5話 恋の段取りとキャンパーさん
薪はナイフ一本で割るのが好みだ。斧やら大がかりな道具を使うのも、魅力はわかるが、道具の力だけではなく、知識と技術で薪を割れるのがナイフのいいところだと思う。
平たい薪を土台にして、割りたい薪を立てて置いたら、ナイフを木の繊維に沿って良い塩梅に当て、他の薪をナイフに叩きつける。コンコンと良い音が出て刃が薪に食い込んでいき、そして2つに割れる。
うむ、前日に研いできた刃はいい感じみたいだ。
黙々とこれを繰り返し、細い薪を作って焚き火の準備を進めるわけだ。
人によってはこれを、大変そうだと思うかもしれないが、ぜひ一度やってみて欲しい。超楽しいので。
カッ、コンコン、パカッ、という感じだ。わかる? わかるね? ……伝われ僕の思い。
少し離れたところでグループの女性たちが、すでに焚き火をはじめようとしている。が、着火がうまくいかず煙ばかり出てしまっているようだ。
これはかなりダサい。そして煙たい。
先ほどのように薪を細かくして着火の準備をしておく、だとか、何事も段取りが大事である。
そういう賢いことができない女はモテない。この現代ではそういうものだ。
じろじろ見ていたら、恥ずかしそうにしながら、でもきゃあきゃあとこちらに手を振ってくる。
なんだ。何か期待してるのか。
残念だが何もしてやらんぞ。焚き火のやり方も当然教えん。かわいい子には別だけど、遠くて顔はよく見えんからな。
しかしこの世界でももちろん、男もできる奴ほどモテる。僕の顔面偏差値は平均よりちょい上くらいでしかないから、あとは長い社会人生活(の記憶)で培った、できる男ぶりが重要だ。
勉強もできるし、焚き火もできる。まさにできる男。ふふん。
これで恋愛に積極的というわけだから、世の若い女性からすれば理想的な男のはず。うん、きっとそう。
さあ、焚き火下手くそレディたちのことは頭から消して、次は僕の新生活準備と、焚き火だけではない、恋の段取りテクニックについてお話しよう。
◇◇◇◇◇
元々通っていた高校の方は、出席日数の問題で留年もやむなし、と考えていたのだが、そもそも住む家が変わることにより、転校が必要だった。
数少ない男子への強烈な優遇措置により、ちゃんと進級できるそうで、次は3年生からのスタートだ。正直助かる。
葵も通っている高校の編入試験を受けられることになっていたので、これは落ちたくないな、とコソコソ空いた時間に勉強しておいたら、どうも相当な好成績を出してしまったらしい。
そりゃ元々結構な高学歴のおじさんだしね。
少し教科書を流し読みしておくだけで、そこらの高校生には負けない点数になってしまう。
将来の進路は決まっているのか、などなど学校から里美さんへ興奮した連絡が入ったらしく、みんなを驚かせてしまった。
今どきでは男で勉強できるやつは結構レアなのだ。
何せ近代の歴史だけはかつての知識が役に立たないが、数学やら物理やらについてはなにも変わっていない。
あ、国語の試験で、薄着の男性にドキドキしている女性の気持ちを答えよ、的な、最近の小説を問題文に使った問題が出たので、それだけは理解に苦しんだが……。
「で、せっかくそんなに頭いいのに、なんで進学は希望しないんだい? もし亮一くんがボクの大学に来てくれたら、すごく嬉しいんだけどなあ」
なんと今日は、遥が自分の大学の購買に僕を連れてきてくれている。
すでに前に住んでいた家の対応など、重要なことは済ませたので、そろそろ新生活の準備を初めているところなのだ。
わざわざ遥の大学まで連れてこられたのは、購買で文房具などが安く揃えられるため、という名目だが、実は里美さんのアイデアで、大学の魅力を感じさせ、進学をオススメしようという魂胆のようだ。
オープンキャンパス的な感じか。
このあたりのことは昨晩、雫からこっそり聞き出してある。
優しい兄にでれでれの雫は、女性陣のコソコソ話を、軽いボディタッチ一つで平気で僕に伝えてしまう、有能なスパイ的存在になっているのだ。
