その日の醜態
海辺を進む電車が揺らいだ。
トンネルを抜けると、青々とした景色が窓を支配する。
深く彼方に続く青は、空の色と変わらずに澄んでいた。
一羽の海鳥が、空を翔る。
「__海猫かな?」
僕は、隣の親友にそう吐いた。
目的地の無人駅に、待ち人は来ず。
まるで地平線まで見渡す限りの遠い海と、山の方から鳴り響く蝉時雨。それにあるとするなら、国道に沿って往来する数々の車達。駅の名前が漣とだけ書かれた駅は、一つ屋根があり時刻表だけが掲載され。一般的な広告が数枚だけ掲示されただけの寂しい所だった。
海猫か鴎か分からぬ鳥が、疎ら疎らに飛ぶのを目に。照り付ける太陽と砂浜からの熱気で気がめいりそうになる。
その場所を直線に進めば、広大な海原が広がっている訳だが__。
僕ら二人、男二人の目的はその場所でない。
「さて、__待ち人来るかな?治君や」
比較的大荷物を携えて、僕はわざとらしく声を出した。
今日も日差しは晴天であり、砂浜では様々な人々が海水浴を楽しんでいた。しかして僕らの目的は、友人と共に海水浴を楽しむ事ではなく。その隣にある近未来的な建造物だ。
「とにかく、甚だ遺憾ではあるが」
空調も無いこの場所でいつまでも居る義理は無いけど、それでも義理はあった。
巻き込まれた被害者としては、ごもっともなご意見だ。
この行事を思いついた発案者は、車を用意して無人駅で待ち合わせをすると言っていた。この場に居ない、巻き沿いの後輩ちゃんも含めてだ。彼等の車は未だに渋滞に捕まっているようで、初夏であるというのに騒がしい限り。と、僕は言葉を溢す。
「それは同意。こういう時は、クーラーの下が相場だというのに」
「お前は節度をわきまえるべきだな。クーラーを死因としそうだ」
それは、僕の人生に凄く在っているな。
まあ、そんな訳で。
炎天下の中唯一の日差しを駅のホームとして、僕らは吸血鬼の如く影の者となりながら、待ち人を待ち呆けて数十分。
それらしい車が駅の駐車場へと止まったのがようやく見えた。
手元のスマホは、現在地が35度を超え灼熱の炎天下だと語る。
計画では車へと乗せてもらうはずが、彼女の姉が運転する車は走り出してしまう。
代わりに次のような文章がグループに記載された。
【追記__頑張ってください】
差出人は天城さんである。
「おぅ! ファック!!」
雅な罵声と共に、余りの暑さと理不尽でスマホを叩きつけそうになった。
炎天下の中、数十分待たされた上。彼女が起こなった贖罪がこれである。
寸でのところで踏みとどままり過呼吸気味に息を整えられたのは、僕に多少に理性が残っていたからだ。
僕は天城さんの性格をなめていた。知っていたはずなのだ。
仲良しこよしで、この暑さを共有する人間ではない事を。
__近代的な建物までは、一キロと表示されている。
「__まあ、予想通りだな」
親友は手元で額を拭い、碧空の下へと進んでいく。
「あの天城さんめ。__最初からこのつもりだったな!」
そして。
僕の怒りを載せた聲も、遠く彼方に消えるのであった。
時刻は、午後の三時を過ぎていた。
しかして、夏の日差しは容赦をしない。
青島水族館は、近辺にある無人島の名称を模した水族館である。
青島というその島は、古くから水害を祀る神として地域住人から信仰されている。日に何度かの定期便が観光客を運び、祭事の際には数万の人で賑わった無人島だ。
聖地として有る青島では、人が訪れようと人が住んでいる訳ではない。
人が来ないから無人島なのではなく。
人が住まないから、無人島なのである。
様々な車がその場所へと向かい、去っていく。人気がある水族館であり、その規模は広大だ。
大型商業施設と歩道橋がつながっており、其処からも観光客は訪れる。都市部にある水族館相応の大きさだろう。
