7話 大失態とキャンパーさん
夜の帳が降りる前には、ランタンを付けておく。テーブルの近くに一つ。自分を挟んで反対の方に一つ。
これで自分の周りの影を薄くし、夜でも色々と活動がしやすくなる。
このくらいの時間になればとりあえず一安心だ。周りからも僕が男か女か、なんてよく見えなくなってきただろう。
ヘッドライトを使うソロキャンパーも多いが、僕はあまり好みではない。顔の周りに色々とものがあるのは落ち着かないのだ。
使うLEDのランタンは、ネットで買った安物だが、なんだかんだお気に入りだ。ほどほどの明るさしかないが、その分、周りのキャンパーにとってまぶしすぎず、雰囲気を壊さない。
道具を少しずつ揃えていく喜びも、この世界で久しぶりに感じることができた。
独身の会社員時代は、給料の使い道も大してなく、プロの女性と色々遊べるお店に行くか、部下に酒でも奢るか、高級なキャンプ道具を買い漁るか。
今はアルバイトで稼いだ僅かなお金をやりくりして、少しの余裕分で買える安い道具を探して使っている。
道具の質はぐっと落ちてしまったけれど、こうして頑張って集めた道具たちの方が、昔よりずっと愛着が湧いた気がするのだ。
しかしやはり、あれもこれも欲しい。周りのキャンパーが使っているおしゃれなランタンが欲しい。動画で見た新しい寝袋が欲しい。
また帰ったら少し、アルバイトに入る回数を増やしてみようかと思っている。
というわけで、今回は僕のアルバイト先探しについてお話しよう。
◇◇◇◇◇
今日も今日とて、葵とイチャイチャしながら下校する。
美人は三日で飽きるという説、残念ながら立証ならず。
すでに葵は完全に彼女面であり、僕としても着実に距離は近づいているのを感じているところだ。
通学ルートは完全に覚えたが、案内役だったはずの葵が、元々の自転車通学に戻る気配は全く感じられない。
今日はその帰り道でコンビニに寄り、アルバイトの無料求人誌をもらってきたところだ。
肌寒かったので、レジ前の肉まんの誘惑に負け、葵と半分こして食べながら帰ってきた。
いやあ、青春って本当に素晴らしいですね。
家に帰ると手洗いうがいをして、二階の僕と雫が間借りしている部屋に荷物と制服を置きに行く。
何だか部屋がどたばたとうるさいので、おそらく雫が帰ってきているのだろう。
「ただいまー。なにやって……」
部屋の扉を開けた僕の目に映ったのは、年下の雪に押し倒された妹の姿だった。
「これは失礼。おじゃましました」
僕はそっと扉を閉じ、部屋の前を離れる。そっ閉じ。
「違うのよお兄ちゃん。誤解です。雪ちゃんが私の制服が着てみたいっていうから……」
そのあとすぐに、僕は雫に力ずくで部屋に引き戻されていた。
「大丈夫だ雫。僕は女の子同士もすごくいいと思う。尊さを感じる。だから大丈夫。ちょっと寂しいけど、僕はいつでも雫の味方だから」
「違う。ほんと勘弁してお兄ちゃん。違うのよ」
邪魔して悪かった。僕は心の底からそう思っている。
「雪ちゃんも、邪魔してごめんな。雫のこと、よろしく頼むよ」
雪は最近は僕にも慣れて、だいぶ尊大な振る舞いをするようになってはいたが、昔から特に雫とは仲が良かった。
雪はふふん、と笑って答える。
「一応、誤解だとは言っておきます。ただ、雫ねえがいい匂いしてたので、あわよくば、的なタイミングではありましたね。おじゃま虫さん」
僕は涙をこらえて立ち上がる。二人のことを攻略対象だなんて考えていた自分の愚かさよ。
百合に挟まろうとする男に人権はない。
……というお茶目なひとときはさておき、荷物を置いて制服をベッドへ放り投げた僕は、早速求人誌に目を通し始めた。
この二人のどたばたはほぼ毎日のことなので。
仲良きことは美しきかな。
ただし最近、ときどき雪からガチな雰囲気を感じるときがあるのは怖いところだが……。
「では、私は葵ねえのおっぱいを触りに行ってきます。亮にい、何度も言うようですが、葵ねえに手を出したら、二度とあなたに笑顔が戻ることはありませんからね」