「進学して、いい会社に入って働いて、っていうのが、なんかピンと来ないんです。今は、例えば遥姉さんみたいにかわいいお嫁さんを捕まえて、僕は家庭を守って、なんかそういうふうに幸せな家庭が作りたいなあって。遥姉さんたちの家にお世話になるようになってから、仲良しなみんなを見てたら、そんなふうに感じるようになったんです」
前世の時代ならクズなヒモの考えだが、今どきでいえば、まあごく一般的な若い男性の考えだ。
しかも今回は遥を見つめながら、熱っぽく言ってみるという、巧みなテクニックを加えている。
なにせ勉強も、仕事も、もう前世でうんざりしているのだ。
いい大学に入ればそれだけ難しい勉強が待っている。
それでいい会社に入れば、将来を期待されてその分難しい仕事が待っていて、出世してしまえば今度は部下を抱える重責が。
そうやって一生終わらない地獄の連鎖に苦しむのが、世の中の悲しい現実だ。そういう方面では、僕はもう頑張る気はしない。
「ま、まあボクはそういうの、すごくいいと思うよ。うん。」
さりげなく結婚願望強めを匂わせた僕の発言に、顔がニヤニヤしていらっしゃる。実にかわゆし。
普段はボーイッシュで出来る女、という感じの遥だが、積極的に攻められるとこういうかわいいところが出てくるのが、ここ数日でわかってきた。
僕に進学を勧めるという役割、完全に放棄してしまったようだな。
「でもごめんねさっきは。大学なら男の子がいるくらい、まだそこまで珍しいわけでもないのになあ。」
この地方はまあそれなりの田舎なので、大学生も移動手段が必要で、遥はバイクを使っている。
先ほど二人乗りで大学の駐輪場にバイクを停めると、遥の知り合いらしき女の子たちにきゃあきゃあと騒がれたのだった。
「あれは遥姉さんのファンの子でしょ。バイク乗ってるとこカッコいいですし。自分も後ろに乗せて欲しいなあって子も多いと思いますよ」
百合でバイクに二人乗りなんて、最高に尊いしなあ。
と言ってみたところ、遥は少し表情を曇らせた。
あれ?なんかミスったかな?
「大学のみんなが仲良くしてくれるのは嬉しいんだけどねえ。たまにちょっと、息苦しくなるときもあるんだよ。まあ、贅沢な悩みかなあ」
モテる女にも、いろいろ悩みはあるらしい。
ここは一発雰囲気を変えておくか。
歩く遥の前に飛び出し、無理やり手をとって、僕は爽やかに笑った。
「まあ今日の遥姉さんは僕の貸し切りだから。せっかく天気もいいし、ちょっとあっちの方も案内して下さいよ」
空気を読むのも社会人には必須のスキルである。まだ高校生だけど。
地方の大学だからか、結構広い敷地を有する構内には、林のようになっているスペースや、広い芝生が広がっているところなど、ちょくちょくキャンプ場みたいなエリアがあるようだ。
実に好ましい。進学はしないけど。
「わかったわかった。今日は購買に買い物に来たんだから、少しだけだよ」
遥は、しょうがないなあ、という雰囲気で言っているが、嬉しそうな感じが隠しきれていない。
ボクっ子ではあるが、男からのボディタッチに対してこの反応。そろそろ百合っ子ではないと断定してよいだろう。僕にも十分チャンスはあるはず。
大学は今、年度の切り替えの時期らしく、少し長めの春休みだ。ゼミやサークルはそういう時期も活動しているので購買は開いているらしいが、人の姿はまばらである。
ちなみに今のところ、男性の姿は一切目にしていない。男性の大学への進学率も、年々急低下しているらしい。
広い芝生には、昨日振っていた雨のせいか、今は日差しでキラキラと小さな輝きが広がっていた。
歩く靴が、少し芝に残った小さな水滴で濡れるけれど。
「あー、いい感じの芝生。こういうの好きなんですよ。」
さっきから繋いだままの手をぎゅっぎゅとしながら僕が言うと、無言のまま遥も力を入れかえしてくれた。
……いい。すごくいい。
これはあれだよね? もう恋人候補くらいには思われてるんじゃない?
