プロローグより、愛をこめて
こういう作品も書けるんだよ。って証明したい(特に意味はない)
拝啓
炎天下の折、写真部一同ますますご静粛のこととお喜び申し上げます。
この度、補給物資が届きましたことを書面でお知らせいたします。物資が届きましたら、付属の書類をご確認の上、2年3組の天城までお知らせください。
なお、この文書は秘密保持の為、読み終えましたら煮るなり焼くなり刻むなりし、情報漏洩の無い様処分をしてください。
追記
井辻君には、秘密でお願いいたします。
敬具
天城霧より
連日の猛暑が世間のニュースを騒がせている折。
理科室の隣に位置する生物準備室の扉を開けると、肌寒い程の冷房を浴びながら一人の後輩が手紙を読んでいた。締め切られたカーテンは一切の日光を遮断し、冷房が絶えない室内は外の気温をものともしない空間へ仕上げる。
机の上を見ると、何処から仕入れたのか清涼飲料水が、段ボール箱で収まっており近くには封筒らしきものが置かれている。
宛先は、写真部。
水槽がひしめく机の隣。
スペースの一端を借り、先程から題名の続きに頭を悩ませながら時間は過ぎていく。
後輩はその横で、怠惰な時間を潰している。
フィルムの保存やカメラの運用などで理科準備室の一室を借りている写真部は、現在の部員二名の小さな部活動であり、唯一の後輩である彼女は俺を見るなり手紙を渡した。
「天城先輩って、確か……。”通り魔”の天城先輩?」
手紙には補給物資なる物が届いた旨。
機密保持とやらに従って欲しい旨。
追記に従わず躊躇を見せずに見せてくる後輩は、生物準備室のマスコットキャラクターであるハムスター。ホロー・ポイントと戯れながら思い出すように吐いた。
一般的なルーズリーフに手書きで書かれていたそれは、公的な文章の書き方を模しているが丸みの帯びた文字がどうにも調子を狂わせる。見覚えのある筆跡と、それ以上に聞き覚えのある名前に見知った彼女の姿が浮かび上がる。
それに比べて文節の続きだけは浮かばず、パソコンのエンターキーだけをなぞらえるばかりだ。
「ああ、もう広まっているの?」
呆れ呆れにそう吐くと、後輩君もあきれた様子で言葉を続けた。
「そりゃあ有名人ですからね。天城先輩の文芸事件。部員の少ない文学部を訪れては、様々な活動を行って、後輩やら同級生を取り込み文科系部活動を活性化させた人。漫画研究会だったり、音楽関連の部活がにぎやかになったのは、先輩のお陰だと聞いています。
それに、本人のスペックの高さからそつなく何事もこなし、そのカリスマ性で先生方々の評価も抜群の超絶美少女って話を聞いています。先輩。先輩とは大違いですね。憧れますよ」
中性的な彼女は、仏頂面を変えずに出鱈目を言う。
全くもって心外だ。
僕にも、彼女が持ち得ない功績位はあるのだから。
後輩君は、知りもしないが。
「__それって褒めてる?」
敬意の欠片も感じない彼女に、呆れながらそういった。
「褒めてますよ?凄い尊敬しています。僕は先輩が大好きです」
言い切るようにそう言って、後輩はハムスターを頭に乗せる。
その様子に何も言葉が浮かばず、唯々長い溜息を吐いてそういえばこういう奴だったと今更ながらに思い出す。
後輩君。またの名を、太宰梓。
写真家の父を持ちながら、本人もその技能を遺憾なく発揮する鬼才。人物象を特に愛し、風景写真においてもその界隈では有名だ。
父の影響もあり、技術を持ち得る彼女は新聞や雑誌などで天才等と紹介されることが多い。
但し、それは間違いだ。
太宰梓は天才ではない。
努力家を、才能の一言で片づけること以上にはき違える事は無い。
彼女は努力と研鑽を積んでおり、挫折を理解している。
それを唯一知っているだろう僕に、彼女は信頼を置いている。
親の名前で天才たりえる事を強いられ。それでも自分として生きる人間は、鬼才と呼ぶべきだと彼女は常に言っている。その意味を理解する人間は殆どいない。
他人事は、何処まで行っても他人事だ。
「まあ、それはうれしい限りだけどさ、後輩君」
鬼才は、僕の心情とは裏腹にハムスターと戯れている。
視線が合うと、不思議そうにこちらを見た。
「なんでアイツが通り魔なんて呼ばれたか知っている?」
「えーっと。分かんないですね。天城先輩がとても可愛らしい方だとしか知りません」
「彼女の活動は、一年生から始まってね。最初は遊びの延長戦みたいな感じだったんだけど。ある事件でね。文科系部活の根本から変えた大事件を起こしたんだよ」
