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魔の鴉がやってくる。-The Raven Witch is on a journey-  作者: 安田景壹
第四話『闇霧』

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第四話『闇霧』 7

     7


「何だ、君たちは?」


 初老の男が不審そうに火保たちを見上げた。ブリオーニのフォーマルスーツを身に着けた、恰幅のいい白髪の男だ。身なりは上流階級らしいが、男の目には困惑と猜疑心が見て取れた。


「あの女の仲間か? 私たちをこんなところに集めて一体どうするつもりだ?」


 まるで普段からそうしているかのような、威圧的な口調だった。咄嗟に火保はマサキとミオの前に立った。この異様な空間の中では、ネガティブな感情を刺激されるだけでも危険だ。


「私たちは――」

「連れてこられたに決まっているじゃない。馬鹿な人ね」


 火保の言葉を遮ったのは、初老の男の横の席に座った老婦人だった。すかさず男のほうが、老婦人を睨み付ける。


「何だと」

「どう見てもただの子どもと女でしょうが。あのエレベーターガールみたいに妙な顔はしていないんだし。この人たちは、私たちと同じ人間よ」


 老婦人はつまらなさそうに男を見つめ返す。


猪狩(いがり)。あんたのそういう考えなしなところ、全然変わらないわね。まだ会社が潰れていないのが不思議だわ」

「ふん! 経営は即決即断が鉄則だ。一秒で答えを出さん奴は無能のクズだ」


 猪狩と呼ばれた初老の男は、鼻を鳴らしてどかっと椅子に腰を下ろした。

 老婦人は呆れたようにその様子を見ていたが、すぐに火保たちへと視線を向けた。


「あんたたち、そうやっていつまでも突っ立っていないで座りなさいよ。あんたらが座らなきゃ始まらないみたいよ」

「……始まらない?」


 火保は問い返す。老婦人は不機嫌そうに眉根を寄せた。


「食事よ。そう言われてここに来たんでしょ?」


 言われて、火保は目の前のテーブルに目をやった。

 テーブルには、七人分の食器が用意されていた。ナプキンの置かれた飾り皿(ショープレート)を囲うように、右手側に四本、左手側に三本、上側に二本と一本、それぞれナイフ、フォーク、スプーンの組み合わせが並んでいる。

 フルコース用のセッティングだ。


「どうぞお席にお着きください。まもなくお食事が始まります」


 エレベーターガールが入り口のほうから、じっと火保たちを見ている。事態を停滞させるのは、あまりうまくないだろう。


「座りましょう」


 マサキとミオを促し、火保は一番奥の席に着いた。次いで、隣にマサキ、さらにその隣にミオが座る。


「お食事の支度をいたします。しばらくお待ちください」


 エレベーターガールが一礼してその場を後にする。


「……それで、あんたたちもこのビルに閉じ込められたの?」


 老婦人が口火を切った。


「ええ」


 火保は短く答える。見たところ、全員人間のようだが慎重になるに越した事はない。


「ねえ、ここに来るまでの間に出口を見なかった? この際普通のドアじゃなくてもいいの。外にさえ出られれば……」

「無駄ですよ。桂木(かつらぎ)さん」


 老婦人の言葉を止めたのは、顔の丸いサラリーマン風の男だった。


「通路の様子を見たでしょう。どこもかしこも真っ暗だ。おまけに中の構造も変わっているように見える。ボクの言った通り、これは怪現象ですよ。このビル全体が、何らかの異界と繋がってしまったんだ。ここはそういう土地なんです」