遥もここまで、男日照りだった可能性は結構高い。いける、きっといけるはずだ。
さっきから、手を離そうとする気配は微塵も感じられない。にぎにぎする手の感触が続く。
……この人かわいすぎ。もう絶対落とす。必ずお嫁さんにしてやるぞ。
思わぬ遥からの反撃にときめきながら、遊歩道みたいになっているところまで、芝生をずんずんと横切っていく。
「確かにここ、ちょっとキャンプとかもできそうな雰囲気あるけど、そういえば亮一くん、いつからそんなにキャンプ好きになったの? こないだも雪といろいろ話してたけど」
訪ねてくる表情も実にかわいい。なんというか、あれだ。……うん、かわいい。
かわいすぎて語彙力死亡。
が、この質問は実に答えづらい。
そもそもこの早島亮一の身体でキャンプをしたのなんて、小さいころに母さんに連れて行ってもらったのが最後だ。
「男にはいろいろ秘密があるんですよ。」
いたずらっぽく笑ってごまかしておく。
一番こうした僕の変化を不思議がっていたのは、当然妹の雫だったが、優しく頭を撫でながら同じことを言うと、でれでれした顔で、まあいっか、と誤魔化されてくれた。
チョロチョロ妹だ。
「ボクはあんまりキャンプはしないけど、サークルの歓迎会とかでバーベキューは多いんだよねえ。火起こしとか実はできないからさあ、いつもしれっと料理の準備とか担当してごまかしてるんだ。カッコ悪いけどねえ」
風で散らばった髪を整えながら、遥は恥ずかしそうに言う。
前世の感覚では、女の子は火起こしなんてできないくらいがかわいいと思うけど。
とはいえイケメン女子の遥がファンの女の子たちに幻滅されるのはよろしくない。
尊きゆりゆりな世界はこの僕が守らなければ。
「じゃあ、今度僕と二人で、どこか公園にでも行ってバーベキューしてくれませんか? コツを知ってれば火起こしなんて簡単ですから、僕が教えます。二人っきりなら、誰にも恥ずかしくないでしょ?」
二人、をことさらに強調しながら言う。積極的なアプローチで遥のポイントを稼ぎ、さらにデイキャンプまでこなせる可能性を広げたわけだ。
我ながらなんていい提案。
「うー。亮一くんにカッコ悪いとこ見られるのが一番恥ずかしいかも。でも、よろしくお願いします。……男の子とバーベキューかあ。えへへ」
実に天使。ちょっと背が高い天使。……僕よりちょい背が高い天使な。
遊歩道を歩いていると、大きな建物が広がっていて、どうもこれが購買のようだ。
一階が売店、二階が学食。大学にはよくある感じだね。
僕としては適当にぶらぶら歩いていただけのつもりだったのに、いつの間にか遥にここまで誘導されていたようだ。
このエスコート技術。びっくりするほどイケメン女子である。
「さ、いろいろ安いからどんどん買っていこう。ボクもノートとか買い足しとこうかなあ」
遥はスルッと繋いでいた手を離した。
……寂しい。しかし恋人というわけでもないし、やむなしか。
知り合いに見られたらこういうの茶化されるだろうしな。
「もうちょっと一緒に散歩してたかったけど、しょうがないですね。ちゃっちゃと買っていきますか」
一緒に、を再びアピール。我ながら涙ぐましい努力である。
さすが大きな大学の購買だ。文具から食料、文庫本などなど、ところ狭しといろいろなものが売られている。
残念だがキャンプ道具はない。僕としては大学生にも必須のアイテムたちだと思うのだが。
ペンやら消しゴム、ノートやら、いろいろと必要なものをかごに放り込んでいく。お、これは後で使えそうだ。購入決定。
前世で大学に通っていたときと同じく、どれも格安だ。
お金については母さんが亡くなったときの保険やらを含め、ある程度残してくれた財産のおかげで、雫の進学までは充分なんとかなりそうな余裕はある。