雪はさっと立ち上がり、部屋を出ていった。
怖い……。これは間違いなくガチだわ……。
「で、お兄ちゃん。ほんとにアルバイト始めるの? 世間は危ないことでいっぱいなんだよ? 女はみんな狼。みんなお兄ちゃんを狙ってるんだから」
毎晩僕の貞操を危険にさらしている張本人が言うのだから説得力がすごい。
しかしここは譲れないポイントなのだ。
「人生経験も大事だからね。お金も余裕ができれば、雫にも色々プレゼントできるだろうしさ」
人生経験はもう嫌というほど前世?で積んだ後だが。
「さすがお兄様。雫は幸せです……」
お茶目なやつだほんと。
この家にきてから、雫の天真爛漫さには磨きがかかってきた気がする。
のびのびと妹が暮らせる環境にいられるのは、本当に幸運に恵まれたものだ。
「でも、コンビニとかスーパーのレジ打ちっていうのも、なんか味気ないよね。雫はなんか、男の人がこういう仕事してたらカッコいい、みたいなのってある?」
ふと尋ねると、宿題を始めかかっていた雫が、これ幸いと携帯をいじりはじめた。
「お兄ちゃんならどんなのでも素敵だと思うけど。えっと……例えばカフェの店員さんとか? あ、執事カフェ的なのはダメだよ。危ないからね。」
執事カフェ……。この時代の闇を煮詰めたようなパワーワードだ。もしかしたら前世の頃にもあったのかもしれないが。
人間の業の深さは実に恐ろしい。
「そう言えば、キャンプ場の住み込みアルバイトとかもあるらしいんだよね。……実際見たことないけど」
「そんなの、お兄ちゃんみたいなのが働いてたら、みんな特殊なサービスでもあるのかと期待しちゃうよ? 股間のテント、ビリビリに破かれちゃうよ。……良くて管理人のおばさんにコテージに軟禁されるか、って感じでしょ」
この妹の考え方の業の深さよ……これもまた実に恐ろしい。
「お兄ちゃん、一応提案だけど、私がお兄ちゃんに定期的にお金をお支払いするってのもありじゃない? もちろん、その分いろいろとサービス的なことは…… まあ、ね?」
「それ以上はいけない。対象年齢が上がるぞ」
実際、お金でそういうチョメチョメを行う男子高校生も、世の中にはいるようだ。
一方で現在のおじさん世代には、まだ女子高校生の需要がなくなったわけではないから、その手の環境は今、非常にカオスなことになっているらしい。
まあせっかくなら、将来の幸せな家庭生活の役に立ちそうな経験が積めるバイト先にするのもいいかもしれない。
あるいはキャンプ関係……は、求人無いけど。
「お、ここ時給高いな。見てよこれ、時給1200円。本屋さんかな? ビデオレンタル?」
「お兄ちゃん、それはあれです。お兄ちゃんみたいな人がレジにいたら、逆に売上が下がるお店です。お願いお兄ちゃん。私たち女の聖域を乱さないで……」
ああ、そういうとこ……。
確かに求人の年齢制限が18歳以上と小さく書いてある。この時代では当然のように、そこに行く客も店員も、性別が逆になっているわけだ。
……しかし雫、お前は未成年だろうが。
「じゃあこれはどうだろう。美容関係? アロマ? 男性急募だってさ。時給はなんと2000円近いよ。」
「お兄ちゃん、さっきから私を誘惑してるの? その手の漫画のオスガキみたいになことばっかり言ってるよ。もしかして、私にわからされたいのかな?」
妹の口からあんまり聞きたくない言葉ばっかりだ……。
ていうかオスガキってまた、謎のワードが恐ろしいわ。
時給からしてなんかおかしいと思って言ってみただけだが、全く仕事内容がわからん。
この世界も今や独自に、僕の想像を越える進化を続けているようだ。
日本人のそういう分野の情熱、胸が熱くなりますな。
「ていうか雫、まず宿題頑張りなよ? さっきから全然頑張れてないぞ」
そろそろいい時間なので、僕は夕飯の準備を手伝いに行こう。最近ではもっぱら、洗い物担当が僕のポジションだ。あとお風呂洗いも。
お兄ちゃんが話しかけてくるからでしょ! 興奮するわそんなん!