背面から扉の開閉音が聞こえ、淡々とした足音が近づいてきた。
機嫌よい鼻歌交じりに後ろを取る彼女が、どんな顔をしているのか目に見えるようだった。白いディスプレイに反射したその悪戯顔は、想像上のそれに寸分たがわない表情で、ばつの悪そうに後輩君は後ろに指を指す。
「__先輩。後ろ、後ろ」
無論気付いている訳だが、進捗から目を逸らす理由にはならない。等と適当な理由を付けて、僕は無駄話の為に花を咲かせることにした。後輩君との雑談は進捗に影響を及ぼす。そして、後ろの人物とかかれば進捗に影響を及ぼす。
それが悪影響化は置いといて、気付かぬふりをするのは後ろの彼女も望んでいる事だろう
「これは世に語られる。”通り魔の連続刺殺事件”の序章だ_。彼女のお陰で、どれくらいの犠牲が出たのか見当がつかない。現代のジャックザリッパーだったね、彼女は」
「井辻君? 連続殺人なんて私していないけど?_なっ」
「おっっつ!!」
突如として充てられた冷たさに、少しばかり驚いた声が出る。
振り向くと彼女の手にはペットボトルが握られており、お茶であるという表示が簡潔に綴られていた。あまりの突然とした反応に笑顔を絶やさないその人物は、大成功と子供のように言葉を溢した。
驚きの声を上げた僕だが、その表情に一杯食わされたことを理解した後、不満げを隠さず声を漏らした。
だが、しかして。
このままでは下がれないのが渡部井辻という男だ。プライドが高い自分を理解しているので何事も無かったように席を立ち、ヘラヘラとした表情を浮かべながらわざとらしい演技を再開した。
「やあ、天城さん。今日も晴天のような笑顔がまぶしい限りですね」
こんな定例文に対しても、彼女は実に子気味良い挨拶で返す。
「元気そうで何よりだ井辻君。手紙を読んでくれたみたいで、感謝の極みという奴だ。恥ずかしいから心中しようか」
返されたのは、何かと物騒な挨拶だった。
「僕は、刺殺も毒殺も嫌いですぜ?」
「ついでに後輩ちゃんも誘って鍋を囲もうか?無論具材は此方で用意する。これなんて鍋の彩に合うと思うんだが?」
そう言ってスマホを見せる。
その赤赤しくキノコにはまるで見えない特徴的なフォルムは、何処か山中で見かけ得意げに話していた。ああ、そういえば。カエンダケという触るだけで火傷症状に見舞われるキノコがあった。それは無論毒キノコの類で、鍋に入れるには多少と言えない勇気がいるのだが。
「カエンダケパーティーですか?それ只の無理心中じゃ」
「心中だよ、それも無理心中だ」
若干引き気味の後輩もそれを知っているらしく、その上で他人事を予想していた様に次のように語るのだ。
「お疲れ様です、先輩。哀悼の言葉は書いときます」
たとえ身を滅ぼしても、この悪魔に殺されない事を決めた瞬間はあるようで。
世の中の悪が身近にある事を再認識しながら、このような辺境の部活に何の用かと彼女へ問う。校舎一階にあるこの場所は、それ以外が空き教室となっている何とも寂しい場所だ。様々な移動授業で世話になる地帯だが、今は放課後であり夏休みの直前たる今日だ。
「差し入れ。後、涼みに来てね。そうだ、井辻君。ソレを空けるのはいいが、きちんと感謝をしてくれよ。君は、実に恩知らずだからね」
差し入れ、というのは、先程から見る段ボールの中身だろう。
清涼飲料水の名前が書かれた其れは、確かにこちらで管理するには問題ないモノだとは思うが、どうしてこの場所を選んだのか理由は分からない。理科準備室はその機能上常に冷房を付けてはいるが、それは職員室も同じな筈だ。
公的に顔が利く彼女であれば、公的な理由であれば教員の方々も納得するだろう。
つまり、面倒事である可能性もある訳だが……。
「どこから盗んできたんだい? 天城さんや?」
「盗んでいないよ? 野球部から借たんだ。無論期限は決めていないがね」
借りたというのは、物は言いようだな。
しかし、この場所の一端を借りるとなると我々写真部の領分ではない。そのあたりの許可は写真部の担当教諭である井月教諭の許可がいる。
井月教諭は面倒事を嫌う男性教諭で、今回の其れが面倒事である場合関わらずを選ぶだろう。彼女の許可は取らないと思うが__。
「正確には、私個人の備品だからね。保管場所が無いので置かせてもらうついでに、この設備を利用しようという事だ。理解したかな?」
「おいおい後輩君。これは決定事項の言い方じゃ?」
「いや、先輩。確実に決定事項でしょ。そんな目をしてますよ」
「決まっているだろ? 決定事項だ。何か意見は?」