僕らの街は都市部から離れた位置にある。
交通の利便性では劣るが、その広い敷地で観光客を止める為の宿場町として栄えてきた。彼女曰く、今回のPRは我が街の広告であり、宿場町としての利便性を強く説いた作品にするそうだ。
その意味で、この街の主要な場所を撮る必要がある。__と。
そういう意味では、観光地の集合体であるこの場所は都合がいいという話らしい。
「ご苦労様、二人とも」
何を隠そう、目の前の人物はとても晴れやかな笑みでこちらを歓迎している訳だ。
歓迎というよりも煽りに近いが、今日メンタルな僕はその誘いに乗る事は無く怨念だけを載せて笑う。後ろ手控えている後輩君が若干引く程度には自分の正直なところを伝え終えると、彼女は本題を伝えた。
曰く、カメラマンの撮影は後輩君に全面に任せる事。
男どもは、撮影の際後輩君と彼女のサポートに入る事。
彼女達が乗ってきた自家用車には、それなりのカメラ機材が積まれていた。どんな撮影を想定しているのか分からないが、常識的ではない事は確かだろう。
「天城。それ、水族館に運ぶ気か?」
僕の心情をそのまま親友が語ると、天城さんは表情を変える事無く飄々と否定した。あまりの白々しさに嘘の匂いがプンプン香るけど、そんな常識外な事をしない事を祈るばかりだろう。
「これは別件だよ。ちょっと後輩君に付き合ってもらう用事があってね」
「その用事とはなにかね?」
「ひ、み、つ」
__何やら怪しい取引があったようだ。
それは、ともかくとして。
「早くクーラーを浴びたいのだが? 天城さんや」
「そうですね。早く行きましょうか」
等という会話を繋ぎ、僕らはその建物へと足を運んだ。
青島水族館は先日の通り賑いが激しい水族館であるが、この火この時間の人通りは思ったほど少なかった。人の列が蛇行と成し、家族客やカップルで溢れている印象だったが、如何やらそうではないらいしい。
「__なんか、思ったよりも少ないね」
「閉店時間が近いですからね。7この水族館、三時半には閉まるらしいですよ?で、大抵この時間は近くの大型ショッピングモールに取られるそうです」
「わざわざこの時間にまで通うもの好きは居ない__と」
「そうですね。物好きしかいないようです」
と成れば、足早になるしかないだろう。
後輩君から渡されたカメラは、ビデオカメラとしては高性能でありそれなりのスペックを誇る撮影機器の一つた。これ一つで大抵の鮮明な動画が撮影できるため、個人的な動画撮影で愛用しているらしい。
……個人的な動画撮影とは?
__まあ、写真家のプライベートを覗くのは野暮という物か。
「先輩、壊さないでくださいね?」
「井辻君。壊さないように」
「壊すな……だとよ」
定番の前振りに、僕はあきれて言葉が漏れる。
「いや、壊さねーよ」
館内に入ると、先程までの熱気を洗い流すように冷たい空気が出迎えた。正直、このままここに住み体だとか無駄な事しか思っていない。内装は昔と変わらず広いエントランスに展示物の紹介が乗ったパンフレットコーナー。周辺の観光雑誌も一生に掲示していて、商売意欲が高いことが伺える。
受付の女性に、担当の名前を出した彼女は、学業の為に撮影の許可をしたいといつも通りの営業スマイルで話を通した。事前に確認を撮ったのか、直ぐに撮影許可は出て一人の飼育員が顔を出を出し、少しばかくの話の後、戻ってきた彼女はこう答えた。
「では中央水槽の撮影と、屋上展示物の撮影をしようか。あまり時間が無いのですぐに終わらせちゃおう。その後は、近くの海岸で撮影をするから、君もサボるなよ?」
通路を進めば、ライトに照らされた幻想的な魚たちを拝むことが出来る。