小向(こむかい)さん? あんたは黙っていてよ、気持ち悪い事ばかり言って。ねえ、どうだった? 私はこんなところ、とっとと出たいのよ」

「いえ、残念ですが。出口は……」


 老婦人は途端に白けた顔になった。


「はあ。使えないわね。これじゃ出られそうもないじゃない」

「全く、こんなところ来るんじゃなかった。どこぞのバアさんがここに呼び出さなければな!」


 猪狩が忌々し気に吐き捨てる。桂木と呼ばれた老婦人が冷たい目で男を睨んだ。


「あんたが、時間がない時間がないってうるさいから、近場のここにしてあげたんでしょうが。私こそいい迷惑よ。大した用でもないのに都合をつけてあげたっていうのに」


 猪狩が露骨に怒気を孕んだ目で桂木を睨み返す。


「お二人とも、喧嘩も結構ですがこういうところでは静かにしていたほうがいいですよ。ここはもう異界なんだ。負の感情は化け物どもを引き寄せますよ」


 小向と呼ばれた丸顔のサラリーマン風の男が、卑屈な笑みを浮かべる。その粘っこい視線が火保へと向けられた。


「子ども()れのあなた。あなたはご存知ですかねえ。このムーサ・柴崎ビルが建てられた場所は、曰くつきの土地であると」

「……曰くつき、ですか」


 火保はあえて相手の言葉をそのまま返した。丸顔の男が我が意を得たりといった顔をした。


「そうです。聞いた事はないですか? 文献によれば、この土地は古くは合戦場でした。江戸期の大火事、明治の流行り病を経て、大正の頃には〝かまいたち〟と呼ばれる殺人鬼による事件がひそかに横行し、昭和期には子どもの失踪が相次ぎました。平成の半ばには、ここに建てられた社宅で痛ましい事件が起きました。しかし、その全ては歴史の闇に葬られ、ランドマークの建設によって覆い隠されました。今、我々が遭遇しているこの事態は、過去の因縁によって引き起こされたものなんです!」


 男は興奮した口調で一気にまくしたてた。今時珍しい、ステレオタイプのオカルトマニアだ。わざわざ心霊スポットに足を運ぶ類の人間だ。心霊現象を物見遊山で楽しめる人間は、概して霊感が強くない。という事は、呪力の影響もそこまで受けない。ひとまず、この男にはこのテンションを保ったままでいてもらったほうがいいだろう。下手にネガティブになられると危険だ。


「あの、皆さんはどうしてこちらに?」


 火保は四人をそれとなく観察しながら尋ねた。


「どうしてって……連れてこられたのよ。私はそこの猪狩と約束があってね。このレストランにいたらビルから出られなくなって……」


 そこまで言って、桂木は不思議そうに言葉を切った。


「そこから……。変ね、思い出せない。とにかく気付いたら、この席に連れてこられていたのよ」

「ふん。急にボケでもしたのかな? いつも威勢はどうした。ええ?」


 猪狩がすかさず憎まれ口を叩いた。


「周りの人間が急にいなくなってな。しばらく動かずにいたら、さっきエレベーターガールにこの席に座るよう言われたのだ」

「何よ。私と大して変わらないじゃない。そんなんでよく偉そうな口が叩けたもんだわ」

「……あなたもですか。小向さん?」


 言い争いになりそうな空気を断ち切って、火保は小向に水を向けた。


「ええ。ボクは今日休みだったんでね。このビルはボクのお気に入りなんですよ。というか、まだあなたのお名前を伺っていませんでしたね」


 小向の粘っこい目が火保を見た。


「……失礼。私は白原といいます。じゃあ、そちらの方も」


 端に座っていた黒い長髪の女性に、火保は話かける。

 女性はおどおどした様子で、火保を見返した。


「はい……。だいたい皆さんと同じ感じです。あのう、それより、向こうで物音がしませんでしたか……。ひょっとして、そろそろ料理が……」

八尾(やつお)君、はっきり言いたまえ!」


 再び、猪狩が怒鳴った。


「君のそういうところには、いつも苛々させられるな!」

「は、はい……。すみません、社長……」


 黒髪の女性が怯えたように肩を震わせた。


「あの、あの……。向こうで物音が……。もしかして、そろそろ料理が……」


 カラカラと。

 車輪の回る音が聞こえた。


「お待たせいたしました。お食事の支度(したく)(ととの)いました」


 エレベーターガールが、カートを押しながらやって来た。カートは二台あり、もう一台は給仕係らしい男が押していた。あれはおそらく、人間ではないだろう。カートの一台は四皿、もう一台に三皿載っている。七人分。

 さすがに目の前の四人は押し黙っていた。ホールに異様な空気が立ち込めている。火保は隣の二人の様子を見た。マサキは不安げな表情で、ミオは相変わらず俯いている。

 テーブルに料理の皿が置かれた。何かが焦げているような臭いがした。


「何これ……」


 桂木が不快そうに眉をひそめた。

 皿の上にはドレッシングのような液体がかかった、真っ黒の象形文字のようなものが盛られていた。そこはかとなく漂う焦げた臭い。当然の事ながら、まったく食欲はそそられない。


「本日の前菜(オードブル)、《タマワリコトバクロビヤキ》でございます」


 エレベーターガールが何の抑揚もない声で言った。

 テーブルについた面々は皆一様に、目の前の料理とも何とも言えない物体を見つめていた。

 ――呪力は、感じない。いや、何も感じない。目の前の物体が何なのか、火保には判断がつかなかった。


「何だ、これは」


 驚きの中にも怒気を感じる声で、猪狩が独り言のように言った。


「こんなものが食い物と言えるか? ふざけているのか、貴様!」

「本日のお食事はコースとなっております。全ての料理を食べ終えられた方には、退出チケットを進呈いたします」


 火保は、一瞬自分の耳を疑った。

 ――退出チケット?


