不幸な探偵
天城霧が自殺をする。
その言葉は軽くなかった。
その言葉を冗談と、流す事が出来なかった。
そして彼女はこう続けた。
「生きる権利があるのなら、私には自殺をする権利があるはずだ」
彼女は続けた。
「君は、どう思う?森治君」
その言葉に、俺は答える事が出来なかった。
晴れとなり過ぎたのかもしれない。
空は曇り空で、夕立ちの気配が色濃く残る。別れ際彼女は猫の心配をしていた。このままでは濡れてしまって風邪をひいてしまうかもしれないね、と。
等と、困り顔で語る彼女が”偽物”かさえ曖昧だった。
偽物かもしれない彼女は、天城霧のように人の傘に手をかけ持ち出す。
点のような雨から、土砂降りのような雨が始まった。
その一連の公道に、俺は立ちつくしかなかった。
トタン屋根の雨水が跳ねる。
雨水は衣服を濡らし、考えは相変わらず纏まらない。
探偵に相談をする。
__猫を探せば。
そうすれば__。
天城霧を、救う事は可能なのだろうか?
彼女と別れた喫茶店は、探偵社の隣にある。
今でも彼女の言葉が纏わりついて、その言葉だけが響いている。
探偵には会いに行く理由はない。いつも通り足を踏み入れる理由はない。この重い感情を、彼女の切実な思いを、どうするかは俺の行動次第__。
探偵社に足を勧めようとした。
だけども重い足取りは、歩くことを拒む。
何故、こんなにも重い?
それが嘘だという可能性が大半だ。物的証拠も、彼女が自殺する理由も無い。
それなのに、なぜそれが真実だと思えてしまう?
「__後輩君?」
雨の音が聴覚を支配していた。
それでも振り向くと、そこには。
見覚えのある、探偵がいたんだ。
「どうしたんだ?後輩君。先程の彼女は?もしかして、私に隠れて浮気かな?」
前提として付き合いなどしていないと返す所だろう。
しかし言葉が出ない。”言葉に詰まった”
「__いえ、何でもないです。それよりも、先輩」
何時ものように、ぶっきらぼうに答える。いつもの自分の意識し、何時もの自分に戻ろうとする。
「雨宿りをしてもいいですか?」
「__? 別に構わないが」
生憎、傘を忘れてしまった。
そういう事にしてほしい。
「ありがとうございます」
礼を述べるのである。
探偵社には、今日も人が居ない。
元々小さな探偵社であり、地域住民のトラブルの解決などに勤しんでいる探偵社だが、ここ最近はそういった話も上がっておらず、例に洩れず暇を謳歌している。
あいにくの雨という事もあるのかもしれない。営業時間を過ぎ、彼女はドアかけの板版を返した。
みすぼらしい所ですが。
そんな冗談を言い、事務所へと進む。
時刻は六時を過ぎていた。相変わらず空は明けを落とさないが、それでもこの中を変えるとなると億劫だ。それに、今は考えが纏まらず無機質な日常へ戻るつもりも無い。
その点、この探偵は好都合だった。
「__明日の朝まで荒れるそうだよ。今日は事務所に泊まればいい。親御さんには、此方の事務所の手伝いをしてもらっていると言っておくから」
探偵は想像通りそのような事を言った。
元々縁がある家同士という事もあり、この事務所に通い詰めである事を両親は知っている。
太宰先輩はこのあたりでも有能な探偵である事は知れ渡っており、そのアシスタントとして上げてきたきた功績は、仕事上の都合でやむなく事務所に泊まる程度は了承してくれる。
「それを言うと、余計話がこじれるのでは?」
「なに。昔からの付き合いだろ?それとも期待しているのかな?」
期待など出来るものか。
考えで押しつぶされそうだ。
等と吐ける訳も無い。
整理をする。探偵との会話に勤しみながら、自分が出来る最低限を考え続ける。
それが森治が得意とすることであり、森治の出来る事だ。
俺は何をしたいのか。
それは決まっている。
隣りにいた友人を助ける事。探偵に事態を依頼する事。
天城霧を自殺させない事だ。
