婚約者と戦います
廊下を歩けば下級生の女の子たちに声を掛けられ、そのたびに愛想を振りまいているアイツを見るとイライラする。学院で自分から話しかけることなどほとんどなかったけれど、今日はそんなイライラをグッと押し込めてアイツの元へ向かっていく。
内心はドスドスと足音を立てて歩きたいところだが、ここは淑女らしく髪を靡かせつつ優雅に歩く。学院に入ってから表面上は上手く振舞うこともすっかり慣れた。
「ちょっとよろしいかしら」
そう声を掛けると少し驚いたような表情をしたが、すぐにいつもの軽薄な表情に戻った。さっきまで女子生徒に振りまいていた愛想が一ミリも感じられない。何が面白いのかニヤニヤとしながら「あぁ」とだけ返事が返ってきたので、人の少ない図書館へ向かう中庭の端に移動することにした。幸い行き交う生徒は誰もいなかった。
こうして面と向かって話すのはどれくらいぶりだろうなどと考えつつ向かい合うと、自分よりずっと相手の視線が高くなっていることに気づいた。学院に入ったころは私よりも小さかったのに、いつの間にか声も低くなって男らしくなった。
ふと見るとさっきまでの軽薄そうな表情は消え、真剣な表情でこちらを見ている。そんな顔をされたことはないので、これから話さなければならないことに少し怯むが、ここで戦わなければ私の幸せな未来はなくなってしまう。
「お父様からあなたとの婚約が決まったという話を聞いたわ」
「……あぁ」
その返答であれば彼もすでに聞いているという事だ。当然と言えば当然だが、知っていて放課後となった今まで何も言ってこなかったことが少し引っ掛かる。
「お父様に聞いても何故あなたとの婚約が決まったのかはっきりと教えていただけないの」
「…………」
視線をそらされた。何か知っているのだろう。知っていたところでこの様子だと教えてもらえないだろう。彼は軽薄そうに見えるが、信頼できる人間にしか情報を与えない。自分はそこまでの相手ではないことぐらい分かっている。ならば自分の要求を伝えるまでだ。
「お互いに不本意な婚約だということは分かっているわ。率直に言うと、婚約の解消に協力してほしいの」
「………………それはできない」
「…………は?」
いやいやいや。おかしいでしょ。
まさか断られるとは思っていなかった。嫌いな人間との婚約だというのに、協力してもらえないとは想定外もいいところだ。
「ちょっと、それは困るわよ。というかあなただって困るでしょう?」
「……オレは別に困らない」
嫌いな人間との結婚が困らないなんて意味がわからない。毎日毎日顔を合わせて生活をするのにそれが大丈夫などとは、とんだマゾ野郎じゃないか。
「婚約解消できない理由を教えてくださらない?何か知ってるんでしょ」
「……それは言えない」
相手の煮え切らない態度に段々とイライラが募る。しかし冷静にならなければ。
大きく息を吸って気持ちを落ち着かせる。
「……つまりあなたはこの婚約に納得しているということ?」
目の前の相手を見据えてそう言うと、彼は視線をこちらに向けた。夕日がエメラルド色の瞳に反射してキラキラと輝いている。あぁ、久しぶりに見たこの色。クセのある艶やかな黒髪とのコントラストが綺麗で、小さい頃とても好きだったことを思い出す。
「あぁ。レスタンクール家にとっても……オレにとっても必要なことだと思っている」
そう言われて心が躍ってしまった自分が悔しい。一瞬、彼が自分を望んでいるのだと思えてしまったのだ。けれどレスタンクール家にとっても必要であるということは、私には言えないがやはり家同士で何か繋がりを作る必要があったということだ。
「…………わかったわ」
その理由を自分だけ知らないというのは、レスタンクール家に入る人間としてまだ認められていないということだろう。彼に協力してもらえないことが分かった以上、今は受け入れるしかない。内心を表に出さないように気を付けていたが思わず苦い表情になってしまったのを見て、ヤツはなにか呟いたが、それが私の耳に届くことはなかった。
「クロヴィスとの婚約が決まったんだって?おめでとう!」
「おめでとう、お姉さま!」
久しぶりにモンタニエ家の庭園に来たのは、ジェラルド殿下とセシル王女だ。
今日はジェラルド様のおかげで進路が決まったことのお礼にと思ってご招待したけれど、やはり最初からこの話題になった。
「ありがとうございます」
まったくもって不本意な婚約だが、国の代表となる方々からのお祝いの言葉をいただいてしまえば、喜ばしいこととして受け入れるしかない。
「でも急なことでしたわね」
セシル王女は同じ学院に通っているので会えばちょこちょこ話したりしているのだが、話を聞けば王家にも急にこの話が上がってきたらしい。
「そうなの。わたくしも驚いてしまって…」
「クロヴィスからは何か聞いたの?」
ジェラルド様がそう尋ねてくるが、何も教えてもらえなかった私はそのことを伝えた。あのヘタレ…と小さな声でジェラルド様らしからぬ言葉が聞こえたが、確かに不本意な婚約に反対できないアイツはヘタレ野郎だと私も思う。
「モンタニエ家としましてはレスタンクール家とともに、より一層王家を支える存在となるべく精進いたします」
「やだ!お姉さまったら固いわ!この際、仲が悪くてもラブラブになれるよう頑張りますって言わなきゃ!」
そう言ってケラケラと笑うセシル王女が近頃ハマっている恋愛小説は、悪役令嬢モノではなく“ケンカップル”や“両片思い”といったすれ違いラブロマンスらしい。私も借りて読んでみたが、客観的に見ればお互いがお互いを好き合っているにもかかわらず、ものの見事にお互いの気持ちがすれ違っているところが読んでいてもどかしい。
さっさと好きって言っちゃえばいいのにと思う一方で、嫌われている相手に思いを告げられない自分の現実に絶望する。恋愛小説の世界は夢がある。主人公には絶対に幸せになる未来が待っているから。
これまで悪役令嬢の私はいろんな敵を想定して戦う準備をしてきた。でも最近ふと思うのだ。これから先、私は誰と戦うことになるのだろうと。
のんびり更新ですみません。週一回は更新できるように頑張ります。