数々の展示物と、説明物は鍛錬に分かりやすくその生物の生態を理解させる。生活の一部として切り離された魚たちは、自由気ままに満喫しているようだ。
最小限に隠れた水泡と、海底をイメージしたかのような水槽には、数種類の魚が気ままに遊泳していた。隠れ家的な意も込めているのかイソギンチャクには小さな魚が隠れている。
次の次の水槽へと、足を運ぼうとする天城さんとは対照的に後輩君は足を止めた。
「先輩先輩。カワハギですよ」
「こっち見て居るね」
「腕を振ってるみたいですね」
後輩が指を指した其処には、確かに小さなカニが顔を覗かせていた。
子供のようにはしゃぐ後輩に、飽き飽きしたように天城さんは振り向く。
「__二人とも? これは仕事なんだが?」
「少しぐらい見学させたらどうだ?」
「そんな時間がある思うかぁぁ?」
「__じゃあ、今度ゆっくり行くか。後輩君」
「そうしましょうか、先輩」
勝手気ままに先へと進む天城さん。
___アクアリウムが好きな彼女であれば、後輩以上に食いついて離れない筈だ。
何故なら、天城さんは自他ともに認めるアクアリウムファンであり、溺愛しており。その趣味への熱意は人並みを超える程の其れだからだ。然し今の彼女は、後輩君が夢中になっている展示物を一瞥だけで済ませ、こうして一人で先へ進もうとしている。
器械的に見える彼女が、機械的に思えた。
まあ、彼女のしたい事がそうで無い以上、そういう事もあるだろう。公私を分けれるとは思ってはいないが、自分が今やりたい事は分けれられるようだ。
興味範囲で水槽に食いつく残念美人が居なくなったことに、僕は少しばかり残念な気持ちになりながらも変化を受け入れる事にした。
しかし、思う事は一つだけ。
「天城。男組はいらなかったのでは?」
「君達は労働力として必要なんだよ。人的資源は無駄にならないからね」
労働力とは言っても、カメラを持つ程度の話なのだが。
後輩君を無理やり連れるように引き進む天城さんの後ろで、カメラ運搬担当たる僕はその職務を全うしていた。同じく隣りを歩く親友は、苦笑いを含めて冗談を言う。
「デートの予定か?」
誰との。とは口にしないが、その意味は分かっている。
そして彼は勘違いをしている。いや、湾曲している。
「何言ってんだ、後輩君は妹みたいなもんだよ? 家族をデートに誘えるか」
「お前は雑食性ではないと?」
「不埒な野郎みたいないい方はよせやい」
閉館時間が刻々と迫ってきているとはいえ、人はまばらに存在する。
カメラを携えた彼等は幻想的なアクアリウムに夢中であり、彼女はそんな光景を一瞥もせずに通り過ぎた。時折立ち止まり遅れそうになる後輩君を連れ歩きながら、僕らはその水槽へと足を止めた。
それには、今までとは違う迫力があったらしい。
列を乱さず、まるで一つの大きな鯨のように生き生きと泳ぐイワシ達を筆頭に、様々な生き物が、思い思いに巨大な海を泳いでた。
後輩君が小さい声を漏らす中、思わず治も称賛の声を溢す。
唯一人、天城さんだけは違っていた。
彼女はその水槽を一瞥すると、此方に振り向く。
「じゃ、撮影を始めようか」
その言葉に、アクアリウムに夢中になっていた後輩君が我に返り準備を始めた。治は演技指導と演出を担当するらしい。対して僕には、何もすることが無い。
彼女が取りたい絵は、水槽を眺める彼女自身らしい。
黄昏る様に水槽を見ながら、カメラに視線を送る美少女の絵は華やかであるはずだと豪語していたのは、自分の容姿を理解している天才ゆえの所業だろう。
「僕は何をすればいい?」
「君は荷物持ちだろう?井辻君」
要するに、何もすることが無いらしい。
手持ち無沙汰である訳だが。彼等を無視してアクアリウムの観賞に浸るのは野暮という物だし、此処でスマホを取り出して周回ゲーに勤しむのもあまりに不謹慎だろう。