「珍しいもんだ。君から雨宿りなんて言葉が聞けるとは思わなかったよ。__ココアしかないな。冷たいドリンクは腐るほどあるのだが……ん。こういう時は暖かいモノがいいんだけどね」
「__さっきは何故外に?」
その言葉に、彼女は愚問だと答えた。
「野暮用だよ、探偵としてのね」
軒先で出会った訳だが、先程の急な夕立で衣服が濡れてしまっていた。探偵社は事務所として主に機能しているが、泊まり込みも考慮してシャワー室や調理室などある程度生活できる場所をそろえている。
両親には彼女と話を合わせ、許可をもらい、俺は手早く着替えを用意する。
彼女の手伝いや資料集め、依頼人からの調査などで泊まり込みもある為、衣服一式が備えられている。いつも通りの普段着を選び、俺は探偵に使用許可をもらう。
「先に入っていなさい」
「__覗くなよ?先輩」
「その気が出てしまったら、すまないね。あ、角砂糖無い……。ってか、そうそう。書類終って無いや」
探偵は忙しそうにそう吐くと、書類に埋もれているデスクに座り作業を開始する。
それを横目に、シャワーを浴びて頭を冷やした。
考えても始まらない、探偵へ言うべき案件を。
先程用意した衣服が見当たらず、訳の分からないTシャツだけが紛れていた。
「__なんですか?コレ」
訝し気に言うと、探偵はしてやったりという顔を見せる。
「我が校、裁縫部手作りさ」
元々衰退の一歩を進んでいると聞いたが、それでも文芸部の活動が印象的な航行だとは聞いている。然し、裁縫部下は知らないが、随分とダサさを極めたTシャツを制作したものだ。
「いや、俺の着替えは?」
「君の着替えなら洗濯機に放り投げてしまったぞよ?」
「__で、これを着ろと?」
「今日は泊っていくんだろ?遠慮するな、私も事務所に泊まり込みだ。
依頼の件が終わっていないのでね。」
答えになっていない。
先程用意した着替えの所在を聞いているというのに、何故。という疑問は、探偵は答えようとしない。
忙しそうにひらひらと提示する書類は、どうやら現行の事件のようだった。
「という訳で。夕食はよろしく頼むよ、後輩君」
「__先輩も手伝って下さい」
「料理などしたことが無い」
「自立を促す意味でもやらせますからね?先輩」
とはいうが、期待などは無い。
探偵が一度も自炊をしたことが無いのは確かなのだろう。調味料の場所さえも自分で管理しようとしないこの先輩にとって、探偵社の台所は俺専用のスペースだというのに他ならない。探偵の給仕係をしているせいで磨かれた調理スキルは、じぶんでも得意と言わざる負えない自信となっている。
そうしてある程度の逸品を用意し、仕事に勤しむ探偵を座らせる。
探偵は喜んで席に着くが、その表情には少しばかり曇りが見えた。何か問題があったのかと答えると、彼女は笑ってそうではないと答えた。
食事を終え、後片付けに勤しみ。
ソファーに寛ぎながら、テレビに夢中の探偵の横を借りる。
下らない番組が続く。
俺は、ふと言葉を吐く。
「先輩は、死ぬ権利があると思いますか?」
真剣な話ではなかった。
話題の一部として、俺は語った。
「__それは。私に死んでほしくないという話かな?安心しろ、私は死なないぞ?君に養ってもらわなければいけないからな」
「……俺は、貴方を養うつもりはないですが」
「それは困った。私は、そういう予定なのだがな」
君が何になろうと、大切な後輩を離すわけがないと先輩は続ける。
「どうしたんだ、友達と喧嘩でもしたのか?この先輩に吐くといい」
自他ともに、俺はこの人を先輩だと認めている。
それは、如何やら変わらないらしい。
「多少の悩みでそんな事を考えない人間がいたんです。多少の不幸なんて、吹き飛ばすような人間だった。あいつが、彼女がそんな事を言うのは__多分違う」
別れ際の表情が鮮明にある。
彼女は笑っていた。然し、それが作りモノかは分からない。
彼女は器用で何事もこなす。
それこそ多彩な才能に溢れた人間だ。
