婚約者につかまりました
本日3話投稿。完結まで一気にアップします。
はしたなくならない程度の早足でクロヴィスの元を離れた私は、堪えきれなかった涙が歩く振動でひと粒零れ落ちた。騎士団が集まる場所に戻るまでには気持ちを落ち着けなければと、浅くなる呼吸を震えながら深く深呼吸して整える。
何度か繰り返すうちに呼吸が落ち着くと同時に頭の中も冷静になってきた。野営地も見えてきたからもう大丈夫だ、そう思ったときだった。
「キャロ!!」
突然、背後から聞こえた声が山々に響き渡る。
こんな風に自分を呼ぶ人間はひとりしかいないと分かっていながらも、なぜ、どうしてという問いが頭の中を駆け巡り、身体が地面に張り付いたまま動けなくなってしまった。
その間にもどんどんと足音が近づいてきて、これまで感じたことのない恐怖感に背筋が凍る。
「…………」
足音は自分の背後でピタリと止まる。普段はクールなヤツが息を切らしているのは珍しい、とどこかで冷静に考えながらも未だ拭えない恐怖心から背を向けたまま首を動かしてヤツに視線だけを向ける。
(……こわっ。めっちゃ怒ってるじゃない)
サッと視線を逸らそうとしたら、両肩を掴まれてグルっと半回転してヤツと向かい合わせにさせられた。
(……っ!?)
小さな悲鳴が出たが聞こえていないはず。
捕えられた野ウサギのように身体も視線も固まったまま動けない。だって仕方がないだろう。私の両肩を掴む手が震えているのだから、かなりお怒りのご様子だ。
「なんだ、どうした?」
「魔物が出たわけじゃないだろ?」
少し離れたところから、先ほどの響き渡る声を聞いて休憩中の騎士団の人たちがテントから出てきてしまった。
公開説教くらわされるのかしら、淑女としての恥だわ…と唇を噛む。
「お……」
ヤツが何か言おうと口を開いたので肩を縮こませ、目を細めて地面を見つめる。我ながら叱られる幼子のようで情けなくなる。
「……オレは!」
そのひとことで自分でもびっくりするくらい身体が跳ねる。まさに悪戯が見つかった時の子どもだ。
その反応を見たからか、彼は私の両肩から手を離した。両肩の熱が離れ、吹く風の冷たさに寂しさを感じる。
俯いたままさらに唇を噛みしめると、クロヴィスが屈みこんだ。
「……?」
白衣が汚れるのも気にせず地面に片膝をついて、気づかぬうちに固く握りしめていた私の両手を取った。
「ちょ、ちょっと……?」
私を見上げるように跪いた彼は先ほどまでの怒りはまったく感じられない。むしろ悲しみと苦しみに懺悔するような表情を浮かべている。
騎士団の人たちも魔物の発生ではなかったことが分かったのだろう、私たちのやりとりを遠巻きに見ているのが背後で感じられる。
少しの静寂の後、私の戸惑う気持ちはそのまま彼は再び口を開いた。
「……オレは…ずっとオマエのことが、キャロのことが好きだった。だから、婚約もオレが望んだ」
「……え…?」
聞き間違いではないはず。
彼は今、自分のことを好きだと言った…?
「キャロがオレを嫌いでも、オレはオマエが好きだから。だから婚約解消はしたくない」
「え?」
え?逆じゃない?私が好きでもあなたが私を嫌いなんじゃないの?
頭が混乱してクラクラとしてきた。
「え?…私が嫌い?」
「好きだっつってんだろ!」
ヤツは私の両手を取ったまま立ち上がる。
背が高いせいで相変わらず圧迫感があるなと思いつつ、今は混乱した頭を整理したいところだ。
「わたくしがあなたを好きでも、あなたが私を嫌いなのよね?」
「…は?オマエはジェラルド殿下が好きなんだろ?」
え??なんでいきなりジェラルド様の名前が出てきた?
背後で「え?僕!?」とジェラルド様も戸惑いの声を上げているのが聞こえる。
「…わけがわからないわ」
「わからないわけないだろ!オレがオマエを好きだっつってんだよ!」
「好きなのはわたくしのほうよ!嫌いなのはあなたじゃない!」
結局いつもの口喧嘩が始まってしまったと気づいたが、ふとみるとクロヴィスは顔を真っ赤にしている。
「アツいね、おふたりさん!!」
「見せつけるじゃねーか!」
遠巻きに見ていた騎士団の人たちから声が投げかけられる。指笛や拍手の音が響いてきたと思った頃に、よくよく自分の言動を思い返して気がついた時に死にたくなった。
一部始終を見て呆れたラウ兄様に「オマエらとっとと帰れ」と言われ、今は王都に戻る馬車の中。
隣国の王女様は、私の野蛮な料理のせいで具合が悪くなったからと私たちよりも早く帰ったため、先ほどの公開処刑と言う名の恥ずかしいやり取りは見られなくて済んだ。
「…………」
「…………」
いつぞやのアネットのお店での沈黙を思い出す。
あのときは、不意打ちで彼の優しさを知ったことに何とも言えない気持ちになったのだった。何か言わなければと思いつつ、さすがに短期間とはいえ野営生活と魔力を使ったことで疲労が溜まっていたのか馬車の揺れが眠気を誘う。
あの時と違うのは、彼が隣に座っているということ。
油断すると目を閉じて首がかくんとなってしまうのを何度も堪えて姿勢を正す。
「我慢してないで寝ろ」
そう言って彼は私の頭にそっと手を添えると、肩にもたれかかるように寄せた。今までなら抵抗していた私も、素直に応じて彼の肩を借りる。
程なくしてぬくもりを頬に感じながら夢の世界に入っていった私の髪を彼が優しく撫でてくれたことを私は知らない。
王都に着くと私は遠征の報告をするために魔術薬師棟に向かうことにした。
心配して待ってくれていたようだが、私の後ろにくっついている人物を見てみんな首をかしげている。
「遠征は無事問題なく終えました。それと……えぇと」
「彼女の婚約者のクロヴィス・レスタンクールと申します。魔術医として勤務しておりますが、これまでこちらに伺ったことがなかったのでみなさまにご挨拶に参りました」
遠征帰りだというのに、完璧な貴族スマイルを浮かべてキラキラしいオーラを放つ彼に薬師棟のみんなもポカンとしている。
彼に関する噂は色々と見聞きしているだろうけれど、みんなそこは大人の対応でつつがなく挨拶を終え今度は私が彼の後について魔術医棟に挨拶に行くことになった。
身だしなみは簡単に整えたけれど、何も今日でなくてもいいのでは?と戸惑いのまま彼に手を引かれて彼の直属の上司がいるという魔術医棟の一室に向かった。