「何だ、退出チケットというのは?」


 猪狩が岩石のように刺々しい声音で言った。


 エレベーターガールの手に、いつの間にか横長のチケットのようなものがあった。一枚だけ。


「全ての料理を食べ終えられた方に進呈いたします。これでお家に帰れます」


 全員が、その言葉の意味を理解するのに時間がかかった。

 最初に声を上げたのは、桂木だった。


「……ふ、ふふふ、あははは」

「何がおかしい!」

「いや、だって。ふふふふ、あははは」


 猪狩の怒声にも構わず、桂木はひとしきり笑い続けた。


「わざわざ家に帰るためのチケットを用意してくれるなんて。律儀というか、何というか。とにかくこの妙ちくりんな料理を食べればいいんでしょ。フルコースなら七品ね。ふふふ、何だかおかしくなってしまったわ。楽しい趣向ね」


 この異様な状況で楽しいという言葉が出てくる神経は理解しかねるが、とにかく桂木は恐怖などまるでしていなかった。


「あんたたち、食べないの? 全部食べれば家に帰れるそうよ。さっさと全員で食事を済ませて出ましょ、こんなところ」


 言いながら、桂木はナイフとフォークを手に取った。それを横目で見ていた小向が次いでナイフとフォークを取り、八尾がおずおずとそれに倣った。最後まで不機嫌そうな顔をしていた猪狩が、渋々と食器を手に取った。


「危険です。どんなものが入っているかもわからないのに」


 退魔屋としての職業意識が働いて、自然と火保は対面の四人にストップをかけた。だが、返ってきたのは桂木の皮肉気な笑いだった。


「抜け駆けするつもり? 駄目よ。私はここを出たいの」


 言いながら、桂木は黒い象形文字をナイフで切り分けると、それにフォークを突き刺した。

 駄目だ。止められない。


「あなたたちは食べちゃ駄目。私が様子を見るから、絶対に食べないで」


 素早く、マサキとミオに声をかけて、火保は自分の食器を手に取った。

エレベーターガールの視線を感じる。これは何らかの儀式だ。十中八九、食せば悪い展開が待っている。だが、選択肢はない。

火保は、焦げた臭いが微かに漂う象形文字を切り分け、その一片をフォークで突き刺し、口に運んだ。


『――だから無能だと言っているんだ!』


 男の罵声とともに、身に覚えない感情が火保を襲った。

 どこかの見知らぬオフィスにいる。火保の胸中は、何故だか恐怖と敗北感と言いようのない無力感で満たされていた。

 目の前では、男が火保を罵倒している。


『このクズめ。お前ここに勤めて何年になる? 未だにこんな事もわからんとはな。お前のおかげで大損だ。大学にも行っていない奴を拾い上げてやったというのに。お前は恩を仇で返した。もういい。辞めろ。お前のような奴にいられると迷惑だ。死ね。生きている価値もない。死ね』


 目の前の男が、火保を罵倒している。

 見た事のある顔だ。ブリオーニのフォーマルスーツを身に着けた、恰幅のいい白髪の男。

 ――猪狩だ。


『死ね。いいからさっさと死ね。お前より出来のいい人間なんぞ腐るほどいる。いいから死ね。死ね。死ね』


 場面転換する。車の中だ。どこかに捨ててあった廃車の中。ガソリンの臭いが充満している。ライターで、火を着ければ、それで終わる――……

 こんなはずじゃなかった。母さん、ごめんなさい。こんなはずじゃなかった。

 指が、ライターの固いスイッチを、押し込む。

 ――熱。


「――――――っ、ああ、ああああ」

「お姉ちゃん!?」


 マサキがすぐそばで大きな声を上げた。食器を投げ出し、火保は口の中のものを吐き出した。感情が制御できない。涙が止まらず、自分の両肩を抱きすくめる。燃えてはいない。火保のどこにも火は点いていない。

 だが、今のは――


「うっ」

「ぐう」


 対面の人々も顔をしかめている。どうやら同じ幻像を見たのだろう。いや、体験したというべきか。桂木はナプキンで口元を覆い、小向は手で口を抑え、八尾は顔を背けている。


「今のは……」


 絞り出すように、猪狩が言った。


「ハシダ……いや、ハシモトだったか……。確かに、あいつだ」

「何か、知っていますね。猪狩さん」


 小向が手の甲で口を拭う。


「今のは何ですか? あなた、何かやったんですか?」

「何か……? ふん、私は当然の事を言ってやったまでだ。あいつのせいで売上が落ちたんだからな。責められて当然だ。いつまで経っても成長しないあいつが悪い。ハシダだったか、ハシモトだったか……。とにかくあいつだ。私は悪くない!」