その後雫と一年くらい暮らしていた家も、賃貸として貸し出すことにしているので、しばらくは安泰のはずだ。
しかし引き締めていかなければ、いつの間にかなくなってしまうのもお金というもの。
お、カップラーメンがめちゃくちゃ安い。コンビニの半額以下だな。
「なんでカップ麺なんて見てるのさ。もしかして亮一くん、お腹空いちゃった? 上の学食で軽く食べて帰ろうか」
ほう。まあ少しお腹は空いているけども。
学食ね、興味はあります。安いしうまいしね。
前世では、お金がなくて、学食ではいつも安くて量のあるものばかり食べていた。
ああ、苦い記憶がよみがえってくる。ダブルかけうどん。大盛りふりかけご飯。当時はお世話になりました。
「うーん、でもやめときます。今日は晩御飯、お好み焼きパーティーだって、葵と里美さんが盛り上がってたし」
見た目に反して葵は結構料理上手で、里美さんの帰りが遅めの日は、葵が夕飯を作っていることが多い。
僕も一度夕飯を担当してみたが、かつての男の独身生活で培われてしまった濃いめの味付けや、雑な野菜の切り方やらが自然に出てしまっていた。
みんな喜んではくれていたが、表情がね。イマイチ、って顔に書いてありましたよ……。
とはいえこのカップ麺は購入決定。雫の好きなカレー味だし、食べ盛りの妹へのお土産ということで。
遥も目当てのものは見つかったようだ。青空の写真が表紙になっているオシャレなノート。こういうチョイスもかわいい。
見た目イケメン、心は乙女か。
「亮一くん、ペンとかそういうのでいいの?もっとかわいいのもあるよ?」
安さ重視でかごに入れていた僕の文具たちを見て、遥が苦笑いしている。
「いいんですよこういうので。飾らない美しさ。男の美学というもんですね」
よくわからん、という表情の遥を置いてレジに向かった。勉強道具にお金をかけるくらいなら、そのお金でキャンプ道具を買うべき。
あえて言わないけれど、それが真の男の美学だ。
購買から出て、遥のバイクが駐めてある駐輪場までのんびり歩きながら、僕は遥に細い銀色のボールペンを渡した。
500円くらいの安物だが、値段の割にはシンプルで高級感がある。取引先との会議などでは、見た目の良いボールペンを使うべし。社会人時代の僕のこだわりだった。
「これ、安物だけど、一応プレゼントです。今日の記念に、なんかお揃いのものが欲しくて」
自分の分の、全く同じペンをひょいひょいと振りながら言ってみる。
こういう好き好きアピールを積極的に続けることが女を落とすためには有効だ。この時代でも、きっと効果的なはず。……だよね?
「あー、気に入らなかったら、家で使い捨てにしてくれていいですよ」
少し攻めすぎたかと僕が不安を感じていると、遥は受けとったペンを大事そうに握りしめた。
「とんでもないよ! えへへ、お揃いかあ。授業とかで大事に使わせてもらうよ。……なんか、ほんとこういうの、昔の漫画とか映画みたいだあ。亮一くん、こんなことしてたら、高校でモテすぎちゃうんじゃないか心配だよ」
よし作戦は好印象。たぶん。
バイクにまたがるとき、遥の腰を後ろからしっかり抱きしめて、
「今日は連れてきてくれてありがとう。帰りも運転よろしくお願いしますね」
とヘルメットの内側から声をかけた。
親切には甘えつつも、お礼などの気遣いはきちんとできる男。
これは遥に言われるまでもなくモテるだろう。間違いなし。モテるモテるきっと。
しかし遥は何も答えずにエンジンをふかせ、ゆっくりとバイクを走らせた。
聞こえていなかったか、照れ隠しか。
そうだと信じよう。きっと今日で好感度は上がったはず。
女を落とすにも、焚き火と同じで、本気の勝負を仕掛ける前には、着実な準備の積み重ね、段取りが大事なのだ。たぶん。