妹の叫び声を無視して僕は一階に降りた。
頑張れ雫。今の時代、女の学歴はとても大事になっているんだぞ。
ちょうど大学から帰ってきた遥に甲斐甲斐しくお茶を出し、お風呂に湯張りも始めた。
だいぶそうした家事の手際も良くなってきている。スキル自体は、独身生活ですでに身につけていたからな。
「そういえば亮一くん、さっき携帯にメッセージ送っておいたんだけど、もう見てくれた? 大学のサークルでお金出しあって、バーベキュー用のテーブルとかいろいろ買おうとしててさ。詳しかったら意見聞きたいなって」
あれ、そういえば携帯がない。
そもそも積極的に僕から交流したいと思っている相手が、今のところこの家のみんなくらいしかいないので、携帯を肌身離さず持っておく必要もないんだよな……。
友達が少ない、というのが正直なところだけど。
「バックの中に携帯入れっぱなしにしてるかも。ちょっと探してきます」
その瞬間、ガシッと雪に肩を捕まれる。
「遥ねえの連絡を無視するとは。それでもあなた、ちん○○ついてるんですか?」
このチビすけ、下品なことを……。思わず脳内で音声処理のピーが流れたわ。
前の世界であれば、美少女からのこの言葉、多くの男が喝采を上げただろうけど……。
「触って確かめてみるかい雪ちゃん。子供でも罪は罪。警察のお世話になることはあるんだよ……?」
反撃すると頬を赤らめて逃げていく。
あまりにも歪んだ心の持ち主だが、しかしなんだかんだ、今はこいつが一番気が合う相手なのかもしれない。前世で言うところの、男同士の会話に近いんだよな。
で、携帯を探しに二階の部屋まで戻る。
ちょっといたずら心で、物音を立てずに戻ることにした。雫のやつ、ちゃんと宿題してるだろうか。
こそこそ携帯いじってサボっていたら、お仕置きが必要だな。
さてどうかな、とニヤニヤしながら一気に扉を開ける。
……携帯? まあ後で探せばいいだろう。
……僕は何も見なかった。
風呂場へ行き、シャワーで頭に冷水をかける。
ああ妹よ! 愚かな兄を許してくれ!
年頃の子供に対して、ノック無しで扉を開けるなど、絶対にやってはならなかったのだ。
神様、どうか僕の記憶を消して下さい。自分の制服があんな風に使われていたことなんて、今はどうでもいいんです。
ただ、かわいい雫の名誉のため、この僕に裁きを与えて下さい……。
バタバタと足音がして、横から荒い息と共にシャワーが止められた。
「違うのよお兄ちゃん。……ね? わかるでしょ? ね?」
僕の腕を掴む力がちょっと強すぎるよ雫……。
そして服はちゃんと着てから下りてきたんだな、えらいぞ、うん……。
「すまん雫。お兄ちゃんが全て悪かったんだ。このシャワーの硬いところで、僕の後頭部を力いっぱい叩いてくれ。そうしたら全部解決するよ」
「やめてお兄ちゃん。ダメージ増すから。謝るのやめてほんと。……でも、お兄ちゃんにも責任あるんだよ? 毎日毎日、同じ部屋で寝てるのに何が起こることもなく、薄着で歩き回る姿を見せつけられて……。逆に、逆にね? もう感謝して欲しい。この程度で我慢してくれてありがとう、そう思って欲しい、うん」
ついに雫が壊れた……。顔は真っ赤だ。ああ、なんてかわいそうな妹……。
次は騒ぎを聞き付けたのか、また足音がして、遥が顔を出した。
「わあ、どうしたのさ二人とも。……雫ちゃん大丈夫? 顔まっかだよ? 亮一くんに○○○○でも見られた?」
わーお。男子もいるというのに、遥らしからぬ強烈な発言。今日はまたしても脳内音声処理が大活躍ですわ。
遥も、あ、しまった、とばかりに顔をしかめる。察しはいいのにタイミングが悪い。
これ僕なら、遥に気づかれるのが一番ショックだろうな……なんとなく。
雫は、この世が終わったような表情で、風呂場を立ち去る前に、ギロリとこちらを睨み付けて言い放った。
「お兄ちゃん、今晩からはほんとに覚悟しといたほうがいいよ。 ……もう私には、無くすものなんて何もないんだから……。」
……ホラー映画かよ。
ちなみにアルバイトは、高校に近い場所にある普通のパン屋さんにしました。
売れ残りのパンをこっそりくれる、小さいけれど素敵なお店です。
もはやそんなことは、どうでもいいでしょうけどね……。