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私は悪役令嬢です




「ちょっと忙しくなるわよ」



会議が終わって戻ってくるなりそう言ったレイラさんを私とエマが作業を止めて見る。



「北の辺境の地で魔物が発生する頻度が僅かに増え始めててね。魔術師団と騎士団が討伐してくれているから問題はないのだけれど、騎士団から討伐に向かうために薬の依頼が多数あったわ」



そう言いながら依頼書を机の上に差し出した。二人で前かがみになりそれに目を通すと、なかなかの依頼内容だった。


魔物がほとんど発生しないこの国では治癒魔術を使える者はほとんど魔術医になっているため、短期的な治療や回復の魔術に長けた人間がとても少ないのだ。ましてや魔物との戦いを想定した訓練など受けたことがない。

そのため騎士団であるラウ兄様が遠征に出る際には、自分で作った回復薬などを渡していたが今回のような魔物の討伐ともなると、薬の効果も上げなければならないし長期間の保存も考えて作る必要がある。



「討伐に出るまであと二週間しかないの。ちょっとハードスケジュールになってしまうけれど、今の二人の実力なら可能だと思ったから引き受けたわ。もちろん私も一緒に作るからがんばりましょう」


「「はい」」


私とエマは揃って返事をする。まずは三人で依頼された薬の内容と量、その作成にかかるであろう時間と負担する魔力、それらを検討してひとりずつ分担することになった。






最初の一週間は、作るのに消費魔力の多い解毒薬から作業に入った。回復薬や治療薬はたくさん数を用意しなければならなかったけれどそこまで複雑な魔術を必要としないし、どちらかというと薬草の配合が主だった作業になるからだ。



とはいえ、毎日多くの魔力を消費するためまだ折り返し地点にもかかわらず、すでになかなかの疲労が溜まってきた。少々はしたないと思いつつ薬師棟を出てすぐの人通りのほとんどない木陰のベンチに座り、レイラさんお手製のハーブオイルを染み込ませたハンカチを目に当てて上を向いていた。


爽やかなハーブの香りが漂ってくる。建物にこもっているとどうしても頭の回転が下がるため、こうして休憩時間に出て外の空気を吸うとリフレッシュできて良いのだ。

ちなみにエマは五分でも睡眠をとりたいタイプらしく、いつも空いた机に突っ伏して寝ている。レイラさんは異常に甘いものが食べたくなると言って、チョコレートが山のように引き出しに入っている。



日が高い時間は汗ばむ陽気だけれど、木陰に入ると風が涼しくて気持ちがいい。



「はあぁぁぁぁ~……」



思わず深いため息が出てしまったが誰にも聞かれていないだろうから気にしない。ふとした時間に考えたくないことが浮かんできてしまう。あの日から、どうにかこうにか胸の奥に落ちた重たい塊は日々の忙しさで誤魔化し、気づかないフリをし続けている。



風が止み、木々のさざめきが途切れたとき少し離れたところから声が聞こえてきた。今座っているベンチの正面にある倉庫の向こう側から聞こえるようだ。

ひとつは女性の声。ずいぶん甲高くて特徴的な声だが今まで聞いたことがないなと思いながら、ゆっくりと目に当てていたハンカチを外した。もう一人は遠くてよく聞こえないがおそらく男性の声。人があまり来ない場所なので、稀に男女の逢瀬に出くわすことがある。今回もそんな場面に居合わせてしまったら気まずいと思い、そっとベンチから立ち上がった。


少しずつ近づいてくる声にこの場を早めに立ち去ろうと思ったとき、聞き覚えのある男性の声に思わず足が止まってしまった。



「今度の当直、一緒にしてもらったから!」


「……大丈夫なのか?」


「えぇ!ちょっとお願いしたらすぐに変えてもらえたわ!」


「……そうか」



言葉数は少ないが、聞き間違えるわけがない。

どんどんと近づいてくる気配に早くこの場から立ち去らなければと頭では思うのに、足が地面に張り付いて動かない。



「だからその日は…よろしくね?」



甘えるような声がしたその直後、倉庫を避けるようにして現れた二人の人物と目が合ってしまった。思わず息を飲む音を出しそうになったところをギリギリでこらえた。

彼は私を見て立ち止まるなり驚いたような顔をしている。私を前にして足を止めたことを不思議に思ったのか、女性は彼を見上げて首をかしげる。



「…お知り合い?」



深いワインレッドの髪をした女性は、その髪色の鋭さを打ち消すかのような柔らかい色気を持っている。同じ女性の自分でも思わず目を魅かれてしまう。



「……あ、いや」



いつもならヘラヘラと軽くかわすはずの彼が、何故か言い淀んでいる姿を見て冷静になった私は背筋を伸ばし、二人を正面に見据えた。



「お疲れ様です。少し休憩をしていただけですので、失礼いたします」



そう言って、その場を足早に去った。

気にしない、気にしない。婚約者が、いつの間にか別の人と婚約をすることになりそうだということも。その新しい婚約者が、自分を見たときに魔術薬師だと分かって見下すような視線を向けてきたことも。



これから後半の仕事は集中力を必要とする。こんなことで心を乱してはいけない。冷たく震える手を抑えるようにハンカチをギュッと握りしめて薬師棟に戻った。



でも戻ってきたときにあまりに私の顔色が悪いからと、所長とレイラさんはに今日は半休をとって休みなさいと帰らされてしまった。家に帰ってからも、具合の悪そうな私を見てお母様は驚いてルド兄様を仕事中にもかかわらず呼び寄せてしまった。



「ルド兄様、ごめんなさい」


「大丈夫だよ。ちょうど仕事の区切りが良かったところだし」



そう言ってルド兄様は私のおでこに手をかざすと、じんわりと身体が温かくなってきた。



「僕はあまり回復魔術が得意ではないけど、少しはよくなると思う」


「……ありがとう」



ルド兄様は優秀だけれど昔から回復魔術だけが苦手で、苦労してきた姿を知っている。それなのに自分のためにこうしてくれるのだと思ったら鼻の奥がツンとしてきた。布団を目のところまで覆い隠し、涙を見られないようにする。



「じゃあ僕はまた戻るね」



そういってすぐに仕事に戻ってしまったルド兄様は、やっぱり忙しい中を無理して来てくれたのだ。その後は夜になって帰ってきたラウ兄様が部屋に入るなり「元気になるぞ!!」と言って山で捕ってきた獣の肉を焼いて持ってきてくれた。普通のご令嬢であれば食べられないだろうと思いながらも、悪役令嬢の私はありがたく頂戴する。


いつなんどき自分の立場や環境が変わるかわからない。それはあの時から忘れず心に留めている。だから大丈夫。



「婚約破棄されることだって最初からわかっていたわ」



そう言葉にしてもう一度、自分自身に言い聞かせた。





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