手離したくないんだ
失言だった。
いつもの口喧嘩の延長で出てしまった言葉に、彼女は幼い頃に手を振り払ってしまった時と同じ顔をしていた。またきっとオレのせいで泣かせてしまう。
でも彼女はあの頃と同じように酷く傷ついた顔をしたあと、唇を固く結ぶとオレの目を真っすぐに見てきた。
「そんなにわたくしのことが嫌いならば、婚約は解消いたしましょう。」
頭が真っ白になった。
どうして、やっぱりオレじゃダメなのか。
どこかでこの婚約に無理があることは分かっていた。それでも婚約者として過ごしていれば、また昔のように戻れると思ったのだ。でも結局は彼女を傷つけることにしかならなかった。
違う、違うんだ。オレはずっとオマエのことが好きなんだ。
言葉が喉の奥に張り付いて音にならない。呆然と立ち尽くすオレを置いて彼女はその場から去ってしまった。
―――――――― 時はさかのぼり、王立ブライトン魔術学院の卒業を控えたその頃。
「クロヴィス様、ごきげんよう」
「………? あぁ、確かカロリーヌの」
「えぇ、従妹のマリエルですわ!」
突然目の前に現れた少女は、ストロベリーブロンドの髪がくるくると巻かれており特徴的な外見をしている。カロリーヌと一緒にいる時に何度か話したことがある程度だが、いったい自分に何の用だろうか。
学園ではフェミニストで通っている自分はそんな不信感を感じさせないよう、すぐさま人好きのする笑みを浮かべる。
「なにか用かな?」
これまで彼女との接点は少ないが、表には出さないが会うたびにカロリーヌがイライラしているのがわかっていたし礼儀もマナーもなっておらず、できれば関わりたくない。
案の定オレの問いかけに対して何かを企むような笑みを浮かべて話し始めた。
「いえ、クロヴィス様はまだご婚約者様が決まっておられないとお聞きしまして」
だから何なんだ。早い者は学院にいる間に婚約者が決まることもあるが、別に婚約者がいなくても何らおかしくはない。初っ端からめんどくせぇと思いながら、引き続き笑顔を張り付ける。
「カロリーヌお姉さまも婚約者様が決まりそうだというお話を聞きまして、そろそろわたくしもと思っているんですの…」
そう言って両手を組み上目遣いでこちらを見上げてくる。……めんどくせぇ。
いや、それよりも聞き捨てならないことを言わなかったか。
「……アイツが婚約?」
「えぇ、何でも第二王子のジェラルド殿下とそんなお話があるとかないとか…」
「は!?」
なんだよそれ、聞いてないぞ。
…いや、何年もアイツとまともに話していないんだから聞けるわけないことぐらい分かってる。だがこんなに早く婚約者が決まるなんて思ってなかった。
モンタニエ家に差し迫って政略結婚が必要な事情もないはずだ。なのによりにもよって何でジェラルド殿下なんだ。王家にモンタニエ家を取り込みたい事情でもあるのか。
ジェラルド殿下がアイツを望んだ可能性もある。アイツだって小さい頃からジェラルド殿下にくっついては騎士になりたいだのなんだのって…。
「それで、クロヴィス様は…」
甘ったるい声がしてふと我に返る。
「…あ、あぁ。ではマリエル嬢も素敵な殿方との婚約が結ばれることを祈るよ」
そう言って最大級の笑顔の仮面で彼女を振り切った。話の流れからして、自分の婚約者になどというめんどくさい話だろう。まっぴらごめんだ。
オレにはずっとカロリーヌしかいないというのに。
さっきの話を聞く限り、まだ正式に婚約を結んではいないだろう。本当はもっとちゃんとアイツとの関係を元に戻してからと思っていたが、そんなことをしていたら他のヤツにアイツを取られてしまう。
「…カロリーヌちゃんと婚約?いいんじゃないか」
帰ってすぐに父に話すと二つ返事で承諾がもらえた。さっさとこうしておけばよかった。関係の修復なんて後から何とでもなる。
そう思ったオレを見透かしたように、父の横に座った母が厳しい目を向けてきた。
「クロヴィス、あなたちゃんとカロリーヌちゃんとお話してるの?会えば喧嘩ばかりで婚約の話を急に持っていって彼女は納得するのかしら」
「…それについては、きちんと話します。なので一旦はレスタンクール家からの申し入れという形で進めていただけますか」
「あなたは頭も要領もいいけれど肝心なところでいつも言葉が足りないわ。そのやり方が正しいとは思えないけれど、あなたがすべて責を負うのならそうしましょう。ただし、わたくしの大切なカロリーヌちゃんを泣かすようなことをしたら赦しませんからね」
「……はい」
そう約束して何とか母からも婚約の承諾をもらえた。
今思えば、このときちゃんと挨拶に行ってオレから望んだ婚約であることを伝えておけば…いや、それ以外にも伝える機会は山ほどあった。関係修復だって忙しさにかまけて本気でしなかった自分のせいだ。
セドリックのプレゼントを買うという口実で出掛けた時も以前のように普通に話すことができたし、このまま時間を重ねれば少しずつまた元に戻れると思っていたのが間違いだった。
職場ではカロリーヌが婚約者であることをわざわざ公表することもないだろうと思っていたし、アイツも言わないことを特に気にしていなかったからそのままにしておいたことが、後々になって最悪の事態を招いたのだ。
母に言われたひとことが今になって痛いほどわかる。オレは頭で考えてばかりで言葉に出すことをしなかった。それは幼い頃から彼女を言葉で散々傷つけてしまっていたからというのは言い訳にしかならない。
このまま、なにひとつ自分の気持ちを伝えないまま彼女を手放すのか?
アイツは何度も「わたくしのことが嫌いなら」と言っていた。そのたびにそんなことはないと心で否定するだけで言葉にできなかった。またアイツに大嫌いと言われるのが怖かったからだ。
でも今は嫌いと言われてもいい。
オレは自分の気持ちをアイツに伝えるだけだ。