「車の中にガソリンをぶちまけていましたよ! それにも火も。あんな状況じゃ答えは一つなんじゃないですか。無事なんですか、今もその人は!?」


 小向は感情の抑制が利いていない様子だった。だが、それは火保も同じだ。見知らぬ人間の感情をいきなり追体験させられたのだ。気持ちの整理がつかない。


「……いや、死んだ。見た通り、自分に火を着けた。三か月前だったか」


 猪狩は、多少沈んだ声で答えた。


「原因は明らかなようですね。あんたのパワハラのせいですよ! さっきからどうもそれっぽい言動だと思っていたら、その通りだ! あんたは人殺しじゃないか!」

「黙れ! 何だ、会って間もない人間を捕まえて人殺しとは! あいつが勝手に死んだんだ! 私のせいじゃない! あいつが弱いからだ! 軟弱だからだ!」

「あんたがそんな人間だからだ! ボクには彼の気持ちがよくわかる。あんたみたいなのがいるから、世の中はおかしくなるんだ!」

「いい加減にして!」


 桂木が怒鳴った。


「今はそんな事を言っている場合じゃないでしょう! とにかくこれを食べなきゃ、家に帰るチケットはもらえないんだから」

「馬鹿馬鹿しい。私は降りるぞ。こんな馬鹿げた事には付き合っていられん」


 猪狩はテーブルに拳を叩きつけ、


「おい、貴様。そのチケットを寄越せ!」


 エレベーターガールを怒鳴りつけた。

 エレベーターガールは顔色一つ変えなかった。奇怪な表情のまま、誰を見るでもなく口を開く。


「お食事を続けてください。全ての料理を食べ終えられた方には、退出チケットを進呈します。お食事を続けてください」

「何を馬鹿な――」


 勢いよく立ち上がりかけた猪狩の体が、びくりと痙攣した。


「うっ……ぐ、くそ、何だ!? 体が動かん!」


 みるみるうちに、猪狩の顔が青くなっていく。見えない何かによって、喉が締め付けられている。駄目だ。感覚がおかしくなっていて、魔力も呪力も感じ取れない。


「猪狩さん、そのままゆっくり座ってください。食事を拒否しない限り、術はかかりません。ゆっくりと席に戻ってください!」


 火保は咄嗟(とっさ)に叫んだ。猪狩は苦しそうに頷き、そのままそっと腰を下ろした。


「――っ、はあ、はあ。収まった」


 猪狩が、荒い息を吐いた。


「どうやら、食事を終えないと席を立つ事も出来ないみたいですね」


 八尾がぼそりと言った。


「呪い……っていうんですかね。こういうの。亡くなった人の怨念が込められているっていうか」

「ふん。どういうカラクリか知らんが、要は私が言った言葉がフラッシュバックするだけだろう。だったら、私は平気だ。悪いのはあいつなんだからだな」


 そう言って、猪狩は皿を抱えると、乱暴に象形文字をかっ込み始めた。ばり、ぼり、と猪狩の口の中で固い物が咀嚼される。火保が止める間もなく、猪狩は皿を空にした。


「はっ、はっ、はっ。どうだ。今度は平気だ。呪いだか何だか知らんが、所詮はこんなものだ。私がこんな事で悔い改めるとでも思っていたのか。ええ、どうだ。聞いているのか、ハシダ! いや、ハシモトか!?」


 猪狩は天井や壁に目をやりながら、勝ち誇ったように大声を上げた。


「所詮、こんな事しか出来ないからお前は駄目なんだ。お前は、ただの出来損ないだ―――――ぁ、がっ」


 言葉の終わりに、奇妙な間が空いた。何かが引っかかったような声。


「猪狩さん……?」


 火保の呼びかけにも、猪狩は応じなかった。


「ぁ、がっ、が」


 突如として、猪狩の口から大量の血液が噴出した。床に血液を吐き散らし、猪狩は倒れ込む。


「猪狩さん!」


 立ち上がろうとした火保の体を、瞬時に金縛りが襲った。動けない。全身が硬直させられている。

 嫌な気配がする。あの、エレベーターガールから。


「席をお立ちにならないでください。料理が続きます。完食された方には、退出チケットを進呈いたします」


 エレベーターガールが、異様に歪んだ笑みを浮かべている。


「次の料理をお持ちします。本日の趣向は、皆様に皆様がた自身を味わっていただきます。口の中いっぱいに広がるカミソリ味の因業(いんごう)悪行(あくぎょう)惨憺(さんたん)報復(ほうふく)地獄(じごく)巡業(じゅんぎょう)聖餐(せいさん)を、どうぞお楽しみくださいませ」


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