「__無いと言えないでしょ?」
「井月先生に許可は取っているよ。交渉事は得意なモノでね」
__いや、それ位ならで妥協しそうだな。
「というか、先輩たちは何やるんですか?浅木祭」
「喫茶店さ」
三週間後に迫った浅木祭は、我が浅木高校の代表的な行事の一つ。
世で言う文化祭の体裁を持つこの行事だが、秋頃に行われる通常の其れとは違い浅木祭は真夏に行われる。年に一回の熱が途切れない大行事であり、どのクラスも文科系部活動も大きな熱気に包まれる。
その影響で、この二週間は大切な時間帯だ。
文化部然り。
クラス活動然り。
今からでもと、様々な練習に精を打つ学生で賑やかさが途絶える事は無い。彼女もその一人だろう。明に纏わりのあるクラス連中の中心に居ながら、彼女はこうして自分のやりたい事を謳歌している。
「__いや、もしかしてそれを売る気じゃないですよね?」
「後輩君、ファミレスのドリンクバーは対外だろ?」
「いや、流石に喫茶店でアクエリアスは売ってないです。喫茶店とファミレスじゃあ運営方針違うの知らないんですか?先輩」
「あー。なんとなくは知っている。かな?」
「マーケティング的な違いなら、値段とかコーヒーを入れる技術についてとかですかね?」
「まあ、それもありますけど。僕的には人的流通ですかね。
喫茶店は個人客が多くて、ファミレスは団体が主です。賑やかさと静寂は両立しないんですよ。鉾立という奴ですかね」
さわがしい同級生と、物静かな後輩を見比べ、確かにそうだと納得をした。
「あ、そう言えば先輩。演劇部の原稿は進んでいますか?」
「ああ。題名は出来たよ。其処から一歩も進んでいないけど。白紙。ぶっちゃけやぶぁい」
「あれだけ時間をかけましたから進んでいるんですよね? 先輩、進捗どうですか?」
と、我が自慢の後輩を褒めた所で。彼女は思い出したように痛い所を付いてくる。
演劇部から依頼された原稿は殆ど完成しておらず、ディスプレイ上では題名だけが浮かんでそれ以上が進んでない。
自分が戻された現状に焦りがこみ上がり、思わず他人に責任を押し付けたくなった。
故に仕方ないと納得をする。
「最悪だ。君のせいだ」
「人のせいにしちゃだめですよ、先輩」
愛しの後輩に責任を擦り付けたのだが、後輩は実に冷たくあしらう。相手にされているようで相手にされていない様子に、僕は諦めるしかない。
「井辻君。それよりも、文化祭の用意が先だぞ?」
「でも先輩、文化祭で披露する台本でしょ?たっぷり一時間の奴。もう終わってないとダメなんじゃないですか」
「期限は明日までだから。オールすれば行けるから」
前科持ちではある為に、そんな言い訳は通じないだろうが。
それでも後輩ならばと期待の目を向けるが、その前にペットボトルで頬を叩く天城が許さないようだ。というか、腕に持つそれは差し入れだと思っていたのだがどうやらそうではないらしい。ご丁寧に後輩は別なボトルを受け取り、残りのボトルで叩かれる。
「やっぱり、小説家ってクソだな。後輩ちゃん」
天城さんの言葉は、やはり厳しい。
「人の心が無いんでしょうか?天城さん」
「人形に意思があると思うかな?井辻君」
「__それは、お人形のように可愛いでしょう?という冗談で?」
「私は美形だろう?冗談ではなく真実なんだ、井辻君。私は、完璧なのだからね。__ところで」
それを事実だとして、彼女は言い切る。
天才を語るなら、目の前の彼女こそが正しいと。
何の努力も研鑽も無く、様々な事を成しながらそれでも他人を理解する彼女こそが天才だ。これは、梓を貶めるつもりも否定も無い。ただ、天才である人間は居て、努力でそれを超えようとする人間もいるという話だ。
そのどちらにも成れず、挫折さえも無駄にした自分が語るべき世界ではない。
その場所に僕は居ないのだから。
「井辻君。土曜日は開いているかな?」
「__普通に暇です」
「先輩は暇じゃないと思いますけど。__あ、先輩。僕は、開いていますよ?」
「ふむふむ、いい事を聞きいたね。後輩ちゃん。では、水族館に興味は?」
天城さんは多趣味であるが、その中でも変わらぬ趣味を持つ。
それが、水族館。その中でも、整備された生態環境の観賞だ。
そして変わった人間は変わった者を愛するように、変わり者の彼女は変わった物を愛している。
ガラス一枚越しの淡い世界に、日常を生きる彼等を彼女は愛している。
深い深い。深海よりも深い愛情として。
「水族館?_ですか?」
天城霧は、アクアリウムに恋をしている。