな感じで入院生活が継続され、二週間ほど経過した辺りで近所の病院へ転院。最初に入院した病院ではずっと点滴だったので両腕がヤバい薬をやってる人のように注射針の跡だらけとなったことも懐かしい想い出だ。転院する時に初めて「そう言えば入院中一度も食事してないのに全然ハラが減らなかった」と気付き驚いた。
転院後の病院ではテレビがあったので暇にまかせてずっとテレビ三昧。暇すぎるのでドラマの登場人物や相関図を書くレベルだった。それだけに退院する時の喜びはひとしお。約1ヶ月半ぶりに上半身を起こした際は身体が意図せずプルプル震えて驚いた。痛みは全く無いのだが上半身を起こしただけなのに筋肉が衰えすぎて上半身を支えていられないのだ。
それまでの立体駐車場の設置手伝いをしてる際は三十キロくらいのボンベを二本ほど軽々と持ち運べるレベルだったのにわずか1ヶ月半の入院でここまで筋力が落ちるのか。そりゃ寝たきり状態になったら日常生活に復帰することすら難しいだろうと実感した。医師からも腹筋と背筋で腰骨を支える形なので筋肉は付けてくださいと忠告された。言われるまでもないが、まずは日常生活を送れるレベルに復旧することが第一だろう。無理せず自宅でリハビリする日々が始まった。
そんな感じで幸いにも日常生活に戻ることが出来たが、初対面にも関わらず話しかけてきた彼のように自分も車椅子生活となっていたかも知れないと思うと他人事とは思えない。トイレも行ける場所が限られるので、外出する場合は事前にエレベーターの場所なども含め色々確認した上でルートを予習する必要がある話を聞くと苦労が多いのだなと思う。バリアフリー化は車椅子だけでなくベビーカーを使用する人たちにとっても他人事ではないとの話にも納得せざるを得なかった。
そんな感じで色々話したことで盛り上がり、何故かお姉さんがいる店に行く流れとなった。私はイマイチ乗り気では無かったが彼がノリノリだったのだ。車椅子生活となってもその辺りは健常時と変わらないらしい。付き合うのは構わないけど終電まであとわずか。それまでの言動や行動から図々しい印象を受けていたので、終電逃してもウチには泊めませんよと念押し確認するもそれでも良いから行こうとのことで付き合うことに。正直この時点で不信感は高くなっており帰りたい気持ちが大きかったが乗り掛かった舟なので行くことにした。
何だかんだでお姉さんのいる店で時間を潰した結果、案の定終電を超える時間となっていた。
約束通り別れようとしたところ終電無くなったから泊めて欲しいとのこと。おいおい。泊めないことに同意したから付き合ったのに簡単に手のひら返しするのだなと思うのと同時に、このような人に甘い対応をすると際限なく付け上がることは経験上目に見えていたので約束を盾に断固拒否。車椅子生活をしてるからと言って性根は変わらないのだなと学んだ一件だった。
盛大に脱線したなんてレベルではないが思い出したのだから仕方がない。
喋りながら注文したので何を食べたか覚えてないが刺身盛り合わせ系を含め数種類は食べたと思う。立地が良いのと地下街直結なので天候に左右されにくい点もオススメだ。気になる方はチェックして欲しい。また来ます!
ごちそうさまでした。