俺は、彼女との会話をすべて話した。ところどころの細部は間違っているのかもしれない。そんな言葉は言っていないのかもしれない。けど確かに、彼女は自分自身の感情が欠落していると言っていた。
全てを聞くと、探偵は自身のコップに口を付ける。
少しばかり無言が続き、彼女は口を開いた。
「君は、それに応える事が出来なかったんだね」
「__先輩は、彼女の言葉が嘘だと思いますか?」
感情が無い人間が、笑って、怒って、悲しめるのか。
矛盾である行為に及んでる彼女を、どう肯定するか。
それは、嘘であるのか。
「そんな人間はあり得ないかもしれない。でも、それが彼女らしくないという君の感想も理解が出来る。彼女が吐いた言葉にはヒントが隠されている。それを見つけるのが、我々”探偵”だ。名探偵には出来ない仕事だよ」
事件を鮮やかに解決する子は無く。
事件が尽きる事は無い。
世の中は、晴れやかなモノだけではないと彼女は語る。
「実はね、後輩君。私は、ソレについて少し知っているのだ」
「何を?」
「それに似た症状を知っている。といったほうが正しいかな?無論、彼女がそうである事を証明することは難しい。無理に近い。何せ、心の話だ。そうであると仮定できても、そうであるとは証明できない。だが、そうであった場合は私の仕事だから」
俺は彼女の仕事を知っている。
迷子を捜し、家々の問題を仲裁し、この街に根強く生きる。
それを彼女は仕事と語る。
唯の高校生が続けるこの活動を、親がやるべき仕事を肩代わりしながら。
「__仕事。ですか」
「後輩君、ちこう寄れ」
「……はい」
彼女はその身を近づけさせた。
俺はそれに従い、身を預ける。
より強い彼女の匂いが、鼻孔を擽る。
「__先程の質問の答えだ。
私は、それが究極的な選択であるなら個人の自由なのかもしれない。人生は限りある選択肢の中で、限りある選択を指す喜劇だ。それが間違いだと釘を刺されようと、他とは違うと笑われようと自由意志の答えは尊いモノに違いないからね。
だがね。万に一つの希望に縋り、現実に前を向きそうであろうと願う事も、それは尊さに他ならない。止まるよりも、進む方がきっと楽しいだろ?」
自殺を否定しない。
しかし、止まる事よりも進むことが何よりもいいのだと彼女は語る。
「それが生を手放す事ではなく、辛い生涯に付き合うのだとして。君だって、私だって。__生きる事は素晴らしいと願うはずだ。君は違うか?」
「……いえ、違わないです」
「君の友人が生きてほしいと願う事も、無論、尊いはずだ。私だってそれが一番だと思う。お似合いだな、私達は。結末を楽しむ事に一流なのだ」
一度しかない人生だ。と、彼女は付け加えた。
「今日は休もう。猫は、明日探そう。この雨ではどうしようもないからね。何。夏休みは限りなく続いている。写真はあるのだろ?安心して、期待してくれ。後輩君」
俺は、その言葉に言葉が漏れない。
何かを言おうとして、言う事が出来ない。
彼女が巣知る病の話も、確約した探偵の話も。
「__感情が無い人間は居ないよ。限りない小数点は、決してゼロではないように。きっと君の言葉は届いている。だから、そう悲観するな。後輩君」
唯一つ、この言葉をかけたこの人は。
俺の、唯一の。
探偵なのだ。
雨。上り、晴天の空。
あれほど猛威を振るった入道雲は見えず、気持ちのいい日差しが上がる。
水浸しの車道を進み、経路を追った。
探偵曰く、水を避けるのなら軒下が怪しい等。限られた捜索範囲を探した。天城霧の予測通り、その場所に彼女は眠っていた。
しかし、目を開ける事は無かった。
何者かによる裂傷や、打撲痕が見られ。可愛らしい毛並みは見る事が躊躇われる無残な姿で発見された。
依頼人に、事の事情と遺体の回収を済まる。
依頼人は、そんな事だろうと思ったと言葉を続ける事は無く。悲しそうな表情を浮かべ、遺体に手を置いた。
彼女は、泣く事も無い。
彼女は、笑う事も無い。
無表情に、手を合わせた。
「ゴメン。ゴマ麦茶」
そう、彼女は言葉を溢した。