要は彼女の演技を心ながら応援し、引いては街の活性に少しでも尽力する事を願え、と。まあ、そういう事だ。
ある程度の確認後、撮影が始まり静かな時間が流れる。
アクアリウムの水音も、人の声も零れない静かな時間だ。
演技の上で水槽を眺め、此方に振り向き微笑む彼女は、確かに素晴らしい絵になっていた。まるで誰かといるようであり、その視線には明らかな意思がある。
その眼は、何かを訴えているような思いにさせる。
意思があり、感情があり、表情がある。
カメラを止め、治の細やかな指導が入るが。あの絵は文句のない作品だと素人ながらに思う。
後輩君もその輪に入り、三人の論議は熱を博す。
そして撮り続けるのを三回目。
彼等は、思い入れになる撮影を満足そうに終えた。
__まるで、他人事の様だ。
だが、他人事であろうと関わらければならない。
人を繋げ続けるのは、何時だって誰かの言葉であるはずだ。
「先輩はどう思いますか?」
僕はその質問が、他人を指していると思っていた。だから、返事をすることも無く他人事を続けていた。専門分野はその専門家に任せればいいのだと。その点、僕の専門は彼らとは似て非なる物であり、僕の其れに関わりは無い。
それを理解しているがゆえに。
その言葉は、他の誰かを指していると思っていた。
「先輩?」
アクアリウムの内側では、巨体を優雅に泳がせている魚達で溢れている。そう言えば、聞いたことがある。天城さんの話によると、水族館の魚は他の魚を食べないそうだ。それは、徹底した管理により空腹の時間を作らないかららしい。
そんな思いでは日居に思い出すものだ。
今更、それを思い出す理由は無いというのに。
「おい、井辻。聞いているのか?」
「何が?」
「__この構図、お前はどう思うと聞いているんだが?」
構図?
ああ、目の前のアクアリウムの話か。
「いいんじゃないかな。被写体が被写体なだけに、清涼飲料水の広告に使われそうだとはおもうね」
「……次に進もうか」
膨れっ面の天城さんは、そう言いながら脚を進めた。
「そんな話はしていない」
「先輩は、鈍感ですね」
「鈍感? おいおい、アイツの機嫌取りの話じゃないのかよ」
鈍感とは言葉の選びが悪い。
「先輩。先輩は、振られたと言っていましたが、それは本当なのでしょうか?」「何の話だ」
「天城先輩の話です。先輩は、天城先輩に振られたんですよね?」
「__ああ、振られたよ」
横に歩く後輩は、そう言って昔の話を掘り下げる。
「何も持たず、彼女に振り回されていた僕では、彼女に似合う人間に成れなかった。だからそう在ろうと努力をして、何時しか名も知らない誰かの名称を受け継いだ」
「”晴天”、ですか?」
「晴れやかに天を仰ぐ。故に、晴天だと」
”晴天”は、この学校に伝わる文芸に秀でた才能を表す称号である。
文化部の活動において特に文才を持つ者。彼らは文芸部の活動に一枚嚙んでおり、文芸部の発展に尽力したと聞いている。しかし、この十年間はその努力に似合わず、文芸部の活動は著しく落ちていった。
”晴天”は、3年生から1年生に継承され、継承された人間の大半は何かを残している。その一つが演劇部の脚本。晴天の名を受け継いだそのシリーズは、今でも歴代の晴天による連作として、名を馳せていた。
僕はソレを殺した。
晴天の続いた連作を終わらせた、最後の”晴天”という訳だ。
「名も無い誰かから受け継いだ才能の証。__ですね」
「言っているだろ?名も無い誰かから受け継いだ、訳も分からない名称だ」
何もできない代わりに何もしない。
そんな人間が、受け継ぐような名称ではない。
彼らの話は、フィクションなどではないのだから。
僕が受け継いだその人間は、天城さんによく似ていた。